ちょっとだけ今日は何の日 -38ページ目

ゴロンゴロン

今日は「畳の日」
全国畳産業振興会が制定。
い草の緑色から「みどりの日」の4月29日と、「環境衛生週間」の始りの日であり「清掃の日」である9月24日。


最近ではフローリングの部屋も増えてきたとはいえ、やはり日本には畳のない家は少ないと思う。
ちなみに私もいまだにずっと和室に住んでいる。
特にアレルギーもないので、このままずっと和室で良いかなと思ってる。
「畳」の起源」は古く、「万葉集」「古事記」等に登場する「菅畳」「皮畳」「絹畳」というものが、最初の畳(ござやむしろのような敷物)ではないかと言われている。
平安時代に入り、身分の高い者達の住居に、現在と同じような畳が「御座所」(今でいうところのリビングルームのようなもの)として使用され始める。
鎌倉時代、武家屋敷には部屋の壁際に畳が敷かれるようになった。
それは、敏速に行動できるように鎧を着たまま畳の上に腰をおろして休息出来るようにとの配慮からだったらしい。
現在のように部屋全体に畳を敷き詰めて使われるようになったのは室町時代に入ってからのことで、それも上層階級のごく限られた人々のみだった。
庶民の住居に畳を敷くようになったのは、江戸時代中期以降になってからのこと。
畳の語源はたためるもの、重ねられるものという所から来ているらしい。
(実際はたためないけど…(^^;)


ところで、畳の生活というのはどうなのか?
原料の井草や藁には湿度が高くなれば湿気を吸い、低くなれば今度は湿気を放出するという効果がある。
さらに二酸化窒素やVOC(揮発性有機化合物)などを吸着し、部屋の空気をきれいにする力を持っており、しかも井草香りには精神をリラックスさせ、ストレスを解消させる効果もあるという。
断熱や保温効果、防音効果まであるというのだからなかなかのすぐれものだ。


畳に関することわざにこういうのがある。
「女房と畳は新しい方が良い」
結婚したての妻は美しくいきいきしているし、新しい畳は表が青々していて気持ちがよいので、どちらも新しいほうが良いという失礼なもの。
畳とは関係ないけど、逆にこんなのもある。
「女房と味噌は古いほどよい」
夫婦として長年いっしょに暮らした妻は、互いに隔てがなくなって親しめるのでよい。味噌も寝かして発酵させたものほど味が良いということ。
「他に畳の上の水練」
理論や方法を学ぶだけで、実践的な訓練を怠ること。
「起きて半畳、寝て一畳」
どんなに立派な豪邸に住んでいても、人間は座るのに半畳、寝るのに一畳あればそれで足りる。富貴を望むことはつまらないということ。


…なぁ~んて言われても、やっぱり住むなら豪邸の方が良いよねぇ…
私は寝相が悪い。
部屋が狭いから、転がってはいかないけど、出来ることなら旅館の大広間みたいな部屋を寝室にして、隅から隅まで転がってみたいなぁ…


牡丹とはぎ

今週は先週に引き続き、またまた3連休の人が多いようだ…
私は特に出掛ける所もなく、相変わらずのひきこもり生活なんだけど~…

わざわざ書くまでもないが、今日は「秋分の日」
24節気の一つ。
24節気とは、黄経(地球の軌道上における地球の位置のことらしい)によって1年を24に分けた季節区分のこと。
黄道を春分点を起点として24等分し、それぞれの点を太陽が通過する瞬間を「節気」とする。
24節気にはこのような名称がある。
「春分」「清明」「穀雨」「立夏」「小満」「芒種」「夏至」「小暑」「大暑」「立秋」「処暑」「白露」「秋分」「寒露」「霜降」「立冬」「小雪」「大雪」「冬至」「小寒」「大寒」「立春」「雨水」「啓蟄」
元々は太陰暦における太陽の運行とのずれを解消するために考案されたものらしいが、現在では太陽暦が使われているため、季節感の表現として用いられることが多くなっている。
今日「秋分の日」は春分と同様に、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日。最近は毎年9月23日だが、2012年頃からしばらくは閏年のみ9月22日になる見込み。

