REGULAR BONUS

REGULAR BONUS

30歳のダウナーな人による、 日々のREGULAR BONUSな瞬間…というかヤだなぁと思った瞬間とかを綴るブログ。


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こんばんは、Restです。

ネット上の本名を名乗る時は大抵意味深な回の時みたいになってます。



始めにお断りしておきます。

今回は人によっては不謹慎と思われる方もいるかもしれません。

俺自身、書いていいものか悩むところではありますが、

読んで欲しいというよりは残しておきたいと思い、書いてみました。




母方の父親(以下、じいちゃん)の入院が長引いたと聞いたのは、

8月の地元の祭りの時でした。

以前書いた通り、うちの両親は昨年末に離婚してますが、

お互いの実家が歩いて2,3分の所にあるので、行き来には苦労しません。

その為、その祭りの時にうちの親父とお袋で見舞いに行ってきました。


飯が全然食えないとのことで、やせ細っていました。

更に、目は覚ましたものの、誰かが来てる程度しか認識できておらず、

痴呆症になってしまったのかと思うほど変わり果ててる姿に

ショックを受けました。

声は出るんですが、言葉になっておらず、残念ながら意思疎通は

少なくとも俺は出来ませんでした。

俺が帰る日の訪問だった為、そこまで長時間滞在は出来ず、

病室を後にしました。



その頃から既に乗用車に乗らなくなったから俺にくれると言っていましたが、

ようやく駐車場のめどが立ち、契約に至ったのは10月に入ったときの事。

何処で車を取りに行くか悩んだんですが、

早い方がいいだろうという事で、10月16日から契約開始。

夜勤明けの2連休を利用し、車を取りに行く事にしました。

帰省用に取った休みではないただの2連休なので、

10月15日に取りに戻り、10月16日には新潟のアパートに戻る必要がありました。

 

