メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編 -3ページ目

メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

副題 : もう遠距離の異動は無いだろう



このドライバーに慣れてきたせいか、なかなか良い飛距離を出せるようになってきた。
今では後継機種が出ており、こちらのドライバーが話題になる事は無くなりましたが、飛距離性能に優れたドライバーだと思っている。




最近のドライバーは、3つのタイプを出す事が多く、ヘッドスピードの速いゴルファーに合わせたロースピンタイプ、掴まり重視の高さ重視なタイプ、そして中間タイプといった感じで発表される事が多い。
その味付けはメーカー毎に異なっていますが、私の使っているこのクラブに関して言えば、コブラの設計陣の中では、掴まり重視の高さ重視なタイプなんでしょうが、そこまで対スライスといった感じの味付けではなく、私はドローポジションにシャフトの向きを変えて使用している。
それによって、どの程度掴まるようになっているのか、事細かに説明する知識や腕は有りませんが、良い感じに掴まってくれてますから、この変更は私にとって正解なんだろう。




どのようなクラブにも言えますが、マン振りし続けてもミスが出にくいクラブというのは存在しない。
その人のパワーや柔軟性に左右されますが、飛ばしたい飛距離の8割ぐらいで良しといった感じの力加減が、ミスなく飛距離を出せる力加減。
計測器を使った、このドライバーでの最高飛距離は230ヤードですけど、これは180ヤード飛べは良いという力加減で出てしまった数値であって、端から230ヤード飛ばそうとマン振りしても、このような数値が出る事は無く、チーピンの出る確率ばかり上がる。
ヘッドの動きを邪魔しなければ、勝手に真っ直ぐ飛んでいくというのが、クラブの進歩と言える訳で、如何に力まずスイング出来るかというのが、ゴルファーに求められている事なんだろう。




それを実感してからというもの、ドライバーの安定性が非常に高くなった。
相変わらず狭いと感じた場合には、4番ウッドでティーショットしますが、ドライバーでいけると感じる度合いが、以前よりも広がってきていて良い感じ。
吹き流しに達する事や、吹き流しを越える回数も増えてきましたから、手に入れて良かったなあと思うのである。




次なる目標は、如何にセカンドで欲張らないかという事なんですが、これが欲に負ける事が多くて難しいんだよなあ。
FAIRWAY GANGさんの記事にて、ゴルフにおける元祖御三家のクラブセッティングが紹介されていた。
夏坂健さんの本を愛読していた私にとっては、目にする事の多かったゴルファー達ですが、この当時のプロゴルファーは、この本数でメジャーを戦っていたと知って感慨深いものがある。



この当時のゴルフクラブは、完全ハンドメイドでしたでしょうから、工業製品と同じような精度を、14本全てに求める事は難しかっただろう。
ゴルフ場自体も、今のメジャー会場と同じような整備はされてなかったでしょうし、ボール自体の製品としての精度も低かったのだと思う。
確かベン・ホーガンだったと思いますが、濃い塩水の中に印を付けたボールを浮かべて、ちゃんとバランスのとれたボールを選ぶ作業をしていたそうですけど、ちゃんとしたボール、ちゃんと距離の階段が刻めるクラブ、ちゃんと試合用に整備されたゴルフ場が無かった時代においては、キャディバッグに14本のクラブを入れる事より、信用のおけるクラブだけを入れて、あとは技術でカバーする事の方が求められたのだろう。




さて、私のような一般的アマチュアゴルファーにおいても、実際に使うクラブというのは限られていたりする。
一般的アマチュアゴルファーが14本入れているのは、14本入れているという安心感を得る為だけなように思いますし、実際に不安感を煽られるのは、160ヤードや170ヤードのパー3の時ぐらいだと思いますが、練習場で打った事の無い距離の不安感をカバーする為に、とりあえず14本入れているというのが正直なところだろう。
だとしたら、練習場でよく練習しているクラブだけで、マネジメントした方が良いように思いますし、結局のところ練習場でよく練習しているクラブを、優先的に選んでたりしますから、無意識に選んでいるクラブを振り返ってみたら、往年の御三家と同じような本数になる気がする。




