今朝は
早くに
来た
そうしたら
うちの前のこの
白い建物の前が
この辺りのゴミ集積場なので
二人にご飯を
あげているときに
近所の人が
ゴミを捨てに来て
わたしは
普段は
コンタクトも眼鏡もしないので
どなたかは分からないのだが
目が合った気がしたので
「おはようございます」
と頭を下げたら
「おはようございます」
と言ってくれて
挨拶をした
そして
わたしは
別次元を生きているからかほとんど
近所の人と今
顔を合わせることは
無いので
好きに自由に
野良猫たちに
ご飯をあげているが
野良猫たちにご飯をあげることを
良しと思わない人がいるのは
わかっていて
それは
糞の問題や
猫が好きでない人が
いるからだと思うが
わたしの母のように
〝他人の目〟を気にしているから
という人がいるのも
わかっていた
そして
〝他人の目を気にする〟
というのはわたしもあり
他人の目を
一切無視して生きる
生き方もあり
わたしもそれをしたことがあるが
でもわたしは
だんだんそれは
他人の問題、他人の目でもあるが
自分の問題、自分の目でもあり
他人の問題、目は
本人がその気になるなどしない限り
どうにもできないが
自分の問題、目はできるので
その
「猫たちが好きでたまらない…」
「猫たちにご飯をあげたい…」
という
〝泣くほど純粋な思い〟が
太陽なら
他人の目を気にしたり
さまざまな不安や思考という
太陽を覆う雲を
わたしは
時間をかけてずっと
愛したり許したり手放したりしながら
雲の上で生きる努力をしてきた
そして
今朝
近所の人と
挨拶をしながら
「ああ、他人の目を気にする自分が
いなくなったな…」
と思い、泣いた
それは
エゴの死で解放で
それが
まさに
息子の絵で
ああ、
クロちゃんやタヌちゃんを
クロちゃんやタヌちゃんに
思いっきり
ご飯をあげていいんだ…
と顔が歪むほど
泣いた
それは
ということで
それは
純粋すぎる
ありのままの自分で思いっきり生きてもいい
ということで
それは
ありのままの自分を阻む
無くなってきた
ということで
ああ、
純粋そのもので
生き始めたな…
と
安心して
思いっきり
と泣いた