紗羅双樹 -5ページ目

生体腎移植顛末記(11)

 順調な回復と退院してきた長男は、

 大量の薬を飲み、大量の水を飲んでいる。


 毎日体重をはじめ色んな数値を図っているが、

時々気分が悪くなるらしく、ぎゃあぎゃあ言っている。


退院後初めての診察は、

父親に車で連れて行ってもらったが、

二回目は自力でと電車で行った。

帰りが遅いので電話をしてみると、

今、東村山に着いたが調子が悪いとの返事。

あと少し待っていれば家にたどり着くかと思いきや、

一向に戻ってこないし、電話にも出ない。


そのうち救急車で女子医大へ搬送してますと

消防署から連絡があり、父親は慌てて飛び出した。

特急から降りて崩れるように倒れたらしい。



入院の支度をしておくから連絡をと、

やっと伝えてスーツケースに詰め込んだ。


日も暮れてから二泊の入院が決まったと連絡が入り、

女子医大へ着いたのは七時を少し過ぎていた。


よく所沢から新宿河田町まで救急車は運んでくれたと

感謝しながら病院に着くと、

状態が落ち着いたから今夜は帰って良い。

明日一泊入院で腎臓の組織を取り出すと言われ、

タクシーで帰路に就いた。


原因は脱水症状を起こしていた事と、

薬が一つ足りなかったこと。


翌朝早く一泊の入院でもパソコンを持参して入院した。

しかし、退院時と同じ数値に戻っているからと入院は中止。


一体何だったのか、アタフタした二日間であった。





生体腎移植顛末記(10)

腎臓を一つ貰った長男は、

30分毎にトイレに行かねばならない。


これでは夜もおちおち寝てられない。

昼間は父親が30分毎に声をかけているが、

夜は持ち込んだパソコンでゲームでもしてるよ

と言ったが、一晩では済まなかった。


まだ長男は、膀胱が大きいから30分毎であったが、

15分毎という人もいるらしい。

これは大変!


医師が驚くほど文明の利器を持ち込んでいるため、

かなり正確に記録を取ったり、

時間の設定もして指示どうりの事をしているらしい。


順調な術後の経過で1月13日には退院できた。


長女のように車に酔うことはなかったが、

散歩に出て気分が悪くなって引き返したり、

家の中でも立ち眩みの症状が出た。


退院してもこれならすぐに仕事に復帰できると

思っていたらしいのに・・・


食事は腎臓病から解放され、カリウム制限はなくなり

生野菜をしっかり摂るようになった。

が3ヶ月程は免疫抑制剤服用のため、

生の肉や魚は食べられない。

お寿司が食べたいと言っていたのに、暫く御預け。




生体腎移植顛末記(9)

退院した長女は翌日から元の生活に戻そうと、

近くの散歩から始めた。


スーパーへ行って、少し店内を歩きお手洗いを探す。

腎臓の栄養は水ですよと看護師さんに言われ、

一日2リットルの水を飲んでいるから。


帰宅するとさすが疲れたらしく、ぐったりしている。

元気な体にメスを入れ、

内臓を取り出すという事をやった後だからと

常に頭から離れない。


長男はまだまだチューブが取れない為、

父親が毎日世話に通っている。

年をとってからの仕事のようで、

今の所、楽しんでいるようであるが、何時まで持つか・・・


長女は一緒に寝るようになってから幼児のようになっている。

入院前、

ユニクロに行って、最新の超軽いコートを

選んでくれたのはこの子かと思うほど別人。


小さい時から両親が働いていた為、

甘える時間が少なかったのが色んな事に影響していると

悔やんでいたが、

そろそろ人生を終わる前に

幼児帰りした娘と暫くでも過ごせるのは幸せと

変な感謝をしている。


生体腎移植顛末記(8)

