Rin.ka.ka costume jewelry -2ページ目

Rin.ka.ka costume jewelry

Rin.ka.ka costume jewelry⁡

自由で繊細
そして居心地のよい場所を知っている

猫と仲間たちのコスチュームジュエリー

静かに深い猫の呼吸で仕立てています

居心地のよいあなたで居られる
 コスチュームジュエリーをお届けします。

『私の手がしてきたこと 妊婦の美大生編』 


大学1年生の終わりに結婚して

2年生の秋に妊娠した私。

 

この先の生活が大きく変わることになり

「どうする大学問題」

が持ち上がりました。


私の気持ちとしてはできれば卒業したい。


そして有り難いことに

旦那さんや両親も

それに賛成してくれました。


そして大学に相談したところ


さすが夜間の大学。

たまに途中で妊娠出産する人が居るようで


そんな人でも大学を辞めずに

続けられるサポート体制が整っていました。


4年生からは

担任の教授のもとで

指導を受ける事になっているのですが


私の担任には


出産の4ヶ月後に

個展デビューした経験を持つ

女性の教授がついてくれて

色々な相談に乗ってもらいました。



これでめでたしめでたし…



と思ったのもつかの間

つわりなど体調の変化が激しく


絵をかくのもままならない日々が続きます。


仕事に行けない日も増えて

ソファーに寝っ転がる毎日。


突然お肉が猛烈に食べたくなって

張り切って料理をしたら


その匂いにやられて

一口も食べられず寝込んだり。


りんごが食べたいと思ってから

ひとつ剥き終わるのに2時間かかったり。


今振り返っても


妊娠中の心や体って

自分でも追いつけないほど

色んな事が起こって


特別な時間だったなぁと思います。


課題は家で描くことを許されていたので


毎日動ける時間に

なんとか作業を進めました。


それでも課題の提出や

学科の授業には出席しないと

単位はもらえないので


気持ち悪さと戦いながら通学しました。


楽しくお仕事させてもらった会社は

妊娠8ヶ月で退職させていただき


大学3年生の6月に長男を出産しました。


長男が産まれてからはさらに大変で


旦那さんや実家の両親に

手伝ってもらいながら


ギリギリの綱渡り状態で

大学の課題をこなしました。


大学生活の後半は

自分が思い描いたものとは全く違って


とりあえず課題をこなすだけに

なってしまったのが心残りでしたが


なんとか大学を4年間で

無事に卒業することができました。




ソファーで寝っ転がる自画像


第一子の妊娠中は毎日ほぼこの状態…


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自由で繊細
そして居心地のよい場所を知っている


猫と仲間たちのコスチュームジュエリー

🐱静かに深い
  猫の呼吸で仕立てています

🐱居心地のよいあなたで居られる
  コスチュームジュエリーを
  お届けします。
 

『私の手がしてきたこと 夜間の美大生編』 


当時、日本で唯一の

夜間の美術大学だった


多摩美術大学造形表現学部日本画分野

(2014年より学生募集停止)


に入学した私。


昼間は当時御成門にあった

講演会の講師を派遣する会社で


営業さんのサポート事務をする

アルバイトに就くことができました。


夕方仕事を終えると、

そのまま学校がある世田谷の上野毛へ。


夜間の大学なので


クラスには色んな年齢の

色んな経歴を持った

個性強めな人々が集まっていました(笑)


私が専攻したのは日本画。


日本画は

絵の具や道具ひとつとっても特殊で


まず絵を描き始める前に

やらなければならない事が

たくさんあります。


パネルに和紙を水で貼ったり


定着材になる膠(にかわ)