この「秋分の日」は祝日法では「祖先をうやまい、亡くなった人々をしのぶ」ことを趣旨としている。
1948年公布・施行の祝日法によって制定された。
1947年までは、秋季皇霊祭(秋分の日に皇霊殿で行われるご先祖祭)という祭日だった。

「秋分の日」は民間では「お彼岸(ひがん)」といい、お墓詣りをして先祖の霊を供養する人が多い。

私もお墓参りには行きたいと思うのだけど、ここ数年いろんな理由でなかなか行きださなかったりする。

遠い場所にあると本当に行きづらい。

宗派によっても違うとは思うが、基本的にはお墓参りは墓石を磨いてきれいにしたり、周辺の草をむしったりして綺麗にし、お花等を供え、お経をあげてもらう。

よく墓石に水をかける光景を見かけるが、細木さん(よく出て来るなぁ…)によるとあれは先祖に冷や水をあびせるようなものだからやっちゃいけないのだとか…

実際のところはどうかわからないけど、そういう風に聞いてしまうとなんとなく水をかける気にはなれない。

そして、お菓子などのお供えものだが、最近はお墓の前にお供えしたままではダメらしく、もって帰るように言われる。

お彼岸のお菓子と言って思い浮かぶのがおはぎだけど、おはぎとぼたもちはどう違うのか?

結局の所、たいした違いはないらしいのだけど、春のお彼岸は牡丹の花になぞらえて「ぼたもち」秋は萩の花になぞらえておはぎということらしい。

こしあんと粒あんの違いという説もあるけど、それについては昔は秋の小豆の収穫時期とお彼岸がほぼ同時期で、収穫したての柔らかい皮の小豆を使うことができたため、粒あんを使ってのおはぎが作れたが、春には冬を越して小豆の皮が少し硬くなることからでこしあんのぼたもちとしたという説や、花の質感から、ぼたもちにはこしあん、おはぎには粒あんを使用したという説があるようだ。
昔から赤は邪気をはらうと言われているが、そのため赤い小豆を使った「ぼたもち」や「おはぎ」をお供えする風習が始まったと言われている。

私はつぶあんが苦手だから、春でも秋でもぼたもちしか食べたくないけどね~…

ゴタゴタ、ズレズレ

最近、とにかく身のまわりでゴタゴタが多い…
そんなわけで、時間がなくていろんなことがズレまくり。
なんだかなぁ…

で、今日はまたどの記念日にするか悩む…というか、困る…というか、決められないのよねん。
ちなみに、今日は…
「国際ビーチクリーンアップデー」
アメリカ・サンフランシスコに本部のある海洋自然保護センターが1985(昭和60)年から実施。
この日に近い週末に、世界各地で一斉に海岸のごみを拾い集め、その数量・種類等を調べることによって、海洋のゴミの発生元や、地球環境への影響を調査している。
「救世軍日本伝道記念日」1895(明治28)年、救世軍日本支部が設立された。
救世軍は、1878年にイギリスで創設されたプロテスタント系のキリスト教の一派で、軍隊的な組織のもとに、民衆への伝道と社会事業を行っている。

「孤児院の日」
1887(明治20)年、岡山の医師・石井十次が日本初の孤児院「孤児教育会」を創設した。

「独立記念日 (マリ共和国)」
1960(昭和35)年6月20日に西隣のセネガルとともにマリ連邦としてフランスから独立したが、同年8月20日にセネガルが連邦から離脱し、この日マリ共和国として単独で独立した。