10月9日、点滴が入らなくなったと知らせを受けました。

無理な延命はしないと決めたらしく、長くない事を聞き、

それなりの覚悟は出来てました。


その10月16日に、ちょうどお袋の妹さんが千葉から見舞いに来るとのことで、

お袋と妹さん、そしてばあちゃん(お袋のお袋さん)を乗せて病院へ。

既に全く栄養が体に入らなくなって6日。

8月に訪問した時とは異なり、目がしっかり開いており、

引き続き言葉こそ発しないものの、はっきりと俺が来てる事を認識できていたと思います。

正直、8月に見舞いに行った時に会った印象が強く、

その姿を見るのがつらくて見舞いに行くのもどこか躊躇してた自分が居たのですが、

行って良かったと思いました。


その足で昼飯を食い、礼服を持っていない俺は作りに行く事に。

お直しに少々時間がかかるという話。

どのみち当日に出来なければ、もう新潟へ帰るので取りに行けないので、

覚悟していたよりずっと元気だったこともあり、いつでも大丈夫ですーと

軽めに伝えました。


妹さんも日帰りで千葉へ帰る為、駅まで送り、

そのあと俺も新潟のアパートへ車で向かいました。

大分寄り道した事もあり、22時頃やっと到着。

到着した旨を伝えると、入れ替わりでお袋から病院から連絡があったとLINE。


その後、

お袋から年に一度あるか無いかの電話が入ったので、もう分かりました。


23時過ぎ、逝去。


病院を離れて12時間。

元気そうな姿を見られたので、ほっと油断していた矢先でした。

多分、みんなに会えて安心したんじゃないかという話でした。

覚悟は出来ていたはずなのに、やはり放心状態。

腐っても孫、俺に会えて嬉しかったなら光栄ですが、

それでもし安心して亡くなったのであれば、

会ってあげない方が良かったのではないか、

数日程度は延命できたのではないか、

俺と会わない数日の方が幸せだったら…など、

正解のない自問自答を繰り返してました。


親族にも伝えましたが、俺自身としては、

最期に会えたのが8月の姿ではなく、今回の逝去当日の姿で

良かったなと思ってます。

あれだけ元気のある姿を見せてくれたのですから。


翌日はとりあえず出勤。 あんまり身は入らなかったですが。

通夜、葬儀の時間が決まり、10月18日、また帰省。


妹さんもまた千葉からいらしてました。

今回はお袋の妹さんの夫、長男君も同行。

通夜の会場へ向かい、遺族の為の専用の部屋でしばし待機。

誰も話さないほど重い雰囲気ではありませんでした。

特に俺と従兄弟長男君は2010年8月(RB696 より)以来、8年振りの再会なので、

テンションこそ控えめ…というか上がらないですが、割と喋ってました。



通夜の席へ移動。

お顔拝見されますかとのことで、見させて頂くことに。

なんと言いますか、本当に安らかな、苦しみから解放されたお顔でした。

家族葬なので、人数は20人いない程度でしたでしょうか。

町内の僧侶による読経が始まり、

脳内でじいちゃんとの思い出を振り返ってました。

そして焼香が始まり、先頭ではなかったものの割と早めの番だったので

見様見真似でした。


通夜が終わり、いったん遺族控え室に戻り、

通夜振る舞いの席へ移動。

献杯の挨拶は先ほどの僧侶が行う。

じいちゃんとその僧侶さんは更に親の代から付き合いがあったらしく、

昭和10年代ごろからの思い出話を語って下さってました。

そのまま昭和20年代に突入し、

このままのペースで平成30年まで話されたら既に注いであるビールが

蒸発するなーとか思ってましたが、さすがにそれは大丈夫でした。


通夜振る舞いでは、改めて従兄弟長男君と、

過去の話や空白の8年間の話など。

このお袋の妹さん家族は、大体年に1回、お袋の実家へ帰省します。

彼らが来た時は基本的に俺もお袋の実家へ出向き、会うようにしてました。

俺と従兄弟長男君が特に仲良くなる要因を思い出す。



俺 「 多分もっと昔からこっち来るたびに会ってはいたんだろうけど、

   意識してというか楽しんで会いに行くようになったのは

   やっぱあのサザエさんとかの落書きしたノートとか使い始めた頃かな。 」


長男 「 謎のギャグ帳でしょ。 」


俺 「 ハハハハハ! よく覚えてるね。

   あれ多分まだぶちゃってないからね。 」 【 ぶちゃる=捨てる 】


長男 「 マジで? 残ってたらそれこそ…。 」


俺 「 20年物とかだよね。 あの辺りから多分ボケ倒すようになったんだと思う。 」


長男 「 俺の記憶の限りでは最初にれすとちゃんに

     会った時から既にボケ倒してた記憶しかないけど。 」


俺 「 ハハハハハ! 」

 



