『三島由紀夫語録』ー秋津 建
●「反革命宣言」について
 

れわれわれは、護るべき日本の文化・歴史・伝統の最期の保持者であり、最終の代表者であり、且つその精華であることを以て自ら任ずる。


 ✪「『反革命宣言』は青年たちの要望に応えて、「楯の会」の母胎をなした雑誌『論争ジャーナル』に発表したものである。」(『文化防

衛論』あとがき)とあるように、三島氏のもとに集まった青年達及び三島氏という複数の人間で成り立っている集団(すなわち楯の   会)の主宰者として、書かれた文章であるから、主語がわれわれという複数形をとっているのは当たり前のことであろう。このわれ     われという主語をすべて三島氏唯一人を表現するわれという単数形の主語に置き換えて読んだとしても、文章の主旨はかわりは     しない。そして我々はしばしば意識的にか無意識的にか、そういう読み替えをしている。

 しかし乍ら、主体としてのわれわれとわれの問題は、単に複数、単数を表すという整理的な問題でかたずくものではなく、それ以  

の問題がある。つまり、述語があらわす行動や思想に対する責任の問題である。われわれという場合よりも、われという場合の ほうが、その責任は格段に重いのである。そこのところのニュアンスの違いを「わが同志観」の中で三島氏が卓抜な表現で書いて いることは、既に述べた。

「楯の会」は百人足らずの集団であるから確かに少数者である。しかし、決起の時にはわずか5人であったこと、否、当日市ヶ谷会

館に招集をかけられた会員は30人ぐらいはいたからそれらの人々を含めてもよいが、それらの人々と、呼ばれなかった人々は果たして同じわれわれであったのであろうか。これは愚問であるのかもしれないけれども、今の私には解らない。