元旦は入院患者にもお雑煮が出た。

毎年、暮の30日にはお雑煮のお椀に入れる

昆布。大根、人参、里芋、牛蒡などを下煮するが、

今年は全く何もしない。


楽と言えば楽だが何とも物足りない。

子供たちは新年を迎える気持ちになっただろうか。


痛みはないと言って退院する人はいませんよと

看護師さんに励まされた。


のんびりした元旦を過ごし、二日には長女が退院。

お昼ご飯をいただいてからではあったが、

車のため、朝早くから出かけた。


都内はすいていると思ったがあちこちで渋滞で

到着したのはお昼前。


帰りは助手席にと言って前に座ったが途中、

急に止めてという。


顔色が良くない。

こんな状態の子を連れて帰って大丈夫かしら。


もしかして目から来ているのではと思い

座席を倒し目を閉じ窓を開けた。


目の前に景色が押し寄せて目が疲れたのではと思った。

帰宅したころには顔色も良くなり元気を取り戻した。


今夜は私の隣で休むことにした。

長女が赤ちゃんになって戻ってきた。


生体腎移植顛末記(7)

冷たいとは思うが、傷口の痛さはなんともしようがなく

代わることはできない。


レシピエントよりドナーの方が痛いと看護師さんはいう。


今、大量に水を飲まないと残った腎臓が働かないらしく、

せっせとお手洗い通い。


医師の回診時、明日にしましょうかと言われたところの

チューブは、本人が大丈夫なら今外して欲しいと希望した。


寝てても歩いても邪魔であったが、少しずつ自由の身に。

元気が出たようである。


31日朝早く病院に行くと部屋の名前がない。

場所を間違えたかとウロウロしていたら長女からメールで、

今朝、お部屋変わったと連絡。やっと個室に移った。


先日まだベットから降りられない長男がナースコールで

話の分かる人に来て欲しいと呼び

早くから個室は大丈夫と言われていたのに、

病院の契約違反と詰め寄った。


腎臓をくれる妹にせめて個室をと取っていたのにと・・・

ひと悶着があった。


入院期間が短いがせめて最後の二日間くらいは

痛みを忘れてのんびりとして欲しい。


日当たりの良い部屋はまるで温室。


毎日面会時間ギリギリまでいるので、

一緒に新宿の夕日とネオンを眺めた。














 

生体腎移植顛末記(6)

手術翌日から歩かなくてはならないと、早朝から病院へ。

切ったところが痛いらしく 痛み止めの点滴から飲み薬に変った。

腰の痛みも辛く、背中から腰を押したり叩いたり。

何時もやってもらってたが反対になった。

どうも力がなくて効き目はイマイチだと思った。

看護師さんの助けを借りてベットから起き歩くため

室内履きを履かせた時、長女の歩き初めに買った

フエルトの靴を思い出した。

偶然に同じ色であった。

 

  歩き始めたみいちゃんが 赤い鼻緒のジョジョ履いて

  おんもに出たいと待っているという場景が目の前に。


子供の頃を過ごした父の実家の門の中と、

長女の赤ちゃん時代が合成された。


そして、この子に大変な役割を与えてしまって

本当に良かったのか、

まだ、この子の将来は長いのにと 

ポロポロ涙が止まらなくなった。


チューブに繋がれたまま、廊下を歩き

長男の部屋にも寄った。

看護師さんは兄に大丈夫だよと見てもらいに

連れて行ってくださったと思ったが、

私にとっては長女は何も言わないが、本来ならば

同じレベルの部屋に入っていたのにと思うはず。

今日から部屋は個室に変わる筈であるが・・・


痛くてもあまり口にしないで、心配させたくないと

平気な顔をしている。

今まで我慢ばかりしていた。

もう少し自分を出せるようにと

こちらが気を付けなくてはと思う。


お昼から食事が始まる。重湯とスープ。

おなかがすいているだろうと思ったが完食ではなかった。



 

生体腎移植顛末記(5)

12月28日、

とうとう移殖のための手術日を迎えた。

前日はつらい検査があったのではと心配した。


腸の中を空っぽにしなくてはならない為

おちおち寝てられない状態であったらしい。


まず長女が8時半過ぎ手術室に行き、

少し遅れて長男がエレベーターに乗り込んだ。

長女は12時過ぎに戻ってくる予定。

長男は3時頃と言われた。


最近、病院では盗難事件が発生していると

たびたびアナウンスされるので病室2つを親二人で

別々に留守番をすることにした。

長男は病室にパソコンを持ち込んでいるため、

無くなると大変なことになる。

 

