今日で何歳?
でも、あえて今年も書いてみたりする。
そして、来年もさ来年も書くつもり…
今日は「メンズバレンタインデー」
日本ボディファッション協会が1991(平成3)年に制定したもの。
男性から女性に下着を送って愛を告白する日。
1991年となると、すでにもう14年の歳月が流れているのだけど、このイベントはいまだ定着はしていない…
「この記念日は廃止します!」なんて申し出は出来ないんだろうか?
下着売場でも「今日はメンズバレンタインデー!好きな女性に下着を贈りましょう!」…なんてことが書かれているのは見たことがない。
でも、わからない!
時代と共に人間の常識なんてものは変わっていくのだから、あと30年位したらこのイベントもやっと日の目を見るかもしれない。
これからも長いめで見守っていきたい記念日だ…
さらに、今日は「セプテンバーバレンタイン」
2月14日のバレンタインデーから半年目で、別れを切り出す日。
確かに半年経つと相手のことがよくわかってきて、いやになったりすることもあるだろうなぁ…
っていうか、半年でいやになるような場合は、多分、もっと早くにいやになりそうな気もするけど。
逆に半年続いたら、あとは他に気になる人があらわれない限りは続くような気もする。
この日、紫色の服を着て白のマニキュア付けて別れをきりだすそうとか、紫色の物を身につけて別れの手紙を渡すのがルールだとか言われている。
なんで紫なんだ??
昔から紫は「高貴」とされる色だ。
たとえば、聖徳太子が制定した冠位十二階(身分制度)では最高位の色を紫と定めている、江戸時代には平民は絶対に身に付けることは許されなかった色だし、平安時代には貴族階級に珍重された色だ。
紫の光の波長は細胞内の光修復酵素を刺激し、DNAなどの損傷を修復する働きがある事が医学的に実証されているそうだけど、この色は「高貴」以外に「癒し」を現わす色でもある。
そのためか、体調の悪い人やストレスがたまっている人がより紫色を好む傾向があるそうだ。
自然治癒力が働いて無意識にこの色を好むようになるためだとか。
私は10代の終わり頃、やたらと紫が好きだったことがあった。
濃い紫ではなく、薄い目のラベンダー系の紫だったけど、やたらと紫の服ばかり着ていた…
ストレスたまってたのかなぁ…(;^_^A。
江戸時代、殿様が病気になったりすると紫色のはちまきをしているが、あれは「紫紺」と言う薬効成分のある植物で染めたもの。
色のまじないだけではなく、薬効もあるはちまきだったのだ。
その紫を身に付けて、別れ話をするのはなぜ??
別れ話をされて傷ついた相手を癒すため…?!
なんだかなぁ…
さらに、「コスモスの日」というのもあった。
プレゼントにコスモスを添えて交換し、お互いの愛を確認しあう日。
…なのだそうだ。
赤いコスモスの花言葉が「愛情」だかららしい。
これはちょっと良い感じかもしれない。
赤いコスモスの押し花ストラップをペアで持つとか、なんとなく可愛いかもしれないよね。
まぁ、私には関係ない話なんだけど…ダハダハダハ…
あ…最後に…
今日は磯野波平の誕生日…
「火垂るの墓」は見ないよ…
今日は「乃木大将の日」
1912(大正元)年、乃木希典大将が、明治天皇の大喪の日に、夫人とともに殉死した。
自宅のあった地に、乃木大将を祀った乃木神社が建てられた。
乃木大将は、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) 江戸麻布の長府毛利藩邸に生まれる。
陸軍大将。軍神。
家系は長州藩に仕え、祖先は宇多源氏につながるという。
東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」とも呼ばれた。
乃木大将は10歳の時、長府へ帰り集童場で学ぶ。
西郷隆盛による西南の役では官軍として参戦。
日清戦争で、旅順の要塞を簡単に攻め落とした功績から、日露戦争では露軍の旅順攻めのために編成された陸軍第3軍の司令官として活躍するも、部下の約半数を死傷するなど苦戦の末での攻略で、乃木大将自身も愛息二人をこの戦争で失った。
この戦争後の降将ステッセル中将との「水師営の会見」では武士道精神でもてなした。
その後、学習院長などを務め、祖国愛と忠孝の道義に徹した至誠の人と言われている。