をお湯で戻したり


絵の具の顔料も使う前に

すり鉢ですり潰したりします。


そうやって丁寧に準備しながら

心を整え

それが作品に反映されてゆく。


日本独特の美しい文化を感じながら

学んでいきました。


平日は実技の課題に取り組み

金曜日と土曜日の日中は

学科の授業が詰め込まれています。


平日に勤めていた会社も

仕事内容、人間関係にとても恵まれて

充実した毎日を送りました。


と、


大学1年生の終わりに

私のプライベートに

とんでもなくでっかい変化が

起こります。


結婚を諦めて大学に入った私が

なんと結婚することになったのです。


旦那さんは

ある日突然、私の人生にひょっこり登場し


そのまま当たり前のように

結婚することになりました。


あんなに願っていた時は

全然そうならなかったのに


人生って不思議だなぁと思います。


私は長年お世話になりすぎた

実家から卒業しました。


父は私が結婚できた事に心底驚き、


さらに相手が真面目な社会人だった事に

心底安心したようで


「ちゃんとした人で、

 本当〜に!良かったっ!!!」


と感極まっていました。


どんな人連れてくると思ってたんだろ。

まったく失礼こいちゃう(笑)


2年生からは

旦那さんと一緒に暮らす

神奈川の相模原から

職場と学校に通うことになりました。





そして3年生

私は第一子を妊娠、出産します。


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自由で繊細
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『私の手がしてきたこと 美大受験編』 


ある日突然

高校生の頃に諦めてしまった

美大受験に挑戦しようと思い立った私。


そこから色々と調べた結果


働きながら通うことができる


当時は日本で唯一の

夜間の美術大学だった


多摩美術大学造形表現学部

(2014年より学生募集停止)


の社会人受験をすることに決めました。


社会人受験の科目は

人物画の実技と小論文。


小論文は自分で何とかするとして

問題はやはり実技です。


受験まで1年と半年。


銀座のアートスクールは

受験に対応していなかった為、


すぐに家の近くにあった美大受験用の

アトリエに移ります。


そこで

週末のみ中高生に混ざって

デッサンなど受験対策の授業を

受けることになりました。


中学生のデッサンに

ひとり混ざる謎の中年女性。


先生にしてはデッサン下手っぴだし

このおばさんは一体何者…?


生徒達からの視線を痛いほど感じますが


こちらも必死なので

そんな事は気にしちゃいられません。


最初に私の画力を見たアトリエの先生は


「う〜ん…。

 まあ、描けなくもないから

 頑張れば受かるかもね」


といった反応。


これは相当頑張らねばなりません。


幸い、実技の課題は決まっていたので

徹底的に対策をして


多摩美のオープンキャンパスでは


教授の研究室に

自分の人物画を持って乗り込み

直接アドバイスをいただいたりもしました。


さらにお金の問題もあります。


合格した場合に必要な

高額な学費も用意しなければなりません。


毎月好きなだけ買っていた

洋服や靴、バッグなどを

一切買うことを禁じて


お給料はできるだけ

貯金にまわす事にしました。



そして仕事。


夜間の大学なので

授業は平日の夕方と土曜日の日中ですが


今勤めているジュエリー会社を続けた場合


責任も仕事量も

とても両立できると思えませんでした。


きっと途中で仕事に引っ張られて

大学は中途半端になるだろうと思い

退職することを決意します。


家族のように大切にしてもらって

本当にお世話になった会社だったので


退職することを告げるのは

本当に心苦しかったのですが


大学入学前の3月に

退職させてもらう事になりました。


て、まだ合格してません。


落ちたらただの無職です。


でも、受かってもただの学生。

きっと昼間はアルバイトになるでしょう。


将来の事を心配して

歯科技工士の資格を取るほど

慎重だった私ですが


この時の私は本気で


お先は真っ暗

っていうか何も見えない。



けど、そんなの関係ねぇ!!!



