わたしたちは
特に結婚に
反対されたわけでは
なかったし
本当に
皆が楽しんでいたし
生まれたときも
それはそれは
皆が喜んでくれ
わたしたちも喜び
皆が幸せで
それは
奇跡だったなと
思う
だから
20年前息子が
2歳で
障害を負い皆が悲しみ
それらの全てが
と感じたとき
わたしは
脳障害のリハビリをする流れがそれと同時に
起こっていたのもあるが
息子を健常に戻し
皆が幸せな世界に
還らなければいけない
と思った
だから
死に物狂いで
必死に生きたが
思ったような
奇跡は
起こらなかった
でも
ふとそれは
わたしたちには
もっと素晴らしいことが
起こるのかもしれない
とハッとし
その後
息子には
世界に通用する
あるのではないか
と思うようになっていった
わたしは
息子が
15歳のとき
彼の
爆発するような
絵の才能に出会った
知性や智慧の溢れる
そして
それは
家族は
もちろん
当時リハビリで
お世話になった
ボランティアさんや
学校の先生や
身内や
友だちや
SNSで出会った
国内外の友だちなど
想像以上に
皆さんが
喜んでくれ
だから
そこに
家族という
枠を取っ払った
たくさんの方との
息子が
障害を負う前の
有限の幸せとは
違う
全く別次元の
無限の
嗚咽するほど
皆が幸せな世界を見たとき
ああ
わたしたちが
還る世界は
これだ
と思った
だから
わたしは
その世界を
どんどん突き進んだ
そして
元夫ももちろん
喜んでくれる
と思ったが
突き進めば
突き進むほど
元夫とは
どんどん
そして
絵の才能だけでなく
息子の
言葉の端々に