2016年11月
わたしはふと
わたしはもっと
幸せにならなければいけない
と強く思った
そうしたら
〝離婚〟
という言葉が
浮かび
それは
全く想像していなかった
言葉だったが
わたしは
嬉しくて
一瞬で
泣き崩れた
そして
そんな自分に
自分が一番
びっくりし
ああ
離婚していいんだ
この関係を終わらせていいんだ
とホッとし
2016年大晦日
元夫に
『離婚する』
とだけ
告げた
だから
2017年のお正月は
修羅場から始まり
長女と次女は
悲しむと
思っていたら
その通り悲しみ
元夫は
キレると思ったら
その通りキレ
息子にだけは
その少し前に
話したら
と予想外の
嬉しい言葉が
返ってきて
二世帯で暮らしている
わたしの両親に
その2、3ヶ月後に
話したら
母は泣き
取り乱し
離婚を引き止め
父は
愛子もよう頑張ったんやから
ええやないか
と言い
それも
想像通りだった
でも
25年近い
結婚生活だったので
〝離婚〟という
直感に
導かれながらも
それ以外の
可能性にも
心を開き
自分や相手の
欲求や流れを
一つ一つ
大切にしながら
わたしは
この
修羅場を
家族で
幾つも幾つも
潜っていき
そして
2018年12月に
元夫は
離婚届けを出した
そして
それから
二年半経った今
このように
元夫は
息子の全てを管理し
わたしたちは
全くの別次元を
生きながら
まだ
同居はしていて
(でもわたしが動き出したからか、この日から、元夫は息子と居なくなり、1ヶ月近く帰ってきていない)
そして
過去を
振り返ったとき
わたしたちは
色々あったけど
根底には
お互いを
大切に思う気持ち
というのは
確かにあった
と思った
ただ
思いや
エゴが強すぎたり
相手に求めすぎたり
相手が求めるものを
与えられなかったりなど
行き違いがあっただけで
そこに常に
愛はあった
と思った
でも
離婚というのは
紛れもない
運命で
だから
その周りにある
悲しみや殺意や
感謝も全て
味わい尽くした
今
息子の
脳障害のリハビリに
一生懸命になったり
夢中になったり
息子の
絵の才能を開花させることに
夢中になったり
子どもたちの
覚醒や子どもたちの
将来の
パートナーシップや結婚や
出産や子育てについて
一生懸命考えているのも
理由は色々あるが
皆で幸せになりたい
元夫を喜ばせたい
という
純粋な思いが
根底には
ずっとあったことを
思いだした
そして
離婚問題で
その愛を
引っ込めていたが
今日ふと
ああ
あのままで良かったんだ
と思った
それは
周りから見たら
馬鹿みたいなこと
だと思う
それは
元夫は今
わたしと息子を
引き離すことに
躍起になっているし
彼が
息子のことを
わたしのように
純粋に考えているとも
思えず
娘たちのことも
わたしのように
純粋に
大切にしているように
思えず
わたしの幸せを
純粋に
考えているようにも
思えず
周りには
わたしの
良くないことを
言っているかも
しれないからで
でも
わたしは
それでもいい
馬鹿でいい
彼がわたしの思いを
受け取ろうが
受け取るまいが
関係なく
このまま
馬鹿に
純粋に
突き抜けよう
と思い
それが
嬉しくて
声を出して
おんおん
泣いた
そして
この
一方通行の愛
悪循環は
祖母や母から
受け継いできた
カルマでもあり
女性や女性性が
蔑まれてきた
この時代のもの
でもあり
これは
わたしの結婚や
このパートナーシップの
ゴールだとわかった
そして
この愛は
元夫への愛でもあるが
この結婚を
喜びで
終わらせたいという
自分への愛と
三人の子どもたちに
両思いと大循環しかない
パートナーシップの
バトンを渡したい
という
母として
人間としての
三人の子どもたちへの
愛と
先祖から
脈々と
受け継がれてきた
大切な命を
命を懸けて
次に
繋がなければいけない
という
先祖への
畏敬の念と使命と
愛と
人類や世界や
森羅万象や宇宙や
神への愛で
それら全てが
果たせたことに
心から
心から
ホッとした