私に言わせれば、神とは科学(哲学)のことです。私たち人類は、長い時間をかけて神という独裁者のことだけを研究してきたと言ってもいいわけです。磁力を見つけ電気を作り、手のひらに収まる集積回路を産み出しました。人生を自分以外のなにかに委ね、死を拒絶して生きることが普通になったわけです。それなのに、現代人の多くは科学を崇める必要性を感じなくなり、ついに止めてしまいそうな雰囲気です。とても不思議な現象です。
英雄と救世主の出現を期待し、待ちきれなくなるとき人々は跪き祈りました。あるいは歌って踊り、神の降臨を今か今かと待つのです。お気づきだと思いますが、このことはまさにパレスチナで見られる、最近の光景のことです。最先端の国イスラエルで、きっと明日も見ることができる光景なのです。平和な島国の日本に住む日本人にとってはとても不思議な光景ですが、これは世界中にある共依存関係の、哀しいかないたって普通の日常なのです。
米国の目論見はまた成功するものと思われます。逃避資金の行き先も、リラ暴落も、朝鮮危機も、かなり詳細に描かれた青写真の通りに起きていると、個人的には思えます。イランもセオリー通りに動き始めましたので、米国が望むところの少し大きな花火が上がるかもしれません。これは政治哲学の話です。21世紀でも、人類はその定石を書き換えることができないであろうということです。河は下流に向かうしかなく、影は光を憎むことができない。
人が死ぬことで平和になる。そう言われても日本人には禍々しいだけです。それだけ日本人にはどの民族にもない平和への強い信心があった。それはとても名誉です。だから憲法改正をせずにここまでやってこれたのです。しかし、そこへ世界共通の文明がもれなく日本にも訪れました。IT革命です。同時に、冒頭に言った科学離れが、追いつけない速さで進んでしまいました。これはとても危険な状態なのです。デバイスはあなたを操るリモコンになりかねません。
SNSはすでにメスメリストの巣窟となりました。しかしあなたは言います。楽しい、便利、幸せ。四六時中小さなモニターを眺め、まさに手のひらに載る神に独裁されています。号令に従い、集団で売り切れの販売店を増やして回り、マニュアルに従い、誰かをあるいは自分を追い詰め死を与えるのです。認めがたいと言うでしょうが、認めるしかありません。催眠をかけられているかどうかをご自身で確かめる能力はすでに奪われているはずです。
だって、あなた方は毎日こう言います。「幸せが欲しい、もっと欲しい」。だから感じさせる側がいるのです。しかし、そこでも、それのなにが問題なのだと不自然さを感じない。なにを言っているのか解からないと、あなた方はそう言うのです。完全に洗脳済です。体罰やハラスメントのことに目くじらを立てている理由がそれです。ですから、法に遡及性を与えようとしたり、国会を止めてしまう働きにも、正当性があるように感じているのです。