キャリアアップには資格取得?
こんにちは、イナミネです。
「キャリアップのためには、資格取得すべきか」、という質問をよく耳にします。
私も会社の中での派遣などの採用で、いろいろ資格をお持ちの方と面接をしたことがあります。
中途採用の場合は、結局2つの観点で決めています。
・実務経験(使える素地があるかどうか) --- 過去
・将来性(会社に順応、かつ刺激を与えていく見込みがあるか) --- 未来
まず、過去の実務経験については、資格という観点をあまり含みません。
ここでは、実務経験者として、どのくらい実績を上げてきたか、が最も重要です。
資格は、その結果や過程として、取得したことになり、実績達成のついでの価値になります。
資格があれば、知識はあるな、という理解はされますが、即戦力があることとは別だと考えられます。
したがって資格はあるに越したことはありませんが、必須ではありません。
実際、英検やTOEICが高得点でも、仕事の整理や頭の中身に疑問がある人には、国際交渉は任されません。
資格が意味を持つのは、実際の業務をこなす中で、必要とされ、実務に長けている中で取得される場合です。
英会話が上手で、やっているうちに特許の交渉に携わるようになれば、弁理士の資格も価値を持つようになるでしょう。
しかし、弁理士の資格があるからと、実務経験が乏しいのに高給で迎えられることはありません。
20代、30代の方は、資格だけが突出しているよりも、基本動作としての躾を重視されるケースも多いです。
挨拶がきちんとできる、忍耐力がある、気遣いができる。
そんな一般的な、基本動作で業務や職場になじむかどうかの将来性をチェックされます。
基本動作が優れている人は、多かれ少なかれ、学習能力もあると判断されます。
最近は、ごく社会人としての基本が抜けている人が増えてきています。だから、
努力家の外国人に職を奪われます。
逆にまっとうな人には差別化のチャンスでもあるのです。
私は、人事部門の経験はありません。
しかし、人事部門は採用に関して、結局配属部門の意見を最大尊重せざるを得ません。
したがって、現場が使える人がほしい、というニーズにこたえて判断をすることになるので、結局実務で使えるか(と思われるか)、にかかっているのです。
決して資格は万能ではないのです。
「キャリアップのためには、資格取得すべきか」、という質問をよく耳にします。
私も会社の中での派遣などの採用で、いろいろ資格をお持ちの方と面接をしたことがあります。
中途採用の場合は、結局2つの観点で決めています。
・実務経験(使える素地があるかどうか) --- 過去
・将来性(会社に順応、かつ刺激を与えていく見込みがあるか) --- 未来
まず、過去の実務経験については、資格という観点をあまり含みません。
ここでは、実務経験者として、どのくらい実績を上げてきたか、が最も重要です。
資格は、その結果や過程として、取得したことになり、実績達成のついでの価値になります。
資格があれば、知識はあるな、という理解はされますが、即戦力があることとは別だと考えられます。
したがって資格はあるに越したことはありませんが、必須ではありません。
実際、英検やTOEICが高得点でも、仕事の整理や頭の中身に疑問がある人には、国際交渉は任されません。
資格が意味を持つのは、実際の業務をこなす中で、必要とされ、実務に長けている中で取得される場合です。
英会話が上手で、やっているうちに特許の交渉に携わるようになれば、弁理士の資格も価値を持つようになるでしょう。
しかし、弁理士の資格があるからと、実務経験が乏しいのに高給で迎えられることはありません。
20代、30代の方は、資格だけが突出しているよりも、基本動作としての躾を重視されるケースも多いです。
挨拶がきちんとできる、忍耐力がある、気遣いができる。
そんな一般的な、基本動作で業務や職場になじむかどうかの将来性をチェックされます。
基本動作が優れている人は、多かれ少なかれ、学習能力もあると判断されます。
最近は、ごく社会人としての基本が抜けている人が増えてきています。だから、
努力家の外国人に職を奪われます。
逆にまっとうな人には差別化のチャンスでもあるのです。
私は、人事部門の経験はありません。
しかし、人事部門は採用に関して、結局配属部門の意見を最大尊重せざるを得ません。
したがって、現場が使える人がほしい、というニーズにこたえて判断をすることになるので、結局実務で使えるか(と思われるか)、にかかっているのです。
決して資格は万能ではないのです。
ビジネス文章で「~かも」は許されるか?
