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REGULAR BONUS

31歳のダウナーな人による、 日々のREGULAR BONUSな瞬間…というかヤだなぁと思った瞬間とかを綴るブログ。

こんばんは、れすとです。

月刊REGULAR BONUS、スタートです。

 

Twitterがイーロンマスクの所為でオワコンへの一途をたどっており、

その愚痴をTwitterで書くという完全ツイ廃な事をしている毎日です。

既存のサービスで、もはやインフラ化として使われてるようなサービスを

買収したとは言えユーザー無視で、インフラとして致命的な改悪を繰り返していく

その様には憎悪しかなく、日々死ね死ね書いてる次第です。

Xとかいうエゴサしにくい名前も嫌いだし、

ポストとかいう捻りのないツイートの新ネームも嫌いだし、

早く過激派が何とか(含み表現)しないかなーと思っております。

自分の手は汚さないスタイル。

Twitterそのものも好きですが、

とにかく色んな友達や彼女(のちの嫁)と出会った場を、

Twitter愛のない糞ボンクラ糞成金にめちゃくちゃにされて

不愉快なじゃないわけがないだろ!!って話ですよ。

 

まぁそれだけで一生愚痴を書けるわけですが、

Twitter(頑なにXと書かない)に書いてる愚痴が

今までの自称クスッと笑える愚痴ではなく、真面目に〇なねぇかなとブチギレ状態なので

全然面白くならないわけで。 まーた愚痴ってるよこの人。

 

 

本編は引き続き、1年遅れの内容でございます。

 

2022年5月、新居の内見の為、

音ゲーマーでTwitterのフォロワーさんである手袋さんが約3年振りに新潟に来ました。

HPで幾つか候補を決め、数件ずつ内見をしていきます。

 

 

前回までのあらすじ。

駅で合流。 FM KENTOというヤバい放送局を聴きながら、燕三条→ゲーセンへ。

2日目、内見を済ませ、ゲーセンへ。その後1パチで手袋さん初打ち。

3日目、内見を済ませ、ゲーセンへ。

 

 

 

○ 2022年5月25日(水)/11:00/アパート ○

 

起床。

最終日。 疲れがピークに達しており、なかなか起き上がれない俺。お前かよ。

 

ぐだぐだ準備をして、徒歩でうちの近所の蕎麦屋へ向かうも、

「店内改装のため、臨時休業」の貼り紙。

今回、マジでこんなのばっかりでした。どうしてこうも重なるんでしょう。

結局、時間がなく取りやめたり、臨時休業であったりと、

1軒も計画通りに行けませんでしたね。流石にここまで上手く行かないと嫌になりました。

 

急遽、別の蕎麦屋へ行くことに。

こちらもよく行く店であり、小千谷蕎麦を出す店。

へぎ蕎麦と書いてないのは、「へぎ」という入れ物に入っていないふのり蕎麦だから…です。

つるつるしこしこ。いつもながら、美味いです。

 

 

食事を終え、古町にある本屋へ立ち寄る。

おもむろにコロナウイルスに関する、

絵本では無いですけど図解入りで色々書いてある本を手にする手袋さん。

俺もチラチラ横から見てましたが、

「コロナはただの風邪なのにどうのこうの」だの、

「ワクチンは予防策にならないのになんとかかんとか」だの書いてありました。

 

 

俺 「 そっち系の本じゃん。 」

 

手袋 「 ハハハハハ!

     一瞬まともかなと思ったら、途中から『おやぁ?』ってなったよね。 」

 

 

宗派について追及は避けますが、この会話を採用する辺りで

当ブログは引き続き感染症対策を行っていきます(世間とのソーシャルディスタンス的な意味で)

 

一度家に帰り、何するわけでもなくゴロゴロ。

気付けば昼寝してました。 意味深ではなく、マジな昼寝。

 

 

お土産を買うため、ピア万代へ。

鮮魚センター奥に土産コーナーがあるんですが、

心なしか以前より狭くなっており、品数も減った気がします。

 

 

手袋 「 なんか、しょぼくなってない? 」

 

俺 「 ハハハハハ! 俺もそう思った。 」

 

手袋 「 ピア万代カス! 」

 

俺 「 ハハハハハ! 飯しか用事無くなったね。 」

 

 

 

手袋さんを見送る為、新潟駅へ。

初日と同じコインパーキングに入れようとしたら潰れてました。

そんな事ある!?

コインパーキングのコールセンターやってた時、よく「あそこ潰れるの?」と言った

問い合わせが来るのに対し、貼り紙見りゃ分かるだろって思ってましたが、

確かに問い合わせたくなる気持ちが分かりました。今更。

別のコインパーキングに入れましたけども。

まさか、行きたい店が軒並みやってない地獄の今回の締めが

「 コインパーキングが潰れる 」 だとは。

 

自販機で水ゼリーを2本ほど購入してました。

JR東日本が出してる飲料水の為、静岡にはないみたいですね。

 

手袋さんを見送り、終了。

今回の総移動距離は250㎞。

1度三条まで行ってるとはいえ、ほぼ市内の移動なのにこの距離。

いかに『西蒲区(ゲーセンがある地)がもはや市内ではない』かって事です。

 

因みに今回のタイトルは、「 あ、スーモ! 」のパロディでした。

車内でずっと聴いてた、FM KENTOというコミュニティFMを指しています。

 

 

 

以上!

