今年になってから読んだ本の中で特に面白かった一冊として、中村保夫さんの「新宿ディスコナイト 東亜会館グラフィティ」がある。1980年代のディスコ・シーン、クラブではなくディスコ、それも六本木ではなく新宿歌舞伎町、帯には「子供ディスコ」というフレーズもあるように、その主な客層は中高生だったという東亜会館のことについて書かれている。ポップ・ミュージック正史からはこぼれ落ち、十分にアーカイヴされているとは言い難いが、確かに存在したポップ・ミュージック受容の現場についての貴重な資料といえるかもしれない。当時、リアルタイムでポップ・ミュージックを聴いて、その後、様々な記憶と情報とを元に再構築したあの頃の印象の隙間をパテ埋めしてくれるような、素晴らしい本であった。
この本には当時の東亜会館でよくかかっていたというレコードが、ジャケット写真と共にカラーで紹介されている。このディスクガイドのセクションは64ページにも及ぶのが、その3ページ目にピート・シェリーの名前を見つけた。ピート・シェリーというのはあのバズコックスのヴォーカリストのことか、と思うと確かにそのようで、「ディスコティックなエレポップ・ナンバー」とも紹介されている。そして、「テレフォン、レバニラ炒めに味噌汁」「オラオラ」などという掛け声もあったのだという。
実はこの東亜会館には1986年にアルバイト先の先輩に連れられて行ったことがあるのだが、確かに客層は中高生ぐらいであり、独特の振り付けや掛け声のようなものもあった。前の年も大晦日に予備校の友人たちと行った渋谷のディスコとはかなり印象が違うな、という印象を受けた。
ピート・シェリーはバズコックスを解散後、ソロ・アーティストとして活動していたのだが、エレポップ的な作品が多く、1981年にリリースされたシングル「ホモサピエン」はゲイ・セックスへの露骨な言及を理由に、BBCで放送禁止になったという。この時、ピート・シェリーと一緒に作品を制作していたプロデューサーのマーティン・ラシェントはこの経験を生かして、エレ・ポップの金字塔的なアルバムであり、アメリカにおける第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの先がけとなったヒューマン・リーグ「ラヴ・アクション」を生み出したといわれている。
その後、バズコックスは1989年に再結成され、オルタナティヴ・ロックに大きな影響をあたえたバンドとして再評価される。オルタナティヴ・ロックがポピュラー化するきっかけとなったのは1991年のニルヴァーナ「ネヴァーマインド」が大ヒットしたことだが、そのニルヴァーナがアメリカでツアーを行っていた時に、再結成したバズコックスが近くでライヴをやっていることを知り、観に行ったのだという。そこでバズコックスとニルヴァーナは意気投合し、結果的にニルヴァーナにとって最後となってしまったヨーロッパ・ツアーのオープニング・アクトをバズコックスが務めた。
1976年、バズコックスを結成したばかりのピート・シェリーとハワード・ディヴォートは「NME」に掲載されたセックス・ピストルズの初ライヴのレヴューを読んで、ロンドンまで観に行ったのだという。そこで衝撃を受けたピート・シェリーとスティーヴ・ディヴォートはセックス・ピストルズをマンチェスターに呼び、ライヴをセッティングした。セックス・ピストルズがデビュー・シングル「アナーキー・イン・ザ・U.K.」をリリースする何ヶ月も前のことである。バズコックスもそのライヴに出演しようとしていたのだが、それまでにメンバーが脱退してしまったため、叶わなかったのだという。しかし、その後、新たなメンバーを迎え、セックス・ピストルズの2度目のマンチェスター公演ではオープニング・アクトを務めたのだという。つまり、バズコックスはセックス・ピストルズとニルヴァーナの両方のオープニング・アクトを務めたバンドなのである。
