『DISCOVERY』―過去からの脱却、そして未来へ―
この歌は個人的に始めてミスチルライブに行った時の
確か1曲目立ったので非常に良く覚えてます。武道館
だったかな~ 九段下の。。
ただ、この歌を初めてCD聴いたときの感想は終に
櫻井さんは救われたのか。色々あったプライベートな
事なんかから吹っ切れたのか!という感想をもったこと
を覚えてます。
深海、ボレロと過去に対する懺悔のようなもの、後悔、
女々しさがメインに出ていたのに対し、このアルバムで
やっと前を進み出した感があります。
『星になれたら』の「長く助走をとった方がより遠くに
飛べるって聞いた」をまさに体現するがごとく、長い
助走期間を超えて前にもっと前に進みだす未来への
出発点になっているのではないかと思います。
今まで(深海、ボレロと)長い間助走を取ってきた分
ここからのミスチルは本当に前向きに羽ばたいて
いるように思います。今に至るまで、、
そんなことを考えながら、ターニングポイントの(僕は勝手に第2期ミスチル
と呼んでます)この詩の内容を見てみます。
DISCOVERY
まずはタイトルの『DISCOVRY』この言葉はいかにも
前向きな言葉では無いでしょうか!?
僕はあえてこの英単語をこの文の中で意訳すると
『前に進め』『前に進んで見つけろ』という命令形の
動詞ではないかと思う。
最初当たり前に『発見』という名詞として読んでましたけど、
どうもしっかりこの歌詞を読んでいくと動詞であることに
気が付きました。(ただの勘違いかもしれませんが)
ただ、動詞であることの意味は動詞の原型不定詞つまり
(自分への)命令形なのでかなり強い意志を
表していることが興味深いです。
つまり自分自身に『がんばれ、前に進むんだ』と言い聞かせて
いるのだと思います。
空き缶を蹴り飛ばして 悲しみをポケットにしまって
振り向かずに DISCOVERY
険しくとも歩みゆく ただ君の手を取って
真直ぐに DISCOVERY
もう、過去の悲しさを胸にしまって、後悔せずに、振り返らずに
前に進もう。
辛かったり、悲しかったりするけど君(今ある現実)を受け入れて
まっすぐ進んでいこう。
夕立に襟を立て 水たまりに自由を写して
僕らなりに DISCOVERY
大切な人を失くして 時が流れ忘れ
浮かばれんが DISCOVERY
どんな困難があっても胸を張り、その中に自分の夢を見つけ
自分なりに進んでいこう。
大切なものをなくして、今は悲しくてしょうがないけど、
その人を忘れるのは辛いが、それでも前に前に進んで
いこう。
大地を切り開いて 魂を解き放て
成せば成る DISCOVERY
心に翼を持って この愛を両手に抱いて
振り向かずに DISCOVERY
新たな人生を見つけ、未来を見ていこう。
やれば必ずできる。だから、とにかく今は
前に進もう。
もっと自由に、過去に囚われず、今ある現実を
愛して、うじうじすることなく前(=未来)だけを
見て生きていこう。
というのが僕なりの翻訳です。かっなり僕の私心も
込めた意訳です。
僕も、昔。丁度このアルバムが出てた頃に丁度過去を
引きずっていて、前に進めないときにこの曲を聴いて
ホントに救われました。
この歌を聴き明確に自分が何かに進みだしたわけではないけど
後ろ向きな発想から前向きな発想に自分自身も転換できたのを
覚えています。
振り返って見ると、ミスチルを聞きすぎて影響されたせいか
彼らが悩んでいるときは悩み、前を向いていたとき前を向き
とシンクロ二ティー(共時性)を感じるのは僕だけではないの
ではないかな?
