波平さんにはいらない?
今日は「くしの日」
美容関係者らが1978(昭和53)年に制定。美容週間実行委員会が実施。
「く(9)し(4)」の語呂合せ。
美容関係者がくしを大切に扱い、また、美容に対する人々の認識を高めてもらう為に制定された。
くしはどこの家庭にもほとんどあるもの。
昔は黄楊 ・竹・象牙・鼈甲等で作られていたが 、最近は合成樹脂のものも多い。
くしにはいろいろな迷信のようなものがある。
「く(9)し(4)」という日本ではあまりラッキーとは思われない数字に語呂があうためか、どちらかというと良くない迷信の方が多い。
たとえば、櫛の歯が欠けると病気になるとか不幸なことが起こる。
櫛をもらったり拾ったりするとその人の苦労や不幸までもらってしまう。
村の氏神様や辻などに櫛・手ぬぐい・下着など,身についたものを落としてくると厄落としになるt…等など…
しかし、その逆もある。
ツゲの櫛を温めて患部に当てる、または ツゲの櫛を畳にこすって、患部に当てるとものもらいが治る。
木曽には「お六櫛」というものがある。
その昔、木曾に「お六」さんという娘さんがおり、そのお六さんは大変な頭痛持ちだった。
なんとかこの頭痛が治りますように…!と、一心で御岳神社に願をかけ続けたところ、ある日、お六さんの夢枕に一人の白髪の老人が現れ、「御岳山の霊地にあるみねばりの木(カバノキ科カバノキ属の落葉広葉樹)を伐り、すき櫛を造り、髪をすけば治る」とのお告げがあった。
お六さんは早速お告げ通りにみねばりの木で櫛を作ったところ、頭痛は嘘のように消えた。
この奇跡の評判はすぐに世間に広まり、以来「お六櫛」と名付けられ木曾薮原の人々に受け継がれ、現在は無形文化財にまでなったのだそうだ。
ただの伝説のようにも思える話だが、実際、この櫛の程よい刺激が髪を梳かすことで頭皮をマッサージし、血流を良くする等の作用で頭痛が改善されるということはあるらしい。
泉州地方(大阪府南部)では女の子が生まれると庭につげの木を一本植え、その子が大きくなってお嫁に行く時にこの木を切って櫛にして嫁入り道具の一つにしたとの言い伝えもある。
ついでに、夢での「櫛」の象徴は好きな人をあらわすことが多いのだとか。
髪を梳かす夢は恋愛成就や心配事の解消などをあらわし、
櫛が折れたり汚れている場合は運気の下降をあらわすらしい。
フラミンゴの剥製なんてあげる…??
今日は「ホームラン記念日」
1977(昭和52)年、後楽園球場で巨人の王貞治選手が通算756号ホームランを打ち、それまでアメリカ大リーグのハンク・アーロンが持っていた世界最高記録を更新した。
2日後の9月5日に、政府は初の国民栄誉賞を贈り、その栄誉を讃えた。王選手は引退までに868本のホームランを打った。
「草野球の日」
「く(9)さ(3)野球」の語呂合せ。
「しんくみの日」
東京都信用組合協会が「くみ愛の日」として制定。
「く(9)み(3)あい」(組合)の語呂合せ。
…ということで、スポーツ系は全くわからないし、貯金は全然出来ないし~…の私にとっては書きにくい記念日ばっかりなので、違うネタにしてしまう!
そう、こんな時は「誕生日」だ!
今日は「ドラえもん」の誕生日!
2112年9月3日生まれなので、何事もなければ今から105年後の今日、誕生することになっている。
ドラえもんが初めて登場したのが1970年の12月
「よいこ」「幼稚園」「小学一年生」~「小学四年生」で
連載開始(70年正月1月号)
なんと、入稿締め切りの前日まで主人公が決まってなかったというから驚きだ!