お昼過ぎベットを取りに看護師さんが現れた。

長女が戻ってくるまでの時間の長かったこと。


自分のベットへ寝かされたまま戻ってきたのは、

酸素マスクをし、数本のチューブに繋がれ白い顔をして

意識はまだ戻りかけている状態であった。


覚めると痰がでるらしく口を漱いだりティッシュで拭いたり、

腰が痛いと訴える。食事はまだとれない為、

ひたすら眠れるように静かにしていた。

見舞客がドヤドヤ出入りする部屋の隣でなくてホッとした。


今日から退院までは 面会時間切れまで傍にいなくては・・・


腎臓をもらった長男はかなり覚めた状態で病室に戻り、

お世話をして下さっている看護師さんにしっかりと

お礼を言っていた。

夕方覗きに来られたコーディネーターの方が

「ここに戻ってこれたの!」 と驚いた状態だった。

太りすぎの長男の手術は大変で集中治療室行きではと

思われたらしい。

医師から前日お話しした予定通りに終わりましたと

告げられた。





生体腎移植顛末記(4)

27日はレシピエント、ドナー、家族に主治医の先生から

手術に関しての説明があった。


ドナーの手術は腹腔鏡下腎臓摘出術で

腹部に二か所の穴をあけ、

そこからカメラや操作棒を入れモニター画面を見ながら、

おへその近くを切ったところから、腎臓を取り出す。


長所は傷が小さく、痛みが少ない。回復が早い等。

短所は、難易度が高い、時間が掛かることがある。

合併症として出血、臓器損傷、創周囲の痺れ、

下肢の痺れ、神経損傷、ヘルニア、感染症、腎機能低下、

腸閉そく、その他予期せぬ合併症。


ここまで聞くと少々不安になってきた。


片方の腎臓を提供することについて、

残った腎臓には予備力があり、経過観察中に元の働きの

70パーセント位働くようになるのが通常の経過であるが、

腎機能の低下が進行する場合もある。


機能しなくなった腎臓はそのままに、取り出された腎臓は

レシピエントの下腹部に埋め込まれ膀胱へと繋がれる。


話を聞いただけで膝から下ががくがくした。

今夜は眠れそうにない。


生体腎移植顛末記(3)

12月26日、ドナーとなる長女の入院日。


長男が自分にできる事はせめて個室を用意する事

くらいと、個室を用意してくれていた。

が、取れていたはずの個室が空かなくて、

29日からになると直前に病院から言われた。


仕方がないので二人部屋で空くのを待つことにした。

手術日が28日というのに! 


とりあえず指定された病室に行ってみると、

入り口の名札を見て嫌な予感がした。

全てカタカナで表記されていた。

人種差別をする訳ではないが・・・

 

予感は的中した。まだ午前中なのに大きな荷物を持って、

大男が数人ドヤドヤと出入りを繰り返す。

面会は午後一時からである。

一体病院を何と心得ているのか!


 これは大変とナースセンターに部屋の変更を申し出た。

病気でもない者が体にメスを入れるのに、

この騒ぎで不安が助長されている。

個室が取れたと病院からの返事があって

安心していたのにと訴えた。


静かな部屋にしましたなんて、どこが静かなのだろう。

どやどやというのが本当に適当な表現であった。


夕方、

急患の時は隣に患者が入るかもしれないがと言って、

部屋を変更してくれたと長女からホッとしたとメールが来た。


しかしもう一度変更があるため、

荷物はあまり出さないで手術まで過ごすこととした。




生体腎移植顛末記(2)

暮れの28日移殖手術のため、

長男は一足先の22日に入院した。


順天堂では二人部屋に入っていたため、

大きないびきでかなり気を使っていたため、

今回は初めから個室をお願いしていた。


建物が古いため病室は驚くほどのものではなかったが、

日当たりの良すぎる位の部屋で応接セット、木製のベット、

トイレと洗面が一緒になった部屋が付いていて、

これなら安心して眠ることができるとホッとした。


インフルエンザが流行している事から、

変な菌を手術前の病室に持ち込まれると困るため、

お見舞客は遠慮して欲しいと病院側から言われたらしい。


昼食を見届けて帰ろうとアナウンスを待った。

今までカリウム制限があり、

生のフルーツは食べられなかったのに、

食膳にはミカンが一個のっていた。

すでに透析を始めていた為、少々のものは良いのかしら。


病院にお任せしたという安堵感で力が抜けた。


今夜から野菜を茹でてから煮たり炒めたりしなくても良い。

親戚から送られた紅マドンナも堂々と食べられる。

ああ~~!