とガッツに溢れていたのです。


正直、この頃の記憶ってあまり無くて

受験の時の記憶とか

もや〜っと残ってるだけです。


何をどうしてどうやったのか

すっかり忘れてしまいましたが


なんとか

社会人受験に無事合格して


多摩美術大学 造形表現学部 日本画分野に

33歳で入学することになりました。




こんな事ができたのも

両親が私を実家に
置いてくれていたからなのですが

この時

不思議と反対されませんでした。


もう呆れ果てているといった

感じでしょうか(笑)


いつも何かやらかす娘なので

あまり驚きもしなかったような。


でも、

本当は吐きそうなくらい

心配だったでしょうね…。


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自由で繊細
そして居心地のよい場所を知っている


猫と仲間たちのコスチュームジュエリー

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『私の手がしてきたこと ロンリー編』 


御徒町のジュエリーメーカーで

忙しい毎日を過ごす日々。


ですが、ある事に気が付きます。


30歳を過ぎた私。もう何年も

仕事しかしていない…。


平日はもちろん仕事だけ。


休みの日は家族で過ごすか


たまに友達と飲みに行ったり

遊んでもらったりするけれど


いつの間にか1人の行動が増えて


ひとりでショッピングして

映画観て

カウンターでラーメンを食べる…


そんな休日を何年も過ごしていたことに

気が付きます。


そしてとても増えた友人達の結婚式。


さらに、

4つ下の妹も結婚することに。


妹は結婚する事を、まず母と私に

報告しました。


父に反対されるかも、

と不安だったからだそうです。


ところが、話を聞いた姉(私)が


「ダメッ!絶対反対っ!!

 ず、ズルいよ〜っ!!!

 お〜いおいおいっ」


と突然の大号泣。


「お姉ちゃんのこと待ってたら

 私ずっと結婚できないじゃんっ!」


と大モメにモメてるところに父が帰宅し


話を聞いた父が

号泣する私の頭をポンポンして


「そりゃぁ、喜んであげなくちゃ

 いかんじゃないか…」


と、反対するどころじゃなかった。


という思い出があります(笑)


全く持って残念な姉なのですが、


残念な姉の反対意見など

採用される筈もなく

妹は幸せに結婚していきました。


そして私は

その後もずっと

結婚を考えられる人影すら見えません。


どうやら私は

結婚しない人生を歩むらしい…


遠い目でそう悟った頃


休みの日

あまりにも行くところがないので


高校時代に途中で投げ出した

デッサンをちゃんとやろうかなと


銀座にある社会人向けのアートスクールで

デッサンを習うことにしました。



高校時代、美術部の顧問に


「お前は何浪しても絶対に美大に入れない」


と宣言されて


はいそうですか、と

製作途中の100号の油絵を放置し

遊びに行ってしまった私。


あの時は挫折したことを

顧問のせいにしていたけれど


自分に自信が無かったから

顧問の言葉をコレ幸いにして

逃げたんだな…。


そんな事を思い出しながら

久しぶりの木炭を楽しむ休日。


現役の画家である先生に指導してもらって

色々な課題に取り組みます。


ここぞとばかりに色々な質問をする私。


ある時、


「いやいや〜、

 美大受験するワケじゃないんだから

 そんなにこだわらなくていいですよ」


と先生からのひと言。


その瞬間、


「いいえ…。


 私は。


 美大受験したいっ!!!」


と思い立ちます。


そういえばずっと、

いつか美大に行きたいと思っていた!


結婚もしないだろうし

一度きりの人生

いっちょ美大受験してみるか!!


突然体の中からメラメラと力が湧いてきて


次の日から美大受験に

動き出すことにしたのです。




突然、

目がピカーンとなる瞬間でした!



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自由で繊細
そして居心地のよい場所を知っている


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『私の手がしてきたこと ジュエリーメーカー編』 


御徒町のジュエリーメーカーで

働くことになった私。


ビジネスの世界から

ものづくりの現場に戻ってきました。


社員数名の小さな会社だったので

肩書きはデザイナーでしたが


仕事内容は

トイレ掃除からジュエリーの納品まで

多岐に渡ります。


社長がすご腕営業マンだったこともあり

小規模な会社ながら

主な取引先は大手のアパレル会社でした。


取引先の担当者さんから


『こんな感じのリング提案してください』


と依頼が入ると、数日以内に

何十種類もデザイン画を描いて提出します。


その中で選ばれたデザインを

取引先の指示で何度も変更します。


最初は自分で描いたデザインですが


修正されすぎて

最後には全く自分のデザインで

無くなるところがツライところです(涙)