頭では理解してても、欲に負けるのが一般的アマチュアゴルファーの常。
欲に負けて、あーでもないこーでもないとクラブ探しをするのも楽しいと思ってしまうのだから、私のスコアが安定しないのも当然なのである。
https://www.jiji.com/sp/article?k=2024050900150&g=int


映画の「オッペンハイマー」が話題となったからか、アメリカで再び日本への原爆投下の是非が話題となっているようですが、アメリカの主張は、日本人の主張に沿う事は無いだろう。
これを「米帝の侵略主義の表れ」と取る人もいるでしょうが、日本が戦争で原爆を投下された唯一の国であるのと同じく、アメリカは戦争で原爆を投下した唯一の国である訳で、戦争で投下した国とされた国が、それぞれ1カ国ずつしか無い以上、捉え方の多様性が多くなる事は無い。




核兵器という物に対して、今では豊富な知識を持つ事が可能となりましたが、核兵器を使用する前の時代に、核兵器を使用する事によって生じる影響を、今の我々が持つ知識と同等に予測する事は不可能だった。
第二次世界大戦当時、マンハッタン計画にせよ、その他の国の核兵器開発にせよ、軍人や政治家、そして科学者の頭の中にあったイメージとは、それまでに存在してきた爆弾の延長線上でしかなかった訳で、今の我々が知っているような知識を、当時の人々が肌感覚として持っていたと考えるのは無理がある。
広島や長崎に原爆が投下され、その被害状況や放射線による影響を知る事によって、核兵器が、それまでの爆弾と次元の異なる兵器であると認識され、そこから知識が積み重なっていったのであって、広島や長崎に原爆が投下された時点においては、核兵器が持つヤバさは認識されていなかった。
そのような核兵器が持つヤバさ、特に政治への影響におけるヤバさは、使用後のかなり早い時点で認識された訳で、朝鮮戦争において原爆使用を大っぴらに訴えたマッカーサーが、その発言の影響もあって、日本への原爆投下を認めた、トルーマン大統領に罷免されたという事実をもって証明できると思う。




これから先も、アメリカが日本側の主張に沿う事は無いだろうし、日本がアメリカ側の主張に沿う事は無いだろう。
アメリカの主張は、アメリカという立場から見た正論だし、日本の主張は、日本という立場から見た正論であって、どちらも正しいと言えるし、どちらも間違っているとも言える。
では原爆投下という事実から、後世の私達が何を学べるのかと言えば、世の中には予想を上回る結果が生じるという事であり、予想を上回る結果がもたらす物は、使った側と使われた側の双方に傷を残すという事。
この傷の存在を理解しているのは、日米の2ヶ国しか無いのであって、他の国々は、日米2ヶ国が持つ傷を、どのように捉えるのかしか考えようがない。




アメリカの考え方がどうであろうと、それは敵国に核兵器を投下した国にしか理解出来ない。
日本の考え方がどうであろうと、それは敵国に核兵器を投下された国にしか理解出来ない。
双方に出来る事は、未来に対する資料を提示する事だけであって、その資料を見た人達が、核兵器の使用について考えるしかない。




いくら日本がアメリカを論破しようとしても、そしてアメリカが日本を論破しようとしても、それらは無意味でしかないと私は思う。
https://news.ntv.co.jp/category/international/f54b3ef6e015445cbdcffb2af0a5c9ea


日本に住む日本人には、アメリカ人がトランプ氏に対する感情を理解出来ないと思ってまして、アメリカ人がトランプ氏に反感する土壌自体についても理解出来ないと思っている。
更に言えば、アメリカに蔓延る「陰謀論」についても、日本に住む日本人には理解出来ないとも思ってまして、アメリカに蔓延る「陰謀論」を生み出す土壌についても、日本に住む日本人には理解出来ないだろう。




