バーカウンターから
退屈じゃないですか?
カウンターに並んでいた男は
長い世間話の後でわたしがそう聞くと
初めてこちらを向いた。
男としては
十分に老いたまなざしで。
男の肩書は大きく
でも言葉は弱く
口慣れた様子の言い訳を三度も繰り返して
あたりさわりのない意見を吐いた。
本当に?
返事なんて期待しない。
わたしはただ男の手を見ていた。
タンブラーを持つ男の
大きな手に見合った
長く筋張った指と皮膚
堅そうなひびのある爪を。
疲弊して用心深くなった男たちは
たいてい
まっすぐわたしの目を見ない。
だから視線を外して笑顔をみせ
敵意がないことを伝えるしかない。
― きみ、名前は?
ここでピアノ演奏。
ようやく
グラスの中で解けた氷が鳴る。
あまりにもブログを書いていなかったので
最近の出来事をもとに軽く書いてみました。
こんな年齢になって
人に理解されない!!なんて滑稽ですね。
いつも訪問してくださる方、ありがとうございます。
アクセス見て元気がでました。本当にうれしかったです。
こんな短いものでなく、いつかきちんとした小説を皆さんに読んでいただきたいです。
ひらたいスプーンのかたち
テーブルの同じすみに
いつも
あなたは書置きをおいた。
それは薄い茶色の紙で
僕に
剥がれ落ちた皮膚を思わせる。
端はちぎられて毛羽立ち
ゆるく反って乾き
行き先と
帰宅時間が
句点も読点もなく
簡潔に記してあった。
窓は開いている。
だから
部屋には
風が吹いている。
重石はいつも
銀色の平たい
デザートスプーンで
僕は無造作にそれを手に取り
重さをなくした伝言は
部屋のどこかへ飛ばされていく。
冷蔵庫にはバニラアイス。
何かを確実に慰める甘さ。
平らなかたちのせいで
アイスが
口の中で溶けた後でも
スプーンだけは
舌の上に長く休んでいる。
あなたの最後の旅立ちのとき
行き先も帰宅時間もない
書置きの前で
ずっと言えなかった
ひとつのことばが
銀のスプーンのように
かたく
舌の上に残った。
先週、諏訪敦さんのお話を聞きに
恵比寿へ行きました。
小さな部屋の中
スライドで諏訪さんの
製作過程など観ながら
お話を聞くのは思っていたとおり
濃くすばらしい時間でした。
心に残ったのは
諏訪さんがお父様の死の傍らで
遺体をスケッチした話。
わたしは自分の両親の死の傍らに
いたときのことを思い出していました。
母は十代のとき父は三年前。
二人とも事故でなくなったために
病院に駆けつけたときには
死にいく状況で……。
肉死の死を目の前にしてわたしは
とても静かな気持ちでした。
そこに両親のかたちはあっても
もうそこに彼らがいないこと
もうもどってこないことがわかったのです。
死というもの。彼らの不在。
それを受け入れようとする、のではなく
それを一瞬に受け入れてしまった自分。
ただ目の前にあるのは
見たことのない
現実の「かたち」なのです。
わたしには死に対する憧憬も畏怖もありません。
死は人として自然なもの、圧倒的事実だ、という
静かな気持ち、静かな自分自身の視線があるだけです。
屹立
燃え上がる華
滴り落ちる体液
ああ なんて
姿勢の良い腐敗。
横になっていても
脊椎は伸びねじれない。
立ちのぼる死臭と
しだれ落ちる内臓がかもす
狂気は常に屹立する。
美しさより
ただしさの方向を指す。
松井冬子展に行きました。
期待を裏切らないすばらしさでした。
日本画はみなれていないけれど
下図など創作過程もみられて面白かったです。
彼女の絵から感じたものを
書きました。
人生を美しく描くことに後ろめたさは必要か。
わたしたちは
大人だった。
酒に酔い
人に酔わず
狭い場所で
膝を突き合わせ
何かを
伝えようと思えるくらいに
十分に大人で。
ここに視線を延ばす海があり
オンショアの風を浴びながらなら
あの人はああして
わたしを責めただろうか。
「うそつき」
何度も
人に言われたように
初めて
あの人が告げた。
「うそつき」
だけど
あの人のいう本当だって
本当ではない。
人も
人生も
世界も
あの人が言うよりは
もっとずっと綺麗だ。
あの人の
用心深さ。
あの人の
責任感が
そう言わせるのだろう。
わたしを「うそつき」と
呼ぶのだろう。
物語を
美しく描くことに
罪悪感を持てと言うのだ。
なぜか
あんなにも心から
くやしそうに。
先月
角田さんに
小説をみていただくことができました。
本当に幸せなことです。
角田さんは正義感の強い方で
そこがとても好きなのですが
(わたしにとって)嫌なこと、ひどいことも
小説に書いていかなければと言われました。
今日のこれを書いたのは
そのことに対する反発ではないのです。
うそつきなんて言われていませんし。
ただ
現実から目をそらすためではなくて
現実を受け止めていくために
世界が美しく見える見方を
示したいと思うことがあります。
どこかで戦っているひとたちに
そういう
声のかけ方もあると思うのです。
骨
画家の頭が
骨を
舐めさせるのだ。
唇から差し込んだ
舌先が
まず触れるのは
硬い歯で
ながいこと
人のかたちを
骨格で
捕らえてきた画家は
詩人の唇の中に
味のない
骨のかけらをさぐり
ほっと息をつく。
甘いことばに
取り乱すべきじゃなかった。
お前に
特別なところなどない。
ただわたしはいつものように
対象を確かめたいだけだ。
詩人は黙っている。
黙って画家に舐めさせる。
ながいこと
人の表情を
筋肉で
捕らえてきた画家は
詩人の唇から
ほほの上に
まぶたの上にまで
舌をはわせ笑顔をなぞる。
いつもしてきたようにする。
視覚と同じように触覚でつかむ。
詩人は微笑み
こっそりと読み続けた。
忘れないで。
触れることは
同時に
触れられること。
舌はどちらにも甘く暖かかった。
諏訪敦さんの絵が好きで
画集「どうせなにもみえない」を思いながら
勝手にこれを書きました。
私の好きな角田光代さんの
「かなたの子」の装丁に
諏訪さんの絵が使われたのを知り
また嬉しくなったり。
今月、角田光代さんに
小説の講座で私のとても短い小説を
読んでもらえそうです。
楽しみですが、緊張します。
バレンタインデイ キス
甘さを感じるために
わたしは舌を使い
やわらかさを感じるために
あなたは唇を使う。
ねえ、どっちが熱い?
あの硬いチョコレートを
先に溶かしてしまうのは?
濡れているから
わたしは舌を選び
包みこめるから
あなたは唇を選ぶ。
夢中になって
どろどろで
べとべとになって
無邪気な競争が終わった後で
汚れた場所を
ぬぐいあう。
できるだけ器用に
できるだけやさしく
お互いお気に入りの
舌と
唇を使って。
映画「ものすごくうるさくて
ありえないほど近い」を観ました。
悲しく美しく
きっと忘れられないと思います。