『逆・日本史ー3』●頼朝が狭い鎌倉の地を選んだ真相-樋口清之
『逆・日本史ー3』-樋口清之●頼朝が狭い鎌倉の地を選んだ真相✪源頼朝が鎌倉という狭い町で幕府を開いたのも、この政権が武装農民政権であることを忘れないためであった。頼朝が鎌倉を選んだ理由は二つある。一つは第二巻で述べたように、軍事的な理由である。鎌倉は、三方が丘陵、一方が海である。外からの侵攻に、これほど守りやすい地形はない。三方の丘陵に七つの切り通しを作り、いざとなれば切り通しさえ防いでいればいい。堅固な要害の地であった。そのうえ、鎌倉には滑川という川が流れており、水に不自由しなかった。鎌倉の寺は山麓に建てられたものが多いが、その寺の裏手には横井戸が掘られている。つまり、斜めに井戸を掘るだけで水が出るほど豊富な水脈に恵まれていたのである。このほか、西には江ノ島、東には和加江という良港にも恵まれていた。しかし、これらの好条件にもかかわらず、鎌倉の町はあまりにも狭い。都である京都とは比較にならないくらいである。鶴岡八幡宮に繰り出す大勢の初詣客を元旦のニュースでよく見るが、あらためて町の小ささを感じる。しかも当時の人口は少なく、武士・商人あわせて二万人程度、権力者の町とはとても思えない規模である。