ひらたいスプーンのかたち
テーブルの同じすみに
いつも
あなたは書置きをおいた。
それは薄い茶色の紙で
僕に
剥がれ落ちた皮膚を思わせる。
端はちぎられて毛羽立ち
ゆるく反って乾き
行き先と
帰宅時間が
句点も読点もなく
簡潔に記してあった。
窓は開いている。
だから
部屋には
風が吹いている。
重石はいつも
銀色の平たい
デザートスプーンで
僕は無造作にそれを手に取り
重さをなくした伝言は
部屋のどこかへ飛ばされていく。
冷蔵庫にはバニラアイス。
何かを確実に慰める甘さ。
平らなかたちのせいで
アイスが
口の中で溶けた後でも
スプーンだけは
舌の上に長く休んでいる。
あなたの最後の旅立ちのとき
行き先も帰宅時間もない
書置きの前で
ずっと言えなかった
ひとつのことばが
銀のスプーンのように
かたく
舌の上に残った。
先週、諏訪敦さんのお話を聞きに
恵比寿へ行きました。
小さな部屋の中
スライドで諏訪さんの
製作過程など観ながら
お話を聞くのは思っていたとおり
濃くすばらしい時間でした。
心に残ったのは
諏訪さんがお父様の死の傍らで
遺体をスケッチした話。
わたしは自分の両親の死の傍らに
いたときのことを思い出していました。
母は十代のとき父は三年前。
二人とも事故でなくなったために
病院に駆けつけたときには
死にいく状況で……。
肉死の死を目の前にしてわたしは
とても静かな気持ちでした。
そこに両親のかたちはあっても
もうそこに彼らがいないこと
もうもどってこないことがわかったのです。
死というもの。彼らの不在。
それを受け入れようとする、のではなく
それを一瞬に受け入れてしまった自分。
ただ目の前にあるのは
見たことのない
現実の「かたち」なのです。
わたしには死に対する憧憬も畏怖もありません。
死は人として自然なもの、圧倒的事実だ、という
静かな気持ち、静かな自分自身の視線があるだけです。