というわけで、この後2022年12月に手袋さんが引っ越してきたので、

事実上、氏との遠征編はこれが最後です。

 

途中中断を挟み、2月から7か月に渡ってお送りしてきましたが、何とか最終話を迎えられました。

もはや次のストックが何の話だかすら忘れましたが、どうせ1年前の話です。投げやり。

次回もお苦しみに!

こんばんは、れすとです。

何と!7月!2回目の!更新でございます!

今年(2023年)最初の月2回目の更新です!(大事件)

 

4月に入社し、6月半ばから人が減るという理由だけでシフト入り、

そして7月入社の後輩に仕事を教えるという、

大分突貫工事で仕事を回されてる日々です。

いや教えるのはいいけど、俺だったらこんな入って数か月のペーペーに

次世代の担い手になるかもしれない人の教育を任せる勇気ないわって思いますね。

 

 

さて本編は引き続き、1年遅れの内容でございます。

 

2022年5月、新居の内見の為、

音ゲーマーでTwitterのフォロワーさんである手袋さんが約3年振りに新潟に来ました。

HPで幾つか候補を決め、数件ずつ内見をしていきます。

 

 

前回までのあらすじ。

駅で合流。 FM KENTOというヤバい放送局を聴きながら、燕三条→ゲーセンへ。

2日目、内見を済ませ、ゲーセンへ。その後1パチで手袋さん初打ち。

 

 

 

○ 2022年5月24日(火)/10:00/アパート ○

 

3日目の朝を迎える。

段々すんなり起きれなくなってきましたね。俺は自分ちなのに。

 

本日行こうと思っていた店は時間がかかりそうなので、

予定を変更して昨日行こうと思っていた店へ朝食を食いに行く。

にぎり米という、おにぎり専門店。

ふっくらしており、美味かったです。

 

そんな優雅に飯を食っていたら、この日1軒目の内見に見事に遅刻。

完全に平謝りですよね。

特に他に回らせてくれという注文もしなかった為、この1軒のみでこの会社は終了。

 

 

 

内見の、電気も水も来てない物件でトイレ貸してくれとは言えない為、

地味にピンチだった俺。

急いでウェルシアで用を足し、事なきを得ました。 いっつもピンチ迎えてますな。

ついでにかゆみ止めを購入。

 

山梨の水が売っている。

 

 

手袋 「 静岡の人、山梨側の富士山の事、『 裏富士 』って言うだよ。 」

 

俺 「 ハハハハハ! さもこちら側(静岡側)が表かのような。 」

 

 

 

さて時間が余った為、どうするかという事に。

こんなに時間が余るならあんなに根詰めて朝食食わなかったのに。

熱い討論(1分程度)の結果、マクドナルドへ。 昨日と一緒じゃねぇか。

別店舗のマクナルでしたけどね。

どっちかというと、この「マクナル」という謎略称をTwitterで見かけて以来

俺がツボってるのでその流れで…と言った要素が強いです。

ビックマクナル、マクナルフライポテトって何だろう。

 

 

続いて、この日2件目の内見へ行きました。

2LDKで、3部屋全てにエアコンがついてるので

「すごいですねー」(CV:所ジョージ)といったら、

「特に売りにされていない為、もしかしたら残置物かもしれない」との事。

あと、「全部つけたらブレーカー落ちるかも」というありがたい情報を得ました。

そんなもんですかねー。

 

 

その後、3件目の内見まで若干時間があった為、ふるさと村へ。

その中に『時の記念館』なる建物があります。

 

 

手袋 「 れすと記念館作るんでしょ? 」

 

俺 「 俺の人生なんてここだけで足りるよ。 」 【 アーケードの細い柱 】

 

手袋 「 ハハハハハ! 」

 

俺 「 『 1987年、この世に生を受ける。2022年、現在に至る。 』 だけだよ。 」

 

手袋 「 ハハハハハ! 」

 

 

お土産の下見をして、3件目の内見へ。

かなり築年数は行ってる物の、今の俺のアパートと値段が変わらないのが最大の魅力。

中はリフォームされててそこまでの古さは気にならず。

一番の欠点は家までの道が狭すぎて俺の運転技術では駐車がしづらいという事でしょうか。

実は同じ建物の中で、メゾネットタイプもあるらしく、そちらが7月退去予定だと教えてくれました。

おそらく20年は住んでるらしく、不動産会社の方も「自分も中を見た事がない」との事。

ベテランそうな方が中を見た事無い賃貸物件…ある意味気になりました。

 

