ロビンソンズ 北澤 仁オフィシャルブログ「ゴリラじゃないよ、人間だよ」Powered by Ameba
  • 20Nov
    • 生い立ちブログ、中二の決意

      ちょっと話を戻して中二の頃。母が、子宮がんになった。子宮を全摘出することになったのだ。母はかなりショックを受けていた。母には妹がいて、僕にとっておばさんなのだが、僕はこのおばさんと仲が良かった。ある日おばさんと話をしてる時、「そりゃあショックよ。だって自分が女なのかよくわからなくなっちゃうんだもん。」と言われた。僕と姉は、とにかく母を支えなければと話し合った。さすがに与太郎の父も、この時ばかりは母が入院する病院へ行き、「家の事は心配しなくていい、とにかく体を大事にしろ」と言った。母が入院し、父と姉と僕での三人生活が始まった。その日の夕方、父が僕と姉に、「さあ、夕飯の買い物に行くか」と言い出した。『母がいないと父もしっかりするんだな』と思った、が、間違いだった。父はまっすぐお肉屋さんに行き、ステーキ肉を三枚買った。家に帰って肉を焼く父を見て、僕は恐怖すら感じた。父はステーキを食べ、酒を飲み、後片づけをやらずに寝た。僕と姉は「父の言う事は信用しない」という決意をしたもんだ。母のところに見舞いに行き、この話をすると、「それぐらいで文句言ってたら、あの人と生きていけないわよ〜!」と鼻で笑われた。母は強しである。それから一ヶ月後、無事に手術を終えて家に帰って来た。母は、「入院してる間退屈だったわ〜」と翌日から仕事に行き始め、なんならもう一つ仕事を増やした。僕は「母は強し」ではなく、単純にこの人がバケモンなんだ、と思った。三毛猫。

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  • 19Nov
    • 生い立ちブログ、初の単独ライブ

      芸人になって、初めて単独ライブというものをやった。トリオの時、あれは2011年だったか。2010年だったか。どちらかだ。今でこそコンビになってからもう11回も単独をやっているが、当時は初めての事でよくわかっていなかった。ただネタを何本かやる、という事と、ネタの間を何かでつなぐ、という事ぐらいだ。まず、ネタ作りに悩んだ。今ではだいぶ少なくなったが、なんか似たようなネタが何本も出来てしまった。バリエーションが少ない。これでは観に来た人が飽きるだろうと思った。そして、単独自体のテーマを作ってしまったために、そこに頭を悩ました。作ってしまったという言い方はおかしいが。映画が好きだったから、「映画」をテーマにした単独をやりたいと思ったのだ。アクションとか、SFとか、サスペンスとか、それぞれのジャンルに当てはめてコントを作って行った。ここまではよかった。じゃあ、コントとコントの幕間はどうする?これは映画を撮らなきゃいけないんじゃないかと、手をかけ過ぎた。そのせいで、ネタ作ったり、幕間作ったりで、すっかり中途半端になってしまった。稽古などはそれなりにしたが、なんせ要領が悪過ぎた。単独当日、昼と夜の二回公演で、ネタはそこそこ、幕間はそこそこ、周りから見たら60点ぐらいの出来だっただろう。全体で打ち上げに行き、お疲れさまーと言いながら皆に感謝したが、僕はこの単独、失敗だと思った。0点だなと。でも、やらなければよかったとは思わなかった。いつか起こる失敗が今起こったのだ、と思った。だから僕は、単独でやったネタはそれからほぼやらなかった。今は、ちょびっとだけ成長したのかもしれない。先日、猫にわんさか囲まれた。僕は猫の間で有名人なのかもしれない。

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  • 17Nov
    • 生い立ちブログ、転々とする

      実家を出て芸人との共同生活を一年経て、僕は当時の彼女と一緒に住む事となった。この期間、トリオとして初の単独ライブや、それからの解散、そしてコンビになり、単独ライブを三回やった。4回目の単独ライブの直前で、たしか別れたような記憶が。それからの僕は、文字通り転々とした生活を送っていた。まず千歳船橋に住む後輩の家に居候させてもらい、一ヶ月ほど過ごした。それから駒澤大学に住む同期、シャンの家に居候させてもらい、ここでは4ヶ月という大変迷惑な期間いさせてもらった。ただシャンとの共同生活は楽しかった。元々芸人6人での共同生活のメンバーでもあり、気心も知れていたので住みやすかったというのもある。でもシャンは、芸人とは思えないぐらい物静かなやつだった。だから一緒にいて居心地がいいのだ。二人で一緒に部屋にいるのに、全然喋らなくてもお互い苦ではない。シャンがどう思ってたかは知らないが。シャンの家にいる間にも、たしか単独ライブを一回やった。今考えると、よくこんな生活状況で単独ライブなんかやっていたなと思う。そして実家を出て三年程が経ち、僕は初めて一人暮らしする事になるのだ。梅ヶ丘という土地で。猫を撮る僕。