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『いつでも微笑みを』―無限の欲望と死―
『いつでも微笑を』は人が持つ『無限の欲望』を語った
詩であろう。
狭い路地に 黒いスーツの人達
街を歩いているときに見た葬式で自分の死を意識する。 何時か終わりが来ることはもちろんわかっていはいるが 自分の中から出てくる無限の欲望を人はとどめることが できない。理屈ではわかっているが、人を傷つけても、 それが空しいことがわかっていても自分の欲望を満た そうとしてしまう。
いつでも微笑みを
昔は、幼いことはすべてのものに感謝し、笑っていようと 思えていた。欲望に埋もれるこんな現在の自分だから こそそんな気持ちを思い出したほうがいい!!
いつでも微笑みを
でも、こんな世知辛い欲望だけの世の中では そんなこといってもしょうがないのかな~!? と嘆いてみる。
もし僕がこの世から巣立って逝っても
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自分の死を見つめると、考えると本当はただ死ぬときに
誰かの中に自分の存在が残ればいいだけなのに~
そう思うと、なんだか欲望なんかくそくらえ~とちょっと
自信が出てくる。
そう だからいつも いつでも微笑を いつでも微笑を
いつでも微笑を
そう思うから、誰かにずっと覚えてもらえるように、せめて自分くらいは
いつもいつもわらっていよう!!今の生活に感謝しよう~。そんな風に
思うよ。。
この詩で考えさせられるのは、生きるための欲望を叶えることが
人生の目標なのか、人に思われて、愛されて死ぬのが本来の
目的なのか!?ということである。
櫻井さん自身は欲望は無限だから満たされることは無い。
人に愛されてしにたい。そんな風に思っているのかもしれません。
もちろん僕もそうでありたい。でも、まだまだ弱いからそんな風に
割り切れることは出来ない。
欲望に勝つこと。なんか後期のミスチルは完全に仏教の世界
の問答に思えてくる。恐らく、桜井さんでもまだ葛藤しているのでは
ないでしょうか。
欲の無い、完全な人間になりたい(=解脱したい)と思う反面
俗世の中に生きる欲にまみれた自分。
どちらの自分も悪くないかもしれません。
いや、欲や感情に素直でありたいと思う自分さえもいる。
だから、僕(人間)は欲塗れにも無欲にもなれない。
そこにあるのが『理性』なのだと思う。
It's a wounderful world Mr.Children
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000640Q6/249-6545534-6821905
⇒上手くリンクできなかったのでこれで。。。
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狭い路地に 黒いスーツの人達 急な不幸がその家にあったという 命は果てるもの 分かってはいるけど 何もかも思い通りになったとしても すぐ次の不満を探してしまうだろう 決して満たされない 誰かが傷付いても いつでも微笑みを そんな歌が昔あったような 今こそ その歌を 僕たちは歌うべきじゃないかなぁ いつでも微笑みを そんな歌が昔あったような 悲劇の真ん中じゃ その歌は 意味をなくしてしまうかなぁ もし僕がこの世から巣立って逝っても 君の中で僕は生き続けるだろう そう思えば何とか やっていけそうだよ そう だからいつも いつでも微笑を いつでも微笑を いつでも微笑を |
マシンガンをぶっ放せ-Mr.Children Bootleg~a value judgment~
この文章を書くとき初めて気が付きました。
この歌のサブタイトルに『Mr.Children Bootleg』という
物が付いたことに。
>『深海』レコーディング時に作られていながら収録されなかったという意味で,{Mr.Children#Bootleg}という>サブ・タイトルがついているマキシ・シングル。これを聴くと,桜井和寿の詩人としての素晴らしさを改めて感>じることができる
ということです。ミスチルファンとしては恥ずかしいことにその事実に
今日はじめて気が付きました・・・
ま、そんな前置きはさておきこの詩を解説するときつけたのは
~a value judgment=価値判断~です。
この詩はミスチルとしては珍しく、また桜井さんとしては珍しく
彼の価値観を直接的に歌っているような気がします。
あのニュースキャスターが人類を代弁して喋る
「また核実験をするなんて一体どういうつもり?」