…といった記念日があった。
ゴタゴタによる思考力低下にともない、決断力もなくなってしまった。
というか、難しいよねぇ?
概して今日は善行の日という印象があるね。

で…どれをターゲットにするか決まらない時はいつものように、有名人の誕生日でごまかす~!の技発動!
今日は野獣ボブ・サップの誕生日~!
公式には1974年生まれらしいけど、1973年説もあるらしい。
なんと!お母さんが15歳の時に産んだ子供で、さらにお兄さんもいるって話。
異母兄弟じゃなかったら、一体何才の時の子供なんだ~!
すごいヤンママ~!!
実は私はサップの試合を見たことはないのだけど、フライパンを折り曲げるのはテレビで見た!
どんな材質のフライパンだかわからないけど、ストレートに「怪力」という印象を受けた。
それを見て以来、開かないビンの蓋があると、いつも「サップなら一捻りで開けられるだろうに…」と思うようになった。

あの身体を見ても、やはり格闘技は天職のように思えるのだけど、細木さんには近いうちに格闘技をやめる(「やめた方が良い」だったかな?)といわれていた。
ハリウッド進出もダメで、製薬会社をすると良い…みたいなことを言われていたと思う。
製薬会社というのも、たしか商売ということではなく、科学者、研究者といった方を勧められていたように思う。
サップの外見からすると研究者というのは似合わないようにも思うけど、AB型らしいから意外とそういう職業もあうのかもしれない。
ここ数年(?)の間にそういう動きはあるのかないのか?!
楽しみに見ていよう…
(という前に、私の記憶が間違いだったら、話にならないのだけどね…)

新米うますぎ!!

今日は「ファッションショーの日」
1927(昭和2)年、銀座の三越呉服店で日本初のファッションショーが行われた。

一般から図案を募集した着物のファッションショーで、初代水谷八重子ら3人の女優がモデルとなった。
「ファッションショー」という言葉も初めて使われた。

昭和2年といえば、まだ着物の方が多かった時代だったんだろうか…
初代水谷八重子さんという女優さんは母に言わせるときれいな人だったということだけど、私は画像さえ見たことがない。
女優さんだから、特に太っているということはないとは思うが、きっと痩せてもいないのではないかと思う。
ファッションモデルが痩せていないといけないというのはいつから始まったのか?
時代によって理想とされる体型は変わってきているように思う。
一番根強く、手っ取り早く、有名な理想的な体重の出し方は「身長―110」と言われてきた。
でも、これで出た体重は健康的かもしれないが、女性が同性を見て「素敵!」と思える割合ではない。
これだと微妙に太っている感がある。
さらに、身長が低い人や高い人にはあてはまらない。

たとえば、●海キャンディーズのしずちゃんは182センチだから、72キロということになる。
182センチ、72キロといえば、スポーツ選手のような体型だ。
スマートという括りにはとても入らない。
逆に145センチの人だったら、35キロということになり、それはかなり華奢な体型になってしまう。
(ちなみにテニスの選手でもあり、ファッションモデルでもあるマリア・シャラポワは身長は183cm 体重が59キロらしい…)
そんなわけで最近はBMIという算出法がよく使われている。
BMIとはボディ・マス・インデックス(Body Mass Index)の略。
「体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)」で算出される体格指数のことで、肥満度を測るための国際的な指標なのだそうだ。
「医学的に最も病気が少ない数値」として 22 を「標準」とし、18.5以下なら「痩せ」、25以上を「肥満」としている。
しかし、これもあくまでも健康を基準とした理想体型であって、女性が同性から見て素敵に見える体重とはちょっと違う。
モデルさんの場合はほとんどが17あたりらしい。
やはり、明らかな「痩せ」だ。
シャラポワも17.6になる。