1993年、私はイギリスの音楽雑誌「メロディー・メイカー」で、バズコックスのベスト・アルバム「シングルズ・ゴーイング・ステディ」についての記事を読んだ。そして、なんだかこれは聴いておかなければいけないのではないかという気がして、渋谷にあったCDショップ、フリスコでこのCDを買ったのだった。ひじょうにキャッチーなメロディーと、勢いのあるパンク・ロック・サウンド、ヴォーカルは甘く、内容はほとんどが恋愛やセックスについてのものである。タイトルの意味については、中学生の頃に観た青春映画「グローイング・アップ2 ゴーイング・ステディ」で知っていた。「ゴーイング・ステディ」とはつまり、恋人同士になるということである。バズコックスのベスト・アルバム「シングルズ・ゴーイング・ステディ」は、一人ぼっちだった人に恋人できたという意味と、シングルを集めたらアルバムができたという、二つの意味を持つようでもある。このセンスもかなり好きだった。
1980年代からリアルタイムで海外のポップ・ミュージックを聴いていた私は、大学生ぐらいからはいわゆる名盤リスト的なものに載っているものから気になったものを聴いていったりしていたのだが、バズコックスのアルバムはこういうリストにはあまり挙げられていなかった記憶がある。いまとなってはオリジナル・アルバムの「アナザー・ミュージック・イン・ア・ディファレント・キッチン」「ラヴ・バイツ」「ア・ディファレント・カインド・オブ・テンション」、いずれも好きなのだが、やはりバズコックスはシングル向きのバンドであり、ゆえにその魅力が最も凝縮されたアルバムは「シングルズ・ゴーイング・ステディ」なのかもしれない。
このアルバムは1979年にアメリカ向けに発売されたものらしいのだが、イギリスでも輸入盤がわりと売れていたため、1981年に正式に発売されたらしい。とはいえ、いずれの国においてもアルバム・チャートにランクインはしていない。
その後、1977年にインディペンデント・レーベルのニュー・ホルモンズからリリースされたという4曲入りEP「スパイラル・スクラッチ」も買ったのだが、こちらは後の作品に比べ、よりニュー・ウェイヴ色が強いような気がしたが、やはりかなり気に入って聴いていた。
ロックではあるもののマッチョ的なことはまったく歌ってはいなく、というかともすれば軟弱すぎるのではないかとも思われかねないほどのロマンティストぶりである。ここにたまらなく魅かれたのであった。
数ヶ月前、道玄坂のライヴ・ハウスで行われたアイドル・ユニットのライブに行くと、あるファンの方がバズコックスのシングル「エヴリバディズ・ハッピー・ナウアデイズ」のTシャツを着ていた。
「気が動転することにはもう疲れた。いつでも相手にされそうもない人にばかり魅かれる。人生は幻想で、愛は夢。だけどそれが一体何なのかさっぱり分かってはいない。だって、最近は誰もがしあわせそうだし」
2018年12月6日、バズコックスのフロントマン、ピート・シェリーが心臓発作で亡くなった。私のツイッターのタイムラインには、世間一般的にはもっと有名なアーティストが亡くなった時以上のツイートが流れてきた。
バスコックスの最大のヒット曲は1978年に全英シングル・チャートで最高12位を記録した「エヴァー・フォーレン・イン・ラヴ」、恋をするべきではない相手に恋をしてしまったことがあるかいという内容を持つこの曲は、理不尽かつ間抜けではあるとしても、時としてそのような事態に巻き込まれざるをえず、しかもそれはもしかすると人生において最も精神が充実している時間だったのではないかとさえ思える。こんな気持ちを上手く言えたことがないとして、バズコックスの曲というのは、まさにそのような衝動や感情を極上のパンク・ロックとして表現したようなものであり、ゆえに時代を超えて共感を呼んでいくものなのだろう。
そして、1977年にリリースされた初のシングル「オーガズム・アディクト」は、その歌詞の内容から放送禁止になったというのだが、「猥褻な雑誌を手に裏口からコソコソ忍び込む、お前の母ちゃんはジーンズに付いたシミについて知りたがっている、そしてお前はオーガズム中毒」、一体何について歌っているかが分かるだろう。
肉体は死すとも、芸術は生き続ける。ピート・シェリーは真実のパンク詩人であり、その魂はこれからも悩める人々の心に寄り添う。
R.I.P.
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