愛にしゃぶりついたんさい
愛にすがりついたんさい
やがて来る“死の存在”に目を背け過ごすけど
残念ですが僕が生きている事に意味はない
愛せよ目の前の不条理を
憎めよ都合のいい道徳を
そして僕に才能をくれ
⇒偽善をNoとする。自分の存在意義を否定する。一般的価値観=道徳も
偽善としてとらえている。
でも、生きていれば必ず感じる不条理のみを肯定する。
見えない敵にマシンガンをぶっ放せ Sister and Brother
正義も悪もないこの時代を行進していく兵士です
殺人鬼も聖者も凡人も共存してくしかないんですね
触らなくたって神は祟っちゃう
救いの唄は聞こえちゃこないさ
⇒そう、本当は否定も肯定もできないことが多い世の中で
敵か見方、良いことか悪いことかも良くわからない判断の
付かない人生を歩んでいる。そんなことを考えていても
考えなくても供に生きるしかないし、生きていればいやなこと
ばかりが起こるのではないかと思う
参考書を持って挑んだんじゃ一生謎は解けぬ
良識を重んじてる善人がもはや罪だよ
愛せよ目の前の疫病を
憎めよ無能なる組織を
そして僕にコンドームをくれ
⇒そんな難しい世の中だけど、当たり前の価値観を
信じている人はもはや馬鹿である。
世の中の悪を一度愛してみろ、当たり前に思う
自分の周りを疑ってみろ。
そして、そんな悪を一つでも防いでみろ!!
僕は昇りまた落ちてゆく 愛に似た金を握って
どうせ逆らえぬ人を殴った 天使の様な素振りで
毒蜘蛛も犬も乳飲み子も共存すべきだよと言って
偽らざる人がいるはずないじゃん
この現実に目を向けなさい
⇒人生は上手くいくときも、だめなときもある。
上手くいっているときには調子に乗り、綺麗な
言葉を吐くけど、結局でもホントは皆偽善なんだろ!!
愛せよ単調な生活を
鏡に映っている人物を
憎めよ生まれてきた悲劇を
飼い慣らされちまった本能を
そして事の真相をえぐれ
⇒そんなときこそ、自分の生活を、自分自身を
自分の運命を肯定して、そして本当の自分を
本質を見抜け!!
見えない敵にマシンガンをぶっ放せ Sister and Brother
天に唾を吐きかけるような行き場のない怒りです
宗教も化学もUFOも信じれるから悲惨で
絡まりあって本心偽って
めくるめくの every day
僕は昇りまた落ちてゆく
何だってまかり通る世界へ
⇒そんな風に自分の目で見ると、今まで自分が飲まれてきた
価値観にうんざりし、本心を偽っていたことに気が付く。
そうすると、今まで信じられなかった価値観、胡散臭いと
思っていた価値観すらすべて信じられるように思えてくる。
結局この歌のいいたいことは、これが良い、悪いでは無く
『自分の価値観を持て』ということではないかな~
今回は普通でした。。複雑なことでもシンプルなのが
Mr.Childrenなんでしょうね!!
- Mr.Children, 桜井和寿, 小林武史
- マシンガンをぶっ放せ~ミスター・チルドレン・ブートレグ
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あのニュースキャスターが人類を代弁して喋る 「また核実験をするなんて一体どういうつもり?」 愛にしゃぶりついたんさい 愛にすがりついたんさい やがて来る“死の存在”に目を背け過ごすけど 残念ですが僕が生きている事に意味はない 愛せよ目の前の不条理を 憎めよ都合のいい道徳を そして僕に才能をくれ 見えない敵にマシンガンをぶっ放せ Sister and Brother 正義も悪もないこの時代を行進していく兵士です 殺人鬼も聖者も凡人も共存してくしかないんですね 触らなくたって神は祟っちゃう 救いの唄は聞こえちゃこないさ 参考書を持って挑んだんじゃ一生謎は解けぬ 良識を重んじてる善人がもはや罪だよ 愛せよ目の前の疫病を 憎めよ無能なる組織を そして僕にコンドームをくれ 僕は昇りまた落ちてゆく 愛に似た金を握って どうせ逆らえぬ人を殴った 天使の様な素振りで 毒蜘蛛も犬も乳飲み子も共存すべきだよと言って 偽らざる人がいるはずないじゃん この現実に目を向けなさい |
『跳べ』――過去の影響下にある潜在意識を変えるには――
前回、前々回の『シーラカンス』『深海』では過去の
経験から生まれる変えることのできない潜在意識の
影響に関して書いてきましたが、では人は大きく変化し
進化することはできないのか?ということに関して
『跳べ』という詩を基にしていきます。
以前も書きましたが櫻井さんはおそらく、深海、BOLERO
の頃からとその後で詩の感じが変化したのはその辺の
答えを見つけ出したからなのではないでしょうか!?
