純粋さ 6. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.















30年近く前
元夫と結婚するとき











わたしは
彼と真剣に付き合っていたが
この人とは結婚しない
と思っていた











でもある日突然
わたしは
と元夫に言っていて




   






それは
誰よりも
自分が一番
びっくりしたのだが












ずっと
結婚したかったらしい
元夫は
「うん」と言った










でもわたしは
結婚式の2週間前に
激痩せするほど
「結婚をやめる」
と言った









そして元夫は
もちろん嫌がったが
わたしの思いがいつも強かったので
わたしの両親に
破談の挨拶に来た









でも
1時間経っても
2時間経っても
自分の思いとは違う
「結婚をやめます」
という言葉は彼から出てこず











父は
「もう、(結婚したら)いいやないか…」
母は
「愛子は、彼と結婚しないと後悔するよ…」
と言い 










わたしは
その言葉にハッとしたのもあり
結婚したのだが










それは
わたしの思いより
元夫の純粋さが
強かったからだと思う









そして
結婚し
その一年後、その二年後に
二人の娘が生まれ
その二年後に








わたしが
と言ったとき










元夫は
「次も女の子かもしれないから
二人でいい」
と言った











でもわたしは
最初から三人欲しかったし
女の子三人も可愛いな…
と思っていて









でも、なぜか
「わたし、男の子を産むから」
と言い 
また、自分でもびっくりし










そして
三人目をすぐ授かった









そして
妊娠中
7回も8回も
男の子の夢を見たので
男の子かもしれないな…
と思っていたら
息子が誕生し










それも
わたしや息子の純粋さが
強かったのだと
思った










そして
その息子が
2歳のとき
病気で脳障害を負った










そして
息子はそれまで
生後2ヶ月でも
コントロール能力が凄く
一を聞けば十を知るような

驚くほど賢い子だったが









いつも
緊張しているような子で










そして
わたしは彼に 
一度も怒ったり
腹が立ったりしたことは
なかったが









今思うと
わたしやこの世の
善悪や優劣などに
埋もれまいと必死で









意識的か無意識かは
わからないが
息子が脳障害を選んだのではないか
と思ったこともあり









それは息子が
それほどまでに
純粋さを守ることに
純粋だったのだと思った














そして
その直後に
導かれるように











世界一ハードだと言われる
アメリカに研究所の本部がある
脳障害児のリハビリに出会い
わたしはその出会いや世界に
雷に打たれたような衝撃を受けた










でもそのリハビリは
家族の、知力、協力、体力、財力、愛という
とてつもないパワーが必要で










元夫は
「それに使うお金があるなら
息子に全て残してあげたい」
と言い
その気持ちもわかったが










わたしは
そのリハビリとの出会い方が
尋常では無かったし
先のことより
〝今〟が大事だと思い









その後元夫は
酷い鬱、アル中、自殺未遂
モラハラ、DV、包丁を持ち出し暴れるなど
様々なことで抵抗したが
わたしは










例え、離婚をしても
将来家が建てられなくなっても
これをやると決めて
やり始め、やり続け、やり遂げ











それは
わたしの思いが
純粋だったからだと思う












そして
息子が小学校の2年生になり
息子も特別支援学級に通いながら
社会生活を送り









娘たちも
小学校の6年生と
4年生となり









元夫とも色々あったが
また協力しあい
家も建ててしばらくして
わたしはなんとなく
四人目が欲しくなった











だからと言って
積極的にそれを願ったわけでも
口に出したわけでもないが











わたしはあるとき
四人目を妊娠











それは一人で
泣き崩れるほどの
喜びだった


  







でも
高齢出産の年齢になり
つわりも酷く
切迫早産の体質もあり
障害児を抱えるわたしを
心配症の母が
反対するのはわかっていたし










年頃の長女が反対するのも
わかっていたので
つわりが治るまでは
誰にも言わずに頑張ろう
と決めた










でもこの時初めて
切迫流産になり出血し
言わずにはおられなくなり
わたしは家族皆に伝えた










そして
家族の反応は皆
想像した通りで









元夫は 
「3人も4人も一緒や!」と喜び

父は驚きながらも
「皆で頑張ろう」と言ってくれ

次女は
「やった!!!!」と喜び

息子は
わたしより先に
妊娠に気づいていた













そして
母は案の定心配しかなく









そして
長女は
「わたしは、いつになったら甘えられるのよ!!」
と言った




























そして
一瞬で
わたしの中から
言葉が、喜びが、消えた










そのくらい
普段はあまり
わがままも言わない長女の
その言葉は
わたしの胸に深く突き刺さった











だからわたしは
泣き崩れるくらいの
その妊娠を










その後
何日も
のたうち回りながら
狂いながら
一人で諦めることを決め










それは
長女の純粋さが
強かったからだと思う

























そして
結婚して23年目に
わたしは突然
離婚する」と言った










それは
離婚は
何十回何百回と頭をよぎるような
壮絶なわたしたちの
結婚生活だったが












わたしは
一度も本気で
思ったことはなかったし
一度も口にしたことはなかった











でもある日
「わたしはもっと
幸せにならなければいけない…」
と思ったとき











ふと
〝離婚〟という言葉が浮かび
喜びで泣き崩れたとき















わたしは
〝ああ、もう、それを選んでもいいんだ…〟
と思った














でも元夫は
付き合っていたときから
と言うような人だったので










それは
「彼がその選択で死を選んでも
わたしは、自分の純粋な思いを選ぶか…
という覚悟でもあり









わたしは
「それでも、離婚をする」
と心から
でも震えながら思った











だから
それらを彼にも伝え
家族にも伝え










それも全て皆
想像通りの反応
いや、息子だけは










元夫も案の定
キレて暴れて脅して
凄まじかった
わたしたちは離婚し










それは
わたしの思いが
純粋だったからだった


























だから今
これらを思い出し











こうしてわたしたちは
いつだって
法に逆らったことでも

純粋な思いのが強いのだと
ハッとし










今、
狂ったような
生き始めた
と感じているわたしは











ああ、もう

と思った