私もここ数年で数キロ太ったので、「標準」に入ってしまった…
数年前なら「痩せ」だったのになぁ…なんだか悔しい!
いまさらモデルになれるわけではないけど、痩せてるとやっぱりボディラインのくっきりしたデザインの服も堂々と着れるし、自分に自信が持てる。
太ってくると、ついついルーズな服を選んでしまい、服装なんてどうでも良い気分になってくる。
もちろん、病気になるようなことがあってはいけないけど、やっぱり標準よりは痩せていたいのが女心ってもんよねぇ…
先日、上●恵美子も言っていた。
入らなくても良いから、小さいサイズを勧めてほしいって。
その心理、よ~くわかるなぁ…
ちょっときついようなサイズをすすめられると、つい嬉しくなって買ってしまったりするもんなんよね。
で、「これが平然と入るように頑張ろう!」と思ったりする。
でも、結局は頑張れなくて着なかったりもするんだけど、「細く見られた」っていう事実が嬉しいんよねぇ…(馬鹿だな…)
私もまた気合い入れて、「痩せ型」を目指してみようかなぁ…
あと2キロ位落とせたら痩せ型ジャンルに入れるんだけど、この2キロがなかなか…
新米のおいしいこの季節にダイエットはやっぱり無理かなぁ…(^^;

5回も続けば良い方

今日は「お手玉の日」
日本のお手玉の会が制定。

1992(平成4)年、第1回全国お手玉遊び大会が愛媛県新居浜市で開かれた。

お手玉遊びの魅力をPRする日。


お手玉遊びというのは手を使ってお手玉を上に投げ上げて遊ぶものと思われがちだが、そのほかに「拾い技」といって親玉を1つ決めて床に5個ほどのお手玉をまき、寄せ集めたりする遊びの2種類があるらしい。
世界最古のお手玉遊びは、この「拾い技」の方だといわれている。

なんとなく、日本古来の遊びのように感じてしまうこのお手玉の起源は実は古代ギリシャで、羊のかかとの骨を空中に投げあげて手の甲で受けとめ、下におちた骨は、手の甲に乗っている骨を落とさないようにして拾いあげるというゲーム「アストラガリ」なのだそうだ。

トルコのネオヒッタイト時代(紀元前1200年~700年)の城壁に彫られたレリーフの中にも、羊の骨でお手玉をしている様子が描かれたものがあるらしい。

日本にお手玉遊びが伝わったのは奈良時代のこと。

中国から伝わってきたらしい。

その当時は水晶や石が使われていたようだが、今「お手玉」と聞いて思い浮かべる布製のものは江戸時代に登場した。
布のお手玉の中身は、粟、ひえ、だいずなどで、形はかます型。(長方形の袋状で、上を紐でしばったもの)
布のお手玉が広まるに伴い、石を使ったお手玉遊びは次第に姿を消して行き、江戸時代から明治時代にかけて、今度はかます型から今のざぶとん型のお手玉が増えてきた。


私はお手玉で遊んだことはほとんどない。

だから、今やってみても数回しか続かないし、座布団型お手玉の作り方も知らない。

母の世代はお手玉で育ったらしく、いまだにやってみるとけっこう上手に扱っている。

もちろん作り方も知っている。

このお手玉は隔世伝承遊びの代表と言われており、祖母から孫へ礼儀作法や裁縫と共に受け継がれてきたものらしい。

でも、私はお祖母ちゃんから教えてもらってないけど~…(^^;

お手玉はもう忘れられた遊びかと思いきや、けっこう様々な効果が期待される遊びだそうで特に幼児やお年寄りには最適の遊びらしい。

幼児には脳の統合的な発達を促してくれ、右脳が活性化されるためにお年寄りはボケ防止になるらしい。

他にも腰痛や五十肩が治ったとか、更年期障害が緩和されたとか、気分が明るくなる等の良い効果が確認されているようだ。

ちょっとした端切れと小豆などがあればすぐに作れるお手玉にそんな効果があるとはたいしたものだ。


…とか、いいながら、やっぱりお手玉よりもパソコンやゲームを選んでしまう私って…(-ωー;)

毒されてるなぁ…


佐藤さ~ん!

