息子が
17年前の
2才0ヶ月で
診断される前は
ママ、とって
などの二語文が
出始めたところで
1才半で
ほぼオムツも取れ
食事後は
食べたお皿を
自ら片付け
コントロール能力が高い
子どもだったが
診断後は
わたしは
当時
全盲だったことより
何よりも
知的に障害が残る
理解力が無い
と言われることを
何より怖れていたので
ああ
でも
その後
出会った
リハビリで
世界一
脳障害児の情報を持つ
と言われている
その研究所が
天才ではない子どもには
一人も会ったことがない
と言ったとき
それが嬉しくてたまらず
わたしも
その後
理解力のある
賢い息子に
出会うようになり
子どもを
どんな視点で見るか
というのが
大切なのではないか
と思うようになった
そして
周りには
理解されなかったが
息子には何か
と思い続けていた
わたしが
息子の
芸術の才能が
発揮されたとき
常識や
診断や
不安より
より強くなった
そして
わたしが長年
絵を描く息子の
理解力や賢さは
想像以上で
それは
覚者と同じ
智慧ではないか
と感じたとき
息子は
脳障害により
知能が
低下したのではなく
逆に
誰ものなかに
眠っている
悟りが
花開いたのではないか
と思うようになり
人生というのは
宝物になることが
わかった
だから
今
日常では
わたしは
普通に
言葉も選ばず
息子と会話をするが
他のひとが
理解できないことも
息子は瞬時に
理解し
一切の問題はない
どころか
息子には
並外れた理解力と
賢さが在るのを
実感し
ずっとあの
賢かった息子に
会いたくて
のたうち回りながら
生きてきたので
と泣いた
あの時
どころではない
息子に
時空を越えた
今ここで
出会え
気が狂うくらい
泣いた
(例えば、息子はずっと発作があり、それはコントロールが難しいもので、わたしもいつも瞑想をし浄化をしているが、たまにコントロールできずキレることがあり、それを息子に、『りんの発作とお母さんの怒りはイコールで、りんが発作がコントロールできなかったように、お母さんも怒りをコントロールできない時があり、でもりんの発作がなくなったように、お母さんの怒りもなくなるから、お母さんがりんの発作がなくなることに協力をしたように、お母さんも自分で怒りがなくなる努力もするから、りんも協力してほしい(具体的には、テレビもゲームも消して喋らず静かにしてほしいと頼んだ)』と言うと、全てを瞬時に理解した息子は『うん』と言い協力してくれ、これと同じことを夫に話しても、まず理解されず、だから協力もしてくれず、ある意味それが一般の人で、だから息子の理解力と協力は凄いと思う。それは息子はずっとわたしの努力を知り、感謝をしているからで、夫はわたしの努力を全て話しても理解してくれず、感謝もなく、逆に罵られ、それが有限と無限の違いだと思う。(もちろんここまでくるのに17年かかっているが、最重度の理解不可能の自閉傾向のある知的障害者と診断された17年前を思うと奇跡だと思う。))