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  • 16Nov
    • 生い立ちブログ、実家を出る

      時系列が前後するが、〇〇さんと別れた後、以前ブログに書いたあの四股の期間に入る。そしてその間に、僕は実家を出る事にした。芸人6人での共同生活だ。同じ事務所の芸人6人で一軒家で暮らし始めたのだが、まあ、これはいろいろ大変だった。結果一年で共同生活は終わりを迎え、それぞれバラバラに住む事となった。僕はこのシェアハウスにいる間に、四股をやめ、一人の女性と付き合う事となる。いろんな人と付き合って来たが、多分、この人が一番好きだったような気がする。今は違うだろうが。結婚してもいいとさえ思っていた。シェアハウスを出て、僕はこの女性と東中野で暮らす事となった。◇◇さんとしておこう。とても綺麗な人で、明るく、しっかりした人だった。正直、何年も経った今でも、まだ引きずってる感があるので、あまり詳しく書くのはやめようと思っている。〇〇さんと、◇◇さんは、自分の人生において、大事な人であり、別れはしたけども、幸せになってほしい女性だなと思う。ただ、二度と会いたくはない。鼻ピンク。

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  • 15Nov
    • 生い立ちブログ、〇〇さんとの別れ

      十年間付き合った〇〇さんと、別れる事になった。20歳から付き合っていたから、30歳の時になる。原因は、僕に好きな人が出来てしまったからだ。その女性とは、友人の結婚式で出会った。背の高いスラッとした女性で、気の強い綺麗な人だった。お互い気が合い、何度か飲みにも行ったが、まあ、ただそれだけだった。異性の友人という感じ。ある日、その女性から急に、「私達って、ずっとこんな感じで行くのかな?」と言われ、「友達じゃダメなの?」と聞いたら、「イヤだ」と言われた。正直、〇〇さんと別れてこの人と付き合おうなんて、思ってもいなかった。でもこの事をきっかけに、自分の中で徐々に何かが変わり始めた。(今好きな人がいる人は、思いをちゃんと伝えておくのは効果的だと思いますよ。)僕は〇〇さんといてもなんだか楽しめず、ずっとモヤモヤしていた。そんなある日、たしか誰かと朝まで飲んだ帰り、家に向かって歩いていた。そこに〇〇さんから電話がかかって来たのだ。昨日連絡しなかった事に腹を立てていた〇〇さんに、返す刀で、「別れよう」と言った。つい、言ってしまった。十年の付き合いも、電話一本で終わるのだ。その女性とは、全然会っていなかった。でもこれで、なんの後ろめたさもなく会えると思い、会う事にした。たしか錦糸町で飲んだ時だったか、僕が〇〇さんと別れた事を知らないその人は、彼氏が出来た、と僕に話してきた。平然を装ってたけど、多分上手く笑えてなかったと思う。結局この人とは、それ以来会ってはいない。この時は、だいぶ塞ぎ込んだ。結局僕は一人になった。思えば十年ぶりの一人だ、と逆に清々した気分にもなった。がしかし、次の彼女が出来るのは、ここから二週間後ぐらいの話になる。どうしようもない。ぼーっとしている。

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  • 13Nov
    • 休憩、天国の猫の話

      昔、猫がこの世を去った後に行く天国について考えた事がある。そこには好きなものだけがあるのだ。父猫と母猫がいて、兄弟達もいて、家族で仲良く暮らし、そこは猫達にとって常にちょうどいい気候で、雨は降らず、猫じゃらしがたくさんある草原が広がっていて、お腹が空いたら好きなものが食べられて、病気もなく、車なんて一台も走ってないから事故もなく、人間が一人もいないからひどいことをされる事もない。そんな世界なんじゃないかと。悲しいけど、人間がいない世界なんじゃないかと思った。前にもブログに書いたが、「かん」という名前の猫を飼っていた。この子は生まれつき肺が成長しない病気を患っていた。動物病院に何度も通い、先生たちもよくしてくれて、かんも生きようと頑張っていたが、生まれてから二年程で、この世を去った。肺が成長しないけど、体は大きくなるため、成長すればするほど苦しくなってくる。死ぬ間際は、見ているこっちが辛くなるほどだった。かんは死ぬ時、僕の膝の上で息を引き取った。僕の顔を見て鳴いていたが、いつもの苦しそうな鳴き声ではなく、はっきりと鳴いて、苦しいだろうにゴロゴロ言っていた。最後はすぅっと、眠るように死んだ。かんが最後、何と言いたかったかはわからないが、かんが行った天国に、僕もいれば嬉しいなと思った。寝っ転がってるのがかん。