明治天皇の崩御の際の乃木夫妻の自刃(西南戦争の折り、軍旗を薩摩軍に奪われ本来であれば切腹であるべきところを明治天皇に救われたためということらしい)は、殉死として美談にもなった。
死後、文武両道の神として、1920年(大正9年)1月30日乃木神社(長府宮の内町)が創建。
乃木神社には乃木希典夫妻の銅像が建立されており、覚苑寺には1939年(昭和14年)11月24日に銅像が建立された。
山口県、栃木県、東京都、北海道等、全国各地に乃木を祀った乃木神社がある。
また、トルコやポーランド、フィンランドなどでは今でも名前に「ノギ」または「トーゴー」とつける人も少なくないらしく、露戦争後、満洲人の民家には満洲からロシアを追い払った感謝の念を込めて乃木希典の肖像画が飾られていたという。
靖国問題とかいろいろと戦争に関連する人や事柄については賛否両論がある。
私ももちろん戦争は反対だし、絶対にやってはいけないことだと思っている。
だけど、ドラマなどを見ていて、やはり軍人には軍人なりの対場もあり、そして一口に軍人とは言ってもいろいろな考え方の人がいて…
どう書いたら良いか難しいのだけど、私の中では戦争というものとそれに関わった個人がどうであったかは違うジャンルでの判断になるかなぁ…
今年は戦後60年ということで、テレビでもたくさんの戦争関連のドラマがあった。
戦争には破滅と絶望と悲しみしかない。
オノ・ヨーコさんが「戦争はこの世で一番汚いもの」と言ってたけど、確かにその通りだ。
いろんな人がいるから、嫌いな人と無理に仲良くする必要はないと思うけど、とりあえず、殺すな!壊すな!
この世で一番汚いものが、早くこの世からなくなりますように…
死ぬほど走ったらあかん!
紀元前450年、ペルシャの大軍がアテネを襲いマラトンに上陸したのをアテネの名将ミルティアデスの奇策でこれを撃退し、フェイディピデスという兵士が伝令となってアテネの城門まで走りついてアテネの勝利を告げたまま絶命したと言われる日。
1896(明治30)年アテネで第1回オリンピックが開かれるに当り、この故事を偲んでマラトンからアテネ競技場までの競走が加えられ、初めてのマラソン競走が行われた。
マラソンといえば、なぜフルマラソンの距離が42.195㎞という半端な距離なのか?ということについては諸説あるが、有力とされているのは、第4回オリンピック・ロンドン大会において、女王陛下が宮殿内からゴールを観戦できるように当初よりゴールを延長したところその距離が42.195㎞であり、ロンドン大会以降のオリンピックでもマラソン競技が同じ距離の42.195㎞で開催され続けたことから、いつしかそれがフルマラソンの距離となったという説。
アテネ軍の伝令の兵士が勝利の報告のために走り抜けたマラトンの丘→アテネ市内が約40㎞だということもある。
第1回~第3回オリンピックや、オリンピックよりもわずかに歴史の古いボストンマラソンでも最初は「約40㎞」というアバウトな距離設定で大会が開催されていた。
ところで、マラソンと似たスポーツにジョギングがある。
どちらも「走る」という点では同じだし、どこが違うか調べてた。
エアロビを提唱した軍医のクーパー博士による分類によると、マイル(約1.6km)を9分より遅いペースで走ることをジョギング、それより速く走るのがランニングということだそうだ。
ちなみに、100m走ると、34秒の違いになる。
34秒というと、ずいぶん違う。
2人をマラソンとジョギングで同時に走らせてみたら、もっとよくわかるかもしれない…
マラソンといえば、記憶に新しいのが先月末に放送された「24時間テレビ」の100kmマラソン。
毎年恒例のものらしいけど、今年初めてちゃんと(?かな?)見た。
今年のランナーは丸山弁護士。
59歳という年令と、「行列の出来る法律相談」で見る丸山弁護士の好印象のため、見てみる気になった。
いくら合宿をしてトレーニングをしたり、トレーナーがついたからといっても、普段から常に走ってるわけじゃない人が急に100kmマラソンにチャレンジするとは相当大変なことだと思う。
しかも、順調にトレーニングを重ねていた最中、ガードレールに右足をぶつけて怪我をするというアクシデントに見舞われたという。
それがようやく回復した頃、今度はぎっくり腰に…
それも、確か本番の数日前だったと思う。
本人もずいぶん心配したんじゃなかろうか?