つまり、これ以降、特に最近の曲になればなるほど未来志向の
詩に変わっているような気がするのです。今の僕にとっては
一番この詩が気分に会っている気がします!!
この詩を一々引用すると長すぎるので感想だけ書きます。
歌詞は一番下に書いておきます。興味のある人は
見てみてください
はじめに平凡なこの歌の主人公がいつも変わろうと
がんばってはいるけど、結局いつまでたっても変われない
と嘆いています。
ところがある日へんてこな夢を見て、次の日夢に出てきた
死んだお婆ちゃんの仏壇に手を合わせた瞬間に自分の
理由はわからないが頭が整理され、すべきこと急にかった
のです。
「そーなんだ自分でできないって決め付けてただけじゃないか~」
となるわけです。
そう、ここで主人公は急にポジティブに変わるのです。
そして、今までネガティブに捕らえていた事象がすべて
変化するきっかけに見えてくるのです。
大脳生理学的に、脳は一般的に過去形、未来形ではなく
現在形、つまり「したい!」や「できなった」ではなく「~する、
している」という目標しか実現ができないそうです。
スポーツ選手の行うイメージトレーニングは必ずかつシーンを
思い浮かべるのです。誰かが言ってましたが、勝負はすでに
イメージで勝っているほうの勝ちなのです。
脳はイメージと現実のギャップがどうも許せないらしいのです。
この詩からはこんなことが読み取れるのではないでしょうか!!
つまり、潜在意識を変える最上の手段はイメージ、言葉を変える
ただそれだけだったのです。
言い訳や言い逃れを排除して、後は成功イメージをはっきり
思い描けば、人はなりたい自分に進化、成長できるのです。
こうしてみると、最近の詩と昔の詩では大きく捉え方が
変わってますね~。
僕は圧倒的に今のMr.Childrenの考え方のほうが好きです。
- Mr.Children, Kazutoshi Sakurai, Takeshi Kobayashi
- I LOVE U
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大体 君の知っての通りだ 頑張っちゃいるんだけれど 実際はこんなスケールの小さなボンクラ 中肉中背 ガキの頃から これといった特技はなく 褒められも 叱られもしないで来たんです 変わんなくちゃ今日で終わりにしなくちゃなぁ 毎回誓い立てるけど 一向に標的へと進んでる気がしない 腰痛と偏頭痛 抱えてる 家庭環境も良くは無い そんなネタを楯にして逃げてばかりで この間 ヘンテコな夢を見た おばあちゃんが出てきて 弱った僕をおんぶしてくれて 悪い奴らをやっつけた その翌朝 仏壇に手を 合わせて お礼を言って そこで世界がクリアに見えた どういった理由かは分からない 実際 そうだったんだからそれでいい 跳べ! 向かい風に乗って 「どうせ出来やしない」と植え付けた自己暗示を引っこ抜いて呪縛を 解け!カーペットの上 ソファーの上 思い立った瞬間 そこは滑走路 跳べ 跳べ 通りを我が物顔して 馬鹿騒ぎしてる若人に 実際はちょっとジェラシー感じていたりします 安定を得るために切り捨てた 衝動が化けて出てきて 枕元で言うんだ 「跳びたい 跳びたい」と プリン体の存在を知れば 選ぶビールを変える 日本中がみんな みのもんた 生き抜く秘訣を手にしたい だけど昨日 夜が明けるまで 浴びるほど呑んで なぜかそれ以来調子いいんだ どういった理由かは分からない 実際 そうだったんだからそれでいい 跳べ! イメージの羽 ばたつかせて失敗を前提にした言い逃れを引っこ抜いて呪縛を 解け!滑り台の上 ベンチの上 思い立った瞬間 そこは出発点 跳べ 跳べ 自分を縛ってる命綱 そいつを離してみるんだ そして自由を掴み取るんだ 取るんだ ワン ツーのスリー GO!で走り出すんだ 目指すべき場所はなくとも いつか辿り着くんだ 跳ぶんだ そうだ ここが出発点 そうだ ここが滑走路 羽を開き 呪縛を解き そうだ ここが出発点 そうだ ここが滑走路 目指すべき場所はなくとも離陸せよ! |