その他、お袋の実家はゲームが当然ながら無いので、

アナログゲームをやる場であった話、

俺らが幼稚園くらいの頃の映像が残っておりパラソルを俺らに向け、

俺らが大爆笑してるビデオがあった話、

従兄弟長男君が友達に目押し要らないからと初打ちさせられた

パチスロがミリオンゴッドだった話など、様々でした。


正直全く知らないお袋の実家側の親戚の方に送ってもらい、初日は終了。



翌日、また別の全く知らない親戚の方に迎えに来てもらい、

昨日と同じ葬儀場へ向かう。

開始時刻までしばし待機。



俺 「 そういや、仕事以外に趣味とかやってる事あんの? 」


長男君 「 帰った時の酒くらいかなー。 」


俺 「 四十台か。



あいつもおっさんになったなーと実感しましたね。




葬式が始まり、再び昨日と同じ僧侶が入場され、読経。

昨日の通夜より長かったんでしょうか。


昨日の通夜の際、小学校以前の記憶がこの10年で思い出せなくなってきたと話しました。

読経の間、じいちゃんとの思い出をまた振り返ろうとしたんですが、

どんなに遡っても、小学校低学年くらいの頃に、

ミニカーで遊んでて電話台のガラス突き破って俺が大泣きしてるところを

じいちゃんが優しくたしなめてくれてた記憶が一番古く、

それ以前の事は映像や音声で聞いた記憶であり思い出せませんでした。

小さい頃はよく遊びに行ってましたが、

次第にその従兄弟が来るときと年始くらいにしか行かなくなり、

大学へ進学した頃になると、正月も友達と出るようになって、

向こうの家に行くのも年に1度行くかどうか位の頻度になっていきました。

もう20歳過ぎれば成長してしまい孫も糞もないんでしょうけど、

やっぱりもっと会ってあげておくべきだったかなぁと、

後悔の念に駆られてました。

まぁそもそも読経を聞き流して後悔の念に勝手に駆られてるのも

どうなのかと思いますが。


昨日同様、焼香を行い、葬儀が終わりました。


一回、控え室に戻り、そのあとお別れの儀式。

棺桶に花を入れるのですが、花に余裕があったので一人何回か入れられる事に。

最期の花を入れ終わる頃、

それまで思い出がー、後悔がーなど思っていた事が全部吹っ飛び、

自然と涙が溢れ、こらえられませんでした。

あれがどういう感情だったかは覚えていません。

寂しいとか、永遠の別れとか、思うところはあったのでしょうけれど、

多分心で考えた感情ではない、直感的な物だったのかもしれません。

通夜、そして葬儀の際に泣かなかったので、

淡泊な孫でごめんねとか思っていましたが、やはりその時が来るとダメでした。


火葬場まで、ご飯や白玉、金銀の何かが乗った台を持つ役を急遽俺が担当する事に。

棺桶を霊柩車へ運び、火葬場へ向かう。

出棺の際は気付かなかったのですが、火葬場へ移動する際に

うちの親父が来ていた事に気付きました。


火葬場へ到着し、最期の対面。

ここでもまたこらえられませんでした。

最期の対面も済ませ、棺桶は火葬のシャッターの中へ進んでいきました。


…。


火葬場を後にし、通夜・葬儀の会場の横にある会場で、お斎。

コース料理となっており、

メインとなるほろっほろの肉が特に美味かったですね。


お斎も終わり、解散。

お袋の実家へ戻り、お袋たちはお礼参りへ。

ちょうどお袋たちが戻ってきた辺りで土砂降りの雨が。

テレビでは十数キロしか離れてない街でヒョウが降ったとやってました。


結果論ではありましたが、全てがいい方向に転んだと皆で言ってました。

16日、亡くなる当日に元気のある状態で見舞いが出来た事、

そのお見舞いも相談したわけではなく偶然日付が重なった事、

通夜・葬儀共に秋晴れだった事…。

優しいじいちゃんだったからこその徳なのかもしれません。


俺が帰るとお袋と、ばあちゃんの二人きりになるので、

二人きりにするべきか、ギリギリまで寂しさを紛らわせるよう残るべきか迷い、

俺は後者を取りました。



今日(10月20日)、新潟のアパートへ帰りました。

天気が悪く降ったりやんだりを繰り返してる天気。

晴れ間が出るときもあり、うっすらと虹が見えました。

なんか出来過ぎてて嘘っぽいですが本当に出ました。


そして道中に聞いた曲で、

 「 時間は綺麗なままで残酷に消える 」 という歌詞がありました。

どうしたって、時間は止まらない。

過ぎた時間もどうすることもできない。

痛いほど痛感した数日間でした。



ありがとう、じいちゃん。


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こんばんは、れすとです。


