メタボリックがとまらない ver.6 広島死闘編

メタボリックがとまらない ver.6 広島死闘編

副題 : 全国を股にかける平社員


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今度の住まいは、広島市とは言うものの山の中腹で、良く言えば自然豊かな地域。
東京23区内で生まれ育った私からすれば、田舎も田舎な大田舎で、窓を開ければカメムシが入ってくる。




帯広も東京と比べたら田舎だったし、松山も東京と比べたら鄙びていたが、ここまでカメムシはいなかった。
洗濯物を取り込んで、ふと床を見たら、カメムシの野郎が10匹ぐらい転がっていて、思わず鳥肌。
触ったら臭い汁を出すので、硬い紙ですくい上げて拾ったが、それでも隠れていた奴がいて、しばらくしたら部屋の中を飛び回っていやがる。




腹立たしいこと、この上ない。

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日本と韓国の政治認識が、なぜここまで違うのかと思ってまして、別の国なんだから仕方がないと思いつつも、そういった考え方ですら、日本と韓国とでは異なるような気がしてしまう。
極端な言い方をすれば、日本は韓国を別人だと思ってますが、韓国は日本を同族だと考えてる節があり、それが「兄と弟の国」なんて言葉に表れていると思う。




世界広しと言えども、「兄と弟の国」なんて言葉を使うのは、韓国ぐらいなものだろう。
兄弟関係はおろか、おおっぴらに親子関係を持ち出す国も、世界広しと言えども存在しないと思いますが、それは、独立してこそ国家であって、兄弟だ親子だなんてウェットな関係を持ち出すより、男一匹という感情の方が、独立国に相応しいから。
独立国に友好関係や敵対関係は存在しても、兄弟関係なんて存在しないというのが、朝鮮半島を除いた独立国の、共通した考えであって、まさにグローバルスタンダードと言ってよい。
そのようなグローバルスタンダードな考え方を持つ日本と、「兄と弟の国」なんていう、朝鮮半島でしか通用しないスタンダードを振りかざす韓国とでは、考え方が違って当然だと言える。




朝鮮半島の歴史を振り返ると、独立国であった期間が、非常に短かった事に気がつく。
特に統一王朝となって以降は、中国大陸の国の影響力が非常に強く、高麗以降は中国大陸の国による、良く言えば保護下、普通に言えば占領下の地域王朝という地位でしか無かった。
例えるなら、GHQ占領下の日本みたいな位置付けで、朝鮮半島における最高の権威を持つのは、朝鮮の歴代王朝ではなく中国の王朝だったし、明治になって日韓併合に至るまでの状況でも、日清露の三国のどれを最高権威として、朝鮮半島を治めようとしていたのかという点でも同じ。
更に言えば、李氏朝鮮と日清露の四国のうち、朝鮮半島の自主独立を本気で求めていたのは、李氏朝鮮ではなく日本だった訳で、清とロシアは李氏朝鮮に対して、都合の良い傀儡国家になる事しか求めて無かったし、当の李氏朝鮮は、自分達が自主独立をするなんて頭は無く、歴史的経験に則った、傀儡国家としての道筋しか考えていなかった。




実際のところ、日本敗戦後の朝鮮半島の流れも、歴史的経験に則った傀儡国家という道筋通りだと思う。
北朝鮮は旧ソ連の傀儡国家として産まれたし、韓国もアメリカの傀儡国家として産まれた訳で、北朝鮮は途中から親分を中国に変え、最近の韓国は、アメリカから中国へ親分を変えようとしているのか、訳の解らない行動をしているが、双方に言えるのは自主独立(北朝鮮は微妙だが)ではなく、上に強い親分を置いて自らは傀儡となる、朝鮮半島の歴史的なやり方。
特に最近の韓国を見てると、李氏朝鮮の末期と同じように、アメリカを親分とする派と、中国を親分とする派とで、猛烈な派閥争いを繰り広げていて、双方が反日と朝鮮半島統一を旗印にしながら、自主独立はしようともしてない。