『深海』――今を規定する過去~潜在意識と顕在意識②~――
飽きない内にということで、早速本日第2段として
アルバム深海より『深海』についてコメントします。
今を規定する過去~潜在意識と顕在意識①の方で散々長々と
書き尽くした『シーラカンス』とペアになっている詩です。
初めに『シーラカンス』がきて、終わりに『深海』です。
ストーリー性の強いアルバムとしては非常に綺麗です。
そして、この2曲は姉妹曲、いや実は同じ曲なのでは
というくらいの気分です。
但し、1点明確に違う部分があるのは『シーラカンス』は過去を
『深海』は未来を歌っているだけなのではないかと思います。
ただ、明るい未来ではなく過去への絶望、後悔から来る
やるせなさなのだろうと思う
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僕の心の奥深く 深海で君の影揺れる あどけなかった日の僕は 夢中で君を追いかけて 追いかけてたっけ シーラカンス これから君は何処へ進化むんだい シーラカンス これから君は何処へ向かうんだい 失くす物など何もない とは言え我が身は可愛くて 空虚な樹海を彷徨うから 今じゃ死にゆくことにさえ憧れるのさ シーラカンス これから君は何処へ進化むんだい シーラカンス これから君は何処へ向かうんだい シーラカンス これから君は何処へ進化むんだい 連れてってくれないか 連れ戻してくれないか 僕を 僕も |
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僕の心の奥深く
深海で君の影揺れる
あどけなかった日の僕は
夢中で君を追いかけて 追いかけてたっけ
結局シーラカンスから逃れられ無いことを悟ったのでしょう。
未熟な時代な時代を思い出しながら。ただ、今となっては深海にいる
シーラカンス(生きた化石)を・・・
シーラカンス
これから君は何処へ進化むんだい
シーラカンス
これから君は何処へ向かうんだい
思い出しつつ、今どんな風に進化(成長)し、今後
どのようになっているのかを叫ぶことしかできない。
失くす物など何もない
とは言え我が身は可愛くて
空虚な樹海を彷徨うから
今じゃ死にゆくことにさえ憧れるのさ
この文は実は良く理解できないが、生きているのに
死んでいる感覚。死んでもいいくらいの絶望の中でさえ
生きている現実のむなしさを歌っているのではないでしょうか?
シーラカンス
これから君は何処へ進化むんだい
シーラカンス
これから君は何処へ向かうんだい
シーラカンス
これから君は何処へ進化むんだい
連れてってくれないか
連れ戻してくれないか
僕を 僕も
美しい過去があっても、その過去自体が進歩(成長)
しているから、そしてこれからも成長する。
過去には戻りたくても戻れない。だけど戻りたいと
なんか我侭な、傲慢なことなのかもしれない。
結局人は過去に規定はされるが、絶対に過去には
戻れない、そして戻りたい過去はそのものが既に
進化(成長)していることを思い出さないといけない
のでは無いでしょうか。
個人的には超ポジティブ×100位なので、あの過去に
戻りたいと思うことはあまりありませんが、たまには
そんなことも考えている自分がいます。
人生の中でそれ位重要な過去がいくつかは皆さんにも
あるのではないでしょうか?そして、成長したシーラカンスを
見てみたいと思うことが!!
