なかなか気づけない | メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

副題 : もう遠距離の異動は無いだろう

何がセクシーだったのか未だに分かりませんが、プラスチック製品の使用を制限しようと、レジ袋などが目の敵になった事があり、紙製のストローが出現したりした。

たまに行くマクドナルドも、紙製のストローに切り替えたのですが、なんでストローだけなんだろう?と思ってたりする。





マクドナルドのゴミ箱は、紙とプラスチックを分ける形となっていますが、プラスチックのストローだった時代には、それについて疑問を感じる事は無かった。

なぜ思わなかったのかと言えば、飲み残しや氷を紙コップから捨て、その後に紙コップは紙のゴミ箱、ストローと蓋はプラスチックのゴミ箱に捨てるという流れで、ゴミを捨てる事が出来たから。

これが今では、紙のストローとプラスチックの蓋を分けてから、それぞれのゴミ箱に捨てるという、なんか手間が1つ増えた訳で、たった1つ手間が増えただけとはいえ、一連の流れを邪魔されているように感じる。





そのような私からすると、なんで蓋も紙製にしないのか不思議に思ってしまう。

プラスチック製品が環境に悪いのであれば、そしてそれにマクドナルドが賛同したのであれば、蓋もプラスチックから紙に変えてしまえば良いと思う訳で、蓋とストローを紙製にしてくれたら、私が面倒だと思っている、蓋とストローを分けるという手間も省けるだろう。





と、もっともらしい事を言ってますが、ストローを抜いた後にゴミ箱へ向かえば、そんな手間は省ける事に気がついてしまった。

蓋を紙製に変える事に、マクドナルドは気づかなかったかも知れないけど、ストローを抜いた後にゴミ箱へ向かえば良いという事に、私も気づいていなかった訳で、当たり前になってしまった事を変えるというのは、当たり前であるが故に気づきにくい事だったりする。

世の中や社会を改善するには、社会の変化や時代の変化に合わなくなってきた当たり前に、いかに気づくかに掛かってくるのですが、ここに主義やイデオロギーが関わってくると、主義やイデオロギーの中にある当たり前が干渉してきて、世の中や社会の改善という目的から掛け離れたりする。





結局のところ、バランス感覚というのが大切なんだよなあ。