諏訪で逃げ延びたタケミナカタは妻のヤサカトメヒメと再会できたのか? | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは😃

前回のタケミナカタの逃走ルートの続きです。

諏訪で逃げ延びたタケミナカタは妻のヤサカトメヒメとは再会できたのか?

というコアな内容をお送りします😅💦







なお、この




諏訪(すわ)




という地名は、やまと言葉なんですよ😅

大和=やまと

飛鳥=あすか

と同じく、諏訪はなぜか日本人だけが読めるのです😅

これは、




須賀(スガ)




がなまってできた言葉なのですね。





おそらく、タケミナカタは島根県雲南市の須賀村生まれですね。




さて、古事記の「国譲り」では、オオクニヌシ神の息子、タケミナカタが国譲りに反対して、タケミカヅチ神に挑みかかる場面があります。





しかし、タケミナカタは遠く諏訪まで逃げたあと、諏訪湖で追い詰められ、「二度と諏訪から出ない」と誓うのです。




敗者であるタケミナカタ。




しかし、なぜか軍神として全国から崇拝を集め、源頼朝、武田信玄、徳川家康、征夷大将軍の坂上田村麻呂に至るまで、多くの人々から崇拝を集めるのです。




どうもタケミナカタには、別の伝承によって、その存在をとっくに知られていたようですよ。



※ヌナカワヒメ(ネットからお借りしました)



なお、この時代は徳川家康すらも、古事記を知りません😅

古事記が世間に知られるのは、江戸時代後期、本居宣長が「古事記伝」を翻訳してからです。




タケミナカタは、この古事記にしか登場しないのです。





さて、タケミナカタの家族はこちら。




父…オオクニヌシ神(出雲大社)


母…ヌナカワヒメ(糸魚川の翡翠の女神)


姉…ミホススミ(美保神社)





そうそうたるハイブリッド家族ですね😅

このヌナカワヒメにひっついている子供がタケミナカタ神です😍




タケミナカタは美保神社にも摂社がありますが、

美保神社のミホは、三穂津姫ではなく、古代の祭神は美穂須須美(ミホススミ)なのです。





さて、タケミナカタが日本海を抜けて長野に逃げたのは、母を頼っていったのではなく、妻の地元を目指したみたいですね👀

ここから、逃走ルートをわかる範囲で書いていきます😅




まずは能登半島に逃げて、信濃川をさかのぼって、平潟に逃げます。

ここにあるのは、「平潟神社」ですね⛩️

平潟神社がなぜか諏訪神社なのは、そのせいなのですよ。





追手が来たので、さらにタケミナカタは妻と共に逃げますよ。

長野市水内にあるのが、長野県のパワースポット、善光寺です。

もともとここにはタケミナカタの屋敷があったので、地名もそのまま城山となっておりますよ。

ここにあるのが、「建御名方富尊神分神社」ですね⛩️





ここで、タケミナカタは何年か過ごし、長野盆地のみなさんに技術を教え、水内城を築きます。

この城跡に、善光寺が建っている、のですね。





しかし、ここが一大決戦馬となり、タケミナカタとヤサカトメヒメ、そして子供たちは離れ離れになります。

だからこそ、「神分」なのですね。





ここから、千曲川を登って、上田市の下之郷に逃げ込みます。

ここにあるのが、国幣中社「生島足島神社」ですね。




日本のど真ん中にあるパワースポットです✨✨✨

ここでは、タケミナカタが疲れ果てて土間に座り込んでお粥を食べたという伝承が残されております。




本殿では今でも床を張っておらず、タケミナカタにお粥をご奉仕するという神事(御籠祭)が残っております。




よって、ご神体はなんと本殿の土間の大地なのです‼️




御柱まであるのです😆✨




そこがたまたま日本列島のど真ん中だったなんて、

タケミナカタよ、恐るべし😅





さて、一方のトメヒメですが、妻科(つましな)で逃げ延びておりました。

よって、ここには「夫無神社」が祀られ、のちに「妻無神社」に名称が変更しております。





さて、タケミナカタは別所温泉→鹿教湯温泉→武石峠を馬に乗って駒越に駆け抜けます。

駒越はタケミナカタが馬に乗って駆け抜けた、ということから地名が残っておりますよ。





ここに残っているのが、松本市にある「須々岐水神社」ですね⛩️





ここから、岡谷→諏訪に入っております。

岡谷には「十五社神社」がありますよ⛩️





ここでタケミカヅチ神に追い詰められたタケミナカタですが、その後に、諏訪を治めていた洩矢氏という豪族を打ち破り、諏訪の王として君臨するのです。




さらに洩矢氏を配下に加えて、諏訪大社の筆頭神官の地位につかせて、諏訪の古代祭を継続させていくのでした。

そう、タケミナカタは、





信濃国開闢の祖、なのですね✨





今の松本平野を作り上げたのは、タケミナカタなのです。

まさに敗者からの復活、逃げ延びた出雲の皇子は、諏訪の王となって生まれ変わるのでした。




なお、諏訪大社の古祭は、旧約聖書と似ていると言われておりますが、これは洩矢氏が行っていた古代の祭祀のことで、出雲のタケミナカタとは無関係だったのです。





そして、ヤサカトメヒメとは、諏訪で再会いたします✨

子供もたくさん生まれております✨✨





再会したときにできていたのが、





諏訪湖の氷の山脈、「御神渡り(おみわたり)」なのかもしれませんね。



※御神渡り(ネットから画像をお借りしました)



上社のタケミナカタが、下社のヤサカトメヒメに会いに行く時に通った道筋だと言われておりますが、

再会できて良かったです😍





ということで、諏訪に逃げ延びたタケミナカタは、信濃を開発をして妻と再会する、でした✨




タケミナカタが力を蓄えたのが、今の善光寺ですので、そりゃあ「勝守り」のパワースポットですよね😆✨✨