外に国内における最高権威を求め、自らを国内における最高権威の代行者とする、そのような政治のやり方を歴史的に行ってきた国でなければ、「兄と弟の国」なんていう外交的な序列は生まれない。
こういった発想は、儒教的な所から生まれたものでは無く、朝鮮半島が歴史的に行ってきた、外に国内における最高権威を求め、自らは最高権威の代行者とする、そのような無責任体質から生まれたものだ。
ありがたい事に、そのような無責任体質を経験をしていない日本からすれば、韓国の言う常識は非常識なんだけど、そこを日本の常識に当てはめて理解しようとするから、韓国から振り回される結果となる。




「日本と韓国は違う」と理解する事が、本当の理解に結びつくスタートであって、「日本と韓国は同じ」とか、「理解すれば分かりあえる」なんて考えるのは、逆に混乱の元となる。
様々な〇〇談話とかが出てきたけど、、実は韓国の常識にすり寄った、日本の常識から外れた談話であったので混乱の元となった。




日本と韓国は違うんだから、ダメな事はダメとハッキリ言わなければダメだ。
勘違いさせ続けてきたから、ストーカーみたいにすり寄って来るのであって、健康的な隣人の関係に戻す為には、ハッキリ言わなければダメだと思う。

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「飛ぶ」と評判のドライバーでも、自分に合うかどうかは解らない。
何を基準に飛ぶと言われるのか、何を基準にして、飛ぶドライバーを探せば良いのかが、全てのゴルファーに分かりやすく提示されてるとは言えない。




ドライバーはゴルファーに使われてこそ、始めてドライバーとしての意味をなす。
そのように考えると、飛ばしの要素とは、ゴルファーとドライバーと別にして考えるべきであって、そのゴルファーの特質と、そのドライバーの特質とがマッチした時に、一番効率的な飛ばしの結果が生まれるのだと思う。
ゴルファーの特質と、ドライバーとの特質をマッチングさせる事が、飛ぶドライバーを見つける為の大前提であって、「このハサミ切れますよ~」みたいな、単純な紹介の仕方は出来ないし、そのような紹介の仕方しか出来ないのなら、そのゴルフショップに未来は無い。




ドライバーを構成する要素として、ヘッド、シャフト、グリップの3つがあるけど、それぞれについて考えてみる。

【ヘッドの特質】
スピン量、捕まりの良し悪し、弾きの良し悪し、重量。

【シャフトの特質】
重量と長さ、調子のポイント、戻ってくる時のスピード、個々のゴルファーが感じる硬軟。

【グリップ】
重量、個々のゴルファーに合った太さ、好みの硬さ。




続いて、ゴルファーの特質について考えてみると、肉体的な面で身長と体重、そこにヘッドスピード、スピン量、スイングのタイプ等が考えられるし、そこに打感の好みやシャフトの好みなど、数値化しにくい物が加えられる。




このような要素に、自分の最低限求める飛距離を踏まえて、飛ぶドライバーが決まると思ってますが、これって大手メーカーだから飛ぶとか、地クラブメーカーだから飛ぶとかって事じゃなく、自分の特質に合わせて、様々なメーカーのヘッドやシャフトを組み合わせる必要があるという事。
不人気なメーカーだから飛ばない訳では無いし、人気のあるメーカーだから飛ぶ訳でも無い訳で、どのように自分の特質に合わせてフィッティングするかが、飛ぶドライバーに出会う為の必要条件だと思う。
そのような点で考えると、例えばリアルロフトと表示ロフトの違いって、飛ぶドライバーに出会う事を阻害する存在であって、そのような見栄でドライバーを選ぶゴルファーを野放しにするより、見栄より実利を選択するゴルファーを増やす方策をとる方が、業界全体の利益になるのではないか?




実利重視のゴルファーを増やす為には、メーカーがハッキリとしたコンセプトで、商品開発する必要があるし、宣伝広告をする必要がある。
正直なデータや、業界が定めた統一基準などに沿って、自分達の商品をゴルファーに紹介する事で、ゴルファーが自分に合ったクラブを見つけやすい状況を生み出せるし、ショップもゴルファーに合ったクラブを提案しやすくなる。
「安い値段の吊るしのクラブ」というコンセプトも大事だけど、そういった売り逃げというビジネスモデルに固執した事が、業界の健全的な成長の足枷になっている気がする。




