うちから
歩いて10分ほどにある
ゲストハウス鈴鹿はんなりのオーナーのゆかりちゃんの
おじいちゃんは
今百歳で
香川在住で
少し離れた所に住む
娘さんたちや(ゆかりちゃん母など)
ヘルパーさんらに
サポートされながら
デイサービスに
週に数日行きながら
一人暮らしをしていた
それが今夏
入院したことにより
入院する前と後では
全く別人だと
娘さんが言うくらい
歩行が困難になったり
昼夜の区別がつかなくなったり
物忘れがひどくなり
元のような
一人暮らしが
難しくなったという
でも
娘さんらが
一緒に暮らしたり
付きっきりで
サポートをするのが
難しかったため
施設に入ることも
検討しながら
そこが決まるまでの
短期間のサポート
ということで
ゆかりちゃんが
香川に行くことになった
と聞いた
そしてその後
おじいちゃんが
施設に入ることは
見送られ
長期的に
ゆかりちゃんが
メインで
一緒に暮らしながら
鈴鹿と香川を
行ったり来たりしながら
サポートをすることになった
と聞き
こんな素晴らしい事があるのか
こんな完璧なパズルがあるのか
と唸った
そして
はんなりの隣りにある
本宅には
ゆかりちゃんの
旦那さんがいて
彼女たちは
それぞれが
好きに生きることを
尊重し合っていることや
結婚により
女性が
精神、肉体、経済的に
自立し
夫婦が
別次元を
生きていることも
わたしたち夫婦と
凄く似ていた
だから
福地家の
子どもたちは
本宅とはんなり
お父さんとお母さん
この次元とこの次元
を行ったり来たりしながら
一つ一つの選択を
人生を
自分で常に決めていた
そして
子どもたちはただ
両親のサポートを
受けたり
両親の世界を
感じながら
生きるだけでなく
自分たちで
ご飯を作ったり
両親がいなくても
生きていけるなど
自立しながら
自分らしく在る
自分の世界を
確立していた
それは
わが家の子どもも
同じで
人間は常に
人と繋がりながらも
『個、独り』
であることや
より良く
生きることは常に
〝意識的な〟『選択』の
連続であることから
それは
一般的には
あまりない
夫婦関係かもしれないが
子育てという枠を超えた
目覚めた人間を
生み出す環境としては
素晴らしく
それは
同じ育児サークルで
出会った
同じ夫婦関係
同じ生き方
同じ子育てだった
そして
わたしたちが
自立すればするほど
男性性と女性性が
統合すればするほど
こういう
同じ生き方の人と
まるで
大きな一つの
家族のように
繋がっていった
それは
川幅が
広かったり
狭くなったり
決壊しそうな
水量になったり
干からびそうに
なりながらも
流れることを
決して辞めなかった
川が
やっと
大海に
着いたようだった
だから
今年の
ゆかりちゃんの
次男くんの誕生日は旦那さんは不在で
わたしが
誕生日の写真を撮ったり
動画を撮ったりしながら
家族のように祝い
それは
このときも
このときも
そうで
わたしたちは
自分が
統合すればするほど
覚醒すればするほど
家族
血の繋がり
という境界線を
超えて
大海で繋がり
共に生き始めた
だから
これから
ゆかりちゃんが
香川と鈴鹿を
行ったり来たりする
と言ったとき
わたしは
じゃあ
子どもたちのことや
鈴鹿はんなりのことで
わたしが出来ることはするからね
と言った
それは
わたしの内から湧いた
自然な言葉だったし
今までの流れからも
物凄く自然だった
そして
ゆかりちゃんとおじいちゃんの関係や
今の状況が
息子のりんが
20年前
インフルエンザ脳症で入院し
別人のようになって
退院をしたけど
それが
物凄く良かったように
わたしと息子との関係
その時の状況と
似ていて
わたしは
時には
声を出して
泣いていて
だから
他人事ではなかったし
わたしたちのより幸せな
パラレルワールドを
見ているようだ
と思った
だから
ゆかりちゃんも
わたしの言葉に
本当に喜び
でも二人で
そりゃそうなるよね
と納得し
だから
本当に嬉しく
ああ
始まったなと
思い
ゆかりちゃんと
おじいちゃん
というパズルも
祖父と孫という関係もあるが
そんな次元ではない
有り得ないくらいの
奇跡中の奇跡で
わたしと
はんなりの子どもたち
との関係も
有り得ない奇跡で
パズルで
今
こんな運命を
知っていたかのような
完璧で
美しすぎるパズルが
完成していくのを
感じている