前回、Twitterでは「 弱い回 」 と評した割にはコメントが集まったんで

早々の更新です。 正直。



8月3~5日まで、新潟県長岡市に行ってきました。

東京編でお馴染みの、SHOXXXXという音ゲークラブイベントの関係者が

長岡花火を見に都内や神奈川から来るという事で、

俺も長岡で合流しご一緒させて頂く事に。

主なメンバーはドライバー、イベントではDJ担当のmutamesoさん、

もう一台のドライバー、イベントでは観客側のLayさん、

クラブイベントではVJ(映像)・DJ担当のランスケさん、

クラブイベントのカメラマン担当・よねさん、そして俺の計5人。

長岡花火編、いよいよ最終話です。



前回までのあらすじ。

東京勢5人と新潟勢である自分が長岡で合流し花火を堪能し柏崎で一泊。

翌日、柏崎→弥彦→岩室→長岡→川口と移動し川口の宿で一泊。

3日目、十日町へ行き森の学校・キョロロという昆虫博物館みたいなところへ。




○ 2018年8月5日(日)/12:00/十日町市・松之山 ○


松之山森の学校・キョロロを後にし、すぐそばにある美人林という場所へ。

後々調べましたが、ブナの樹の並びが美しいからこの呼び名になったそうな。

確かにまっすぐそびえ立つブナの樹が無数にあり、

空を見れば無数の葉っぱの緑が綺麗で、

そのおかげで木漏れ日が入って来る程度で他より若干涼しかったです。

一応追記しますが、8月の話ですからねコレ。



落ち葉を拾ってばらまいたり、山道を駆け回るメソさんのお子様。



Lay 「 子供は元気だなぁ…前までは言われる側だったのに…。 」


俺 「 あぁ…。 」




しみじみ。



美人林を後にし、今度は十日町市のへぎ蕎麦の店、小嶋屋本店へ。

キョロロの展望台の階段ですっかり疲労困憊。また少し寝てた気がします。


小嶋屋へ着くと、既に結構な人だかり。

30分待ちの為、外のテントでだらだら喋りながら待ってました。


座敷席で天へぎ蕎麦6人前、サラダ2つなどを注文。

十日町でへぎ蕎麦食ったのは多分初めてですね。

小千谷十日町へぎ蕎麦100年戦争をネタにしてますが、まぁ美味いですよね。

浜松へ行く際、十日町の蕎麦を土産として持って行く気がしなくて

ほぼノーブランドに近い地元のへぎ蕎麦持ってった威勢は何処へ。

結局、お替り蕎麦を計4皿程度注文したのでしょうか。



俺 「 俺からすると、ざるそば=へぎ蕎麦だったんで、

    初めてへぎ蕎麦じゃない、わさーっと盛られたざるそば見た時に、

    『 この店はなんてやる気が無いんだ 』 って思いましたからね。 」


全 「 ハハハハハ! 」



へぎ蕎麦って、1口ずつ食べやすいように折って盛られてるんで、

子供の頃はそれが当たり前だったんですよね。

何より、普通のざるそばを食う機会が実家以外無かったので。



再び山道をひた走り、六日町にある八海醸造へ。

ここでは酒蔵を見る…予定でしたが、ツアーのみらしく、

短時間で見て回れる貯蔵庫、お土産売り場などを見物。

貯蔵庫では日本酒の試飲も出来、俺は 「 八海山 雪室貯蔵酒 」 という

日本酒を試飲。 口に入れた瞬間フルーティーで甘みがあり、

けど飲み込む時は甘ったるくないという不思議な味。

すごく飲みやすく、美味かったとど同時に、これは危ないと思いました。

少量売りしてれば買おうかと思いましたが、720ml3000円は手が出ませんでしたね。



一通り見て回り、俺をおっぱなす為に浦佐駅へ向かう。

前述の通り、俺以外は埼玉、東京、神奈川から来てる皆様。

俺を含め全員この日(8月5日)のうちに帰らなくてはなりません。



俺 「 誰が一番最初に家に着くんでしょうね。

    新潟県の公共交通機関だと、

    下手すると俺じゃない可能性があるんですよね。


全 「 ハハハハハ! 」



浦佐駅到着。



俺 「 まず次の電車が1時間後とかの可能性があるから怖いんですよね。

    そうしたらもう新幹線というチート使いますわ。 」


全 「 ハハハハハ! 」




ここで皆様とお別れ。 お互い無事帰宅を祈り、解散しました。



結局、あと20分程度で電車が来るらしいので在来線で帰る事に。

一応、新幹線の値段を見てみましたが、5000円弱かかる為

在来線→高速バスという、時間とケツを犠牲にしたケチケチルートで帰る事に。


在来線で終点の長岡まで約50分。

少しでもブログ用の箇条書きメモ進めようとしましたが、眠くて断念。



時刻は17時半。 皆と別れて既に1時間。 ようやく中間地点の長岡へ到着。

いっそバス遅らせて長岡で飯食おうかとも思いましたが、