 

さてこれにてミッションコンプリート。時間指定のあるイベントは終了です。

黒崎メジャーロードというゲーセンへ。

俺自身、2,3回しか来た事がなく、下手すれば10年振りくらいの訪問です。

音ゲー、レースゲー、メダルゲーがひとしきり置いてありました。

メダルゲーは結構休止中が多く、修理する術か、技術か、金が無いように思える印象。

別フロアにはビデオゲームとUFOキャッチャーなどがありました。

UFOキャッチャーは割と甘いようで、手袋さんは幾つかゲットしてました。

 

NEOGEOの、4つのゲームが入ってる筐体が2台ほどあり、

これも今はなかなか見かけることがない貴重な筐体ではないかなーと。

マジカルドロップ3が入っていた為プレイ。 ジジィを越して、8面でゲームオーバー。

 

 

 

初日に行ったプレイハウスエリナは、この日、店長のワクチン接種の為定休日。

初日に行った際、飯でも食いますかと話していた為、LINEで連絡したうえで向かう。

どさん子という、フランチャイズチェーン最初期のラーメン屋へ。

うちの地元にもあったんですけどね、どさん子。

ゆっくり腰を据えて話す事が出来ました。

 

 

店長 「 ラウワンは…どうなの? 」

 

手袋 「 ラウワンはカラオケが一番長くて、そのあとスポッチャ、アミューズメントって感じですね。

     メンテは殆どさせてもらってないので。 」

 

店長 「 メンテはメンテの人が居るんだっけ。 」

 

手袋 「 そうです。 メンテ専門の社員が居て。

      どうも兼任してるみたいで、前に遠征で別のラウワン行った時に居て

     『 何で居るの!? 』 ってなりましたね。 」

 

全 「 ハハハハハ! 」

 

 

 

プレイハウスエリナ、もう一つの顔。

 

 

店長 「 麻雀の客は本当に貼り紙しても来るからね。

     『 大会の為店休 』 って張り紙してんのに、

     エリナ杯の時も、受付スルーして普通に入って来て。 」

 

全 「 ハハハハハ! 」

 

俺 「 『 ちょいちょいちょい 』 みたいな。

   前にゲーム機に貼り紙したとか言ってませんでしたっけ。 」

 

店長 「 麻雀のモニターに思いっきり貼り紙して、はがさないと見えないようにして。

     それでも突撃してくるからね。 」

 

全 「 ハハハハハ! 」

 

 

 

- もう一つの麻雀。

 

 

俺 「 最近、全然稼働率ランキングやらないですね。 」

 

店長 「 あー、それもそろっと書かないとなー。

     相変わらずファイナルロマンス強いよ。 」 【 スケベ麻雀 】

 

俺 「 ハハハハハ! まだアレ最強なんですか? 」

 

店長 「 ファイナルロマンスおじさん、本当に毎日来るからね。

     ファイナルロマンスも幾つかあるけど、2にしておかないとやらないんだよ。 」

 

俺 「 八千代コースターでまた取材して貰わないと…。 」 【 ローカル番組 】

 

全 「 ハハハハハ! 」

 

 

 

押しかけていった上、手袋さんはともかく俺までごちそうになってしまいました。

 

 

手袋 「 ホントすいません~。 」

 

店長 「 いいよいいよ、その代わりマンホールに

     毎日来てもらうから。 」 【 ※店長は俺の事を別名義(マンホール山下)で呼ぶ 】

 

俺 「 ハハハハハ! 俺より車が先にダメになりますわ。 」

 

 

 

そしてまた30㎞強の道のりを帰りました。

 

 

続きます。

さて次回は、初日に入れたコインパーキングに入れなかった理由とは。

次回もお苦しみに。

こんばんは、日付変わってしまいましたが36歳になってしまった者です。

7月6日は私、Restの誕生日でございます。

そしてこの味がどうのこうの言ったのでサラダ記念日でもあります。

そしてそして、麻原彰晃の命日でもあります。

人の誕生日に稀代の犯罪者の死刑を遂行するな。

 

 

さて本編は引き続き、1年遅れの内容。

流石に当初予定してたよりも1話当たりの区切りを長くして、

話数抑え目にしました。 焼け石に水。もっと更新しろって話ですが。

 

2022年5月、新居の内見の為、

音ゲーマーでTwitterのフォロワーさんである手袋さんが約3年振りに新潟に来ました。

HPで幾つか候補を決め、数件ずつ内見をしていきます。

 

 

前回までのあらすじ。

駅で合流。 FM KENTOというヤバい放送局を聴きながら、燕三条→ゲーセンへ。

2日目、内見を済ませ、ゲーセンへ。

 

 

 

〇 2022年5月23日(月)/17:00/アパート 〇

 