- Mr.Children, 小林武史, 桜井和寿
- 深海
皆さん知ってますか?
先ほど偶々見つけたのですが僕と同じ
ようなコンセプトのサイトがあったので
紹介させていただきます。
ミスチル歌詞解剖委員会
http://mememori.cool.ne.jp/misuchiru/
人によってその詩のとらえ方が違って
面白いですね~
『シーラカンス』――今を規定する過去~潜在意識と顕在意識~――
では、第二回も早速取りとめも無く書いてみます。
相変わらず勝手な解釈ではありますので、それは
違うといううことなどあればどんどん意見を下さい。
今回ピックアップしたのはアルバム『深海』で1曲目
(Diveを含めると2曲目ですが)をかざる『シーラカンス』
です。
そもそも深海というアルバムのタイトルに非常に興味を
持ちました。というのも、これはもしかすると桜井さんが
離婚問題などで悩んでいたときに作った歌々なのかもし
れませんが『心の深海』すなわち自分の中の深い思いを
探っていった結果できたアルバムではないかと思います。
必ずしも全曲ではないかもしれませんが、基本過去の
ストーリー、そしてネガティブ、後悔の念などが書かれた
詩が多い気がします。
僕は個人的に『深海』,『BOLERO』の頃(確かこの2アルバムは
同時期に詩を作り深海に入れられなかったものをBOLEROで
発表したとか言う記事を見たことがあります。)から桜井さんの
詩が非常にポジティブ且つ前向きな詩、そして未来志向に
変わった気がしました。そんな、彼の心境を読み解く中で
深海の1曲目『シーラカンス』、最後の曲『深海』という詩には
そのような気持ちが非常に強く感じられます。
序曲が長くなりましたが、本編の『シーラカンス』に関してです。。。
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シーラカンス 君はまだ深い海の底で静かに生きてるの? シーラカンス 君はまだ七色に光る海を渡る夢見るの? ある人は言う 君は滅びたのだと ある人は言う 根拠もなく生きてると とはいえ君が この現代に渦巻くメガやビットの海を泳いでいたとしてもだ それがなんだって言うのか 何の意味も 何の価値もないさ シーラカンス 君はまだ深い海の底で静かに生きてるの? シーラカンス 君はまだ七色に光る海を渡る夢見るの? ある人は言う 君は滅びたのだと ある人は言う 根拠もなく生きてると どうしたら僕ら 答えを見つけ出せるの どんな未来を目指すも 何処に骨を埋めるも 選択肢はいくつだってある 言うなれば自由 そして僕は微かに左脳の片隅で君を待ってる シーラカンス 僕の心の中に 君が確かに住んでいたような気さえもする シーラカンス ときたま僕は 僕の愛する人の中に君を探したりしてる 君を見つけ出せたりする |
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この曲をはじめて聴いた時、タイトルを見たときに最初に思ったのが
シーラカンスって何だっけ?という感想を持ちました。(中学時代でしたので・・・)
そのときは確か化石で昔生きていた生物かなんかだよな~と
思い調べていませんでした。今回この記事を更新するために
Wekipediaで調べてみてこの詩の深さに改めて驚愕いたしました。
下記参照・・・
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生きている化石
古生代 デボン紀 中期から出現し、中生代 白亜紀 に絶滅したと思われていたが、1938年 12月22日 に南アフリカ 南東部のインド洋 で生きた個体がラティマー女史によって発見された。以後、コモロ諸島 周辺で200体以上が捕獲されている。1997年 、インドネシア のスラウェシ島 でも亜種が発見された(学名:ラティメリア・メナドエンシス/Latimeria menadoensis)。魚類が両生類 に進化する分岐点に当たる生物でもある為、「生きている化石 」の代名詞としてとても有名で、珍重されている。現生種はワシントン条約 附属書 I にリストされていて、商業目的の取引は禁じられている。
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そう、シーラカンスとはずっと絶滅したと考えられているものが
実は生きていた生物なのです。そして、面白いことに魚から両生類
への進化の過程、分岐点でもあると書いてありました。
当たり前ですが、桜井さんはこういったことをちゃんと知っていた
のですね!!彼は本当に博学です。
それを知った今、改めてこの詩を見てみます。
シーラカンス
君はまだ深い海の底で静かに生きてるの?