と、なんだか分からない話となってきましたが、まあそんな感じですわ。

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ライダーカップにて、ボールが当たって失明という事故があったのだそうな。
1オンを狙えるよう、距離を短くした6番ホール(それでも380ヤード)で、ケプカ選手のティーショットが観客に当たり、失明に至ったとの事。
なんとも、やりきれない話である。




欧米のツアーは、日本のツアーの比ではないくらい観客が入る。
ましてやライダーカップともなれば、その観客数は凄い訳で、日本のツアーでは信じられないぐらいの観客が、これまた信じられないぐらい近い距離で、その試合を観ている。
その近さは、プロだからという安心感があるのだろうけど、ちょっと近すぎるだろうと思うような近さで、私からすると怖いぐらいだ。




今回の事は、確かにティーショットで発生した事故なんだけど、観客の保護を主催者が考えていたのかと問われたら、私には考えていないように思える。
ワンオンを期待して、ティーグラウンドを前に押し上げるのなら、例えば追い風が吹く可能性とかを考慮したのかとか、そのような可能性があるなら、観客席のエリアを奥にする事を考慮したのかとか、そういった事がされたようには思えない。
ましてや、ティーグラウンドから遠く離れた観客席で、放たれたボールの行方を最初から見れる筈もなく、フォアの声もグリーン周辺には届かない状況な事を、考慮したようには思えないのだ。




全米オープンにおける、フェアだと感じられないようなセッティングもそうだが、主催者の浅はかな考えが過ぎる気がする。
「盛り上がればイーじゃん」みたいな、そんな浅はかさを感じてしまうのは、私が歳をとったからだろうか?

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土曜日はラウンド。
前半は強い雨が降ったり止んだり、後半は途中から天気になったが、風も相当強くなったりと、117というスコアを出した原因を、近づいてきた台風のせいにする。






いつも通り、スタートホールでは上手い事打てたが、その後は言うことを聞かなくなった。
軽く振る事を意識すればするほど、その結果は引っ掛けの天ぷらばかりで、8番でのティーショットを終えた後は、ドライバー封印と思ったりもした。
とりあえず9番でも使ったが、そこで色々と再確認した結果、改善点が見えてきたので、その後も使い続けた訳だ。




天ぷらについては、ティーの高さが要因だったのですが、引っ掛けについては、軽く振っていた事が要因だった。
これは、刺さっているシャフトの性格に対し、軽く振りすぎていたという事で、先調子のSで60g台のシャフトなのに、50gのRシャフトに合ったスイングをしていたという事。
その結果どうなったのかと言えば、極端な手打ちとなってしまった訳で、シャフトの性格を生かしきれないし、シャフトが硬い分だけ、手打ちへ敏感に反応してしまったのだと思う。
9番ホールのティーショットの前に、やけくそな素振りをしたのですが、そのお陰でドライバーを振り切ってない事に気がついたんですな。




ここんとこ練習をサボっていたのですが、逆の意味で練習は嘘をつかないと思った次第。

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帰り道で頭に浮かんだのですが、一般的な女性ゴルファーって、一般的な男性ゴルファーより、難しい設定でラウンドしてるのでは?と思い浮かんだ。




練習場で見かける、ほとんどの女性ゴルファーの飛距離は、ドライバーで150ヤードも行かない。
仮に150ヤードとすると、その下の番手(仮に5W)で130ヤード、更に下の番手(これまた仮に7W)で110ヤード程度だろう。
これまた多分だけど、7鉄で80ヤードのPWで60ヤード、SWは40ヤード位というのが、一般的な女性ゴルファーの飛距離なのではなかろうか?




ざっくりとだが、白ティーと赤ティーとでは、1ホール平均で90ヤードほど違う。
私が一方的に思っている、一般的男性ゴルファーのドライバーの飛距離は210ヤードですが、それと女性ゴルファーの飛距離である150ヤードを比較すると、確かに60ヤードでしかない。
ティーの違いによる90ヤードと、飛距離の違いによる60ヤードとを比較して、女性の方が簡単な設定と言うのは簡単だけど、果たして簡単と言えるだろうか?