しかし、丸山弁護士は走りぬいた!
25時間41分で100kmを完走!
たいしたもんだ!
肝心のゴールの瞬間はお風呂に入ってしまい見逃してしまったけど、本当に良かったと思う。
59歳でもあれだけ出来るんだ!というのは、たくさんの人々に希望を与えたと思う。
でも、私にはやっぱり100kmなんて走れないと思うけど…(^^;
使ってないのが何枚もある…
今日は「公衆電話の日」
1900(明治33)年、日本初の自動公衆電話が、東京の新橋と上野駅前および熊本市内に設置された。
当時は「自動電話」と呼ばれていて、交換手を呼びだしてからお金を入れて相手に繋いでもらうものだった。
1925(大正14)年、ダイヤル式で交換手を必要としない電話が登場してから「公衆電話」と呼ばれるようになった。
近年、携帯電話の普及に伴い、公衆電話の姿がどんどん少なくなってきている。
私も最近公衆電話を使った記憶がない。
携帯電話も出始めは通話料が高かったため、わざわざ公衆電話を使うことはあったのだけど、最近はそこまで気にならなくなってきたから。
以前はちょっとした記念やお返しにテレフォンカードが使われることがよくあったが、最近はテレカをもらったことがない。
今ではテレカももらっても喜ばれないものになってしまったようだ。
ちなみにテレカが登場したのは1982年。
当然ながら、カード式公衆電話が始まったのもこの年。
お金の入り口もその頃1つになった。
それ以前は硬貨を選別する機能がなかったため、十円と百円玉を入れるところが別々だったらしい。
20年前のことは記憶がない…
でも、そういえば、遠くに電話する時に百円玉を使ったような気がする…
大昔、一度たまたま故障中だったのか何だったのかタダでかけられる公衆電話に遭遇したことがあった。
これはすごい!と用事もないのに遠くに住むペンフレンドに電話をした記憶がある。
昔はとにかく暇つぶしに電話ばかりかけていた。
今、電話が嫌いなのは、昔しゃべりすぎたせいかもしれない…(;^_^A
それから、コンサートのチケット予約にもけっこう公衆電話を利用した。
公衆電話からかけた方が早く繋がるという噂があったからだが、公衆電話というものはもともと非常用の役割があるため、一般加入電話よりも優先的につながるように設定されているそうなので、ただの噂ではなく本当のことだったようだ。。
とはいっても、公衆電話からかけたからさすがに良い席がとれた!ということもなかったんだけどね…
これからの公衆電話はどうなっていくのかなぁ??
どんぶりじゃないよ!
ここ数日、ものすご~~い睡眠不足…
そんなわけでいつも以上に思考力低下…
しかも、そんな時に限って食い付きにく~い記念日ばかり…困ったなぁ…
「屋外広告の日」
全日本屋外広告業団体連合会が1973(昭和48)年に制定し、1974(昭和49)年から実施。
1973(昭和48)年、「屋外広告物法」改正法案が可決成立し、屋外広告業が明確に定義づけられ、屋外広告業者の届出制度が創立された。
1982(昭和57)年からは9月1日から10日までを「屋外広告美化旬間」とした。
屋外広告物とは、屋外に出してある広告物のことで、広告看板や電柱広告・ポスターのほか、アドバルーンやチンドン屋さんも含む。
チンドン屋さんの正式名称は「街頭宣伝業」
チンドン屋さんの起源は古く、弘化2年(1845年)、大阪の千日前をナワ張りとしていた飴売りの飴勝なる人物が、寄席から依頼された街頭宣伝をやったのが始まりとされている。
その後、飴勝に弟子入りした勇亀さんが、拍子木を鳴らしながらさながら芝居のように「東西、とうざい~!」とやったのが評判となり、以来関西では「東西屋」と呼ばれるようになった。
明治18年頃、丹波屋九里丸という人物が「こっけい鳴物入り路傍広告業」と称して人気を集め、東西屋の名をさらに高めた。
時期を同じくして、秋田柳吉さんが東京に楽隊広告業「広目屋」を開店。
元海軍軍楽隊の市中音楽隊(略してガクタイ)を広目屋の行列の先頭に立てたのが大当たりした。
やがて関東では街頭広告業が「広目屋」と呼ばれるようになった。
私が生チンドン屋さんを見たのは、実は数年前の近所のショッピングセンターのイベントでたったりする。
わが母が幼い頃にはチンドン屋さんの宣伝活動がよくあって、チンドン屋さんが来るとつい楽しくて着いていってしまって、気が付くとずいぶん遠くまで来てしまい、帰り道がわからなくなってしまったことがあったと言っていた。
