『司馬遼太郎が語る日本』ー司馬遼太郎 ●松陰の楽観主義についてー②
『司馬遼太郎が語る日本』ー司馬遼太郎●松陰の楽観主義についてー②※当時、松陰は全国的な名士ではありません。ただの書生なのですが、幕府から目をつけられることがいくつかありました。こんな秀才を失っては大変だと長州藩は考えました。このあたりが長州の優しさです。私は長州藩は他の三百諸藩に比べて非常に優しいと思っていますが、松陰を見るとよくわかりますね。長州は松陰をかばうために、わざと牢屋に入れたのです。藩のほうで始末したと言えば幕府も納得するでしょうから、牢屋に入れた。さらに牢屋に入ってしばらくすると、牢屋から出て自宅で謹慎することになりました。罪人ではあるけれど、自宅にいてもいいことになった。しかし、松陰は暇であります。そこで、叔父たちがやっている松下村塾を自分がやりましょうという話になった。先ほど申しましたように、寺子屋ですね。入学試験も何もない。では、なぜ松下村塾から群がるように人材が出たのかといいますと、松陰の優しさにあったと思います。松陰は、およそ弟子を叱ったことのないような人でした。非常に明るくて、暢気(のんき)なところがあります。自分の運命について、いささかの絶望感も持たない、天性の楽観主義者でした。松陰は自分の最期がああなることを知りつつも、悲観的に思ったことのない、世の中を暗く思ったことのない人でした。人と人との関係にしても、決して疑うということをしなかったようですね。