なんとかデザイン案が通ると


今度は職人さんが作るための

展開図を描いて

サンプルを作ってもらいます。


サンプルも何度か修正してOKが出ると


後日初めて注文が入ります。


それを職人さん達に量産してもらって

検品をして、納品する。


1日中、職人さんやらメッキ工場やら

御徒町の街中をぐるぐる走り回って


会社に戻ると


たくさんのペンダントにチェーンをつけたり

ダイヤが動いてないかチェックしたり。


やっとの事で商品が整う頃には

荷物の集荷の時間がギリギリ


配送センターまで荷物をかかえて

走ることも多々ありました。


無事に納品した商品は

主に百貨店の店舗に並びます。



アクセサリー会社の時は

自分がデザインしたものを

メーカーさんに作ってもらう立場だったので


メーカーさんがどれだけ苦労して

サンプルを作り、量産をしていたか

ここでようやく知ることになります。



御徒町での仕事のことは

今までのBlogでもちょこちょこと

書いていますが


ここでの広くて深い

仕事の経験が

今の私の仕事へのスタンスを

作ってくれたなと感じています。


量産の商品と並行して

結婚指輪のセミオーダーも

担当していたので


本当に忙しかったし

重圧も凄まじかったけれど


心を込めて仕事をする事の大切さを

教えていただいた現場でした。


あとは、忙しい中で支えてくれたのは


やはりキラキラ光るもの。


キラキラのダイヤや天然石を見ていると

本当に心が癒やされて


美しい光って、

こんなにも人の心を浄化するんだなと

感じました。


Rin.ka.kaのコスチュームジュエリーが

光にこだわって作っているのは


この経験があるからです。



忙しく働く日々。

年齢も30歳半ばに
差し掛かっていました。

あれ?
最近結婚式多いな??

あることに気が付きます。

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自由で繊細
そして居心地のよい場所を知っている


猫と仲間たちのコスチュームジュエリー

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『私の手がしてきたこと サラリーマン編』 


昨日までのOnlineShop

ご利用いただいた皆さま

気にかけてくださった皆さま


今回も本当にありがとうございました。


これからの発送分も


幸せいっぱい

猫の呼吸で丁寧にお仕立ていたしますので


楽しみにお待ちいただけたら

嬉しいです♡



さてさて、

歯科と介護、職種を間違えて

面接を受けてしまった私ですが


ご配慮をいただき

無事に歯科部門に就職する事ができました。


『生活するために収入を得る』


何だかんだ、

好きなことを仕事にしてきた私にとって

初めての経験でした。


作っていただいた名刺には、

『企画営業 マーケティング』

という文字が入って


私の主な仕事は

歯科医師向けセミナーの企画と運営

でした。


歯科医院からアクセサリー会社に

転職したときも

世界が一変しましたが


この時も世界が一変しました。


男性の営業さん達に混ざって

毎朝マーケティングの勉強会、


いきなりの10日間連続出張、


営業のアポ取り、訪問、


夜のご接待。


世の中のお父さんたちは

こんな生活をしていたのか…


昭和のサラリーマンのような

生活でしたが


それはそれで新鮮で

なんだか大人になったような

変な気持ちになりました(笑)


周りもみんな良い人ばかりだし。


仕事は超ハードだけど

お給料もそれなりだし。


あまり先のことは考えず

淡々と仕事をこなす日々でした。


そんな時、

思いがけないお声が掛かります。


ジュエリー学校時代の友人から

親御さんが経営している


ジュエリーメーカーに

デザイナーとして来て欲しい


とのお話でした。


不完全燃焼で

アクセサリー業界を去ったものの

キャリアも中途半端で


もうそちらの業界には戻れないだろうなと

思っていたので、願ってもない話。


とてもとても有り難く

お引き受けする事にしました。





新しい勤務先は

ジュエリータウンと言われる御徒町。


ここでジュエリーデザイナーとしての

一歩を踏み出します。



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自由で繊細
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猫と仲間たちのコスチュームジュエリー

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『私の手がしてきたこと 迷走編』 


今日は人生でズッコケた話をします。


その前に告知させてください!