いいだけ中越漫喫したんで、金もないのでさっさと帰宅を取りました。

今度はちゃんと補助席ではない普通の席に座れました。

特に何を聴くわけでもなく、殆ど寝てたような気がします。


バスを下車して、夕飯の買い物をし、20時頃新潟市のアパートへ帰宅。

県内勢なのに浦佐から新潟市まで3時間半かかってます。

流石に今回は相手が神奈川・東京勢だった事に加えて車相手だったので

俺の方が早く到着しました。

余談ですが、皆さま6時間くらいかけて帰宅したようです。




関係各位の皆様、本当にお疲れ様&お越し頂きましてありがとうございました。

何よりお誘い頂きましてありがとうございました。

殆ど喋った事が無い方が2人いる中で新潟県を回る、

しかも前回の遠征から半月ほどしかなく殆ど準備期間取れない中での

参戦だったので、どうなるか不安でしたが、楽しかったです。


隣町なのに初めてまともに見た長岡花火、

合宿を思い出すような宿、

真骨頂であるゲーセン&ゲーム跡地周り、

普段泊まる事の無い晩飯朝食付きの宿、そこで行われるゲーム大会、

俺も知らなかった山奥のディープな観光スポット…

県内勢の俺ですらいい体験ができました。

何より、音ゲーマーでありながら音ゲー中心ではないオフ会といった感じで、

むしろ遅れてきた青春みたいな旅だったと思います。

普段Twitterでいろいろな物を共有している方々と

リアルで様々な事を共有できたこと、嬉しく思います。

また機会があればやってみたいと思った所存でございます。




さて次回からは新シリーズ。

多分、この2週間後に行われた俺の1人東京遠征編になると思います。

これも8月の出来事なので既に2ヶ月遅れという。四季折々の文章をお届けします。


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こんばんは、れすとです。


なんか、新潟県内、台風の影響なのか今日は一段と暑く、

上越地方では35度くらいまで行ったらしいですね。

10月だぞ、と。

新潟市内はそこまで行きませんでしたが、それでも30度程度。

扇風機面倒くさがって片付けないで良かったです。

さてそんな真夏のような気温の日に送る、実際に真夏の出来事の話。

既に2ヶ月遅れという有様。



8月3~5日まで、新潟県長岡市に行ってきました。

地元と隣町なんで行ってきたというほどでもないのですが、

地元に寄らなかった為この表現となります。

東京編でお馴染みの、SHOXXXXという音ゲークラブイベントの関係者が

長岡花火を見に都内や神奈川から来るという事で、

俺も長岡で合流しご一緒させて頂く事に。

主なメンバーはドライバー、イベントではDJ担当のmutamesoさん、

もう一台のドライバー、イベントでは観客側のLayさん、

クラブイベントではVJ(映像)・DJ担当のランスケさん、

クラブイベントのカメラマン担当・よねさん、そして俺の計5人。



前回までのあらすじ。

東京勢5人と新潟勢である自分が長岡で合流し花火を堪能し柏崎で一泊。

翌日、柏崎→弥彦→岩室→長岡→川口と移動し川口の宿で一泊。




○ 2018年8月5日(日)/7:55/ホテルサンローラ ○


起床。

妥協した7:40の目覚ましでも結局起きられず、気付けばこの時間。


2日前まで 「 ほぼ喋った事が無い人達 」 を前にして

しちゃいけない表情をしてたと思います、絶対。 朝は苦手。

そんな中、朝食。

ご飯、みそ汁、漬物、温泉卵、ポテトサラダ、鮭、梅干、いかと明太子などなど。

普段の質素な朝食とは打って変わって豪華な和食。

鮭の程よい焼き加減、漬物の程よいしょっぱさ、いかのいい具合なアレ、

大変美味しかったんですが、起きしなに食うにはしんどく、

めちゃくちゃ腹いっぱいになりました。


荷物をまとめてチェックアウト。

田んぼと山しか見えないような山道を延々進み、一路十日町へ。


最近の子供はテレホンカードを知らないのでは、という話に。

そこから、公衆電話の使い道の話に。



俺 「 携帯の電波が繋がらないとかだと、携帯で番号調べて掛けられるけど、

    携帯が死んだから電話できないってケースの場合、

    暗記してる電話番号ってマジで無いからメモが無いと

    殆どの場合公衆電話からも掛けられないっすよね。 」



正直誰が何を言ったかはっきりと覚えていないので会話起こしできないですが、

・実家の前の番号と今の番号が被る

・テレホンカードは当時の懸賞の大人数に当たる景品の筆頭、

 しかも今よりテレビ局とかも景気いいからか1回で100名とか普通に当たってた

・テレカの今から考えると謎の単位 『 度数 』。