ラウワンから一旦帰宅。

目的のラーメン屋が開くまで少し時間がある為、古町近辺を散歩しました。

手袋さんは、ここまでゆっくり新潟の街を歩いたのは初めてだったはずです。

いつも最終日にちょろっとだけとかでしたからね。

 

 

俺がよく行く1パチ5スロ専門店、「パチンコダイエー古町店」へ。

いかにも昔からありますと言わんばかりの設備の店。

パチンコのサンドが100円・500円硬貨を入れて玉が出てくる方式だったり、

自動音声(○番台、大当たりおめでとうございます)があったり、

店の内装がいかにもバブル時代のものだったり、

最新設備の店とは真逆なのですが味があって好きな店です。

ただ、パチ屋に行った事がない手袋さんはそもそもの基準がない為、

内装の古臭さくらいしか感じなかったようです。

 

パチンコは、俺が糞台だとネタにしまくった結果興味を持った

CR浜崎あゆみ物語をゲーセンで打った事がある程度の手袋さん。

アレが唯一のパチンコ知識というのも大分ダメだと思いますが。

以前通話した際に、玉の動きが全てだから普通のデジパチよりパチンコらしくて

面白いかもよーと伝えてたので、

羽根物である 「 NEW TOKIO 」を打たせてみました。

何回かスタートチャッカーに入り、最初に羽根に入った玉がノーマルルートからV入賞。

思わず 「 えっ!? 」って言ってしまいました。

しかもラウンド抽選で見事10Rを獲得。

 

そして消化後、また何度かスタートチャッカーに入り、最初に羽根に入った玉がまたV入賞。

今度は5R。

 

 

俺 「 こんなにパチンコ簡単じゃないからね!? 」

 

手袋 「 ハハハハハ! 」

 

 

消化後、上皿の玉が無くなり追加投資しようとしているので慌てて止める。

あー初心者ってその辺の事も分からないんだなーとしみじみ。

その割には 「 ここの店は換金率が糞だから~ 」 と分かりづらい説明をする俺。

流しと交換の方法を伝えて、交換。

端玉景品を吟味。

 

 

俺 「 これが俗に言う、 『 数万するヤクルト 』 の事だよ。 」

 

手袋 「 ハハハハハ! そういう事か。 」

 

 

そして特殊景品を貰い、

店とは全く関係ないけどなぜかカウンターの横の自動ドアにすぐある、

同じ建物の中に入ってるけど店とは全く関係無い古物商で特殊景品を交換。

100円が400円になったそうです。

 

俺ですか? 隣で打ちましたが、1000円ストレート飲まれですよ。

パチンコ下手くそか。


手袋 「 いやー、特殊景品ってもっと金(きん)が入ってたり、

      シャーペンみたいなやつかと思ってた。 」

 

俺 「 金が入ってるのは都内だね。 シャーペンはもう今時無いんじゃないかな。

   俺が埼玉居た頃はシャーペンだったけど、アレめっちゃかさばるからね。 」

 

手袋 「 なんかさ、そういう実用性のある特殊景品の方がそそられない? 」

 

俺 「 あー、まぁちょっと分かる気がするけどね。

    あのシャーペンも、『どうぞご自宅にお持ち帰りください』って書いてあるし、

    取り出そうとしたのか、周りのケースが割られてる場合もあったからね。 」

 

手袋 「 ハハハハハ! 割らないと取れないんだ。 」

 

俺 「 まぁ、暗に『交換しろよ』って事なんだろうね。使い回すし。 」

 

 

何気にこのブログでパチンコネタに触れたの久々な気がします。

超超超正統派スロブログですからね。



目的のお店・めんの坊に向かうも、灯りがついていない。

割と開店時間が不定な店なので、とりあえず散歩を続行。

古町近辺をぶらぶら歩いて、19時回って再度訪問しても真っ暗。

普通、開店してないにしても仕込みとかあるはずなので、

おそらく臨時休業ではないかと予想。

 

仕方ないので、近辺にある別の店へ行くことに。

麺屋粋翔 古町別邸というラーメン屋。

濃厚味噌ラーメンを注文。

いろんな味噌が混ざって作られてるんだなぁという味わい。 レポ下手か。

美味かったです。

ライスが売り切れてたお詫びに、卵サービスしてくれました。

 

 

この後どうするかという話に。

現在上がっているのは、カラオケか、スポッチャかという選択肢。

 

 

手袋 「 もしくは悪口マリオカートとか。 」

 

俺 「 ハハハハハ! 『 ファーーーック!! 』って言いながら甲羅ぶっ放すんでしょ。 」

 

手袋 「 Discordで繋ぎながらやったら絶対楽しいでしょ。 」

 

俺 「 BANされんじゃねぇの。 」

 

手袋 「 ハハハハハ! 」

 

 

