①12月に観た映画「いろとりどりの親子」
ご無沙汰しております!気まぐれブログの久々更新です!12/4から2週間ばかり東京に行っておりました。myビジネスとしての仕入れおよび歯医者さんやら整形外科などのさほど楽しくない義務的用事とババ馬鹿訪問や友人との会見など心躍る用事の合間に 抜け目なく4本の映画を劇場で鑑賞してまいりました!数回に分けてUPします一本目の作品はこちら!地味系社会派の映画は いつ終わるかわからないし、どこでも観られるわけではないので最優先で!ネットより解説を拝借↓親や周りとは「違う」性質を持った子どもを持つ300以上の親子たちのインタビューをまとめ、ニューヨークタイムズ紙ベストブックなど、アメリカ国内外で50以上の賞を受賞し、世界24カ国で翻訳されたベストセラーノンフィクションを原作にしたドキュメンタリー。作家アンドリュー・ソロモンが10年の歳月をかけてまとめあげた原作「Far From The Tree: Parents, Children and the Search for Identity」に基づき、自閉症、ダウン症、低身長症、LGBTといった「違い」を抱えた子どもを持つ6組の親子が直面する困難、戸惑い、その経験から得られる喜び、そして親から子への愛情が描かれる。監督はエミー賞を受賞したレイチェル・ドレッツィン。↑この映画の原作となったノンフィクション作品の作者自身、ゲイであることで両親と葛藤し苦しんだ体験が作品中に織り交ぜられています。最後の方で「親から理解してもらえなかったからといって 愛されなかったわけじゃない」というような言葉が出てきますが、これは親子の本質を突いていると感じました。親子とはいえ別人格です。それでも他人ではない特別な感情(時になかなか厄介な)すなわち愛情が根底にあるのだと思うのです。 ゲイの息子の同性同士の結婚式に出席する父親は 愛に溢れていると思いました。しかし息子たちが結婚式の演出?でピンクの戦車に乗って・・・・というのは違和感を覚えました。「戦車」のイメージが良くないです。若い普通のカップルなら大した深い考えも無しにそういうことをしてしまうかもしれないけれど世の中から差別や偏見を無くし、互いに認め合おうというテーマで作品を世に送り出そうとしている原作者にしては浅はかな行動です。戦車=戦争、戦争はまさに異分子を否定、排除する暴力的差別の象徴ではないでしょうか? 人は自分でも気づかないうちに小さな差別あるいは優越感を心の奥底に持ってしまうものです。気をつけなければと改めて自戒しました。↑ダウン症の息子を持つ母親の愛情と苦悩のエピソードでは、両親が幼い時期に熱心にトレーニングに取り組んだことで、ダウン症の子供でも読み書きから、計算までスキルは普通児の水準に達しているともてはやされ テレビ出演しすっかり有名人となり 親心としてはちょっと得意だったかもしれません。しかし現実は甘くはありません。母親は息子が大人になるにつれ、精神的成長にも限界があることに気付かされます。アニメの「アナと雪の女王」のキャラクターに本気で恋し、ティアラを被って女王の扮装をしたり、「北欧に行けば会える」と信じて疑わないなどの一途ではあっても幼い言動を目の当たりにし愕然としながらも、次第に事実を受け入れていきます。それまでは、どこかで目の前の現実を受け入れることができずに英才教育的なことをして普通であろうとあがいていたのかもしれません。でも普通の子とは違う我が子の未熟さに目を向けるのではなく、むしろ普通の子では成長とともに失われてしまう純粋さや魂の輝きに気付き、やがて静かに全てを受け入れる母親の姿に覚悟のようなものが感じられ、その愛情の深さに心打たれました。「一人はみんなのために。みんなは一人のために」と三銃士を気取って同じ障がいを持つ仲間3人で暮らし、友情を温めている姿は家族以外の他人ともちゃんと繋がって生きていけることを証明しているようで頼もしくほっとさせられました。どれだけ親が親身に支えていきたくても いつかは一人で生きていかなければならないことを考えると 誰かに助けられたり、時には助けたり(存在自体が他の誰かの支えになることもあります)する力(生きていく術)は他のどんなスキルよりもトレーニングしなければならないことだと思えます。↑自閉症の息子を持つ両親の苦悩はなかなかハードでした。言葉によるコミュニケーションが取れない事で癇癪を起こし体が大きくなるにつれ暴れ抵抗する力も強くなり、手に負えないと絶望しきっていたところへ 信頼できる専門医(療法士?)と出会い 面談とトレーニングを重ねるうちに 考えている事や気持ちを文字盤で表現することができるようになり劇的に親子の関係が深まっていきます。初めて文字盤で自分を表現した「僕は頑張っている」という一言に 両親も感極まり涙を流します。 そこから我が子のありのままを受け入れる覚悟をし 我が子との距離が一気に縮まります。