こんにちは。イナミネです。
メール、ブログ、セールスレター、。。文章力で差がつく時代です。
水嶋ヒロやハリーポッターのように売れる小説を書くのは特殊な才能かもしれません。
しかし、意見や説明をする文章を書くのは、誰にでもできます。
もしくは、誰でも書かされる可能性があります。
であれば、書けるようになっておきましょう。
文章はメッセージです。
メッセージは人に伝えて、人に動いてもらうもの。
あまり、仕事の中では言われませんが、人はリクツではなく、感情で、反応します。
少なくとも文章を読むかどうかは、タイトルに対する「興味」という感情の一部が反応して動き出します。
そんな感情に訴えるときに、文章のスタイルで必要なのは、
言い切ること。
「~かもしれない」「のようだ」「らしい」という表現を多く使う人がいます。
これは、感情に訴えるときにマイナス。
自分の意見に自信がなさそうだからです。
自信が無さそうな意見に対して、スポットが当たることはありません。
少なくとも仕事の場ではそうです。
技術者の人は、自然科学では100%ということはありえないことを知っていますから、断定調の言葉を嫌がります。
また、突っ込まれる心配を常にする人も、言い切りたがりません。
しかし、「~である」と言い切ってしまうことで、読み手は強い印象を持ちます。
自信を感じて、それを元に行動を始めます。
ウソはだめですが、一般論として正しければ、言い切ってしまう。
突っ込まれてもそこから対話が始まると考えて、エイヤ!と言い切ってしまう。
そんな文体を心がけましょう。
話し言葉では「~かも」「たぶん」という言い方を乱発する人がいます。
突っ込まれて責任を取りたくない心理が見え隠れしているように感じてしまいます。
でも、仕事で成果をだすには、言い切る。その背景でしっかりウラをとる。自信をもつ。
そういう自信のある文体が必要です。
言い切ること。私はディベートでこれを練習しました。
ディベートは、言い切ったことを証拠立て、相手との論争を征する技術だからです。
<関連記事>
・読みたくなる文書を書く、シンプルな原則
・文章力が、キャリアの分かれ道
・ほめられるレポートはこう書く
メール、ブログ、セールスレター、。。文章力で差がつく時代です。
水嶋ヒロやハリーポッターのように売れる小説を書くのは特殊な才能かもしれません。
しかし、意見や説明をする文章を書くのは、誰にでもできます。
もしくは、誰でも書かされる可能性があります。
であれば、書けるようになっておきましょう。
文章はメッセージです。
メッセージは人に伝えて、人に動いてもらうもの。
あまり、仕事の中では言われませんが、人はリクツではなく、感情で、反応します。
少なくとも文章を読むかどうかは、タイトルに対する「興味」という感情の一部が反応して動き出します。
そんな感情に訴えるときに、文章のスタイルで必要なのは、
言い切ること。
「~かもしれない」「のようだ」「らしい」という表現を多く使う人がいます。
これは、感情に訴えるときにマイナス。
自分の意見に自信がなさそうだからです。
自信が無さそうな意見に対して、スポットが当たることはありません。
少なくとも仕事の場ではそうです。
技術者の人は、自然科学では100%ということはありえないことを知っていますから、断定調の言葉を嫌がります。
また、突っ込まれる心配を常にする人も、言い切りたがりません。
しかし、「~である」と言い切ってしまうことで、読み手は強い印象を持ちます。
自信を感じて、それを元に行動を始めます。
ウソはだめですが、一般論として正しければ、言い切ってしまう。
突っ込まれてもそこから対話が始まると考えて、エイヤ!と言い切ってしまう。
そんな文体を心がけましょう。
話し言葉では「~かも」「たぶん」という言い方を乱発する人がいます。
突っ込まれて責任を取りたくない心理が見え隠れしているように感じてしまいます。
でも、仕事で成果をだすには、言い切る。その背景でしっかりウラをとる。自信をもつ。
そういう自信のある文体が必要です。
言い切ること。私はディベートでこれを練習しました。
ディベートは、言い切ったことを証拠立て、相手との論争を征する技術だからです。
<関連記事>
・読みたくなる文書を書く、シンプルな原則
・文章力が、キャリアの分かれ道
・ほめられるレポートはこう書く
探す時間をなくす!書類の整理術
こんにちは。イナミネです。
エコという世論(私は実は眉唾だと思っている)に押されて、ペーパーレスと言われ続けてもう久しいのですが、オフィスから紙はなかなかなくなりませんね。
なぜなら、紙がどんなIT機器よりも一番便利だからです。
あの広げてみたときの一覧性のよさ、思考をまとめるために書き込む、という特性は、今のIT機器でも撲滅できていません。
紙は、ディスプレイ上の情報と異なり、実体のあるモノなので、思考がより現実味を帯びるため、脳がこれを喜ぶのだと思います。
紙の手触り、角度を変える、ちぎる、書き込む、見る、表形式や箇条書き、散文へと好きに変更できる自由さ、捨てるときに丸める。
こういう現実感があることが、脳が好むため、紙はなくならないという感じがします。
でも、今後、PSPや、DSが生まれたころから身近に合った世代が大きくなれば、どうなるかはわかりません。
紙の問題は、その整理です。
かさばるのは宿命なので、取捨選択をして減らすことを迫られます。
以前書いたように、整理の基本は、まず捨てることからです。
1年以上見ない雑誌や資料は、99%ゴミです。
二度と見ることはありません。
もちろん、法的に決められた会計書類、技術やノウハウ資産とする図面、ソースコードなどは別ですね。
問題は、そうやって選別していっても残る書類。
これを分類、整理して、必要なときに取り出せるようにしなければなりません。
私は、いろいろやってみて、野口悠紀雄 著の「超整理法」に記載のあった、A4封筒への放り込みを行っています。
ポイントは
・大雑把な項目でいいので、日付と名前を書いた古い封筒に書類を放り込む。
・封筒は書棚にいれ、新たに発生封筒はどんどん左にいれていく。こうすると古い封筒は右に移動していく。
・時々右の封筒からチェックして、不要なら捨てる。
・あらゆる書類はこの方法で、書棚にいれ、書棚になければ「無い」とわかると仕組み。
いちいち分類することよりも、時間での記憶のほうが鮮明であることを用いた整理法です。
私はこの10年間、この方法でやっていて、探す時間をほぼ半減できました。
しかし、一番のポイントは、書類を作らない、捨てるです。
仕事で出てきた書類は、実は自分のものではありません。
すべて会社のものであり、いずれは誰かに引き継ぐか、価値が無くなれば捨てるものです。
したがって、自分の手元に置く書類は最小限にし、共有化するのが正しい方向です。
共有するもの、引き継ぐものも、できるだけ価値のあるものに制限する。
書類も仕事も自分の物にしてはいけません。
自分のものにすべきなのはスキルと経験です。書類ではないのです。