悪口マリオカートはコンプライアンス的に却下となり、スポッチャへ行くことに。

再び車を出して、またラウンドワンへ。

スポッチャ、数年振りに入りましたが、ゲームコーナーの音ゲーが結構減ってました。

まず目的だったクロスビーツREVがない。

おそらく、ギガクレーン化する際に大量にスポッチャ行きになった事で

音ゲーの撤去が進んだものと思われます。余計なことを。

 

今回はゲームコーナーだけでなく、一応スポッチャらしいこともしました。

まずはバドミントン。

俺は高校時代にやってましたが、相変わらずドライブだけまぁまぁ上手いだけで後はからっきし。

俺の方が息切れしてました。

 

続いては卓球。

殆どラリーが続かないのもお約束。

 

あとはダーツ。 数年振り、下手したら10年振りくらいにやりました。

カウントアップをやりましたが、結構悲惨な結果だったかと。

手袋さんは全くやった事がないみたいで結構矢が刺さらない事もありました。

放置するのも如何なものかと思いましたが、残念ながら刺さってるとはいえ

フォームすらまともに覚えてない事柄を更に人に教えられるはずも無く、

そっちはそっちで頑張れと丸投げでやらせてました。

 

音ゲー以外のゲームとしては、ダライアスバースト。

スポッチャとは思えないくらい、椅子が振動しました。

というか、歴代でもかなり振動強い筐体でしたね。

振動に対して音量が小さい為、振動してる物理音でBGMが聴こえないという変な事になってました。

手袋さんは、捕鯨ルート見事1クレクリアしてました。まだ腕は健在のようで。

俺は光導ルートで無事死亡。 もう設置バーストの出し方すらおぼつかなかったです。

 

バンナムが出してる、スクリーンに飛んでくる標的が映ってそれを打つ、

クレーン射撃のゲームも初プレイ。

意外と命中させることが出来ました。

たまーにゲーセンで見かけますがやるのに勇気いるゲームを手軽に出来るのが良いところ。

 

イニシャルDのレースゲームも初プレイ。

流石腐っても男の子、これは手袋さんよりも俺の方が上手かったです。

どんぐりの背比べですが。

パーツ集めて強化するのがACでも出来るとなると、はまる人はハマるだろうなーと思いましたね。

 

そして音ゲー。 beatmaniaIIDX26 Rootage、旧筐体(10th筐体)でした。

記憶違いで無ければ、以前アミューズメントフロアで使われてたものが

降りてきたんだと思いますが、その頃と比べてもやたら振動筐体になっててびっくりしました。

普通スポッチャの音ゲーって、振動どころか音量も絞られており、

出来りゃいいんだろくらいの扱いなんですが、こちらは音量も十分でした。

振動に至っては、今時珍しいくらいぐらぐら揺れてくれましたね。

低音がヤバい曲をやると足がくすぐったいレベルです。

 

※あくまで訪問時(22年5月)の情報であり、

  更新時(23年7月7日)の時点ではどうなってるか分かりませんのであしからず。

 

 

スポッチャの3時間パックの時間をフルに使いきり、退店。

 

家で軽く飲もうかと、コンビニで酒を購入。

そして家に着くなり爆睡する手袋さん。

伊集院光深夜の馬鹿力を聴きながら一人で飲んでました。

いつもと変わらねぇじゃん。

 

 

 

続きます。

さて次回は、あるゲーセンのもう一つの顔とは。 次回もお苦しみに。

こんばんは、れすとです。

 

なんか、結婚したり、就職したり、

シフト入りまで半年程度を見込んでるといわれてたのにもうシフト入りしたり、

バタバタしてて時間が作れない次第です。

そしてそんな言い訳してたら、遂に本編が1年遅れになってしまいました。

どうすんだよこれ。

 

 

2022年5月、新居の内見の為、

音ゲーマーでTwitterのフォロワーさんである手袋さんが約3年振りに新潟に来ました。

HPで幾つか候補を決め、数件ずつ内見をしていきます。

 

 

前回までのあらすじ。

駅で合流。 FM KENTOというヤバい放送局を聴きながら、一路燕三条へ。

ゲーセンへ向かうのだった。

 

 

 

〇 2022年5月22日(水)/24:00/プレイハウスエリナ 〇

 

誤字ではなく、マジで2022年5月の話です。

ゲーセンの閉店時間になった為、帰路へ。

 

 

帰りの車中。

Discordでいつメンによる雑談が繰り広げられていたので、参加。

Discordはグループ(サーバー)に誰でも入れるボイスチャットがあり、

通話とは違い任意で入れる為、都合がいい人だけ入れるので気楽で便利です。

手袋さんのスマホでDiscordに入り、スピーカーモードにするだけで

俺の声も拾ってるみたいなので、便利になったもんです。

 

 

KENTさん 「 今は車の中ですか? 」

 

手袋 「 車の中からですね。 」

 

mutamesoさん 「 エリナからどのくらいかかるの? 」

 

俺 「 片道33km、1時間ですね。 」

 

mutameso 「 うわー遠い…。 」

 

