日本における男性の平均推定身長は、時代によって大きく異なっています。
この男性の平均推定身長の推移に関連した大学入試問題がありました。
この入試問題には、縄文時代の男性の平均推定身長は「157㎝」、弥生時代の男性の平均推定身長が「163㎝」と書かれてあり、弥生時代に平均身長が飛躍的に高くなっている理由を考えさせるものでした。
縄文時代と弥生時代の異なった特徴を考えさせるには、とても良い問題だと感じました😊
今回は、なぜ弥生人男性は縄文人男性より背が高いのかについて考えを深めてみたいと思います。
身長が伸びる理由としては、やはり栄養が大変深く関わっていると考えられます。
縄文時代の人々の生活は、狩猟・漁労・採取によって支えられていました。
狩猟のおもな対象は二ホンシカ🦌とイノシシ🐗であり、動きの素早いこれらの動物を捕獲するために弓矢が発明されました。
また、海面が上昇する海進の結果、日本列島は入江の多い島国になり、漁労の発達が促されます。
丸木舟⛵が各地で発見されており、伊豆大島や八丈島にまで縄文人は漁に出ていたことが確認されています。
さらに植物性食料への重要性が高まる中、クリ・クルミ・トチ・ドングリなどが採取されるとともに、クリ林の管理・増殖、マメ類・エゴマ・ヒョウタンの栽培や、一部で農耕につながる取り組みもなされていたと考えられています。
縄文時代の前の時代である旧石器時代では、漁労が行われていた痕跡が見つかっておらず、さらに現在よりも低気温だったため食用に値する植物性食料も乏しかったと考えられますので、縄文時代は前代と比べてはるかに豊かな食生活であったはずです。
弥生時代はどうであったでしょうか❓
弥生時代は水稲耕作を基礎とする時代です。
狩猟・漁労・採取・栽培の他に食料生産が行われたわけですから、縄文時代に比べて一層安定した食生活を送ることができたと考えられます。
狩猟・漁労・採取は気象条件に大きく左右されます。
動物・魚・木の実がいつも豊富に獲得できるわけでは決してありません。
十分な栄養を安定的に摂取することが相当に難しかったのです。
縄文時代晩期に日本に伝来した農耕文化は、人々の定住化を進めるとともに、口にすることのできる食物の種類を増やすことに大きく貢献しました。
弥生時代の人々は、縄文時代の人々よりも安定的に栄養価の高い食物を摂取することができたのです。
では、栄養の面以外ではどうでしょうか❓
高等学校で使用する日本史の教科書には、次のような記述がなされています。
「弥生人骨の中には、縄文人骨に比べて背が高く、顔は面長で起伏の少ないものがみられる。」
日本人を含むモンゴロイド(アジア人種)は、古モンゴロイドと新モンゴロイドにわけることができます。
低身長で、顔が幅広く高さが低く、凹凸に富むという古モンゴロイドの特徴は縄文人にみられます。
日本に弥生文化(農耕・金属器などを伴う文化)を持ち込んだ弥生人は、朝鮮半島から日本へ渡ってきた渡来人(とらいじん)たちであり、彼らは新モンゴロイドの特徴を持っていました。
縄文人が弥生人になったのではありません。
縄文人と弥生人は、同じモンゴロイドでも「新・古」の違いがあるのです。
新モンゴロイドである弥生人は、古モンゴロイドである縄文人に比べて高身長で面長という特徴を持っています。
ですから、そもそも弥生人は縄文人より背が高いのです。
縄文人より背の高い弥生人が、縄文時代より安定した食生活を営んだわけですから、一層成長が促進されたということになります。
なぜ弥生人は縄文人より背が高いのかという問いは、結局のところ縄文時代と弥生時代の特徴の差異、古モンゴロイド(縄文人)と新モンゴロイド(弥生人)の特徴の差異について、しっかり学習がなされているのかを問うているということになります😊
こういう問いは、教科書の太字をただ暗記するだけの学習では絶対に解くことができません。
時代の特徴と構造、その時代に生きた人々の営みがその後にどのような影響を与えたのか、など歴史を多角的に見る努力をする必要があります。
その際に必要とされるものが、「なぜ」という疑問です。
歴史における「なぜ」が大学入試問題で問われているのです。
歴史用語の暗記で終始する勉強はやめて、歴史の「なぜ」を考える勉強をして欲しいと強く思っています。