シーラカンス
君はまだ七色に光る海を渡る夢見るの?
文頭のこの部分を見る限り自分の過去を規定する
恐らく元彼女の存在がまだ生きているのか、それとも
もはや過去は過去で終わっているのか?
ある人は言う 君は滅びたのだと
ある人は言う 根拠もなく生きてると
とはいえ君が この現代に渦巻くメガやビットの海を泳いでいたとしてもだ
それがなんだって言うのか
何の意味も 何の価値もないさ
そして、次の文で恐らく自分の中の葛藤としてもはや
君という昔の思いではもはや意味が無くなっていると
言う考えと、でもその過去を引きずっているのではないか、
そして、最後吹っ切れるように、万一今彼女が自分の中で
生きているとしても、いったい今の生活にどんな影響を
与えうるだろうかと開き直っているかのようです。
シーラカンス
君はまだ深い海の底で静かに生きてるの?
シーラカンス
君はまだ七色に光る海を渡る夢見るの?
そして、もう一度疑問を投げかけた後、、さらに
ある人は言う 君は滅びたのだと
ある人は言う 根拠もなく生きてると
どうしたら僕ら 答えを見つけ出せるの
どんな未来を目指すも 何処に骨を埋めるも
選択肢はいくつだってある
言うなれば自由
そして僕は微かに左脳の片隅で君を待ってる
こんな思いを描く、印象的な自分の過去をいったい
どのように処理すればいいのか考えた挙句に、一度は
未来の無限の可能性に期待するのですが、結局最後に
結論として『消せない過去』から逃れられないことに
気が付くのです。
シーラカンス
僕の心の中に 君が確かに住んでいたような気さえもする
シーラカンス
ときたま僕は 僕の愛する人の中に君を探したりしてる
君を見つけ出せたりする
そして、最後の節では完全に今心の中にいる過去を認め
現在さえも実はその過去の思い出から見出したもので
ある、いや今を過去から見出せると言い切って終わります。
そして、話はまたシーラカンスに戻るのですが、
先ほど説明したよう『生きている化石』を象徴する
この言葉を詩の中で歌っている時点で実は最初から
忘れられない過去、その人から逃れられていないこと
悪く言えば未練が残っていることを表しているのだと
思います。
心理学でも良く、特に若年期、青年期に起こった衝撃的な
事柄が人格の形成に大きく左右すると言う話をされます。
たとえ、そういった事実そのものを忘れることができても
結局人間は潜在意識の中で覚えているのです。
人間を突き動かすのは桜井さん自身も歌っていうるように
まさに『es』によって引き起こされる潜在意識の世界なの
だろう。
人は時に理屈に合わないことを無意識、有意識に関わらず
行うことがある。それは恐らくエス(イド)と呼ばれる無意識な
感情の影響であり、エスは過去の経験によってできているの
である。
結局この詩が歌っているのは、表面的にはもちろん過去の
女性に対する未練や思いではあると思うが、もう少し引いた
哲学的な意味でいくと『過去から逃れられない現在』について
考えることもできるのである。
人はどんなにがんばってもシーラカンスから逃れること
できないのだろう。。。
- Mr.Children, 小林武史, 桜井和寿
- 深海
『君がいた夏』~時間に対して無力な人間~
本日は第一回ということでミスチルのメジャーデビュー曲である
『君がいた夏』を取り上げてみようと思います。
人は時間の流れに対して以下に無力であるか考えさせられる詩です。
人間の哀愁は常に過去形で表現されるのかもしれません。
過去の自分に会うことも、過去の他人に会うこともできません。
ただ過ぎ去った過去を振り返り、今の自分に消化することしか
できないのではないかと思う。それをすることで初めて過去を
許せるし、認められるのだと思う。
反対にある過去は本当にきれいなものであることがある。
それは恐らく、自分を正当化したい、今の自分を認めたいと思う
そんな思いが人間の中にはあるのではないか!?