チンドン屋さんは、一応、「トリオ」が通常で、クラリネットまたは三味線1人、大太鼓1人、日傘のついた鉦つきの小太鼓の一人といった編成になっている。
この3人にビラまき1人と、動物のヌイグルミ1人が加わり5人編成になる事もあるらしい。
この日傘付き小太鼓だけど「チンドン」と呼ばれるもので、国産の楽器。
木枠の下に小太鼓、上に鐘が付いており、ベルト状のものを両肩に通して胸からお腹にかけて下げる形のもの。
重量は10キロを超えるというので、見た目の派手さとは裏腹にチンドン屋さんはかなり大変な職業だ。
富山では毎年「春祭り」の目玉イベントとして「全国チンドンコンクール」というものが開催されている。
富山市が昭和20年に空襲で壊滅的な被害を受け、そこから立ち直り復興した昭和30年に「市民の心に明るさを取り戻そう!」と、富山商工会議所や富山市などが中心となり誕生したイベント。
このイベントには、チンドン屋さん達が東京・名古屋・大阪を中心に全国から多数参加。
各組約3分間という持ち時間にその技とアイデアを披露し、競い合うコンクールなのだそうだ。
ちなみに、賞品などについては不明…
チンドン屋さんは衣裳や楽器にもお金がかかりそうだから、賞金はずんであげてほしいよね…!
ズバリ言うわよ!
今日は「世界占いの日」
日本占術協会が1999(平成11)年に制定。
この日が「重陽の節句」であること、ノストラダムスの終末の予言の日は1999年9月9日とされていること、この日の数字を全部合計すると46で、46の2つの数を足せば10になり完成を物語る数であること、明治4年9月9日に時間の数え方を西洋式に改めたこと、この日が「救急の日」で占いは運命の救急であるとのことから。
さすがは占いの日!といった理由付けだ。
一口に占いといっても、その種類は膨大な数だ。
古より伝え継がれて来たものもあれば、ごく最近はじめられたもの、世界的に有名なものから、ごく一部のマイナーな人しか知らないものまで本当に数えきれない程の占いが存在する。
内容も様々で、星占いのような統計学的なもの(…と書くと、語弊があるかな?)から、霊感占いやタロット占いのように占い師の能力に基づくもの等いろいろとある。
日本の場合を考えてみると、最近一番人気があるのは細○数子さんの「六星占術」ではないかと思う。
中国古来の万象学、算命学、易学などから編み出した占い方法だそうで、生年月日から土星人、金星人、火星人、天王星人、木星人、水星人の6タイプに選別する。
人間には12年に1度「大殺界」と呼ばれる冬の時期が訪れ、さらに一生のうちに25年間の宿命大殺界なるものがめぐってくるという占い。
もちろん、良い運気の実りの時期も12年に3年間めぐってくる。
私も何冊か本を読み、自分を含め、身近な人間の運気を調べてみたが、確かに的中率はけっこう高い。
怖い程当たる!…とは思わないけど、割りとあたっている。
大殺界は冬の時期だから、とにかく行動を控え、新しいことを始めず、じっとして冬が過ぎ去るのを待つようにと書いてある。
だいたい、本に書いてあることは理に適っていると思うのだけど、テレビの細○さんをみていると、ちょっと違和感を感じることがある。
細○さんが気に入ってる人はたとえ大殺界でもたいして悪いことを言われず、逆に気に入らない人はボロカスに言われる…と、よく言われてはいたけど、まさにその通りだと感じることがある。
細○さん自身は土星人なのだけど、性格判断を考えてもとても土星人らしい。
だから、やっぱり当たる占いではあるのだろうけど、もう少し、客観性をもって占ってもらったら、私ももっと納得出来るんだけどな。
でも、あの独断的なところがまたカリスマ性を醸し出しているのかもしれない…
某ワイドショーでやってた「怖い有名人ランキング」でも、堂々の(?)1位だった。
ちなみに細○さん自体、今年から3年は大殺界…
それから、短期間ですぐにおわってしまった某話題の番組内でピックアップされたものにタイのカリスマ占い師モーヨン氏の「曜日占い」
というものがあったのだけど、これがまたよく当たっている。
今年の運勢はいまいちかなぁ…と思うけど、性格診断みたいなものは、けっこう当たってるように思う。
私は意外と知らず知らずのうちに、ラッキーカラーや良いとされる方向に行ってることが多いのだけど、今回はアンラッキーカラーのものをもっていたことを知ってちょっと嫌な感じ…
そう、私はけっこう占いを信じるタイプなんだなぁ…
本家は「りんごちゃん」?!