仮に白ティーで350ヤードのホールの場合、赤ティーで260ヤードとなる。
男がティーショットで210ヤード飛ばしたら、残りは140ヤードとなり、女性がティーショットで150ヤード飛ばしたら、残りは110ヤードとなるので、パッと見の数字で言ったら、女性の方が易しそうに思える。
が、その距離を狙う番手で比較した場合、男だったら7鉄とかになるだろうけど、女性の場合は7Wとなる訳で、どちらの方が方向性を良く出せそうかと言えば、当然だけど7鉄の方だろう。
女性の番手を、そのまま男性に置き換えてみると、セカンドの残りが180ヤード位となる訳で、トータル390ヤードのパー4と言えば、一般的男性ゴルファーの場合は、かなり難しいホールとなる。




そんな風に考えると、女性の方が難しい設定な気がするんですな。

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貴乃花親方が、相撲協会から引退するというニュースが飛び込んできた。
それに対し、書類に不備があるという事で、とりあえず相撲協会は受理しない方向らしいが、最終的には受理されるだろう。
なんだか、訳のわからん話である。




この騒動は、そもそも日馬富士の暴行事件が発端であったが、個人的な感想としては、まともな情報が全く出てこない騒動だった。
一般的な報道としては、相撲協会の改革を訴える貴乃花と、それを潰そうとする相撲協会という、なんか昔の水戸黄門みたいな、使い古された図式で報道されていたが、その後の貴乃花の行動や振舞いを見てると、殿ご乱心という風にも見える。
まあマスコミは、久しぶりの大規模な御家騒動を、面白おかしく報道しただけであり、貴乃花と相撲協会の双方から、まともな情報を引き出せなかったのが実情であって、どちらの側からも信用されてないように思える。




ここに至ったのは、コミュニケーション不足というのが私の感想。
個人的には、コミュニケーションの大事な要素は、自ら話すという事だと思っていますし、相手の話を聞くという事だと思っていますが、今までの報道を見てると、貴乃花親方と相撲協会とを比較して、どうも貴乃花親方のコミュニケーション能力が不足しているように思える。
簡単に言ってしまえば、会話を拒んでいるのは貴乃花親方の側であって、自分の話を一方的に聞いてくれる、例えば暴行騒動の時の警察とか、今回の記者会見とかみたいな場所だと話をするけど、相手に反論されそうな場所、例えば暴行騒動の後で、相撲協会が開こうとした会談の場などに、貴乃花親方は行こうともしなかった。
一方的に自分の話を聞いてくれる人にしか話さないというのは、自分の認めた人にしか話さないという事であり、自分に反論してくるような人は認めないし、自分に反論してくるような人の話を聞かないという事になるだろう。




貴乃花親方の態度は、自分から話をせず、相手の声かけも無視するという、離婚前の夫婦みたいな態度だ。
世の中では、今回の件について、貴乃花親方に同情する人が多いようだが、自分の言う事だけを相手に認めさせ、相手の言う事は認めようとせず、更にそれを関係者の多い相撲協会内で行うなら、関係が破綻するのは目に見えてる。
その思い込みの強さは、現役時代の成長には一役かったが、親方となって以降、彼に対して苦言を言うような、彼にしてみれば認められない人達は、どんどん排除されていったのではなかろうか?
事務方も含め、NOと言える人がいなくなったから、退職届を引退願いと書き、弟子の移籍に必要な書類も、不備が生じたのだと思う。




彼の資質はさておき、今回の事でもしみじみ再確認したのが、それを報道するマスコミの劣化。
善玉と悪玉とに分けて報道する手法が、ジャーナリズムからかけ離れた手法であり、その手法こそが、ポピュリズムを生み出す母体であるのに、未だにそれを手離せないでいる。
今回の騒動に関する報道姿勢と、例えば安倍政権に関する報道姿勢や、沖縄に関する報道姿勢は、善玉と悪玉とを決めつけるという点で同じベクトルだ。



・・・と、そのような事を思ったのでした。



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ゴルフを始めて10年以上となりましたが、未だにドレスコードの必要性に疑問を感じている。
あくまで私が行くレベルのゴルフ場にですけど、そのようなレベルのゴルフ場に関して言えば、ドレスコードは有名無実化していると断言できる。




