政治ショーは誰のため
シンガポールの様子をどこにいても観ることができるその携帯電子デバイスは、そもそもは、人間が混乱を避ける手段として開発した通信機です。それが四半世紀を経た進化を遂げて、ある種の成熟期を迎えました。なんと人間はなにも進化していない。なぜか混乱だらけ、不安だらけの社会に生きています。これは一体どういうことでしょうか。この有り様を改善させる方法は唯一ありますが、とても難しく危険なので、現代人には不可能です。ですから、大衆は130億年のメカニズムを疑いながら、シンガポールに注目するほかありません。これほど愚かなことはないのですが、そうするしかありません。人類の長い歴史は、その罪と結末を知っています。あらゆる表現でそれは記録され、先述の通り、それを読むためのツールも出揃いました。だから選択は一つしかない。学問を尊び知性を重んじる「高貴性」を人々に取り戻させるしかない。シンガポールにいる二人が、それ以外の選択をしないことを心からから祈ります。しかし、残念ながら彼らはそのための議論をするために会うのではありません。二人は、私から見れば論理に抗いたい人間なのです。ですから、今回のことは、マフィアと暴力団の口裏合わせが行われるだけという認識です。二人には、なんとしても勝たなくてはならない共通の敵がいます。見えるものではありません。言い方を変えれば、いつか来る負けを先延ばしにする方法についての協議、確認でしょう。互いに朽ち果てるまでの時間稼ぎを戦略的に編み出したことでしょう。その間は、今までにないアグレッシブでトリッキーなアタックを二人は躊躇しないでしょう。金髪の言う通り、チャンスは一回きりです。あれは日本へのメッセージでしょう。金を払う理由を叩きつけられます。断れません。悲願を果たすしかない。日本だけではありません。難癖をつけられ「解決金」を求められる国があといくつ生まれるでしょう。背に腹は変えられない。盗みだろうがなんだろうがやらなければ餓えるのです。その二人がシマについて、つまりテリトリーのことを話し合う。私にはそういう風にしか見えません。