Rin.ka.ka⁡ costume jewelry

いよいよ本日6月9日㈰23時まで⁡ ⁡!

期間限定の
オンラインショップで販売中です。



ありがとうございました。
本題に戻ります。

アクセサリー会社から
憧れのお店の販売員に採用された私。

初めてのたくさんの同期と一緒に
学生のように研修を受けて
ファッション全般のことや接客など
色々な事を学びました。

同期で採用された他の人達は
超ハイブランドから転職してきた人や

大手化粧品メーカーで
美容部員に研修を行う立場だった人も
いました。

お店も商品も働いてる人もお客様も
とても洗練された雰囲気で

研修を終えた私は
お店のバッヂを胸につけて

精いっぱい背伸びして
最高にそのお店らしい洋服を揃えて

そのキラキラな売り場に立ちました。


そこから1ヶ月ちょっとで退社します。


( ;∀;)


これについては多くは語りません。
いや、語る資格がないというか。

ただただ私の不徳のいたすところ。
未熟でしたとしか言いようがありません。

とにかくものすごいご迷惑を
かけて退社してしまいました。

やはり、覚悟が足らなかったんだと
今は思います。

アクセサリーの会社から有頂天で

物事の本質を見失って
表面だけを整えるような
仕事をしていたのだと

あれから20年経った今
ようやくぼんやり分かってきた次第です。

さて、
大騒ぎの上に無職になったワタシ。

実家暮らしだったので
野垂れ死ぬことは無かったのですが、

売り場に立つために大量の洋服を購入した
カードの支払いもあるし

とにかく貯金を切り崩して生活するのは
絶対にイヤ!
来月からすぐに収入を得なければ!

と、次の日から就職活動を始めます。

すぐに思いついたのが

アクセサリーの会社を辞める時に
お付き合いのあったメーカーさんの
営業部長さんに言われたひとこと。

「えーっ!辞めるなら
 言ってほしかったです!
 絶対にウチに来て欲しかった〜!!」

そうだ!
来てほしいって言われたし、
ちょうど求人も出てる。

早速面接を受けに行きました。


落ちました ( ;∀;)


甘い、あまいぞワタシ。

世の中には
『リップサービス』というものがある
という事を知りました。

その後も数社落ちて
焦りが増す日々。

歯科技工士に戻るか…
と、そちら方面の求人も探し出します。

すると、技工士時代に取り引きがあった

歯ブラシや歯科材料を扱うメーカーさんが
企画営業の求人を出しているのを
見つけました。

よしっ受けてみよう!
と、すぐに面接を受けに行きました。


通された事務所で面接が始まると

何だか、

話が噛み合わないのです。

「介護についてどう思われますか?」

「介護の…」

全部のキーワードが『介護』なのです。

私の挙動不審にお相手も何かを感じて

ついに

「あの…今回の募集は
 弊社の介護事業部の求人なのですが
 もしかして、
 歯科部門だと思ってらっしゃいます?」

と私の勘違いが発覚します。

ガーン ( ;∀;)

「すみません、間違えました…」

面接は途中で終了。
深々と頭を下げて帰ってきました。


「間違えて介護の会社受けちゃったよ…」


としょんぼり家族に報告していると

先程の会社から連絡が。


「歯科部門の面接受けてみます?」


数日後、
この会社に入社することになるのですが

上司によると

介護事業部から内線が入って

「さっきさぁ、間違って技工士が
 面接受けにきちゃったんだけど
 そっち人欲しい?」

というやりとりがあったんだとか(笑)




どんどん物づくりから
離れていってます〜💦

皆さんにも迷走期はありましたか?


