そして
わたしたちは
週に二回
通い始めた
そして
息子は発作などで
呼吸が難しかったり
それにより
睡眠障害があったり
たまに
食事のコントロールが
難しいときもあったが
絵を描くことは
呼吸をするより
睡眠をとるより
食事をするより
とても自然に思え
息子にとって
絵を描くことは
表現することは
それらより
彼の近くに
あるのかもしれない
とハッとした
そして
息子は
洋服をたまに
裏表や前後ろ反対に着たり
暑くても寒くても
それをどうにかせず
その服のままで
居続けるなど
それは一般的には
空間認識の問題や
感覚や知覚の問題だとされ
それはともすれば
命に関わるような
問題となりかねないが
それを話すと
絵の世界では
それがいいんです
と先生は言った
それが
絵の世界では
すべての道具を受け入れ
どんな物でも馴染む
能力となり
素晴らしいことなんです
と
また
息子は
という概念が少なく
他人の目を気にしない
ところがある
と話すと
絵の世界では
他人の目を気にし
上手く描こうとすることが
邪魔で
皆その感覚を
排除するために
必死になり
その考えに
辿り着かないまま
命を終えるひとも
多いが
りんくんは
最初から
それが無いから
素晴らしい
と先生は言った
そして
ほぼ
数字と平仮名の名前しか
書けない
息子のサインを
見ると
先生は
わたしたちが
こんな風に書くと
わざとらしくなるが
りんくんは
自然で
そこに作為が無く
本当に美しい
と言い
それらは全て
常識や
学校生活の中で
生きてきた
わたしの中では
良くないこととされ
そんな息子を変えることに
わたしも世の中も
躍起になってきたが
この世界では
それらが
すべて宝物となる
ことが分かり
そして
わたしは
息子が絵を描く横で
ずっと
松山先生と話をした
そして
先生は
息子の絵を見ながら
りんくんは
僕ならその色は使わない
僕ならそう表現しない
というようなことを
と言った
そして
その躊躇は
本当はいらなくて
それは壁で
皆アーティストは
りんくんのようになりたくて
もがいている
と
そして
先生は
一瞬であればあるほど絵は美しく
だから
りんくんの絵は
美しく
りんくんが出す
ゴミまで美しい
と言い
そして
りんくんの絵は
ハプニングでそれは
絵を描く
という行為でありながら
起こっていることだ
と言った
そして
世の中は
意味があることに
価値を開いているが
本当は
意味の無いことこそ
価値があり
意味が
無ければ無いほど
それは純粋で
だから
りんくんの絵は
純粋で無意味でそして
りんくんには
絵を評価されたい
売りたい
上手に描きたい
という概念が無く
りんくんの絵は
直接的で
そして
絵を描くひとの多くは
始めに
プランやイメージを持ち
それを忠実に
再現することに
重きを置き
それから
はみ出ることを
失敗だと思い
それが大きな間違い
だと言う
でも
りんくんは
最初から
イメージを持たず
上手く描こうともせず
ただ無限や絵と
同化し
今この瞬間だけを
生き
だから
失敗も成功もなく
全てが体験で学びで
喜びでしかない
と言い