さて私は、日本に住む日本人ですから、アメリカ人の感情について理解出来ないですし、アメリカに蔓延る「陰謀論」を生み出す土壌についても理解出来ない。
私が見聞きするのは、日本に存在する「陰謀論」や「陰謀論者」についてですが、極端な言い方をすれば、陰謀論や陰謀論者の考え方は、非常に偏っていると思ってまして、説明しにくい事や説明出来ない事の全てを、「陰謀」という言葉で納得したいだけの人達だと思ってますから、共感する事が出来なかったりする。
世の中には、白黒ハッキリさせないと気が済まない人達も存在しますから、白黒ハッキリさせるべく、世の中の不合理を「陰謀」という言葉で説明したいのでしょうが、「陰謀」と言ってしまっている時点で、白黒ハッキリしてないと私は思ってますが、そのような矛盾について、陰謀論者はシカトするのである。




陰謀論者を見ていて面白く感じるのが、自分の信じている陰謀論の、真逆に存在する陰謀論については強烈に拒絶する。
新型コロナワクチンに対する陰謀論を例にしますが、反ワクチンを唱える人の多くが、国や製薬会社による陰謀であると訴えますけど、そのような陰謀を信じている人達に向かって、「あれは中国による生物兵器」であり、「中国が世界制覇を目指した産物」であるという陰謀論をぶつけると、それに対しては強烈に拒絶する。
更に「実は中国が新型コロナをネタに、製薬市場に覇を唱えようとした陰謀」なんて事を言ったら、目を三角にして怒るでしょうが、根拠が有ろうが無かろうが、白黒ハッキリしないものは、いくらでも陰謀として決めつける事が出来る訳で、せっかく陰謀として決めつけられた物に、他の人がチャチャを入れてくるから怒っているだけなのだ。




結局のところ、陰謀論者な人達というのは、不合理な事に納得出来ず、なぜ不合理なのか考える事も嫌いで、自分の頭で納得出来た答えに固執したいだけ。
言わば狂信者としか言いようが無いと私は思いますが、そこから逆算してみると、イデオロギー傾向が強い人達だとも言える。




疲れる人達だよなあ。
昔から「子供はパットが上手い」という意見がある。
私には子供ゴルファーの知り合いがいませんから、実際のところ子供はパットが上手いのかについて知るよしもありませんが、B・ワトソンの娘さんを見てると、上手いように見えてくる。




さて私が小学生の頃、家の近所にあった、親の知り合いの染物屋があったのですが、そこのご主人がゴルフ好きだったようで、奥行きのある工場(こうば)に、パターとボールが置いてあった。
工場の端には、鈴の付いたボールが当たるとチリンと鳴る的みたいなのが置いてあったのですが、親の話が長くて退屈だった私は、勝手にパターとボールを持ち出して、その的に向かってボールを打っていたのですが、結構な確率で的にボールを当ててまして、ご主人から「上手いなあ」と褒められた記憶がある。
では褒められた私が、どのように感じたのかと言えば、「真っ直ぐ構えてるんだから当然でしょ?」と、ご主人から馬鹿にされたように感じた訳で、そのように感じたからこそ、この時の事を覚えてたりするのだ。




その時の打ち方が、どのような打ち方だったのかは覚えていない。
その時の事や、B・ワトソンの娘さんのパットを見て、実際にゴルフをやるようになった今の私が考えた事は、「1つの事に集中してるなあ」という事であって、B・ワトソンの娘さんが打つ前に何を言われたのかは知りませんが、言われた事以外の事を考えてないように見える。
入る入らないとか、池まで転がるとかいった事は、まるで考えてないように見えますし、仮に池まで転がったとしても、この娘さんにとってはどうでも良い事で、「パパの言う通りに打ったら入った」という感想しか持ってないだろう。




昔テレビか何かで、西川きよしのゴルフについて、島田紳助が話していた事なんですけど、西川きよしが「入れます!」と宣言したパットは、一緒に回っていた人が引く程の確率で入ったのだそうな。
島田紳助いわく、そのように宣言したパットは全て決めたのだそうですが、ここから私が勝手な推測をしてみますと、打つ前にライン読みや力加減をバッチリ決めて、あとはパットに集中してたのではないだろうか?
機械のように余計な事を考えず、自分で決めた打ち方だけに集中してるからこそ、周囲が引くような成功率で、西川きよしは決めてるんだと思う。