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『私の手がしてきたこと アクセサリー会社編』 


お世話になった歯科医院を退職して


当時日本橋にあった

アクセサリーの百貨店卸メーカーに

入社した私。


その会社は

百貨店で展開されている

自社ブランドをたくさん持っていて


私の仕事は、その中にある

売り上げが小さなブランドを

ひとつを任されて


商品展開からデザイン、

売り場の構成などを組み立てる事でした。


そこからは


地下室で黙々と作業していた日々が

一変します。


市場調査や色んな展示会に出たり


私がデザインしたアクセサリーを

サンプルにして量産してくれる

メーカーさんと

打ち合わせをしたり


歯科技工士だった私は

売り場の事も何もかも

知らなかったので


週の半分は

百貨店の売り場に立って

売れ筋の商品のことや

接客、ディスプレイを学びました。


今までとは別世界に楽しい毎日で

私は完全に有頂天になっていました。



その会社はアクセサリー業界では老舗で

販売スタイルも昔ながらのものでした。


各百貨店には

『伝説の販売員』さんが居て


その方々がものすごい売り上げを

作ってくれて

会社を支えていました。


クリエイター達も

ベテラン販売員さん達には

頭が上がらなくて


新作の発表前に開催される


『販売員説明会』


全国のスゴ腕販売員さん達から

デザインについて

バンバン突っ込みが入るので


営業への説明会議よりも緊張する

恐ろしい儀式でした(笑)


でも、

大きな売り上げを作る

プロの販売員さんは

本当に素晴らしい方ばかりで


ある方は

「お店は私にとって

 アクセサリーを素敵に魅せる舞台

 だと思ってる」


「私はお客様の事をたくさん知りたいし、

 私の事も知ってほしい。

 たくさんコミュニケーションとって

 その方に本当に似合うものをに

 提案してあげたい」


とお話してくれました。


そんな素晴らしい販売員さんたちに

支えてられていた会社でしたが



たぶん、その頃は(今から20年前くらい)

販売力に加えて

ブランディングや広告宣伝も

大切になってきていた時代。


そこら辺が弱かったのか

会社の業績は悪化していきます。



主要百貨店の売り場が縮小されたり

撤退が相次ぎました。


私も撤収作業を経験しましたが


次の日からその場所に入る

ブランドさんを待たせての

撤収作業はなかなか辛かったです。


そのうち

企画室の先輩たちも

再就職先を探し始めて


クリエイターとして

1年半くらいの経験しかない私は

どうしようかと焦りました。


そんな時新聞に


私がずっと大好きで

長年通っていた

洋服やジュエリーなど

ファッション全体のものを扱う

あるお店が


新店舗のオープニングスタッフとして

販売員を大量募集するとの

記事を出していました。


素晴らしい販売員さんとの出会いで

販売のお仕事も素敵だなと

思っていた矢先の事


あのお店に立ってみたい!

とエントリーしてみる事にしました。


初めての王道っぽい就職活動。


書類審査を通過して

何回かの面接を経て


なんと、憧れのお店から

採用通知をいただくことが

できました。


その頃には

企画室の先輩方の再就職先も

ほぼ決まり


ほどなく企画室は解散

会社は営業譲渡されました。


現在もその会社は経営母体を変えて

百貨店にお店を出されています。


近くを通ると


懐かしいなぁ、

頑張ってくださいと

心の中でつぶやきながら


売り場を覗かせていただいています。


たくさんの楽しい思い出をもらった

アクセサリー会社と

さよならして


次は憧れの売り場に立ちます!




が、人生そんな上手くいかないのです(涙)



Rin.ka.ka⁡ costume jewelry

いよいよ明日6月9日㈰23時まで⁡ ⁡!