それが締め切りの朝、突然ひらめき間にあったのだそうだ。
私はドラえもんには特に深い思いいれはない。
特に大好きでも嫌いでもなく、アニメになってからはなんとなく毎週見ていた気がする。
アニメ放送開始から20年余が過ぎ、今年の春、ドラえもんを始めとする仲間達は新しい声になった。
いつの間にか、ドラえもん、のび太、ジャイアン、スネ夫、しずかの5人の声優さん達の平均年齢が68.5歳となっていたため、仕方がなかったのかもしれないが、新しい声はやっぱりどうもしくり来ない。
なんといっても大山のぶよのドラえもんはとっても「善」な印象が強かった。
お人好しで、情にもろくて、甘かった…
それがグータラなのび太をますますダメにする一因だったかもしれないけど、とりあえずは、アニメキャラには珍しく人の好いキャラクターという印象を与えていたと思う。
つまりは癒されるキャラクターだったのだと思う。
それが今は違う。
新しい声のドラえもんは、今までのように甘くはない。
それどころかちょっと意地悪になった。
いつもセカセカ、イライラしている印象がある。
もうドラえもんは癒しキャラじゃない…
冬の季節…
今日は「 宝くじの日」
第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)宝くじ部が1967(昭和42)年に制定。
「く(9)じ(2)」の語呂合せ。
当選しても引き換えられず時効となってしまう宝くじが多いことから、時効防止のPRの為に制定された。
はずれくじの敗者復活がある。
今日、たまたまテレビで宝くじ関連の番組を見た。
それによると、1000万円以上を当選していながら換金に来ない人が思いの外、多数いるらしい。
私はこういうものは当たらないと思ってるから最初から買わない。
だけど、買う人は「当たるかも…?」と思うから買うんだろうし、それなのに、なぜ当選してるかどうか確かめないのか不思議だ…
たまたま誰かに貰ったとか拾ったとかなんだろうか?
私だったら、もらったり拾ったりしたら一応は調べるかなぁ…
自分のお金で買うのははずれた時に悔しいからいやなんだけど、タダで手に入れたものならはずれても悔しくないからねぇ…
今日の番組で言ってたけど、昔「ハトくじ」というのがあったらしい。
昭和20年代初頭のことらしいけど、当時はまだ情報伝達に伝書鳩が使われていたらしく、新聞社では伝書鳩を飼うのが通常だったとか。
で、箱くじ(箱の中に数字をいれて、それを回して選び出す)であらかじめ20の番号を選出し、その番号を20羽の伝書鳩につけて送る。
その鳩の到着順で当選番号を決めたらしい。
しかし、距離が短かったため(日銀からどこかの新聞社だったかなぁ??)現場に着いてもなかなか新聞社の屋上に降りてきてくれなかったり、天候不良だと鳩が出せないということから、このハトくじは1回だけで終わってしまったらしい。
宝くじは江戸時代の富くじから始まり、明治元年には明治政府により廃止、1945年7月には「勝札」として復活するが敗戦のため、このくじは抽選されなかった。やがて、1945年10月に今の「宝くじ」という名称になった。
1970年代には宝くじブームが巻き起こり、宝くじ売り場に宝くじを求める人々が殺到し、松本市と福岡市ではついに死者が出る騒ぎとなり、この事故がきっかけで予約制やユニット制が設けられた。
実は私は宝くじは買わないけど、かなりハマってる某くじがある。
ふくびきも大好き!
元々、私はくじ運はそこそこ良い方なのだけど、以前、いただいた50数枚の福引券がオールハズレだったことがある。
50枚もひく人は少ない。
並んでる人達の注目の中、出てくるのは見事なばかりにハズレばっかり…
私も居心地が悪いし、受付の人も呆れるような気の毒に思うような複雑な顔つきをしていた…
だいたい、この福引券を下さった人に対しても申し訳ない!
ひく前は旅行とかが当たったら、その人にあげようとか考えてたのに…
これって、大殺界の時だったんよねぇ…(-_-;
今までくじ関係でこんなことは一度もなかったから、かなり印象に残ってる。
ちなみにハズレのことをよく「スカ」というけど、クジのスカは、透けるが語源らしい。
昔の当たりクジには何らかの文字が書いてあり、ハズレクジは何にも書いてなかった。
それで書いてあるかどうかを太陽にかざして見るとハズレくじには何も見えない。
見えるのは紙を透かした太陽の光だけ。
そのためハズレクジのことを「スカ」と言うようになったんだって!
猿のナシ?!