実際のところ、本当に子供はパットが上手いのかについて、まともな資料は無いに等しい。
B・ワトソンの娘さんしかり、私の幼い頃の思い出しかりと、入ったとか成功したとかいった記憶は残っているし、それを見ていた大人達にも強烈な印象を残しているだろうけど、距離感暴発みたいな事も、本当は多いのではなかろうか?
ただ子供は邪念が少なく、1つの事だけに集中出来るとも言えるので、余計なミスを生み出す事は少ないように感じる。




カップインは結果であって、ゴルファーに出来る事は、どれだけ1つの事に集中して打てるかどうか。
結局のところ、そこに尽きるんだと思う。
https://s.japanese.joins.com/jarticle/317310


韓国国民にとって、今回の野党の圧勝が想定内だったのか、それとも想定外だったのかは知りませんが、ある程度以上の知恵を持つ韓国人からしたら、「この結果はヤバいなあ」という感想になるのだろう。
挙国一致という概念を歴史的に持たないのが、朝鮮半島の政治史ですから、次の大統領が決まるまでの期間は、レームダック化したユン政権が、仮に国民の為になる良い事を提案しようが、過半数を占めた野党が言う事を聞くことは無いし、過半数を占めたという事実から生まれる、「我らこそが正統」という認識から、ユン政権の政策は全て間違っているという批判しかしないと思う。




今の韓国の眼の前には、問題が山積みとなっていると言うのに、今回の選挙の結果、ユン政権はレームダックと化した。
ユン政権がレームダックと化したという事は、残り任期の全てが停滞するという事になりますが、停滞をもって問題を解決出来る政権は、この世に存在し得ない。
韓国野党が自身を正統と考えているのと同じく、ユン政権も自身を正統だと考えているから、仮に野党が良い提案をしたとしても、ユン政権がその提案を飲む事は無いだろうし、ユン政権が野党からの良い提案を飲む事によって、ユン政権が実績を残す事を野党は望まないだろうから、野党から良い提案をする事も有り得ない。
政権末期における常套手段である反日ブーストは、与野党を繫ぐカスガイになるだろうが、韓国と親しくなるメリットの薄れた日本が、反日ブーストに対して期待するような動きをする事も考えにくいから、反日ブーストが無駄打ちになる可能性も高い。




韓国国内で方向性がまとまらず、反日ブーストも思ったような効果を出さないという事になれば、山積みの問題を解消する事はおろか、逆に問題を積み重ねる結果になるだろう。
一党独裁だからこそ、バブル崩壊を隠す事が出来ている中国に、韓国経済は頼らざるを得ない状況しかり、そのように中国に頼る姿勢を見せ続けてきた事によって、アメリカを中心とするグループに入れなくなった事しかり、現状を打破する為の道筋を、韓国自ら壊してきたのだから、問題が解消するはずもない。





自縄自縛となった状況を打破する為に、再び蝋燭デモをするつもりなんだろうか?




日本は生暖かく見守るしかないだろう。

https://jp.reuters.com/world/korea/6O5YH7WPQVOATJGDDLGJRGDCBY-2024-04-10/


韓国で行われた総選挙の結果、野党が過半数を占める結果になったのだそうな。

韓国の出来事とは言え、左派が過半数を占めたという結果を見て、相変わらず最悪のタイミングで最悪の選択をするなあと思った。





アメリカがトランプ政権だった頃から、米中対立が特に表面化してきましたけど、それに対する朴槿恵政権以降の韓国政府の姿勢は、アメリカからすれば親中と見られても仕方がない状態。

特に文在寅政権時代は、親中の度合いが非常に強くなりましたが、それを「安米経中(安保はアメリカ、経済は中国)」という言葉をもって、韓国国民にイメージを植えつけてきたというのが、韓国の左派勢力の基本的な国内戦略だと言える。

今の韓国の経済的苦境は、日本よりはるかに激しい輸出依存型の体質と、文政権下で行われた根拠の無い最低賃金引き上げや、住宅バブルを生み出した無意味な供給制限などが原因ですし、中国の経済バブルに乗っかる事にした経済政策が原因ですが、そのような舵取りをした左派勢力を韓国国民が選択したのだから、まさに最悪のタイミングで最悪の選択をしたと言えるだろう。




https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78470470U4A210C2FFJ000/