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  • 12Nov
    • 生い立ちブログ、事務所ライブ

      ワタナベには「WEL」という事務所ライブがある。ワタナベエンターテインメントライブの略だ。今は事務所の地下にある劇場「表参道GROUND」で月一回二公演行われているが、僕らが事務所入りたての頃は、新宿の明治安田生命ホールで月一回三公演行われていた。明治安田生命ホールは300強のキャパがあり、これが三公演埋まっていたのだからすごい事だ。それからしばらくして、レッドカーペットから始まるお笑いのビッグウェーブがやって来て、明治安田と、原宿クエストホールという劇場で、月二回、一日三公演、計六公演が行われてる時期もあった。ライブのチケットが手に入らないなんて事も起こり、ロッチさん我が家さんハライチなどが、事務所ライブを引っ張ってくれていたのだ。今はだいぶ様変わりした。あの頃のメンバーで残っているのは、超新塾さんと僕ら、ぐらい??今は逆に若手が事務所ライブを引っ張ってくれている。お客さんも若い人達が多くなり活気がある。でも様変わりしたのだが、時代は繰り返すと言うが、昔の活気あった頃とどこか似ている。お客さん達の感じとか。ファン同士でケンカしちゃうとか。それだけ熱量が高いという事なのだろう。ワタナベ特有なのかもしれないけど。だから、どこか懐かしさすらあるのだ。僕らは事務所に入ってからずっとWELに出ているが、これが当たり前の事だと思わないようにしないと、いつか足元をすくわれる。頑張んなきゃ、おじさん。かわいい。

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  • 11Nov
    • 生い立ちブログ、賞レースの始まり

      僕らが事務所に入った次の年に、キングオブコントは始まった。2008年だ。オンバトや他のテレビにも行かせてもらい、それなりに露出はしていたので、マネージャーからはちょっと期待されていた。「最低でも準決勝ぐらいは行ってほしいな」なんて言われていた。オンバトは勝負の大会だが、賞レースでのネタというのにとても頭を悩ませた記憶がある。僕はこの感じでいつも失敗してしまう。単純にウケるネタをやればいいのに、深読みし過ぎて、裏をかこうとしてしまうのだ。実際誰も経験した事のない大会に、みんな困っていたと思う。そして僕は、顔いじりするネタを避けたのだ。一回戦、たしか東京FMホールだったかと思う。違うかな?ネタのウケは、ややウケ、ぐらいなもんだった。結果は当然、一回戦落ち。僕らのキングオブコントは、苦い思い出から始まったのだ。翌年、2009年のキングオブコントは、三回戦まで進んだ。今でも「三回戦のネタ間違えたな〜」と思っている。出し惜しみした結果、三回戦止まりとなった。そして2010年のキングオブコント、僕らは初めて準決勝へと進んだ。この頃のキングオブコントは、準決勝で敗退した芸人が審査員を務めていた。なんかそれだけで、キングオブコントにぐわっと関われた気がして興奮したものだ。準決勝は出番2組目だった。ネタは山崎が実は宇宙人で、星に帰らなきゃいけないと言い出すと、「しっくり来ないな〜。北澤がその方がしっくり来るな。」というネタだ。ネタはかなりウケ、なんで決勝行けないんだよ、と思ったりもしたが、今考えると行けないと思う。やっぱりテレビ映えするネタではないのだ。ちなみにこのネタ、オンバトでは445キロバトルだった。僕らはこの2010年から、三年連続で準決勝に進む事が出来た。最後2012年のキングオブコントの話は、またそのうち解散の話の中で登場する事になる。ちなみにトリオ時代M-1は一回だけ出て、一回戦落ちで、こりゃ漫才は向いてないな、と思った。さすさす。