ニュージーランド産キウイフルーツの輸入等を行っているゼスプリインターナショナルが制定。
「キュー(9)イ(1)」の語呂合せ。
キウイの原産地はニュージーランドというイメージが強いけど、実は中国の揚子江流域とされとおり、もともとは「チャイニーズ・グーズベリー」と呼ばれていたとか。
なんだかとっても南国の雰囲気があるくだものだけに、ちょっと意外な気がする。
キウイフルーツは、マタタビ科・マタタビ属のつる性の植物。
1900年代始めに中国からの旅行者のよって、または科学者によってニュージーランドにキウイの種が持ち込まれたと言われている。
名前の由来は、ニュージーランドの国鳥「キウイバード」に似ていることからキウイフルーツと名づけられたという説や、ニュージーランドのキウイ島の形に似てるからだという説がある。
また、「キウイ」とは「ニュージーランド」という意味でもあるらしい。
日本に本格的に登場したのは1970年の大阪万博ニュージーランド館の果実展示の時なのだとか。
やがて70年代後半からは日本でも栽培されるようになっていった。
日本で出回っているキウイフルーツは国産品と輸入品がおよそ半分づつで、 輸入品のうちの約9割がニュージーランド産。
日本とニュージーランドは季節が逆なので、 国産は10月から翌年の5月まで、ニュージーランド産は4月から12月にかけてというように、出回る時期が異なっているため、日本ではキウイは1年中食べられる。
疲労回復に役立つクエン酸、キナ酸、りんご酸を多く含み、その他にも、葉酸、パントテン酸、ビタミンB6、ビタミンE、カルシウム、マグネシウム、鉄、銅、リンなども多く含んでいる。
また、キウイフルーツにはガンの予防に役立つと言われている強力な抗変異原性があるとのこと。
キウイの木にはオス・メスあり、 1本のオスの木には7本くらいのメスの木を受粉させるだけの花が咲くらしい。
原因判明…!?
と、なると、その時期に、何かそうなる原因があったのだろうが、いまだにその謎は説き明かされていない。
なんで、急に食べなくなった時に原因を聞かなかったんだろう?
聞いてたら、私は今もこんなに偏食じゃなかったかもしれないのに…
今日は「野菜の日・ベジタブルデー」
全国青果物商業協同組合連合会など9団体の関係組合が1983(昭和58)年に制定。
「や(8)さ(3)い(1)」の語呂合せ。
「ベジタリアン」とはごく簡単に言えば、そして一般的に認識されているのは「菜食主義」ということだと思う。
だから、当然、「ベジタリアン」は「ベジタブル」から来ていると思われがちだけど、実はラテン語の「VEGETUS」…活気がある・生命力に満ち溢れた…という言葉から来ているのだとか…
つまりは、生命力にあふれた活気のある人ということになる。
そういわれると、まるで正反対の私は申し訳ない気もするんだけど…まぁ、たまには例外もいる!ということで…
そんなわけなので、「ベジタリアン」は、野菜だけを食べる人というわけではないらしい。
だいたい、なぜ、ベジタリアンと呼ばれる人は肉類を食べないでおこうと思うのか?
それには、大きく分けて宗教上の理由、動物愛護、健康のため等がある。
私の場合は、なんせ幼い時代なので、明確なポリシーがあってのことではないけれど、おそらくは動物愛護の気持ちが関係しているのではないかと思う。
長年肉類を食べないでいると、たまに間違って口の中に入った時に、とても違和感を感じる。
調理の際に、たとえば、塩のフタが間違えて鍋に入ってしまって、そのフタを口の中に入れてしまったかのような違和感がある。
私の中ではそのくらい肉類は食べ物ではない。
だけど、その逆にたまらなく野菜が食べたくなる時がある。
生野菜が食べた~い!
玄米食べた~い!
…そんな風に思う時がある。
だけど、それは味が好きというのではない。
食べて「あぁ、おいしい~!」と思うわけではない。
だけど、身体が歓ぶ…みたいな感じで、たとえていうなら植物が水をもらって元気になるような感じ?
そういう変な印象を感じることがけっこうある。
長年、肉を食べないでいると、やっぱりどこかしら身体が植物的になるのだろうか?