話は変わりますが、現代・起亜グループが、ハイブリッド車に力を注ぐと言い出したのだそうな。

環境問題から端を発した、内燃機関からEV車への路線変更騒ぎは、世界各国の政府や自動車業界を巻き込んだ騒ぎでしたけど、EV車自体が持つ弱点や各種インフラ整備の大変さ、そしてEV車購入補助金目当ての、中国EV車業界による大規模なヨーロッパへの参入などによって、その騒ぎが沈静化しつつある。

「一寸先は闇」とは言いますが、目先の儲け話に飛びついてしまった現代・起亜グループは、最悪のタイミングで「EV車全振り」という最悪の選択をした訳で、元々そこまでのハイブリッド技術を持たなかった現代・起亜グループが、ここからハイブリッドに方向転換したとしても、EV車に全振りしたダメージを回復する事は難しいだろう。





韓国の政治や報道を見てると、韓国国内に対する耳ざわりの良い宣伝に終始するばかりで、他国からどのように見られてるのかとか、自国の進むべき道を考えるという点について、全く考慮していないように感じる。

国内世論ばかりに目を向けて、他国からどのように見られているのかを考えようとしないから、他国からの評価を見せつけられた時には、「後頭部を殴られた」と不満を叫んだりする。

夜郎自大な考え方のまま、そのくせ一時的な世界の流行ばかり追いかけたり、そのような流行に乗っていると勘違いしているから、いつもトンチンカンな結果を生み出してしまう。





ユン政権のレームダック化は避けられないでしょうし、韓国の左派勢力は、中国に寄り添う事を強く求めるでしょうから、アメリカの韓国離れの流れは強くなるだろう。

中国に対して、地政学的に脅威を与えられるポジションとして、韓国の価値を認め続けるでしょうが、アメリカを中心としたグループの一員として価値を認める事は、今まで以上に少なくなるだろう。

端的に言えば、米韓安保は残し続けるけど、アメリカを中心とした安保グループの中に、韓国を含める事は二の次三の次になるでしょうし、アメリカを中心とした経済的グループの中に、韓国を含める事は二の次三の次になると思う。





そうなる可能性を考えようともせず、韓国総選挙で韓国国民自身が選んだのだから、こればっかりは仕方がない。

日本としては、自分達が痛くもない腹をさぐられる事を防ぐべく、韓国から距離を置く事が必要となるだろう。

https://www.facebook.com/share/r/NvaNPn26hkNTJASu/


マスターズのパー3コンテストでの映像。
B・ワトソンの娘さんが、下りのパットをバシバシ決めてる映像ですが、特に3本目の打ち方が、私の考える引き球パット。




こんな感じで打てるようになると、下りでの打ちすぎが無くなるんだよなあ。
https://gendai.media/articles/-/127745?page=1&imp=0


「虎に翼」というドラマが放映されているようで、それについての記事が出ていた。
どうもこのドラマのテーマは、女性の社会進出がテーマらしいのですが、女性の社会進出がテーマになると、基本的に「それを邪魔する男性」という構図がセットになってくるのが普通である。




27年前に今の会社に入社して以降、いろいろな女性と一緒に仕事をしてきた。
派遣社員やパート、一般社員から女性の上司など、様々な女性と仕事をしてきましたが、男性にもいろいろな人がいるように、女性にもいろいろな人がいる。
この中で上司だった女性の方は、我が社初の女性所長であり、今では執行役員にまで上り詰めましたが、この人を見ていて感じたのは、男性社会の考え方や常識に、一生懸命溶け込もうとしていた事で、一般的に言われる「女性」を武器にする事なく、しかしながら「女性」という立場を捨てる事なく働いていた。
「男よりも男」と言われている事もありましたが、与えられた責任を果たすべく、一生懸命仕事をしてましたし、女性の目から職場環境の改善も果たそうとしていましたから、今でも尊敬する元上司の1人である。