ドレスコードが必要なゴルフ場って、会員が優先してプレーする事が出来て、なおかつ快適に待たされる事無くプレー出来るゴルフ場だと思う。
つまり、会員でも無いのにプレーの予約が出来るお陰で、会員が当たり前のように待たされるような、プレーフィー優先の詰め込みゴルフ場は、会員の権利を侵害している訳で、会員が不愉快になるような服装を批判する前に、会員の快適なプレーを考えるべきだろう。
その為には、ゴルフ場の会員としての義務が生じる訳で、非会員のプレーフィーを当てにしなくても良い、結構な値段の年会費が必要となるだろうけど、会員の一人一人が、所属するゴルフ場の経営に参加するからこそ、そのメンバーとしてのドレスコードが必要であり、経営に参加していない非会員は、会員が不愉快にならぬよう、そのドレスコードに従うのが、これまた当然の姿だと思う。




では実際に、そのようなゴルフ場が、私の行くレベルのゴルフ場のうち、どれぐらい存在しているだろう?
会員とは名ばかりの、実際にはパブリックと化したゴルフ場がほとんどであり、そのようなゴルフ場が、ドレスコード云々を言う事は、マクドナルドが客に対して、正装で買いに来いと言っているのと同じだ。
正直なところ、私が行くレベルのゴルフ場の会員は、せいぜい友の会レベルの恩恵しか受けていないし、会員自身も、友の会レベルの経営参加しかしていない訳で、実質パブリックなゴルフ場でありながら、名目上は会員制を名乗っているに過ぎない。
そのような実態でありながら、ドレスコード云々を叫ぶのは片腹痛い。




これが、日本のゴルフを取り巻く実態だ。
ノーブルなゴルフの世界を守りたいのか、それともパブリックなゴルフの世界に突き進むのか、ゴルフ場だけに限らず、ゴルフ業界全体が二の足を踏み続けている訳で、最高の環境の代わりに高価である事も、安かろう悪かろうな環境である事も、そのどちらも選びきれないまま、安くて良い環境の提供を謳い続けている。
どんなに安いゴルフ場でも、ラフが短く刈り込まれ、昼の食事と風呂が提供されているが、それが本当に健全な経営に結び付くのか、そもそも健全な経営とは何なのか、それすらも考えられていないのが実状な気がするが、それはゴルフ場だけではなく、我々ゴルファーの側にも言える。




ゴルファーも含めたゴルフ業界は、住み分けを真面目に考えるべきではないだろうか?
ノーブル派と庶民派、エンジョイ派と競技派など、それぞれの志向に合わせたゴルフ場の提供と、それぞれの志向にゴルファー自身が合わせた選択などを、もっとゴルフ業界全体で考え、訴えていくべきだと思う。




そうしてこなかった事が、今の閉塞感を生み出しているような気がする。


テーマ:
ゴルフを始めて10年以上経ちましたが、最近になって、やっとグリーンの奥に打ち込む事が、難しい状況を呼び起こす事を理解し始めた。
まあ少しは上手くなってきた証だろう。




ゴルフの本質は、オリエンテーリングとターゲットゲームだと思っていて、上手い人ほど楽なルートが見え、そのルート上にターゲットを定め、ターゲットに向かって球を打っていく。
対する下手っぴいは、楽なルートなんて考えもせず、ターゲットは飛距離のみを元にして定め、楽なルートとは無関係なターゲットに向かって球を打つ。
下手っぴいでも、たまたま楽なルートにボールが乗る事もあるが、それはあくまで結果論で、楽なルートに向かって打った訳では無いから、危険な場所を意識した筈もないし、危険な場所に行ったとしても、それもあくまで結果論。




当然私も下手っぴいですが、それでも奥に打ち込むのが危険なのだと、やっと理解出来た理由は、何だか奥は危険そうだと思いつつ、1つ大きな番手でショットしたから。
飛ばないよう、軽めに振ったスイングが、実はベストなスイングだった訳で、危険な場所を意識していながら出た最悪の結果だったから、余計頭に染みついた。
本当に今更ですが、グリーンの奥は変な傾斜やラフがある訳で、そんな傾斜ラフを捌ける技術が私には無い事を思い知らされた。




「ゴルフは手前から」って言うけど、しみじみ本当だなあと思ったのでした。

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