そういえば、肉類を多く採れば採るほど、闘争本能が強くなるという話もよく聞く。
私は表面的には穏やかそうに見えて、実はとても闘争本能が強いので、これまた少しその説からは離れるけど、まぁ、例外もいるということで…(こればっかり)
あるいは闘争本能が強いから、肉を食べなくなったのか…?!
まぁ、いずれにせよ、ベジタリアンであれば、心身ともに健全…であるはずなのに、なんで私はこうも両方とも不健全なんだろうなぁ…
やっぱり、祟りか何か??(^^;
ちょっとづつにしとこぅ~~っっと!
今日はいくつか記念日があるものの、どれもいまいち書きにくい…
う~ん、困った…
…というわけで、困った時のこえぴょんの小ネタ集風に…
まずは「富士山測候所記念日」
1895(明治29)年、富士山頂に野中測候所が開設した。大日本気象学会の野中至が私財を投じて建設したもので、現在の気象庁富士山測候所の前身となった。
霊峰富士山。高さは3776m…なんてことは皆知ってるよね…(;^_^A
富士山…で、以前から気になっていたのが、富士の樹海。
自殺の名所(?!)とか、心霊スポットとか、マイナスイメージしかもっていなかったのだけど、さにあらず。
そもそも、青木ヶ原樹海とは、約1200年前、富士山の噴火活動で流れた溶岩の上に出来たという貴重な森。
当然、土はほとんど無く、そのため、木々は地中に根を張ることが出来ず、地表にあらわになっている。
これがまた、独特の景観をかもしだす要因となっているらしい。
野鳥も数多くいるため、バードウォッチング等も出来るとのこと…
樹海のこと、かなり誤解してたのかなぁ??
「マッカーサー進駐記念日」
1945(昭和20)年、連合国日本占領軍最高司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着した。
マッカーサー元帥は占領下の日本の最高権力者として日本にやってきた。
サングラスにコーンパイプという姿は印象的だったらしい。
この「コーンパイプ」は、19世紀半ば、農民たちにより考案、何年にもわたり研究され、コリヤーコーンという非常に堅くて大きな新種のコーンの生産に成功した。
コリヤーコーンの芯を最低2年ほど乾燥させ、表面を機械で研磨したものだそうだ。
マッカーサーという人はとても優秀な人物だったらしく、1898年、アメリカ陸軍士官学校に入学、1903年には陸軍少尉になり卒業。
その成績はアメリカ陸軍士官学校史上最高で、マッカーサーの成績以上の高成績で卒業したものはいまだに現れていないというからすごい!
もう1つすごいのが、マッカーサーが日本を去る時には、各地から何十万通というファンレターが寄せられ、帰国する4月16日には、なんと!20万人の日本人が羽田で見送ったという
「冒険家の日」
1970(昭和45)年に植村直巳がマッキンリーに単独登頂し、1965(昭和40)年には同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川の源流から130kmを世界で初めてボート下りし、1989(平成元)年に堀江謙一が小型ヨットで太平洋を横断した日。
植村直巳さんといえば、北極、犬ぞり…みたいなイメージが強く、北極と犬と聞くとまたまた悲しいイメージがあるのであんまり書きたくなかったり…
そして「冒険」と聞くと、どうしても「冒険野郎マクガイバー」が思い出されるのだけど、考えてみたらマクガイバーは冒険家ではなくエージェントなんよねぇ…
っていうか、「冒険野郎」っていうのが、これまた何じゃろか?みたいな…(;^_^A
でも、このドラマはとっても面白くて、声優さんもイメージにぴったりで良かった。
お気に入り海外ドラマの1つだったりする~!
「ハッピーサンシャインデー」
「ハッピー(8)サンシャイン(30)」の語呂合せ。 太陽のような明るい笑顔の人のための日。
太陽のような明るい笑顔の有名人を考えてみたが、なかなか思いつかない。
だいたい、太陽っていうのはイメージ的に熱すぎる。
太陽は太陽でも、浅い春の陽だまりのような太陽なら良いかな…?
心地よい暖かさで、思わず気持ち良くなって眠ってしまうような…
そういう笑顔の有名人は…有名人だけど、知らない人の方が多そうだから、書かない…!