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  • 10Nov
    • 休憩、もなかの夫婦

      バイト先のコンビニのお客さんで、毎日チョコモナカジャンボを買っていく夫婦がいる。買ってすぐに封を開け、パキッと半分に割って2人で分けて食べながら帰って行く。50代半ばだろうか。毎回「俺全然一つ食えるけどな〜」と旦那さんが言う。「半分でいいのよ」と奥さんが返す。多分本人達は、これが幸せとは思ってないだろう。いつものルーティーンで、どこからか帰る際の恒例行事なのだ。奥さんが倒れて、入院することになった。しばらく2人を見ないな〜と思っていたが、ふと旦那さんだけやって来た。どことなくやつれている。旦那さんはふと思い出したように、チョコモナカジャンボを手に取りレジにやって来る。奥さんは、どうやら亡くなったようだ。思わぬ形で、念願の、チョコモナカジャンボを丸々一人で食べれる機会がやって来た。旦那さんは半分まで食べて思う、「…半分でいいや」と。「…一人で食っても美味くねえや」と。幸せなんて、自分では気づかない物なのかもしれない。当たり前は、案外幸せなんだと、ふと思った。ちなみに奥さんが倒れた辺りからはフィクションで、今日も二人はチョコモナカジャンボを元気に食べて帰ってました。猫。

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    • 休憩、雑事

      生い立ちブログを、いつの事まで書けばよいのかと考えた。このままでは現在に追いついて、未来の事まで書く「妄想ブログ」になりかねない。コンビになってからの事は現在進行形なので、まだ振り返る時ではない。やっぱり、トリオが解散するとこまでで終わりにしようかと思う。過去のおもしろ彼女との事などは書いてもいいが、最近のまで書き出したらその相手がブログを見ている可能性もあり、「私の事、おもしろおかしく書いてくれたわね?」なんてよくわからない連絡が来ないとも限らない。まあ、その度に連絡先が変わってるので、連絡は来ないとは思うが。「いやまずお笑いと女性の事に関してしか話題ないんか?」と言われるかもしれない。ないのだ。お笑いと女性の事しか。多分それが、自分の人生なのだ。薄っぺらい。今、猫との生活に向けて計画を立てている。理想は三匹だが、現実は二匹だ。ちょっとブスぐらいで、ちょっとぽっちゃりぐらいのがいい。女性ではなく、猫の話。いい。

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  • 09Nov
    • 生い立ちブログ、続オンバト

      オンバト初挑戦でオフエアとなった僕らだったが、それから二ヶ月後、再び収録に呼んでもらえた。「次負けたらもう行かせない」とマネージャーに言われ、2回目にして窮地に追い込まれていた。初挑戦の時、僕は大事な事を学んだ。テレビの収録だからと変に意識して、自分はテレビの向こうの視聴者に対してネタをしていた。オンバトは観覧のお客さんがいる。この人達を笑わすべきなんだと。そして2回目の挑戦。ネタはヒーロー物のコントで、僕は女の子役だった。そこそこウケて、球もバケツにそこそこ入っていた。これは数年後の話だが、なぜかいつも僕がバケツを取りに行って、計量の時もバケツを持っていたので、だんだんバケツを持っただけで何キロバトルかわかる特殊能力が身についた。話を戻す。結果は441キロバトル、上位5組のうちの4位で無事に初オンエアとなった。もうオンエアされるだけでお祭り騒ぎで、「売れた!」と思った。それから何回もオンバトには呼んでもらえた。ここでネットにあった僕らのオンバト通算成績を見てみよう。「Plus-1」と書かれてるとこからが、後続の番組「オンバト+」なので、爆笑オンエアバトルはその上までとなる。通算4勝4敗。勝率5割というなんともつまらない成績だ。そして爆笑オンエアバトルは生まれ変わり「オンバト+」という番組となった。するとどうだろう、上の表と下の表を見てもらえればわかると思うが、急に負け知らずとなったのだ。1回目のオンエアから解散するまで、無傷の9連勝だった。後半は、もうオフエアなんてするわけないとまで思っていた。実はロビンソンズになってから、二回だけ挑戦し、一勝一敗だった。ほんとに芸人愛に満ちた番組だったと、今改めて思う。またこんな番組が始まればいいな、とも思うし、あったらあったで辛い事もあるな、とも思う。ベランダからの猫。

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  • 08Nov
    • 生い立ちブログ、オンバト