後悔する過去もきれいな過去もともにリアリティーはある。
しかし、それはあくまで今の自分にとってである。
もしかすると、思いが自分の中で強くなりすぎて真実とは違う
記憶が残っている場合がある。
だから、もし過去に未練や後悔、そして美があったときその過去を
共有してみると違うリアリティーの中で違う過去が見えてくるかもしれない。
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夕暮れの海に ほほを染めた君が 誰よりも 何よりも 一番好きだった 二人していつも あの海を見てたね 日に焼けた お互いの肩にもたれたまま 一日中 笑ってた キリンぐらい首を 長くしてずっと 待っていたのが まるで夢のように また夏が終わる もうさよならだね 時は二人を 引き離して行く おもちゃの時計の針を戻しても 何も変わらない Oh I will miss you 君と出会ってから 何も手につかずに 意味のないラクガキを 繰り返しているよ 誰よりも早く 君を見つけたくて 自転車で駆け抜けた 真夏の朝早く 波打ち際たどって 秋が来れば僕ら また元の場所へ 戻ってくけど 気持ちはこのまま また夏が終わる もうさよならだね 時は二人を 引き離して行く 言葉にできずに そっと離れても いつか この胸に Oh I will miss you ひまわりの坂道 駆け降りてく君が 振り向いた あの空の 眩しさが今でも また夏が終わる もうさよならだね 時は二人を 引き離して行く おもちゃの時計の針を戻しても 何も変わらない Oh I will miss you |
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『また夏が終わる もうさよならだね』という部分から推測すると
両方とも既に生まれ育った地元にはおらず、毎年夏限定で海の
見える地元に帰省してきて、その時にだけ本当に大好きな彼女
と会えるそんなやるせなさと、あったときの嬉しさを対極的に
歌ったものではないか。
夕暮れの海に ほほを染めた君が
誰よりも 何よりも 一番好きだった
二人していつも あの海を見てたね
日に焼けた お互いの肩にもたれたまま
一日中 笑ってた
キリンぐらい首を 長くしてずっと
待っていたのが まるで夢のように
この部分はいかに彼女が好きか、いかに彼女と
すごしている時間をかけがいが無くてすばらしいもの
であるかを思い出している、感慨に耽っている感じです。
また夏が終わる もうさよならだね
時は二人を 引き離して行く
おもちゃの時計の針を戻しても
何も変わらない Oh I will miss you
そして、その大切な時間ももう終わりに近づき、『時間』
という邪魔者がこんなに思いあっている2人を引き裂く
悪者として擬人化されています。
その絶対に勝てない悪者『時間』に対して微力ではあるが
精一杯の抵抗として『時計の針を戻して』見るが無残にも
タイムリミットが過ぎてしまうそんな悲しさが伝わってきます。
この歌に限らず桜井さんの歌詞を聞いているといつも思うのですが
詩の中に必ず大きな哲学的なテーマと、リアルな現実を巧妙に
表しているような気がします。
この詩はまさに『時間に対する人間の無力感』を歌っていてそれを
恋という一番わかりやすい擬人化をしているのだと思います。
哲学を難しく語るのではなく、彼女の細やかな仕草、そして
それをつぶさに思い出す(もしくは思い出せる)男の女々しさ
見たいな切り口で上手く表現しているのだと思います。
初期の曲ということでそれほど音楽の質としてはまだまだ
高くないアマチュア的な匂いもするこの曲ですが、今に至るまで
引き続くその桜井’フィロソフィーとその表現方法は今聞いても
全くレベルの低くない、もしくは他の作詞家を圧倒するような才能
が見え隠れします。
初回はこんな感じです。皆さんの意見も是非聞かせてください。
~君がいた夏~