俺 「 遠いんですよ…。 最寄りみたいに言ってますけど、

    毎回この距離通ってるんですよ。 」

 

 

喋りながら帰ると眠くならなくていいなって思いましたね。

普段ボイスチャットの先に居る人が横に居ながらの参加というのも、

不思議な感覚でしたが。

 

帰宅後、今度は俺のPC版Discordから入って続き。

 

以前書いた、カオス系演歌番組でお馴染みの演歌百撰の中でもひときわ異彩を放つ歌手、

後藤京子さんの歌う世界遺産ブギについて。

 

 

まうすさん 「 ぜひイワシにも世界遺産ブギを聞かせて欲しいですね。 」

 

俺 「 じゃぁ、エンディングテーマというか、子守唄として流しますか。 」

 

 

 

- 画面共有で流す。 この中で初見はイワシニキのみ。

 

 

イワシ 「 これは…なんですか? 」 【 楽曲を聴いた感想 】

 

全 「 ハハハハハ! 」

 

まうす 「 もう頭から離れないわ…。 」

 

 

言葉を濁して書くとすれば、

歌い出しから『えっ…』ってなる、

音程がソフランし続ける、

良くも悪くも一度聴いたら耳から離れない中毒性のある演歌です。

 

結局この日は押すに押して、4時過ぎに寝たような。



○ 2022年5月23日(月)/9:30/アパート ○

起床。

前日、遅く寝た所為で、当初予定していた朝食は当然間に合わず。

結局コンビニでおにぎりを購入し、車内で食いました。

 

最初の不動産会社では内見3件実施。

1軒はうちらがネットで決めた物件で、

あとの2軒は不動産会社がピックアップした箇所でした。

何というか、我々が決めた物件が一番イマイチで、

ピックアップの2か所の方が良かったのが解せないというか、やはりプロというか。

 

続いての不動産会社では、「仕事決まらないうちは見ても…」という至極当然なご意見。

直接は言ってこなかったですが、おそらく要は面倒くさいという事で内見はせず説明を聴いて終了。

この時点では絶賛無職中でした。

 


時刻は15時と非常に微妙な時間。

本来、もう1軒内見に行く予定が、メール送るのが遅すぎて間に合わず翌日になった為、

前半カツカツだった割には後半がスカスカになりました。

 

協議の結果、マクドナルドへ行くことに。 困った時のマック。

トヨタの展示場とマクドナルドが一緒になってる、一風変わった店でした。

商談スペースみたいなところがまるまるマックになってる感じです。

なので椅子とかも商談スペース臭がしましたね。何となく。

 

 

 

続いてはラウンドワンへ。

新潟ラウワンはアミューズメントフロアが1,2階だったのですが、

1階を丸々プライズゲーにして400台以上の設置にするという、

ギガクレーンラウンドワンとしてリニューアルされました。

ギガクレーン化されてからは初めての訪問。

 

beatmaniaIIDXの都会配置(ゼロ距離すし詰め設置)は多少解消され、

昔の3台時代を若干彷彿させるような配置でした。

まぁ待ち椅子ないのは相変わらずなのでよほどじゃ無ければ行かないと思いますが。老人。

DDRとダンスラは背合わせ状態にはなったものの、相変わらずゼロ距離設置。

チュウニズムに至っては、ボウリングカウンターの横という、狂気の沙汰としか思えない配置。

よくこれでプロリーグ参戦しますね(暴言)。

旧ビデオゲームコーナー部分にメダルゲーをひたすらぶち込んでいるので、

かなり狭い印象。 よくこれだけ台数入れたなとは思いましたが。

 

ギガクレーンの方は、意外と取ってる人いる印象で、

むしり取りに来てる感じではないのかなーと思いました。

まぁ平日に行ったから甘めになってた可能性もありますが。

そしてこの考え方がスロカスの考えなのかもしれませんが。

実際、手袋さんも幾つか景品を取ってましたし。

俺は死ぬほどクレーンゲームが下手なのでほぼやりませんでしたが。

 

スーパーモグラたたきをプレイ。

1分間に180回モグラが出てくるという、反射神経の限界に挑むもの。

吉田沙保里選手が48回だったらしいので、それに挑戦。

41回、47回と意外と好成績。

反射神経めっちゃ悪いのにここまで出せたのは絶対音ゲーのおかげだと思います。

 

 

 

続きます。

いやー、流石に1年前の事になると手直しも糞もないくらい覚えてないですね。

あったなーって感じです。

どれだけ遅れを取り戻せるかが見ものです。 もう文章で勝負しないんだこの人。

 

さて次回は、手袋さんが遂に特殊景品を手にする。 次回もお苦しみに。

お久しぶりです、Restです。

まだ研修中で人数には入っていませんが、シフト自体は普通に入っている為、

16時~24時半 → 8時~16時半 → 0時~8時半

と言った地獄の3連勤をしたりしてるので、なかなか更新する時間が無かった次第です。

久々の更新ですが、通常回ではありません。

 