      事務所に入って半年が経ったぐらいだろうか、マネージャーに、「オンバト行ってみるか?」と言われた。今の若手芸人や、若いお笑いファンの子は知らないかもしれないが、その昔「爆笑オンエアバトル」という番組がNHKでやっていた。10組の芸人がネタを披露し、上位5組しかオンエアされない、地獄のような番組だ。月二日収録日があり、一日二本分だったから月合計4回の収録があった。僕らが芸人を始めた頃はM-1創世記で、キングオブコントなんてなかった。だから芸人の主戦場はこのオンバトだった。その証拠に、オフエアが続いて解散する芸人がいたり、収録前のネタ合わせでケンカしたりする芸人もよくいた。みんなピリピリしていた。「え、オンバトに自分達が行くの??早くない??」と正直思った。だが今思うと、この世界に早いも何もない。それが来たら、それに向かって万全に整えるのだ。オンバトはオーディションがない代わりに、番組収録の前説をやる事になっている。そこでネタをやって感触が良ければ、じゃあ次回収録来てください、という事になる。前説当日、僕は収録に臨む芸人達よりも緊張していた。だってあのずっと見ていた、オンバト収録のスタジオにいるんだもの。前説という事もあり、お客さんもリラックスした様子でネタを見てくれた。自分で言うのもなんだが、かなりウケて、「これが収録だったら500キロバトル超えてたのにな〜」と思えるぐらいだった。あ、オンバトは審査員がボールをバケツに転がし、その重さで競い合うのだ。前説はスタッフさんからの評判も上々で、僕らは次回の収録に参加する事となった。収録当日、僕は、「オンバトデビューが500キロバトル超えしたらたまんないなぁ」なんて考えながら渋谷のふれあいホールに向かった。テレビで見た事のあるオープニングや順番決めをやったり、相方たちとネタ合わせしたり、他の出演芸人と喋ったり、いろんな初体験にワクワクしていた。収録が始まり自分達のネタになった。前説の時と同じようにやれば問題ない、僕はそう思っていた。するとどうだろう、全然ウケないのだ。前説の時はあんなにウケたのに、まるで違う番組に来ているみたいだった。「そうか、これは本番なんだ。自分達は品定めされてるんだ。」と僕は思った。結果、500キロバトル超えには程遠い、300キロバトルにすら満たない結果だった。なんかもう、テレビのお笑い界から「用無し」の烙印を押された気分になったものだ。次回、初オンエアの話に続く。

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  • 07Nov
    • 生い立ちブログ、都市伝説のような

      生い立ちブログを書き進める上で、「これを書かないと、なんか逃げたような感じになるな」という過去の出来事がある。でもそれと同時に、「そんな事まで書きたくないし、誰も知りたくないだろう」とも思う。まるで都市伝説のように、「北澤は過去に四股していた事がある」という噂を耳にした事のある方もいるだろう。変な誤解を与えてはいけないので、一度この事ははっきりと書いておこうと思う。その通りです。何にも否定しません。そんな時期もありました。若かったですし青かったです。ことの発端はよく覚えてないが、この「よく覚えてない」というのはほんとに便利な言葉だ。だが、ほんとに思い出せない。まあこんな話を詳細に聞いても、何も面白くはないと思う。なんやかんやあってそんなある日、僕らはその頃インターネットラジオをやっていて、その事を知ってる芸人がゲストで来た時、思わず口を滑らせてバラされた。放送ではわちゃわちゃして、盛り上がって終わったが、控え室に行って携帯を見たら、着信とメールが100件ずつぐらい来ていた。生放送なのだから電話に出られるわけがない。「これは大変だぁ」とまるで人ごとのように感じ、僕は一人ずつ連絡をし直接会って話をしに行った。全てを書くとだいぶ長文になるし、思い出しただけで疲れるのでご想像にお任せするとして、結果だけざっくり言うと、何も起きなかった。ちょっと怒ってる、ぐらいだった。僕が言うのもおかしな話だが、「なぜ??」と思った。何ならそのうちの一人に、「今度さ、みんなで集まろうよ!」と地獄のような提案をされ、「いやそれはさすがに、、」と断ったりもした。4人とも変な人だった。世の中には、常識では理解出来ない事がゴロゴロ転がっているものだと勉強になった。はい、この話は成仏しました。