今日は「苗字の日」
1870(明治3)年、戸籍整理のため、太政官布告により平民も苗字を持つことが許された。
しかし、なかなか苗字を持とうとしなかったため、1875(明治8)年2月13日に、全ての国民が姓を名乗ることが義務づけられた。
江戸時代、苗字を使っていたのは貴族と武士だけだったが、1870(明治3)年9月19日に出された「平民苗字許可令」により、平民も苗字を持つことが許された。
しかし、当時国民は明治新政府を信用しておらず、苗字を附けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、なかなか苗字を名乗ろうとしなかった。
そこで明治政府は、1974(明治7)年の佐賀の乱を力で鎮圧するなど強権政府であることを誇示した上で、この年苗字の義務化を断行した。

現在、日本には役30万もの苗字が存在すると言われている。
これは多民族国家のアメリカについで、世界で2番目の数となる。
(ちなみに、3位はフィンランド、4位はイギリス、5位は中国らしい)
少ないといえば、隣の国・韓国では300もないらしい。
日本で多い苗字ベストテンは…
1.佐藤
2.鈴木
3.高橋
4.田中
5.渡辺
6.伊藤
7.山本
8.中村
9.小林
10.斎藤  
…と、なっているらしいのだけど、意外なことに私の知り合いには佐藤さんがいない。
鈴木さんも高橋さんもいない。
学生時代のクラスにはいたことがあったような気もするけど、やたらと多い!という印象はない。
クラスに必ずいた!とか、複数いたから、名前で区別していた!とかだと多いと感じるけど、そんなことは一度もなかった。
苗字は地域的に多い場所もあるから、もしかしたら、佐藤さんや鈴木さんや高橋さんが必ずいた地域もあるのかもしれないが、私の身近ではなかったなぁ…
ちなみに、世界で一番人口の多い姓は、中国の「王」姓で約1億人いると言われている。
そんなに多いと郵便物の誤配もしょっちゅうあるんじゃないかな?
ピザの配達も、相当キッチリと住所を告げないと間違って来られそうだ。
でも、多い苗字だと、ハンコ探しには困らない。
最近は百均にまで三文判が売ってたりするけど、多い姓だとそういう所にもあるから、急に必要になった時は便利だと思う。
私の場合はまずない。
ハンコ屋さんにはあるけど、文房具屋さんの片隅にあるようなコーナーではまずない。
まぁ、めったに急に必要になるというケースはないのだけど、たまたまそういう時には、「佐藤さんだったら良かったのに…」と思ったりする。
ハンコといえば、珍しい苗字の中でも、4文字の苗字の人のハンコはどうなっているんだろう?
文字がかなり小さくなるのか、ハンコのサイズを大きくするのか…?
私の憧れ(?)の苗字の勅使河原さんなんて、画数もそれなりに多いし、彫るのもかなり難しそう…
だいたい、今までに勅使河原さんのハンコが売られているのなんてみかけたことがない。
日本で最長の苗字は6文字らしいのだけど、一体どんなハンコになってしまうんだろう…??


ハンコっていえば、まだ欠けたハンコのままだったりする…

かなり気にはなってるんだけどなぁ…
そういえば、つい数日前、苗字関連の特番やってたよねぇ…

こんな記念日があるとわかってたら、見とくんだったなぁ…

謎の円盤UFO(古いっっ!)

今夜は仲秋の名月。
仲秋の名月とは、秋を「初秋」「仲秋」「晩秋」と分けたことに由来する呼び名で、旧暦の8月15日の月のこと。
今夜は満月、しかも良いお天気のため、こちらでも綺麗な赤いお月様がはっきり見える。

お月見という風習はそもそもは中国の「中説祭」にちなんだことなのだとか…
中国の人々は丸い月を一家団欒の象徴と考え、豊かな収穫を目前にしたこの日に家族が集まり、仲良く月餅を食べながら幸せで円満な生活を祈るのだとか…
この風習がやがて日本の貴族社会へ伝わり、そして民間へと広まっていったらしい。
仲秋の名月は別名「芋名月」とも呼ばれているが、その起源は里芋の収穫祭が、満月の8月15日に行われたことが始まりとされている。
この日には衣かつぎ(里芋を皮付きのまま蒸してたもの)を供えていたが、最近はそれに替わりお月見団子になっている所も多いようだ。