期間限定の
オンラインショップをOPENしております。
ぜひ遊びに来てくださいね♡

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『私の手がしてきたこと ジュエリー学校編』 


Rin.ka.kaのコスチュームジュエリーを

作っている私の手。


この手がしてきたことを

お話したいと思います。


歯科医院で働きながら

原宿にあるジュエリーの専門学校に

通う事になった私。


自分のワガママを通した以上

仕事も勉強も頑張るぞと

大忙しの日々が始まりました。


歯科医院は時短勤務に

してもらいましたが


仕事量はなるべく

減らしたく無かったので


徹底して作業の効率化をはかり

作る数はほぼキープしました。


学校では

1年間で集中的に

彫金とジュエリーデザインを学ぶ

クラスに入りました。


『金歯とジュエリーは作り方が同じ』


と聞いて

彫金技術を習得するのは

さほど難しくないだろうと

思っていましたが


その考えは完全に甘くて

実際は全く違いました。


まず、使う金属の種類が違うので

硬さや粘りなどが全然違います。


そして

彫金は金属を糸ノコで切ったり

曲げたり、叩いたりして

形を作りますが


私が知る限り

歯科技工でそれはしません。


なので、

技術的に初心者とほぼ同等で

課題をこなすのに

だいぶ苦戦してしまいました。


そして


彫金技術と並行して学んだ

ジュエリーデザイン。


元々絵を描くことが好きで

短大も大雑把に言うと

デザイン系の学科だった事もあり


こちらは

比較的スムーズに学習を

進めることができました。


とても充実した日々は

あっという間に過ぎて


さて、そろそろ今後どうするか

決めなくてはなりません。



正直、

1年間でジュエリーの職人として

精進していく覚悟はできませんでした。


かと言って、

このまま技工士に戻っていいのかな?


悩んでいる時に


学校の掲示板に貼られていた

アクセサリー会社の

デザイナー募集の求人が目にとまります。


何事も経験だし

デザインのポートフォリオも作ったし

一回受けてみるか、


と書類を送ってみると

トントン拍子に話が進んで


卒業後の4月から

アクセサリーの

クリエイターとして

採用されることが決まったのです。




いよいよアクセサリーの世界に
飛び込みます!



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6月9日㈰23時まで⁡ ⁡
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『私の手がしてきたこと 歯科技工士編③』 


Rin.ka.kaのコスチュームジュエリーを

作っている私の手。


この手がしてきたことを

お話したいと思います。


めでたくハンドパワーが出るようになり

少しずつ

まともな仕事ができるようになった私。


良く考えもせず

『クリニックの雰囲気が素敵だったから』

と、就職したのですが


そこは

院長先生がその分野の世界トップを

走っておられる有名な歯科医院でした。


クリニックが素敵だったのは

高品質な治療とサービスを提供する事が

コンセプトだったからで


患者さんに接するスタッフへの

教育も徹底していて

非常に厳しい現場でした。


患者さんもそのような

治療を求める方が多く


お名前は出せませんが

名前を聞いたらビックリするような

有名人も通う歯科医院でした。


仕事は厳しい反面

スタッフへの待遇は厚く


定期的にパーティーが開かれたり


スタッフも常に品質の良いものを

身につけて欲しいと


誕生日にはひとりひとりに

ハイブランド品がプレゼントされ


スタッフの白衣も

デザイナーさんが直接採寸に来て

作ってくださるほどの

徹底ぶりでした。


そんな桁違いにゴージャスで

キラッキラな歯科医院でしたが


私の仕事は

地下室で地味な作業のくり返し。


職人として

一定のクオリティのものを

いかに早く作れるか


ここを考えて実行する日々でした。


元々地味な作業は大好きなので

それ自体は幸せだったのですが


患者さんと接する機会もあまりなく


私が作ったものは

はたして

患者さんの喜びになってるんだろうか?


と考えるようになりました。


ある時、


『金歯とジュエリーは作り方が同じだよ』


という話を聞いて


もっとキレイなものを作ってみたい!


と思い立ちます。


今でも

あの厳しい職場で


よくもあんなワガママが言えたなと

自分ごとながら感心するのですが


私は

上司や院長先生にお願いをして

働きながらジュエリーの学校に通うことを

許してもらいました。






やっと歯科技工士が終わります。


まだまだあります…


つづく。


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