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  • 06Nov
    • 生い立ちブログ、バイト

      事務所に所属したからと言って、すぐに食えるようになるわけではない。相変わらずバイトを続けてはいたが、お笑いに比重を置かなければいけないので、大変なくせに給料が安い洋服屋は辞める事にした。この頃映画館のバイトもしてはいたが、時給750円だしあまり稼げないので、ここはやはりコンビニの夜勤だなと働き始めた。以前にもやっていて、要領はわかってるし、新しく覚える必要もないからだ。前にやっていたコンビニは実家の近くだったが、次の店は鶯谷という場所にあった。この鶯谷、知ってる人は知ってると思うがラブホテル街なのだ。だから店に来るお客さんは、これからしけ込もうと買い出しに来るカップルが多い。一度中学の同級生の女の子が、彼氏かなんかと一緒に来て、レジでものすごく気まずくなった記憶がある。場所柄なのか、外国人のお客さんも多い。もちろん従業員にも外国人がいて、一時期僕とオーナー以外はみんな外国人留学生だった時もあった。ここまで書いてふと思ったが、この店での思い出があまりない。しくった。たまに「ほんとによくバイトするね?」と言われる事がある。でも僕は、昔からバイト先でネタを書いている。がっつりは書かないが、ネタ出しやネタ直しをバイト先でやるのだ。そしてバイトが終わってからファミレスに行って仕上げる。これが体に染み込んでしまってるのだ。だからちょっとバイト休んだりすると、何にも思いつかないなんて事もある。これから「バイトする時間がないぐらい忙しいから、ネタが書けない」という悪循環に悩まされないために、どこか別のネタ作り場を見つけなければ。バイク猫。

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  • 05Nov
    • 生い立ちブログ、同期

      芸人のスタートがぬるっとフリーの僕らにとって、はっきりとした同期という存在はなかった。ワタナベに入り、やっと同期が出来たのだ。今でも続けている同期は、ハライチとサンシャイン池崎、ワタナベコメディスクール二期生だ。僕らはスクール生ではないけど。他にもたくさんいたが、徐々に辞めて行った。僕らはワタナベではワタナベ歴だが、フリーでやっていた時期を合わせるともう一つの芸歴が発生する。その芸歴では、たとえばよしもとだとしずるとか、ライスとか、サルゴリラとか、その辺が同期だ。実はワタナベの後輩の加藤誉子も同期だったりする。街裏ぴんくも同期だったりする。いろいろめんどくさいけど、僕らは外で活動する事も多いので、二つの芸歴を使い分けている。そしてこれもめんどくさいが、トリオからコンビになった事で、新しいコンビ歴も生まれてくる。ロビンソンズはコンビ歴6年だ。なんてフレッシュな若手なんだろう。同期の活躍というのはいい刺激になる。それと同時に「負けたくない」という感情が一番出る。僕はあまり闘争本能が強い人間ではない。よく気難しく思われがちだが、基本ヘラヘラ、フラフラ、フニャフニャしている。いつも何か考えてると思われがちだが、何も考えてない。猫の事は考えている。コントの事も考えてる。あとは何も考えてない。来年は、いつも何か考えてる人になろうと思う。かっこいい。

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  • 02Nov
    • 生い立ちブログ、初めてのテレビ

      事務所に入って何が変わったかというと、やはりオーディションを振ってもらえるという事だろう。それだけで、ぐっとテレビへのチャンスが増える。フリーでライブ活動だけだと、誰かが見出してくれない限りチャンスなどやって来ないのだ。僕らのテレビ初出演は、CSだっから、BSだったか、のネタ番組だった。普段ネタ見せを見てくれてる作家さんの推薦で、番組に呼んでもらったのだ。地上波ではないが、一緒に出ていた人は、東京03さんやU字工事さんなど、そうそうたる顔ぶれだった。まったく無名の僕らが、果たしてテレビという場でウケるのか。結果、ウケた。なかなかにウケた。ネタ番組だったから観覧のお客さんもいたし、とてもやりやすい環境だった。正直何のネタをやったかはまったく覚えてない。でも、テレビの収録でウケたのだ。オンエアの日、僕は自分のテレビ出演を見る事にした。僕はここで衝撃を受ける事になる。全然面白くなかったのだ。でもお客さんは笑っているし、見た人の反応も悪くない。でも、全然自分で納得が行かなかったのだ。僕はそれ以来、自分が出てるテレビはあまり見ない事にしている。僕は、結局自分が嫌いなのかもしれない。よしよし。

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  • 01Nov
    • 休憩、M-1三回戦の朝の話