 

去る4月3日、実家の祖母が亡くなりました。

享年95歳、死因は老衰だったので大往生だったと思います。

 

4月3日。

この日、自分は初出勤でした。

会社全体の朝礼に参加し、新入社員の挨拶をしました。

あいさつ回りや、仕事を見るのが中心でこれといったことはしてませんが、

とにかく、1年振りに働くという事もあり、異常に疲れてました。

昼間、親父からLINEで、

「 ばあちゃんの調子が悪く入院する、ちょっとヤバいかも 」 と送られてきて、

色々考える事もあり、余計疲れていたのもあります。

 

21時過ぎでしょうか。

外食して家でテレビを見ていると、LINEが来て、亡くなったことを知りました。

昼間に入院すると来て、まさかその日のうちに亡くなるとは思わなかったので、

悲しいというより、ただただ呆然とするしかない状況でした。

 

慌てて親父に電話するも、

「 おう、どうした 」 と言われ、いやどうしたじゃないがってなりましたね。

今思えば、親父もどうしていいか分からなかったんだと思います。

仕事始まったばかりだし、慌ててこなくてもいいと言われましたが、

彼女改め嫁に行きなよと言われて、地元へ向かいました。

うちには父方の祖父はいなかったので、本当の家族が亡くなるのはこれが初めてでした。

思ってたよりは落ち着いているなと思ったのですが、

忘れ物4つくらいしてて、全然落ち着いてねぇなってなりましたね。

 

結局地元へは23時頃着いたので、この日は祖母との対面は無し。

そのままお袋の実家で親父と状況を聴き、実家で寝ました。

 

 

翌4日。

葬儀場で打ち合わせや食事。

ばぁの遺体と対面したのもこの時が初めてでした。

母方の祖父、母方の祖母の時は遺体を見た段階では泣きませんでしたが、

今回ばかりはダメでした。

亡骸に話しかけるわけでもなく、ただただ泣きました。

 

親父の弟一家とも合流。

正式な遺族控え室が空いた為、そちらへ移動。

一部の親戚もこの時点でばぁに会いに来てくれました。

親父の姉の子供(つまり従姉妹)も夜来ましたが、

正月にうちの実家に来なかったことを後悔したそうです。

みんな、そんなもんですよね。

親戚随一のしゃべくっちょ、口の回る人なんですが、その人の涙は撃たれるものがありました。

 

 

 

4月5日、通夜の日。

うちの実家があまりにも惨状だった為、

手袋さんにはわざと通夜の日に来てもらうよう調整してもらいました。

ばぁの最期は正直やや気の毒でして。

施設には入らずずっと実家で過ごしていましたが、

認知症が結構進行し、話が高ループする、火をかけてても忘れて焦がすと言った状態。

親父も朝から晩まで仕事なので、総菜を買って渡してたみたいですが、

基本的には自分でやってくれと言った感じだったようです。

なので居間も最低限しか入らなかったようなので、食いかけのものが置かれていたり、

ただでさえ物が片付けられない家系なのに体が弱ってきてたので散らかり放題。

まぁそんなこともあって、俺はいいけど手袋さんはとてもじゃないけど

泊められる状態に無い為、こうなりました。

 

俺が知ってる親戚は殆ど来ていたと思います。

決していい形ではないですが、親戚に手袋さんと入籍したことを報告出来ました。

 

毎回通夜の流れって忘れるんですが、

受付、通夜のお経、受付継続でご遺体との対面…的な感じなんですね。

改めてばぁに話しかけたりしましたが…なんかもう言葉になりませんでした。

 

通夜振る舞いは無かったですが、仕出し弁当を控え室で食いました。

 

俺と手袋さんは控え室で一泊。

マッサージチェアがあったのでやってみましたが、なかなかリアルな動き。

悶え苦しむ手袋さんを見ながらひっくり返って笑ってました。

式場で腹抱えて爆笑してるのもどうかと思いますが、

まぁあの人もしっとりしたの嫌いだからいいんじゃないでしょうか。自己肯定。

 

 

4月6日。葬儀の日。

朝食が出たのですが、とにかく量が多くて腹くっちゃくなりました。

 

よく覚えていませんが、葬儀と三日法要だったかを同時に行う為、

1時間半の長丁場でした。

色んな事を思い出してました。

小さい頃は畑の手伝いしたなとか、

三色ミンツよく買ってもらってたなとか、

小学校の修学旅行の前日に早く寝ろってうるさいからキレて早く風呂入って

結果思惑通りになってしまったなとか。

とにかく、この時間が終わらないでくれって思ってました。

棺桶に花を入れる瞬間が本当に辛くて。

どの葬式もそこで泣いたので、あの瞬間が来てほしくないって思っていました。

 