あ、でも、皆が知ってる有名人でもいた!
そう…微笑みの貴公子・ヨン様…
ヨン様の微笑には幸せパワーがたくさん詰まってる…!
あぁ…間近で微笑まれてみたい…!!
♪薔薇は、薔薇は…(ここしか知らない…)
今日は「ベルばらの日」
1974(昭和49)年、宝塚歌劇で「ベルサイユのばら」が初演された。
池田理代子原作の劇画を脚色したもので、1976(昭和51)年の上演打ち切りまでに延べ140万人の観客動員を記録した。
この日の出演はオスカルが榛名由梨、アンドレが麻生薫、マリー・アントワネットが初風諄、フェルゼンが大滝子という配役だったらしい。
この物語はフランスの歴史に基づいた内容で、そこに架空の人物であり主人公のオスカルやアンドレが加わる。
オスカルは、代々、王家に仕えるジャルジュ将軍家の末娘の女の子として生まれた。
オスカルは父の意向で男として育てられ、やがてマリー・アントワネット付きの近衛士官に就任。
そんなオスカルには乳母の孫であるアンドレというおさななじみがいた。
アンドレは子供の頃からオスカルを深く愛しているが、身分違いからその恋心は心の奥深く秘めていた。
そんな2人の哀しい恋物語やフランス王妃マリーアントワネットとスェーデンのフェルゼンの関係を、激動のフランスの時代背景にからめた壮大なストーリーだ。
マリー・アントワネットは1755年11月2日、神聖ローマ帝国の皇帝フランシスⅡ世とマリア・テレジアの末娘としてウィーンに生また。
ウィーンでは両親に愛され、何自由ない優雅な暮らしをしていた。
1770年、ハプスブルク家とブルボン家の同盟政策のため、14歳で、16歳のフランス皇太子(後のルイ16世)と結婚。
結婚4年後、ルイ15世が天然痘により逝去。
18歳と20歳の若い皇太子夫妻が王位につくことになった。
皇太子妃時代から彼女は贅沢三昧な生活に明け暮れていた。
そのため、「赤字夫人」と呼ばれ、国民からは非常に恨まれてた。
そして、運命の1789年、愛する皇太子・ルイ・ジョセフの死、そして「フランス革命」が勃発という事件が起こった。
その年の10月に居城をヴェルサイユからパリに移される。(ヴェルサイユ行進)
1791年6月、フェルゼンに導かれ、家族と共に祖国オーストリアに逃亡しようとするが、途中あと50キロと言うところで逮捕されてしまう。(ヴァレンヌ逃亡)
1792年8月、王権を停止されてからタンプル塔に幽閉されるが、そこでの短い期間は国王家族にとってはある意味幸せな日々だったと言われている。
寝食を共にしたり、子供と一緒に水入らずで遊んだりするのは彼女にとっては初めてのことだったからだ。
しかし、そんな幸福も長くは続かず、1793年1月21日、ルイ16世が処刑され、アントワネットは「王妃」ではなく「カペー未亡人」と呼ばれるようになる。
やがて、息子からも隔離されてしまい、彼女は王女とルイ16世の妹エリザベート内親王との3人で暮らすようになる。
そして、1793年10月、「国庫を浪費した」件、「外国に軍事秘密を漏らした」件、「息子と不適切な関係を結んだ」といういわれのない件で逮捕される。
全てにおいてマリー・アントワネットは誇り高く自己弁明し、裁判所は確たる証拠を得られなかったが、所詮は最初から有罪が決まっている茶番のような裁判だったため、彼女の言い分が聞き入れられることはなかった。
1792年10月13日、コンコルド広場でギロチンにて処刑。
ルイ16世は幌付きの馬車で処刑場まで連れて行かれたが、マリー・アントワネットにはそれさえも許されず、平民と同じ粗末な荷車で連行された。
刑場で処刑人の足を思いっきり踏んづけたアントワネットは、「ごめんあそばせ。わざとやったのではありませんの」と優雅に言ったという。
10月16日早朝…パリでは太鼓が叩かれた。
かつてのフランス王妃マリー・アントワネットの処刑を知らせる太鼓だ。
死刑判決が出たのは1時間前の午前4時。
判決は裁判が始まる前にすでに決まっていたことだった。
裁判長から異議申立てがあるかどうか聞かれても、マリー・アントワネットはただ首を振るだけだったという。