月といえば、その模様はうさぎが餅つきをしているとよく言われる。
それはインドの昔話が元となっているらしい。


ある寒い冬の日、やせ細って今にも倒れそうな旅人をみつけたリスとたぬきとウサギ…
3匹はなんとかこの旅人を助けようと考えた。
たぬきはたきぎを広い集めて火を起こして旅人の身体を暖めた。
リスは木の実を拾って旅人にたべさせた。
でも、うさぎには何をしてあげたら良いのかわからない…


そうだ!!


考えたウサギは突然、燃えさかるたきぎの炎の中へ飛び込んだ!


どうか私の身体を焼いて食べてください!
私にはそれしかしてあげることが出来ません!


その瞬間、旅人は姿を変えたかと思うと火の中からウサギを抱き上げ、

「私は月の神だ。うさぎよ、おまえの親切さを世界中の民に知らせよう」


月の神はみるみるうちに見上げるほどの大きな姿になり、
大きな手で山をにぎりつぶし、山からこぼれた汁で月にウサギの絵を描いた。
自分の命を捧げてまで、旅人を助けようとしたウサギの姿を…


…というお話らしい。
だけど、ウサギはともかく、御餅付きは関係な~いじゃん!っていう突っ込みは受け付けておりません…(^^;
だいたい、日本ではウサギだけど、海外ではカニだったりライオンだったり、少女だったりおばあさんだったりいろんな解釈があるようで…
私はウサギに見えたことはないなぁ…
乱視だから、きっちり1つに見えたこともないしねぇ…


ところで、携帯って夜とか遠いものは綺麗に撮れないよねぇ…
さっき、一応撮ってみたけど、まさにUFOになっていた…




ふ~ん…

今日もまたこれと行って関心のある記念日がない…

困った…


今日は 「モノレール開業記念日」

東京モノレールが制定。

1964(昭和39)年、浜松町~羽田空港(現在の羽田空港駅とは別)の東京モノレールが開業した。

日本初の旅客用モノレールだった。

遊覧用のものでは1957(昭和32)年に上野動物園に作られたものが最初だった。


1964年9月17日の東京オリンピックの開催に備えて、東京国際空港(羽田空港)利用客の輸送を目的として開業したもので、約13kmを時速50kmで走行した。(所要時間は約20分)

車両は日立製作所製造の跨座式モノレール。

モノレールには大きく分けて「跨座式」(レールの上に覆いかぶさった感じのもの)と「懸垂式」(レールにぶら下がる形のもの)があるらしい。

そもそもは1821年11月22日にヘンリー・ロビンソン・パルマーという人物が、レールの上に車輪を置いてその車輪から荷物を運ぶかごをぶら下げるという方式のモノレールを考案し特許申請したのがモノレールの始まりと言われている。

日本での始めてのモノレールは1951年に東京の豊島園に作られた遊戯施設のモノレールのようだ。

(その次が1957年の上野動物園のものらしい)

モノレールの「モノ」とは単一という意味だそうだ。

愛称がついているのは沖縄都市モノレールの「ゆいレール」

この「ゆい」は「ゆいまーる(助け合い)」の「ゆい」から来ているらしい。

ゆいレールは2003年に切手にもなっている…


…っていうか、モノレールにはほとんど思い出がない。

だから、今日はこれだけ…(^^;

大阪モノレールにでも乗って、モノレールの思い出作りをしてこなくては…!

(乗るだけで出来るのか?!)



筋肉ムキムキじゃないよ!