などなど。

これ、8月の話なので、まさかそのあと北海道地震で

また公衆電話が見直される時が来るとは思ってもいませんでした。


今更ながらお互いの年齢公表。

ランスケさんとよねさんが同い年、その2歳下が俺、更に俺の6歳下がLayさん。



よね 「 歳結構離れてたんすね…。 」


Lay 「 大丈夫です、生まれてくる年間違えたと思ってるんで。 」


ランスケ 「 年上だったらどうしようとか思ってたら…。 」


全 「 ハハハハハ! 」


俺 「 昨日のあの全裸見てるから、なんか貫録あるなーとか…。 」


全 「 ハハハハハ! 」




十日町市の森の学校・キュロロという施設に到着。

昆虫博物館といえばいいのでしょうか。

その他、生きた蛇が何匹も水槽の中に飼われてたり、

ザリガニ釣りコーナーがあったり、

微生物・菌に関する解説コーナーがあったり、とにかく自然がテーマ。

中でもキノコの紹介で 「 昔は食用とされていたが致死量の毒がある 」 という文章に

どう突っ込んでいいのか分からなかった次第です。


施設の中に小さい小屋みたいなのがあり、

その中でカブトムシを放し飼いしてるブースもありました。

本当に壁や土の上にカブトムシが居ました。

元々、そこまで虫に強かったわけではないですが、

今見ると触る勇気は出なかったですね。


そして展望台があるのですが、行く手段が階段しかなく、しかも160段あるという。

だんだん空調が届かなくなってきてひたすら暑い。

足元にしかライトの無い、真っ暗な階段を延々と上っていく。

到着すると、他の方はともかく俺は想像してた通りの山と田んぼ。

外へは出られず、窓ガラスで180度くらいは展望できる屋内タイプなのですが、

窓ガラスがもうちょっと綺麗ならよかったんですがね。

この階段の上り下りが後々尾を引く事に。


松之山ボックスとやら物があり、引き出しを開けると

松之山に関するアイテムやその解説などが入っている…という物。

豪雪地帯ならではのアイテムが多い印象。

昭和20年代の松之山タイムズという地域新聞だったり、

出稼ぎ労働者の家族が書いた手紙を1つの本にしたもの、

かんじきの模型、なんかのホルマリン漬けなど。

油断してると、なんの解説もなく妙にリアルな人形が出てきたりして侮れません。

当時の松之山のゆるキャラだったのか、と。 全く緩くなくハードでしたが。




続きます。

次回、長岡花火編いよいよ最終回。 次回もお苦しみに。


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こんばんは、れすとです。


前回、日記シリーズの20周年お祝いコメント頂きありがとうございました。

ちょうど実家帰省から帰ってきた日に更新となりましてね。

今、あの日記はアパートにあるんで、

ちょうど実家からでは更新できなかったので時間ぎりぎりになった次第です。




さて、本編は引き続き長岡花火編。


8月3~5日まで、新潟県長岡市に行ってきました。

地元と隣町なんで行ってきたというほどでもないのですが、

地元に寄らなかった為この表現となります。

東京編でお馴染みの、SHOXXXXという音ゲークラブイベントの関係者が

長岡花火を見に都内や神奈川から来るという事で、

俺も長岡で合流しご一緒させて頂く事に。

主なメンバーはドライバー、イベントではDJ担当のmutamesoさん、

もう一台のドライバー、イベントでは観客側のLayさん、

クラブイベントではVJ(映像)・DJ担当のランスケさん、

クラブイベントのカメラマン担当・よねさん、そして俺の計5人。



前回までのあらすじ。

東京勢5人と新潟勢である自分が長岡で合流し花火を堪能。

柏崎へ行き、ドライヤーはおろかタオルすらない民宿で一泊。

翌日、柏崎→弥彦→岩室→長岡→川口と移動。



○ 2018年8月4日(土)/18:00/ホテルサンローラ川口 ○


地元を通り越してその隣町となる、川口町に到着。

山の上に温泉があるのは一応知ってましたが、

ホテルが併設されてるとは知りませんでした。

しかも内装も結構綺麗で、方言のババァが適当に案内するようなところでは無く、

ちゃんとしたホテルでした。


部屋に荷物を置き、すぐに夕飯。

焼き茄子と海老の浸し、おつくり、鴨ロース煮を筆頭とした小皿、

サラダ、海老衣揚げと野菜のグリル、チキントマト煮、鮭といくらの小丼、

もずく吸、スイカのゼリーかけといったメニュー。

美味かったです。

思えば、過去の遠征ではホテルで朝食が出た事は初期に何度かありましたが、

ホテルで夕食食った事は全く無かったのでは。


 