通常ギロチンというのは、顔を下に向けて置かれるのだが、彼女に関しては国民の憎悪があまりにも激しかったため、わざと顔を上向きに置かれ、刃が落ちてくるのが本人に見えるようにしたと言われている…
0524
1953(昭和28)年8月28日午前11時20分、日本の民放テレビ第1号の日本テレビが放送を開始した。
初のテレビCMは服部時計店(精工舎)の正午の時報だったが、放送の不慣れからフィルムを裏返しにかけてしまったため、3秒ほどで中止された。
記念すべき日本初の民放テレビ放送に何をすんねん!…的な話だ。
見る側にしたら、放送開始前からワクワク、ドキドキしながら待って、おぉ~~っ!ついに始まった!!と思ったら、3秒で中断…
なんだかなぁ…(;^_^A
我が家は昔から、民放しか見ないといっていいほど、民放派。
この季節の日本テレビといえばやっぱり「24時間テレビ」
今年で27年になるらしい。
とても意義のある番組だと思うのだけど、実はあんまりみていない…
どうも面白くないんだなぁ…
ただ、今年は丸山弁護士が走るということで、ちょっと楽しみにしていた。
弁護士らしからぬ(?)丸山弁護士のあの雰囲気が好きなのと、やはりあの年令でやれるかどうか?というあたりが興味の対象となった。
そんなわけで、土曜深夜から見てはいたのだけど、どうも面白くない…
今年は昔の番組の再現みたいなのもやってたけど、熱湯風呂は全然面白くないのに長い~…
丸山弁護士はあんまりでてこないし…
あと、あのおそろいTシャツはどないかならんか?と、いつも思うのだった…
今年は色のバリエーションはでたものの、やっぱりダサ~~…
みんながわざわざ同じなものを着てるのも、見ててなんか気持ち悪いんよね…
Tシャツに比べたらあんまり目立たないかもしれないけど、今だったらピンバッヂとかそういうのにしようよ~!と思う。
ヒガシは上からジャケットを着てたけど、それでも変なんだもん。
ふだんカジュアルな格好をしない人には似合わないし、あれは本当にイヤダ!
で、今日はほとんど見ず、しかも、ラスト前にうっかりお風呂に入ってしまったので、丸山弁護士ゴールの瞬間は見逃してしまった…!
北村弁護士との握手も見れなかった。
あ~あ…
特番もあるみたいだけど、リアルタイムで見ないと、いまいち面白くないかも…
…でも、まぁ面白くないのはともかく、募金はかなりの額が集まったらしい。
この日のために日頃からお金を貯めてる人もいるだろうし、番組の意義としては素晴らしいと思っている。
問題は内容とTシャツだな…
マングースがいてくれたら…
昨日は近所のコンビニをあちこち探してまわってみたけど、本当にどこもフタ付きどんぶり+チキンラーメンのセット(あれ?どんぶりだけだったかな?)は売り切れだった…
各店でちゃんと「チキンラーメンのフタ付きどんぶりはもう売り切れですか?」と聞いたので、探し洩れではないはず…
マグカップよりかなり売れてる…
そんなにほしくなかったのに、売り切れと聞くとなんだか無性に欲しくなってくるもんだなぁ…
今日は『男はつらいよ』の日・寅さんの日
1969(昭和44)年の今日、山田洋次監督・渥美清主演の映画『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開された。
「フーテンの寅」が最初に登場したのはテレビドラマで、この時は最終回で寅さんは死亡した。
しかし、あまりの反響の大きさのため映画で復活し、以来48作にも及ぶ世界最長の長編シリーズとなった。
主演の渥美清は、本名「田所康雄」
1928年3月10日生
1996年8月4日 肺ガンにて死去、享年68歳。
死後に国民栄誉賞が送られ、それ以前にも、文部大臣賞(1972)、都民文化スポーツ栄誉賞(1982)、ブルーリボン主演男優賞(1983)、葛飾区民栄誉賞(1985)、日刊スポーツ映画大賞第一回主演男優賞(1988)、紫綬褒章(1988)、浅草芸能大賞(1989)などを受賞している。
渥美清といえば寅さんというイメージが定着し、渥美清と寅さんの境目がよくわからなくなっていたが、渥美清は絵画鑑賞などを好む物静かな男性だったらしい…
自分とは全く逆のキャラクターの方が演じやすいという話も聞くが、彼もそういう感じだったのか…?