      M-1三回戦の朝、母から電話があり、「お父さんもうダメかもしれないから、一度会いに来ておきなさい」という電話があった。親が死ぬ、という出来事に、どういう感情を当てはめたらいいのかよくわからないまま、僕は、「今日はM-1があるから行けなくて、明日も収録があるから行けるとしたら明後日かな」と答えた。僕は前々から母親に、「たとえ親の死に際でも、自分は仕事を優先する」と言っていたし、なんなら母親も、「死ぬ人の相手してる暇あるなら、働きなさい」と言っていた。社畜親子だ。うちの父親は、いろいろ家族を振り回して来た人だ。金銭的にも、精神的にも。僕は父がもうダメかもしれないと聞いて、よくわからない感情を抱いた。父は三年前ぐらいから体調が悪くなり、何もする事が出来ない状態だった。本当なら僕も実家に帰った方が良かったのかもしれないが、母が、「お笑いを辞めてはいけない」と言ってくれて、今の状態だ。その代わり、というわけでもないのだが、母に仕送りだけはちゃんとしようと思った。まあまあな仕送りだ。だからこんなにもバイトをしているのだ。だから「父がもうダメかもしれない」という報せを聞いた時に、悲しさよりも、ほっとする気持ちが上回った、と言うのも納得が行く。「親が死にそうなのになんて事を!」みたいな意見には、一切耳は貸さない。それぐらい、僕ら家族は父親に振り回されて来たのだ。M-1三回戦が終わり、次の日はにちようチャップリンの収録だった。収録が思ったよりも早く終わったので、僕は姉に電話した。すると、父を搬送した病院がテレビ局の近くだったのだ。僕は、「じゃあ今から行くわ」と言い、病院へと向かった。病院へ着く前にタバコを一本吸い、なんとなく気持ちを落ち着けた。病院に着き、父を見た。父を見て最初の感想は、「もうダメだな」と思った。よく葬式で、最期のお別れと称して棺桶をのぞくが、その中にいる人と変わらない感じだった。父は意識が朦朧としていて、まともに会話も出来なかった。母と姉と僕は、あとは病院に任せる事にし、駅へと向かった。途中母が、「なんかお腹すいたから食べて行こうよ」と言い、僕ら三人はファミレスに入った。特に当たり障りもない会話をしていたが、僕がぼそっと、「最後まで家族を振り回す人だな」と言ってしまった。「最後」と言ってしまった。もう死ぬ前提の話として、言ってしまった。しかし母も姉も、「ほんとね〜、最後まで迷惑よね〜」とか、「まあ、最後だから我慢しよ」とか、最後というワードがガンガンに出て来た。僕ら三人は、もう父はダメだ、という認識で一致した。悲しいのか何なのかもよくわからないが、これが父の最後なんだな、と思った。それから10日後、姉から、「明日見舞いに行ってくるわ」と連絡があった。自分も、「もう一度ぐらい会っておかないとな」と思った。この日はライブだったのだが、ライブ中姉から、「ねえ!お父さんなんか元気になってるんだけど!!?」という連絡が来た。「はあ?」「いや、なんか元に戻ってるよ!?ご飯もバクバク食べてるし!なんで!?」「いや知らんわ!」「え、死んじゃうと思ってた、、」「自分も、、」「死なないっぽい」「マジか」みたいな、会話が繰り広げられた。まあ生きていてくれる分には、別に文句は言わないが、ほんと父は、生きても死んでも家族を振り回す人だ。今日は不思議な空だった。

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    • 生い立ちブログ、ブサイクの芽生え

      オーディションライブを勝ち抜き、事務所に所属する事が出来た僕らだが、このライブで、芸人として生きて行く上でとても大切な事に気づかされた。いつかのネタ見せで、確か僕があまり出どころがないネタをやった時、ネタ見せを見てくれていた桑原さんが、「もっとブサイク使うたらええのに」と言った。僕と山崎は、もう一人の相方を見て、そのもう一人の相方も、「僕ですか」と言った。すると桑原さんは、「いやお前ちゃうわ。北澤や。」と言ったのだ。「え?????」と僕は思った。通りで女装姿で登場しただけで、割れんばかりの笑いが起こるわけだ。そう、僕は先天性ではなく、後天性のブサイクなのだ。点と点が線になるのだが、このダメ出しがあった時から、星が獲れなくなった。「自分のブサイクを活かすネタ」をどう書いたらいいのかわからなかったのだ。「え、彼女いるけどな。。自分ブサイクなの??」みたいな自問自答を繰り返した。一度付き合っていた〇〇さんに、「ネタ見せで自分のブサイクをもっと活かしたらいいのにって言われた」と言った事がある。すると、「そりゃそうでしょ」という返事が返って来た。「あれ?ブサイクなの?この人、自分の彼氏ブサイクで大丈夫??」と思った事がある。というか、そのまま聞いた事がある。すると〇〇さん、「いや私はブサイクとは思ってないよ?でも世間からしたらブサイクでしょ?」と言われた。「へえ、なるほどなー」と思った。この人はちゃんと自分の価値観を持ってる人なんだ、と。やりたいお笑いと、やらなきゃいけないお笑いがあるという事を、僕は桑原さんに学んだのだ。そして今も、それが器用に出来ているわけではない。この子を「変な柄」という人もいる。価値観はいろいろ。