俺 「 東京とかでも、基本的にホテルは風呂と寝るところみたいになってるんで、

    夕飯なんてそもそも度外視してるんですよね。 」


メソ 「 食える時に食っとくみたいな? 」


俺 「 そんな感じです。

    後はもうどれだけゲーセンにいられるかみたいになってるんですよね。

   チェックインと終電が何時だから何時までゲーセンにいられるみたいな。 」


全 「 ハハハハハ! 」



全ての要素をゲーセン中心に考えてるんで、

観光はゲーセンの合間、下手すれば観光枠無しとかやってるんで、

今回の 「 音ゲーマーと集まってるけど観光メイン 」 みたいな

遠征は斬新ですね。

まぁ手袋さん以外と遠征するの初めてなんで全てが斬新ではありますが。



さて飯も食い終わり、風呂に入るかという事に。

温泉と、ホテルにある浴場の2か所があり、

温泉は21時まで、ホテルにある浴場は24時だか何時だか忘れましたが

時間に余裕がある代わりに小さめ。

まずは温泉に向かいましたが、既に消灯が始まってた為退却。

ゲームコーナーが少しだけあり、お子様向けの乗り物やプライズ、

そしてガンバレッドシリーズのどれかがありました。

Twitterのフォロワーさんが一人だけ喜ぶなって思いました。


ホテル側の風呂は、大浴場が一つだけとかなりシンプルな作り。

風呂なんてどうでもいい人向けですね。

体などを洗い終え、大浴場で雑談。

全裸でLast MassageというbeatmaniaIIDX(弐寺)の曲の振付を踊り出すLayさん。



俺 「 ヤだな、弐寺の真ん中に全裸でラスメ踊る人表示されてたら。 」


全 「 ハハハハハ! 」


Lay 「 出せる物は出しておかないと。 」 【 全く隠してない 】


よね 「 コレ撮影してVJの素材にしてくださいよ。 」


全 「 ハハハハハ! 」


ランスケ 「 機材置いてきちゃってるしなー。 」


俺 「 本当に流れたらマジもんの18禁イベント待ったなしですね。 」




まじまじ思う事。



俺 「 これ、宿が昨日と今日、逆じゃなくてよかったですねー。 」


全 「 確かに。 」


よね 「 昨日のこの時間はあんないい宿だったのに…とかなりますしね。 」




風呂は貸し切り状態だったので、割と自由でした。


部屋に戻り、俺とよねさんは自販機で買ったビールで乾杯。

昨日食わなかったサラダホープをつまみに飲み。

Layさんが持参したPS Oneでbeatmaniaをプレイ。

初代プレステにモニターがついたやつですね。

この脱力しきったオフ会感、これもまた今回の味でした。


横にヘッドホン音量調節がついている専コン、初めて触りました。

PS Oneの画面にティッシュペーパー畳んでかけるという、

タオルプレイならぬディッシュプレイを編み出しましたが、負けました。


続いてはビブリボン。

こちらはランスケさんがプレイ。 めっちゃ懐かしかったですね。

俺も少しやらせてもらいました。

意外とタイミングとかはすぐに思い出せましたね。

相変わらず見た目に反してタイミングが異常にシビア。



さて、以前Twitterで回ってきた、CSbeatmaniaのバグについて検証するLayさん。

6thで起動し、2nd、Yebis、3rd、GOTTA辺りをプレイしてスタートを押すと

オートプレイに変わる…という物。

あっさり成功してました。

どうもこのバグ、その後のリザルト画面のSEを

楽曲中のノーツにサインされている音に書き換える機能?もあるようで、

スコアが加算される効果音や選択肢を動かすときの効果音が

直前にプレイしてた曲に関する音になってました。

中でも、wild I/Oという曲がありまして、

ボーカルというかスキャットが 「 あああー 」 だけの曲なんですが、

このあああーがリザルト画面のスコア加算の音になってて大爆笑。

3回くらいいいだけ笑って、動画撮りたいという事で撮り始めてまた爆笑してますからね。

その時撮影した動画がこちら 。 Twitter直リンクです。


ひと段落ついてようやく消灯。



Lay 「 『 あああああー↓あああー↓ 』 」 【 真似 】


全 「 ハハハハハ! 」


ランスケ 「 辞めてくれ…。 」


俺 「 ダメな時間になってきた…。

    これで先に寝たら1時間ごとにあの動画流すぞ。 」


全 「 ハハハハハ! 」




- まだ笑ってる



俺 「 …。 」 【 録った動画流す 】


全 「 ハハハハハ! 」


Lay 「 動画はダメですって! 」



消灯してからの動画は破壊力ありました。

ノリが完全に修学旅行の夜って感じでしたね。

午前1時にこんな事やってる、平均年齢確か31歳のこの部屋。


結局例によって30分とか1時間眠れませんでしたが、それでもそのあとは朝まで寝られました。




続きます。

ヤな出来事を綴るブログと言うのがこのブログの主題ですが、

裏テーマに遅れてきた青春みたいな節があったりなかったりで、

まさか30過ぎてもこの手の内容書けるとは思ってませんでしたね。

さて次回は、県内の更に奥地へ。 次回もお苦しみに。


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こんばんは、れすとです。



さて、早速ではありますが、本日9月24日は

俺の日記シリーズの原点である会話日記を始めた日。

会話日記…文字通り、その日あった会話だけを書く、

どういう面白い会話をしたかという面白さだけを追求した乱暴な日記であり、

修学旅行でどこへ行ったなども、

その行った先でのパートの会話を書かないと記録として残らない

もはやそれは日記なのか的な日記でありました。

小学5年の頃、1週間の日記の提出という宿題が出て、

以降高校2年まで6年間続きました。



そんな会話日記、

1998年9月24日に始まり、20周年&21年目突入!!

20周年ですよ奥様! 