「フーテンの寅さん」の「フーテン」は、いまや完全な死語となってしまった。
辞書には「定まった仕事をもたないで、ぶらぶらしている人。」と解説されている。
ふだんまず使うことのない漢字で「瘋癲」と書いてふうてんと読む。
1960年代の後期、働くことや学校に行くことを拒否する若者達のことを「フーテン族」と読んでいたらしい。
今でいうとニートみたいなものか…
(ニートはひきこもりも含むんだったかな?)
しかし、考えてみれば、寅さんは定まった仕事を持たなかったわけではない。
職業は定まっていたのだが、その職業で働ける場所や期間が定まってないだけだ。
一応は自分の力で暮らしていたようだし、どうも「フーテン」とも「ニート」ともちょっと違うような気がする。
かといって、だから何?と聞かれると、適当な言葉が思い当たらない…
ちなみにドラマの最終回の寅さんはハブに噛まれて死んでしまったらしい…
寅さんらしいといえば、寅さんらしい。
難病や不治の病は寅さんには似合わない。
だけど、渥美清はガンだった…
やっぱり、寅さんと渥美清は違うんだなぁ…
♪虹の向こうは、晴れなのかしら
こちらは台風も何事もなく通り過ぎてくれた…
良かった!良かった!と思ってたら、関東はかなり被害があった模様…
友達にもメールしてみなくては…!
今日は「レインボーブリッジの日」
1993(平成5)年、レインボーブリッジが開通した。 レインボーブリッジは、全長798m、主塔の高さ126m、水面からの高さが50mの東日本最大の吊り橋で、上層が首都高速道路11号台場線、下層が臨港道路・遊歩道と新交通システム(ゆりかもめ)の二層構造になっている。
関西人なので、まだレインボーブリッジは渡ったことがない…
っていうか、明石大橋も渡ったことない。
一応、そういうものに興味はある。
どのくらい長いのか高いのか、ゆれるのかどうなのか、歩いてみたいと思ってしまう。
(虚弱体質なのに、歩くのはけっこう好きだったりする)
なんと!レインボーブリッジは、今でこそ歩行者の通行は無料だけど、開通当初は有料(大人300円)だったそうだ。
通行可能時間
も決まっているらしく…
4~10月 9:00~21:00、
11~3月 10:00~18:00
毎月第3月曜日は通行不可らしい。
あんまり人が通らないような時間は勝手に通れないのは、飛び込んだりする人がいるからだったりするのだろうか…?!(怖っ)
自転車は通行不可っていうのもなんでだろうね~…
なにか危険なことでもあるんだろうか?
ふだんの足が自転車の私としては、どうも納得行かない感じ…(って、自転車でレインボーブリッジを渡る機会なんて、ないとは思うんだけど…)
他に東京のレインボーブリッジとは関係ないレインボーブリッジがアメリカにある。
1つはナイアガラの滝にあるもの。
アメリカとカナダの国境を結ぶ橋。
そしてもう1つは、ユタ州のレインボーブリッジ国定公園にあるもの。
こちらは,人工的に作られたものではなく世界最大のナチュラルブリッジ。
ネイティブアメリカン達が「空にかかる虹が固まった」と語り継いできたレインボーブリッジは、まさに、虹のような形をしている。
色こそついてはいないものの、その形はどこから見ても虹そのものだ。
大きさは幅84m、高さ88mだというから、見上げて相当かなり勇壮なものだろうと思う。
ユタ州南部には他にも様々なナチュラルブリッジが存在するらしい。
ちなみに、レインボーブリッジは,ネイティブアメリカンにとってはとても神聖なものなので、くぐってはいけないらしい。
虹は幸せの象徴でもある。
虹を見たら幸せになれるとも言う。
私は去年、ものすごくひさしぶりに見たけど…まだ幸せにはなってないなぁ…(^^;