花を入れ、

ばぁがヤバくなり始めた時に思う所あって二人で撮った写真を入れた時が一番辛かった。

間に合わなかったなぁ…って。

結婚したのは多分親伝えで知ってはいたけど、見せられなかったなぁ…。

俺が30超えたって、「んな(お前)が一番かわいい」と言ってくれたばぁへ、

自分の口から報告できなかったのは本当に心残りで。

逆に考えれば、籍入れるまで待ってくれたと思いたいですが。

 

自分もつらかったですが、

親父が声出して泣いてたのがまた辛かったです。

親父が俺と同じ泣き方してたのが、親子だなって思いましたね。

 

うちらは霊柩車の後ろのマイクロバスに乗り、火葬場へ。

本当に最後のお別れをしました。

 

一度式場へ戻り、食事。

今までの食事に輪をかけて量が多かった為、残して持ち帰り。

この時、親父の姉貴の子供と、

いつぞや俺の友達と飲んだ時の話(RB1168/12年8月掲載)をしたところ、

まるで覚えてなかったようです。

おそらく、泥酔して記憶を飛ばしたというより、単純に年月の経過で忘れたようです。

「 その節はごめんね、また飲もうねと伝えて 」 だそうです。

誰だか覚えてないのに、強い。

 

 

その後、再びバスに乗り火葬場へ行き、お骨拾い。

母方の祖父、祖母の時と比べてどうだったか正直覚えていませんが、

93歳にしてはしっかりした骨だったのではないでしょうか。

バスで戻り、撤収。

ばぁがいなくなった以上、

ここまで顔馴染みの親戚が揃う事はもうないかもなーと少し寂しく思いましたね。

 

お寺へ行き、本来の地区のお坊さんにお経を読んでもらう。

なんか、お焼香のタイミングを間違えたようで、2回やりました。

「 ねら、何回焼香すらんでぇ 」と言われそうです。

 

遺骨はお寺で預かってもらい、墓へ行く。

「 これ、どうやって開けらんでぇ… 」 という親父の疑問。

ばぁの旦那は俺が生まれる前後くらいで既に離婚しており、

うちの墓には入っていない為、多分ばぁの親が入って以来、

全く墓を開けていないとのこと。

まぁ不幸が少なかった(ないとは言っていない)のは幸いですが、

あまりにも昔ながらの墓である為、遺骨が入るのか一抹の不安を残しつつ後にしました。

 

この日はお袋の実家で一泊。

翌日、新潟のアパートへ帰りました。

 

 

 

うちのばぁは、本当に昭和一桁代の人を絵にかいたような人で、

今では放送禁止用語となっている言葉はばんばん喋るわ、

立小便はするわ、

典型的な内弁慶で、親父と全く一緒の性格なのでしょっちゅう喧嘩するわ、

本当に男勝りと言った感じでした。

デリカシーもへったくれも無い時代に生きた人と言ったところでしょう。

そして、93年間、一切あの家から出た事がないという、

非常に珍しいケースだったと思います。

国鉄の線路を作る為、現在の場所に移り、

修理はしてますがずっとその家に住み続けている為、

引っ越しが本当に一度もないのです。

経緯は知りませんが、ばぁは婿を取ったらしいので、そういう事なんですね。

中越地震に耐え、この100数年間の毎年の大雪にも耐えたこの家は、

ばぁという守り神がいなくなった今、

床の間の床が抜け落ちそうになっています。

本当に限界を迎え、どうしようか頭を抱えているみたいです。親父が。

 

そんな短気なばぁですが、俺には優しく、30超えても

「 お前が一番かわいい 」 と言ってくれていました。

子供の頃はお菓子を買ってくれて、特にコリスだかどっかの

三色ミンツというおやつが好物でした。

なーんにも孝行出来てないですが、

実家帰った時だけですが、最後の方まで晩酌の相手出来ていたのは

酒好きのばぁにとっては孝行だったのかなーと。

 

ただ、自分の口から結婚したと伝えられなかったのは本当に残念でした。

ひ孫も見せたかったし、どっか連れて行きたかったというのも

ぼんやりとは思っていました。

今更言っても遅いんですが、

何も思って無い孫だと思われてもそれはそれで感あるので。

いつかこういう日が来るとは思っていましたが、こんなに早いとは思いませんでした。

93歳にもなってこんなに早いも何もないと思いますが、

あの人は100近くまで生きるんだろうなと、どこかで勝手に思ってたので、

言い方悪いですがあっさり亡くなってしまったなと、どこかで思ってしまいます。

まぁ認知症も大分進んでましたし、

殆ど苦しむ素振りなくその日のうちに逝ってしまったのは、

ある意味良かったのかなとも思います。

 

 

今まで本当にありがとう。

そして、本当にお疲れ様でした。

もうあっちの方が友達も多いだろうし、ばぁの姉貴やばぁの長女ともやっと会えるね。

あんまカリカリせんと、ゆっくりやってください。 そしてたまには思い出してください。