今日は「ニューヨークの日」
1664年、ニューヨークが誕生した。
1626(元和16)年、オランダの西インド会社がマンハッタン島の南端にニューアムステルダムを開港し、1664(延宝2)年のこの日にイギリスの支配下に移った時に、ヨーク公に因んで名前をニューヨークに改めた。
マンハッタン島の形が林檎に似ていることから、「ビッグ・アップル」とも呼ばれる。
市の面積は約800平方キロ。人口は中心部が約800万人で都市圏全体では2200万人に達する。
ニューヨークといえば、「自由の女神」
正式名称は「世界を照らす自由 」(Liberty Enlightening the World)
自由の女神はフランスがアメリカの独立100周年を祝い贈ったもので、マンハッタン湾の南側にあるリバティ島に位置する。
左手には「1776年7月4日」と日付の入った独立宣言書を抱え、右手には高々とトーチを掲げている。
1984年世界遺産に指定。
台座に立つ女神の高さは46m、像の高さが46m、台座の高さを加えると約93mになる。
女神像の王冠のところは展望ロビーになっており、北側にダウンタウンの摩天楼群、ブルックリン、ベラザノ橋、スタッテン島など360度の風景が楽しめる。
女神像をアメリカに像を贈ろうと発案したのは法学者・歴史家・政治家であるエドワール・ド・ラブレーという人物。
1874年、彫刻家のフレデリック・オーギュスト・バルトルディはラブレーから女神像の依頼を受け、製作に着手 。
女神像の骨組み部分を設計したのは、のちにエッフェル塔を建てることになる高架橋技師のギュスターヴ・エッフェル。
巨大な女神像の建造には当然ながら非常に高度な技術が必要となったが、バルトルディが最も悩んだのは女神像の顔だったとか…
苦悩の挙げ句、彼は、ウージェーヌ・ドラクロワの描いた「 民衆を導く自由の女神」(1830)と、彼の母親の厳格なイメージを合わせ持った顔にしたのだそうだ。
像1884年に完成し、仮組みされた女神はしばらくの間パリ市内に建てられていたが、翌年、214個に分解され、海路でニューヨークに向け出航。
ところが、ここに来てアクシデントが!