しかしながら、そのような女性が少ないというのも現実であって、「私は女性だから」と、責任から逃れる事ばかりしている女性を数多く見てきた。
「男の貴方から言って」とか、不満を解消すべく新たな提案をしても、「それは会社がやるべきでしょ」とか、「それをやったら帰りが遅くなる」と言っておきながら、今まで通りのやり方で残業を垂れ流すとか、いざという時に責任回避をする女性を数多く見てきた。
これは男性でも同じなんですが、男性は男性社会の基準で評価されても文句を言いませんが、女性が男性社会の基準で評価されると、「私が女性だから」と不満を漏らしたりするのである。




会社だけに限らず、社会全体に言えますが、社会を構成する人達の性別は、社会人として意味を成さないはずだ。
しかしながら、責任を回避する為に「男性」である事を武器にする男性は批判されますが、「女性」である事を武器にする女性は批判される事が少ない。
私が尊敬する女性の元上司が、責任回避の為に「女性」である事を武器にする事はありませんでしたし、このドラマの主人公も、責任回避を為に「女性」を武器にする事は無かったでしょうが、会社にせよ他の組織にせよ、性別無しの「社会人」という人格にならなければ、本来はダメなのではないか?




男性が女性に対して「女性だから」という色眼鏡で見るのもオカシイが、女性が男性に対して「女性だから」という色眼鏡で見てもらおうとするのもオカシイ。
性別で役割を決めつける事もオカシイが、自分の性別で、自分の役割を自ら決めつける事もオカシイ。




社会に出るという事は、「性別無しの社会人」として、どのように生きるのかが問われるのではないか?
「男性が女性の社会進出を妨げてる」という考え方自体が、実はナンセンスであるように私は思う。

休みの昼間2時半ごろ、家の近所をぶらついていたら、新聞配達のバイクが目の前に停まってマンションに配達を始めた。

配っている新聞を見たら、全国紙の夕刊だったのですが、2時半頃に夕刊を配っているのを見て、しみじみ新聞業界はオワコンだなあと感じた。





ネットニュースが当たり前となった現在、新聞に掲載されてる記事は、既に旧聞と化している。

この事は、新聞業界でも理解されているようですし、発行部数の大幅な減少を見せつけられたら、そりゃあ新聞業界だって理解せざるを得ないのでしょうが、その対抗策として考えているのは、せいぜいコスト削減ぐらいでしかないのだろう。

そのコスト削減策として、早い時間に夕刊を刷り、それを早い時間に配らせる事にしたのでしょうが、いくら何でも昼の2時半頃に配られる夕刊に、どのような価値を見出だせるというのか?

昼の2時半頃に配達されるという事は、せいぜい午前中に起きた出来事をかき集めた程度の記事でしかないだろう。





もしかしたら、コスト削減なんて事すら考えもせず、活版印刷時代の時間軸で、夕刊に載せる記事の締め切り時間を決めてるのかも知れない。

版下の組むのに時間が掛かった、活版印刷時代の締め切り時間であれば、そりゃあ早い締め切りでも仕方がないのですが、とっくの昔に全国紙は活版印刷から卒業してますから、本当に活版印刷時代の締め切り時間のままだとしたら、新聞社の頭の固さは凄まじいとしか言いようがない。





新聞が旧聞にしか対応出来なくなったのなら、そして夕刊を昼の2時半頃に配達するぐらいであるなら、夕刊の在り方について、もっと新聞社は考えるべきだろう。

旧聞は朝刊に任せて、夕刊は様々な事柄についての社説を、その事柄ごとに掲載するとか、例えば川勝知事の失言および今に至るまでの発言の全てを、端折る事なく掲載するとか、読者が読み応えを感じるような紙面にする事も出来るのではないか?

夕刊は朝刊の薄いやつと、読者が価値を感じていないのが今までの現実でしたが、夕刊は朝刊と違うとなれば、夕刊に価値を与える事も出来ると思う。





見開きという、パソコンのモニターや携帯電話の画面には無い特徴があるのだから、見開きの右ページにはネトウヨの意見、左ページには左翼の意見といった構成も出来るだろう。

右ページを読んだ後に左ページを読み、左ページを読んだ後に右ページを読んで比較すると、そのような事が簡単に出来るのが、見開きの持つ大きな強味なのに、それを活かせないのは勿体ない。





固定概念から抜け出せないのだから、新聞業界がオワコンになっても仕方ないだろう。