普通と違う我が子を見て何度も自分を責めたという母親の正直な告白が痛々しく その苦悩を想像します。この子の場合も同じ自閉症を持つ仲間と定期的に交流を持ち、それを楽しみにしているという展開に心なごみました。おそらく普通と言われる人たちより鋭い感性を持っている分、お互いが深く分かり合えるのではないかと思いました。↑低身長症という身体の特徴を持つ人たちのことも取り上げられました。低身長症で手足が極端に短く 車椅子で移動する男性の「自分があんな風だったら自殺する」との他人からの心無い言葉を耳にしても卑屈にならず、こういう身体を持っていたら不幸に違いないと決めつけないでほしい。自分は幸せだし「身体は不自由でも心は自由さ」と言える精神のタフさがすごいと思いました。彼は大学で何か専門的なことを教えている教授?のようでした。同病の恋人ができますが 明るくチャーミングな女性で 自分たちの境遇を頭から肯定しているところに絶対的な強み、たくましい生命力を感じました。「私たちのような症状を治してやろうだなんて どこも治すところなんかないわ」ときっぱり言い放ちます。それは強がりでも何でもなく心から出てくる言葉でした。やがて彼の子を宿します。その時に「普通の子を望むか」と問われ「普通の子でも育てられるけどリトルピープル(低身長症の人)がいい」と答えるところに全てを受け入れる覚悟を感じました。無事に生まれてきた子供は普通の子でしたが この二人が親ならちゃんと育てられるに違いないと思わせてくれます。最後に(画像はありませんが)8歳の子供を殺してしまい無期懲役に服する息子を持つ家族の話が出てきます。両親も兄弟もいて 特別な問題も、心の病もなくごく普通にあたりまえに青春を送っていた少年(高校生だったか?)です。当然、家族は驚き慌て自分たちの育て方が悪かったのかと自問自答します。特別愛情に欠けた関係でもなく それこそ平凡な普通の家族の青年が本人も後で「何故そんなことをしたのかわからない」と嘆き苦悩します。けれども そういうことって あるんだろうなと思わされます。ドストエフスキーの「二重人格」という小説を思い出しました。自分の知らない間にもう一人の自分が身に覚えのない勝手な行動をしているらしいことが分かり驚き混乱し、ついには精神を病み社会的立場を失い狂人になるといったストーリーだったと思います。(うろ覚えです<(_ _)>)これは解離性同一性障害という心の病の一種なので、この青年のケースには当てはまらないかもしれません。「どんなに子供を愛しても間違いが起こる事がある」という父親の言葉が真実を物語っています。つまり誰にでも起こりうる悲劇ということです。例えば「自分だけは大丈夫」と思っていたのが 大災害や事故に巻き込まれたり 思わぬ不治の病にかかったりするのと同じです。そして「子供がどんな子であっても親は自分の子供を愛さずにはいられない」との母親の愛情深い言葉に救われます。こんな事件を起こし 一生監獄からは出られず、二度と家族と暮らす日は来ないのだとしても こんな風に言ってくれる母親がいるということだけで 最高の人生とも言えるのではないでしょうか?もちろん一方で8歳の子供を殺された側の親もいるわけで 殺人犯の親が苦悩するのは当然の罰だと言う人は多いのだろうと想像します。でも我が子がいとおしいと思える親であればなおさら被害者の心境を理解でき、板挟みに苦しむのではないかと思います。何という壮絶な人生でしょう。でも、何事も起こらなければ ぼんやりと人生は終わってしまったかもしれません。人は弱いものだから できれば条件の良い環境に生まれ、災難には遭わずに幸運にだけ恵まれ辛い思いや悲しい思いをせずに済んだらと思うものです。ところがそうはならないのが人生の一筋縄ではいかないところ。やはり人知の及ばない何か大きな力が働いているとしか思えません。人それぞれに与えられた試練にはその人にとって何かしら意味があり 逃げずにがっしり受け止め苦しみもがいたその先にはきっと一筋の「光」が見え、その「光」を幸せと呼ぶのだと思います。与えられる試練もその先にある幸せも人それぞれに違います。 トルストイ作「アンナ・カレーニナ」の冒頭文の「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」をふと思い出し異議を唱えたくなりました。むしろこう言い換えたいです。「不幸な家庭は似通っており、幸福な家庭はいろとりどりである」普通であることを絶対基準とし できればその中で少しは人より抜きんでた(羨ましがられる?)要素を持つことが世間でいう「幸せ」とするとこの映画を観た後では おそらく「幸せ」の定義が変わるはずです。そう 映画インディージョーンズシリーズでも永遠の命を得られる聖杯はきらびやかな派手なものではなく地味~な木製だったことを思い出してください!青い鳥は探しに行かなくても すぐそばにいるのです!