もともとアメリカが作るはずになっていた女神の台座が資金不足のため完成していなかったのだ。
これでは女神像が届いても立てられない…
その非常事態を救ったのが、当時、「ワールド」社の社主を務めていたジョセフ・ピューリッツァ氏。
彼は、「フランスが友好の証として女神を贈ってくれるのに、アメリカはその台座さえも用意できないのか」…と、台座の建設基金のキャンペーンを展開。
その甲斐あって、あっという間に資金が集まり、やっとニューヨーク湾に浮かぶリバティ島(当時はベドロー島)に台座が完成。
こうして、建国100周年から遅れること10年目(遅いっっ!)の1886年10月28日、クリーブランド大統領が見守る中、女神の顔を覆っていたフランス国旗が製作者バルトルディ自身の手によって取り除かれ、自由の女神のお披露目となったのだった。
ところで、この「自由の女神」はいろんな所に偽物(?)がいる。
大きなものから小さなものまで、日本各地にも数多く存在するが、「日本最大」の自由の女神が青森県百石町という所にあるらしい。
本物の大きさの約4分の1の大きさ(20.8m)。
百石町はニューヨークと同じ緯度(北緯40度40分)に位置していることから、「ふるさと創生資金」の1億円で作られたものなのだとか。
(北緯40度40分の「4」にちなんで4分の1サイズになったらしい)
ちなみにこちらの「自由の女神」の愛称は「モモちゃん」だそうです。
どうせなら、トーチのてっぺんに桃でも乗っかってたら可愛かったかも…(^^;
しんみり…
台風14号の爪痕があきらかになってきた。
幸い、私の住んでいる地域は何事もなかったのだけど、ニュースで各地の状況を見ていると胸が痛む…
自然災害程、怖ろしいものはないなぁ…
今日は「CMソングの日」
1951(昭和26)年、初めてCMソングを使ったラジオCMがオンエアされた。
小西六(現在のコニカ)の「さくらフイルム」のCMだったが、歌の中に社名・商品名は入っていなかった。
このCMソングは「ぼくはアマチュアカメラマン」というものだったということしかわからないのだけど、映像がなく音だけのラジオで社名や商品名が入ってないってなると、一体どうやって宣伝するのか??
タイトルから推測する感じでは、とりあえず「皆、写真を撮ろうよ!」ってメッセージのCMソングだったのかなぁ??
当時のカメラは二眼レフが主流。
二眼レフとは四角い箱型のカメラで、レンズが縦に2つ並んでいて、上からのぞいて撮影するアレのこと。
当時のカメラのお値段が今の時代に換算してどのくらいのものなのかはよくわからないけど、相当高価なものじゃなかったかと思う。
しかし、電化製品とかカメラって本当に値下がりが早いよね…
頑張って買ったカメラも1~2年したらすぐに値下がりしてしまう。
しかも、性能が良いものがもっと安い値段で発売されるんだから悔しい。
ところで、今日はかのアンディ・フグの誕生日でもあった。
1964年生まれだから、生きていたら今年で41歳。
彼は10月に福岡で行われるK-1の試合に備えての来日前に体調の不調を
感じ現地の病院で診察を受けたが、多少白血球が多いと診断されたものの特に重い
症状とは思われなかったため、予定通り8月15日に来日。
しかしその後高熱が続き8月19日に入院し、急性前骨髄球性白血病(APL)と診断された。
彼は8月22日、ファンに向けて闘病の強い決意をこめた熱いメッセージを発表したが、病状は急速に進行。
2000年8月24日18時21分逝去。
あんなに強靭な肉体を持った人が、こんなにもあっけなく逝ってしまうなんて信じられない想いがした。
なんか具合が悪いなぁ…と感じ、病院にいくと急性前骨髄球性白血病(APL)と診断される…
えっ!?まさか…そんな気持ちで入院し、その5日後には天に召されてしまうなんて、本人も思ってもみなかったことだったのではなかろうか…
人の命って、なんだか儚いね…
1度はもらいたい!
今日はゴロが良いせいか記念日が多い。
でも、これといってつっこみたいネタ(?)はないので、こんな時はこえぴょんの小ネタ集風に…(最近、そんなんばっかし)
「妹の日」
現代に活躍する女性の多くが妹であることを発見した「兄弟型姉妹型」研究の第一人者で漫画家の畑田国男さんが1991(平成3)年に制定。
妹の可憐さを象徴する乙女座(8月23日~9月23日)の中間の日の前日。
毎年、その年に活躍した「妹」だけを対象とした「日本妹大賞」を授与している。
弟の日 3月3日 兄の日 6月6日 姉の日 12月6日 いい兄さんの日 11月23日
「兄弟型姉妹型」というのは家族構成という育成環境からその人物の気質を考察する方法。
まず「中間子」には、好き嫌いが明確、自己表現が下手、優柔不断、愚痴が多い、計画性がない等の特徴があり、「末子」には、協調性がある、
世話好きである、要領が良い、サービス精神が旺盛、自己表現がうまい等の特徴があるらしい。
「中間子・末子」での妹の特徴は、要領が良い。甘え上手、弟同様、姉に対する競争心が強い、姉への反発をバネに過激に自己主張することも多い。
既存の価値観や常識を実質的に重視し、転職をすることが多い。
発想力はあるが、リーダーシップを他者に依存する傾向が強い等など。
「日本妹大賞」は過去に有森裕子、岩崎恭子、きんさんぎんさんの妹である蟹江ぎんなどが受賞しているらしい。
ちなみに今年の受賞者は誰なのか…??