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  • 31Oct
    • 生い立ちブログ、〇〇さんという人

      芸人として活動を始め、事務所にも所属する事が出来て、僕はお笑いに夢中になっていた。20歳の頃から付き合っていた〇〇さんとは、芸人になってからも続いていた。前にも書いたかもしれないが、この〇〇さん、とにかく服のセンスがずば抜けてよかった。某お嬢様大学の出身だが、卒業して銀行に勤め出した。しかし「出勤の時に着たい服が着られない」という理由で仕事を辞めたのだ。「だったらアパレルで働いたらいいのでは?」と僕は助言し、そしてすぐ、某ニューヨーク系のブランドで働き始めた。そのブランドも「好きな感じではない」という理由で辞め、結局「プラダ」で働き始め、やっと落ち着いた。この〇〇さん、しかし僕が芸人として活動している事に興味がなかった。ライブとか、一度も観に来た事がない。一度レッドカーペットに出たのをテレビで見たらしく、感想を聞いたら、「んー、まあ別にって感じ」と言っていた。なんとも張り合いのない人だ。でも僕はそれがとても心地よかったし、だから付き合ってられるんだろうなとも思った。そう言えば、一度だけお笑いライブではなく、僕が出た芝居を観に来た事があった。終わってから感想を聞いたら、「ちょっと寝た」と言っていた。なんとも変わり者の、センスだけはいい人だった。僕はいまだに服を選んだりする時、この人に言われた事を基準として選んでしまっている。〇〇さんは、完全な犬派でビーグルを飼っていた。

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      テーマ:
  • 30Oct
    • 生い立ちブログ、所属

      さて、ワタナベのオーディションライブで四連勝した僕らは、所属するための五つ目の星をかけてライブに挑んだ。しかしどうしたもんか、五つ目の星がなかなか獲れない。一緒に星を争っていた芸人が次々と所属して行く中、僕は焦っていた。ちなみにワタナベで同期のハライチは、この時すでに事務所に所属していたが、サンシャイン池崎は「ソニックブラザーズ」というコンビで、僕らと一緒にSTEP!STEP!STEP!に出演していた。面白かったが、あんまりウケてはいなかった。オーディションライブの話に戻る。たしかこのライブ、一位から三位までが星を獲得出来るシステムだったのだが、どうしても上位三組に入れない時期が続いた。上位に入れないどころかそこそこすべったりもした。ネタで山崎に投げられるくだりで失敗し、僕が頭から舞台に落ちて鼻から麦茶が出たりもした。実はこの時の事がずっとトラウマで、僕はいまだにライブの時になると麦茶を飲まない。そして星を獲得出来ない期間が三ヶ月続いた。僕は「星の事は一回忘れて、とにかくウケるネタをやろう」と思った。これが、結局正解だった。そりゃそうだ、お笑いライブなんだもの。人を笑わせただけ評価されるんだ。次の月のライブ、ライブを仕切ってる桑原さんがとんでもない事を言い出した。「今まで通り一位から三位までが星を獲得出来るけど、五つ目の星は一位を取らないと所属にはさせない」と言い出したのだ。鬼だと思った。「所属させないようにしてんのか?」とも思った。「まあいいや、今回は星とかではなくとにかくウケることが大事だから」という気持ちでライブに望んだ。そして僕らは一位を取り、ワタナベの門を開く事となった。次の月には、ワタナベの事務所ライブ「WEL jr.」に出演して、ありがたい事にここでも優勝する事ができ、その日のうちに一番上のライブ「WEL」にも出演する事が出来た。やっと芸能界に、足の指の先っちょぐらい入る事が出来たのだ。座りながら寝る猫。

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