新聞は旧聞だけどさ | メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

副題 : もう遠距離の異動は無いだろう

休みの昼間2時半ごろ、家の近所をぶらついていたら、新聞配達のバイクが目の前に停まってマンションに配達を始めた。

配っている新聞を見たら、全国紙の夕刊だったのですが、2時半頃に夕刊を配っているのを見て、しみじみ新聞業界はオワコンだなあと感じた。





ネットニュースが当たり前となった現在、新聞に掲載されてる記事は、既に旧聞と化している。

この事は、新聞業界でも理解されているようですし、発行部数の大幅な減少を見せつけられたら、そりゃあ新聞業界だって理解せざるを得ないのでしょうが、その対抗策として考えているのは、せいぜいコスト削減ぐらいでしかないのだろう。

そのコスト削減策として、早い時間に夕刊を刷り、それを早い時間に配らせる事にしたのでしょうが、いくら何でも昼の2時半頃に配られる夕刊に、どのような価値を見出だせるというのか?

昼の2時半頃に配達されるという事は、せいぜい午前中に起きた出来事をかき集めた程度の記事でしかないだろう。





もしかしたら、コスト削減なんて事すら考えもせず、活版印刷時代の時間軸で、夕刊に載せる記事の締め切り時間を決めてるのかも知れない。

版下の組むのに時間が掛かった、活版印刷時代の締め切り時間であれば、そりゃあ早い締め切りでも仕方がないのですが、とっくの昔に全国紙は活版印刷から卒業してますから、本当に活版印刷時代の締め切り時間のままだとしたら、新聞社の頭の固さは凄まじいとしか言いようがない。





新聞が旧聞にしか対応出来なくなったのなら、そして夕刊を昼の2時半頃に配達するぐらいであるなら、夕刊の在り方について、もっと新聞社は考えるべきだろう。

旧聞は朝刊に任せて、夕刊は様々な事柄についての社説を、その事柄ごとに掲載するとか、例えば川勝知事の失言および今に至るまでの発言の全てを、端折る事なく掲載するとか、読者が読み応えを感じるような紙面にする事も出来るのではないか?

夕刊は朝刊の薄いやつと、読者が価値を感じていないのが今までの現実でしたが、夕刊は朝刊と違うとなれば、夕刊に価値を与える事も出来ると思う。





見開きという、パソコンのモニターや携帯電話の画面には無い特徴があるのだから、見開きの右ページにはネトウヨの意見、左ページには左翼の意見といった構成も出来るだろう。

右ページを読んだ後に左ページを読み、左ページを読んだ後に右ページを読んで比較すると、そのような事が簡単に出来るのが、見開きの持つ大きな強味なのに、それを活かせないのは勿体ない。





固定概念から抜け出せないのだから、新聞業界がオワコンになっても仕方ないだろう。