「黒の日」
京都黒染工業協同組合が1988(昭和63)年に制定し1989(平成元)年から実施。
「く(9)ろ(6)」(黒)の語呂合せ。
伝統染色の黒染めをPRし、黒紋服や黒留袖の普及を図る日。
黒紋服や黒留袖とは関係ないのだけど、今年の秋は黒が流行るという。
ヴィクトリアン調ファッションが流行るとのことで、もうそろそろ店頭にはフリルやレースがたくさん使われたクラシカルな雰囲気の黒い洋服たちが並び始めている。
この手の雰囲気は大好きなので、ちょっと楽しみな今年の秋。
でも、黒ってあんまり良い色ではないみたいだけどねぇ…
特に恋愛運は下がるとか言うし…でも、ま、これ以上下がりようもないから良いか?(-_-;
ちなみに「白の日」は4月6日
「クロスワードの日」
クロスワード作家・滝沢てるお氏の提案により、『月刊クロスワード』等を発行する廣弘堂出版が1992(平成4)年に制定。
「ク(9)ロ(6)スワード」の語呂合せ。
1913年12月21日に「ニューヨークワールド」誌に掲載されたのが最初と言われている。
日本語のクロスワードパズルとしては、1925年3月から「サンデー毎日」誌に連載されたのが最初。
クロスワードパズルと聞くとつい「暇つぶし」と思ってしまうが、最近は漢字のクロスワードなどもあり、昔に比べるとそう簡単ではなくなってきている。
暇つぶしどころか、相当頭を使わないとわからないものもあって、新聞や雑誌の片隅などにクロスワードパズルを発見してしまうとついつい時間を取られてしまう…
「鹿児島黒牛・黒豚の日」
鹿児島黒牛黒豚銘柄販売促進協議会が1998(平成10)年に制定。
「く(9)ろ(6)」(黒)の語呂合せ。
鹿児島の黒豚は約400年前に琉球から移入され、その後改良を重ねながら作られたものだそうだ。
豚肉はもともとタンパク質、ビタミンB群が豊富だが、鹿児島黒豚は、さらにアミノ酸を多く含んでおり、筋繊維が細いためやわらかく食べやすいらしい。
黒豚とは別名を「六白」と呼ばれる様に、4本の足首、鼻、尾の先の6ケ所に白い斑点があるのが特徴。
一般の豚は生後約6ヶ月で製品にするのに対し、黒豚は生育が遅いため8ヶ月かけて製品にする。
生まれる子豚の数も少なく、一般より手間やコストがかかるが、そのヘルシーさや味の良さから人気の食材となっている。
私は食べないけど~…
「黒豆の日」
健康食品として注目されている黒豆製品を扱う菊池食品工業が制定。 「く(9)ろ(6)まめ」の語呂合せ。
♪く~ろまめココア、イソフラボンジュ~ル
マメ類があまり好きではない私だけど、このハ●スの黒豆ココアはかなりお気に入り!
あ、そういえば、マメ類は苦手だけど、豆乳は良く飲むから、飲み物にしたら大丈夫なのかも…
「黒豆ココア」は、全然マメ臭くない。
原料の黒豆は、100%丹波黒種。
黒豆には、黒豆アントシアニンというポリフェノールの一種、大豆イソフラボン、ビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富に含まれているらしい。。
1杯分に、黒豆50粒(20mg)のイソフラボンが含まれているらしいので、特に女性の美容と健康にはもってこいの飲み物だ。
しかもおいしい!
だけど、意外とあんまり売ってない。
ないことはないのだけど、どこにでもあるって感じじゃないのが不満~!