前述のとおり、会話日記自体は6年で終わってますが、

以降も 「 平凡新聞 」 「 粗茶室 」 というWEB日記にて

会話メインの回が存在する所謂俺の日記シリーズは続き、

当ブログに受け継がれております。


当ブログだと、地元編が当時の会話日記の空気に一番近いと思います。

殆ど会話だけの回で、

- で

とかで雑に区切られてる辺り、ト書きを書かなかった時代の名残みたいなもんです。

何より、登場人物が20年前とほぼ一緒ですからね。

地元友達と書かれてる人々はほぼ小中学校時代の友人ですし。


まぁ20年前の日記に出てきてた、暴言か奇声しか発さなかった人々も、

結婚したり、子供を持ったり、それ相当に大人になってます。



なんか、不思議なんですよね。

日記を始めた当初は多分深い考えとか無く、

「 面白かった会話そのまま書けば面白いんじゃね 」って考えしか無かったと思います。

今になって思えば、あの当時、まともなト書きとか書けるわけも無く、

感想表現も乏しいでしょうから、

多分書いてても面白くならないから続かなかったと思います。

そんな小学生の無理やり書かされた日記よりも、

あの当時ならではの発情期の猫みたいなハイテンションっぷりを、

あの当時の荒々しい字体で残してるというのが、

あんまり他の人はやってないんじゃないかなーと。

まぁ欠点があるとすれば、あの当時の俺は何を考えてたんだろうという

心理的部分は全く書かれてないので、ただ絶叫してる人で終わってる部分ですかね。

偶然から産まれた割には、今思うとよく考えられてるというか理に適ってるというか。

そして今でも小学5年時代の自分を超えられてない気がしてなりません。




さて、せっかく20周年なので、実際当時の日記をスキャンして、

名前の部分を伏せた物を準備したので、幾つか振り返ってみたいと思います。

まずは会話日記Vol.1。 1998年9月24日。 当時小学5年生。

正真正銘、第一回目です。

因みにこの第一回目からこのブログの今回まで、シリーズ累計で5128回目です。

宿題として提出している為、まだ日記として成立しており、

こういう流れがあって、こういう会話をした…と言うのが最初期のスタイルでした。

この 「 こういう流れがあって 」 はすぐ廃止され、1行程度に落ち着きます。

1回目から話数カウントしてる辺り、続ける気が多少なりあったのかなーと。

会話日記Vol1

続いて、会話日記Vol.268。 1999年11月22日。 当時小学6年生。

会話日記も1周年を超えましたが、まだまだ形式はよく変わります。

絶叫ネタが多い中、比較的ちゃんと会話と呼べる会話です。

思いついたネタを一方的に喋ってるだけな気もしますが。

因みに会話中に出てくる 「 あっぱ 」 とは、中越弁でう○この事です。


会話日記Vol268


続いて、会話日記Vol.500。 2000年11月24日。 当時中学1年生。

500回記念に、この神回です。

○回記念に置いても、とにかくその日あった会話しか書けない為、

当たり外れが割と大きいのですが、この500回記念は本当に神がかり的。

以後18年間、Web上のあだ名として使われ続けています。

あとこのブログでは基本的には 「 ハハハハハ! 」 で統一されてますが、

この会話日記では割と爆笑度合いをリアルに再現してました。


1ヶ月で60ページのノートが無くなるほど、1回の長文化が著しい時代。

従来からある遊びの際の会話は元より、恋愛話、下ネタなど、

今では逆に小学時代よりも気恥ずかしくなる内容盛りだくさん。

黄金時代の幕開けです。



会話日記Vol500


続いて、会話日記Vol.796。 2002年3月14-16日。 当時中学2年生。

京都奈良修学旅行編。

登校した日のみ書く日記であり、1登校=1回としてカウントしている為、

修学旅行編は帰宅しないので全日通して1回というカウントでした。

この話は、今も地元編で出てくる 「 CC班 」 が、

本来のこの班の活動である修学旅行の自主研修を行ってる時の物です。

この自主研修C組C班、略してCC班は、自主研修のテーマが食。

そしてスポットを当てたのが、俺が嫌いな和菓子でした。 なのでうなだれてます。


因みに32ページ、掲載した会話が67話と当時ぶっちぎりの新記録でした。

今と違って携帯など持っていないのでさっとメモも取れないですし、

記憶力あったんだなーって思いますね。


会話日記Vol796


最後は会話日記Vol.1277、1278。 2004年9月9日、10日。 当時高校2年生。

この会話日記、Vol.1282の沖縄編を持って最終回を迎えてる為、

これは最末期の物です。 これですら14年前ですが。

流石に高校生になり、文字が大分落ち着いてきてますね。

小声で言った表現を表してる為小さくて読みづらいですが、

アルプル氏は 「 金無ぇ… 」 と言ってます。


もうWeb日記に力を入れてた時代ですが、こうしてみるとまだ頑張ってるなーと。

Web日記も2個目がノリにノッており、正直辞め時を考えてた時期に、

中越地震が来たのを機に辞めました。

なので正式な最終回は書いてないんですよね。



会話日記Vol1277-1278


というわけで、会話日記20周年記念と題して、

当時の日記をスキャンした物を使ってお送りしてまいりました。

何度も書きますが、この日記自体は2004年10月に終わっており、

その後もこの会話をそのまま書くというスタイルは

以後のWeb日記、そしてこのブログにも生かされてる為、

あくまで日記を書き始めて20周年を迎えた…と言うわけであり、

今も続けてるとか、このブログが20周年とか、そういうわけではありませんので。

まぁもはやこのブログが10年半続いてる事の方が驚くべき事な気もしますが。


あと何気に画像をふんだんに使った回となりましたが、

何冊か読み直したりスキャンしたり画像修正したり本文書いたりで

3時間以上かかったのでもうやりたくないですね。

人間、20年も経つとこうもやる気が無くなるものですか。

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