「世界老人給食の日」
オーストラリアで43年間老人に対する食事サービス活動をしている「ミールズ・オン・ウィールズ」が制定。
日本では全国老人給食協力会が実施。
……スルー……
「墨の日」
そっかー…
「キョロちゃんの日・森永チョコボールの日」
「キョロちゃん」で親しまれている菓子「チョコボール」の発売元である森永製菓株式会社が制定。
発売開始が1965年の9月であったことと、「キョロちゃん」の語呂合わせから9月6日に定めた。
森永チョコボールのキャラクター・キョロちゃんは、元はといえば、お菓子のパッケージが横から見た時に鳥のように見えたことから鳥のキャラクターを考案するも、当初は変な鳥!として社内の評判が良くなく、開発者たちは、せめて名前だけでもかわいいものを!ということで考えられた名前が「キョロちゃん」だったそうだ。
しかし、この「キョロちゃん」の名前が正式にパッケージに載ったのは、それから何十年もの歳月が過ぎた1991年になってからのこと。
森永著子ボールといえば、金のエンゼル、または銀のエンゼルを集めると「おもちゃのかんづめ」というものがもらえる。
しかし、私はいつもあと1枚あたりで忘れたりなくしたりしてしまい、もらったことがない…
あぁ~っ!!チキンラーメンも食べるの忘れてた…!!
チチローはもらってほしかった…かも??
台風14号が近づいている。
どういうコースを取っているのかわからないが、すでに関東に被害が及び、関西直撃とも言っている。
なんでも、アメリカに多大な被害をもたらしたカトリーナよりも強い勢力を持った台風なのだとか…
どうにか勢力が弱まってくれると助かるのだけど…
今日は「国民栄誉賞の日」
1977(昭和52)年、2日前の9月3日に通算ホームラン数の世界最高記録を作った王貞治が、日本初の国民栄誉賞を受賞した。
国民栄誉賞とは、前人未到の偉業を成し遂げ、多くの国民から敬愛され、夢と希望を与えた人に贈られる賞で、現在までに王貞治・古賀政男・長谷川一夫・植村直己・山下泰裕・衣笠祥雄・美空ひばり・千代の富士・藤山一郎・長谷川町子・服部良一・渥美清・吉田正・黒澤明・高橋尚子の15人が受賞している。
ちなみに、この国民栄誉賞は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えること」を目的としたもの。
受賞者は閣議で決定され、内閣総理大臣より授与される。
選考のための明確な条件というものはないようだ。
そのため、過去の受賞者に異論があるわけではないが、なんでこの人が受賞してるならあの人は受賞していないのだろう?と思う人がたくさんいる。
あまりに多くなると値打ちが下がるということだろうか?
しかし、「世の中には広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方」という人物はたくさんいる。
あまりたくさんの人は選べないというのなら、もう少し明確な選考基準を設けた方が良いのではないかと思う。
その受賞を2度も辞退している人物がいる。
イチローだ。
2001年、小泉首相は、シアトル・マリナーズのイチロー外野手がメジャーリーグで首位打者、盗塁王のタイトルを獲得する活躍をしたことから、国民栄誉賞を贈る方向で検討を行ったが、イチローが自分はまだ若いからとの理由でこれを辞退。(同賞の辞退はこれが初めて)。
2004年にも大リーグの最多安打記録262本を更新したイチローに対し、首相官邸が国民栄誉賞の授賞を検討していた問題で、イチロー側が「今の段階で国家から表彰を受けると、野球へのモチベーションが低下する」とこれを辞退した。
「野球生活を終え、本当にやりきったという時にもしいただけるのであれば、大変ありがたい」と、引退後には受けるかもしれないという可能性を示した。
さすがはイチローといった印象だ。
彼ならだれもが認める人物だし、素直に受賞しておけば良いようなものだが、彼なりのポリシーがあるのだろう。
ポリシーを貫くところがカッコイイ!
ちなみに、受賞者15名のうち現在存命なのは山下泰裕、衣笠祥雄、秋本 貢(横綱 千代の富士)、高橋尚子の4人だけ。
表彰状の日付はすでに亡くなってる人は亡くなった日になるらしい。
(生きてる人は表彰式の日)
でも、どうせなら生きてるうちにあげてほしいよねぇ…