昨夜から急激に涼しくなってきた。
日中はともかく、深夜はエアコンがなくても過ごせる…!
待ちに待った秋の到来…

今日は「マッチの日」
1948(昭和23)年、配給制だったマッチの自由販売が認められた。

1940年に「マッチ配給統制規則」で配給制になって以来、8年ぶりの自由販売。

軸木につけた頭薬を摩擦することによって発火する用具。
「頭薬」というのが、マッチの先っぽの丸い部分のこと。

1827年イギリスの薬剤師John Walkerが塩素酸カリウム、三硫化アンチモン、澱粉、アラビアゴムを頭薬とする摩擦マッチを作ったのが始まりとされている。
ヨーロッパの各地で製造販売されたが火の付き加減はあまり良くなかった。
それから4年後の1831年フランスのCharles Sauriaは黄燐を頭薬とするマッチを作り、そのマッチはまたたくまにヨーロッパ中で作られるようになった。

1845年オーストリアの A.von Schrotterによって初めて赤燐が得られ、スウェーデンのGustat pasch、フランクフルトのB.Bottger等が側薬に赤燐を使い、発火部を頭薬と側薬に分離した形の「安全マッチ」が出現した。
「側薬」というのはマッチ箱の横に付いている茶色いこする部分のことだ。

安全マッチの出現により、スウェーデンはマッチ工業で世界で首位の国となった。

日本のマッチは、フランスに留学した清水誠が1875年東京で黄燐マッチを製造したのが始まりとされている。
安全マッチも、やはり清水誠がスウェーデンのエンケビング社で製造法を習い1879年から製造を始めた。

そしてその翌年からは海外に輸出するまでになった。
大正元年には生産量の約80%が輸出され、スウェーデン、アメリカと並び日本は世界の三大マッチ生産国となった。

ところで、マッチには全く関係ないけど有名なマッチといえば「マッチで~す!」の近藤真彦を思いだしてしまう…
名前: 近藤 真彦 (こんどう まさひこ)
生年月日: 1964 年 7 月 19 日
出身: 神奈川県
血液型: O 型

マッチももう41歳にもなってるんやねぇ…

「マッチ」はデビュー当時、マッチ棒みたいだったから…だという話を聞いたことがある。
デビュー当時のマッチはよく知らないけど、要するに細くて頭がデカかったということか?
実際は名前の「真彦」から来てるんじゃないかなぁって気もするけどね…
確かに、「トシちゃん、ヨッちゃん、まーちゃん」よりはマッチの方が締まる感じはするかな?
マッチは「ちゃん」な雰囲気じゃない。
だから、語源はどうであれ、「マッチ」はけっこう成功だと思う。

そして、マッチと聞いてもう1つ思い出すのがアンデルセンの「マッチ売りの少女」

どうしてなのかはわからないけど、少女の家はひどく貧乏だ。
雪の降りしきる大晦日の夜、少女は靴も履かずにマッチを売り歩く。

「マッチいりませんか?」
少女の声に応える者は誰もいない。

身体の芯までが凍るような寒さ…
少女は街の片隅にうずくまるように座り込む。
身体をまるめても寒さは変わらない。

帰りたいけど帰れない。
マッチが売れてないのだから…
こんな状態で帰ったら、またぶたれる。
だから帰れない…

このマッチを磨れば、少しは暖かくなるだろうに…

少女はその衝動を抑えきれずに1本のマッチに火を点ける。

ぼっ…!

マッチの小さな炎が、少女にはまるで暖炉の中でめらめらと燃える炎のように暖かく感じられる。

束の間の幸せ…

しかし、マッチの小さな火はあっという間に消えてしまう…

少女はその幸せを味わいたくて、また1本、また1本とマッチに火を点ける。
その度に少女にはいろいろな幻覚が現れ、短いけれど幸せな瞬間を与えてくれた。
何本目かのマッチを擦った時、大好きだったおばあちゃんがあらわれた!

おばあちゃん…!

少女はおばあちゃんに抱きついた。
暖かい…
おばあちゃんのぬくもりが少女の冷えきった身体を包みこんでくれた…


次の朝…
街の片隅で、少女は生き絶えていた…
少女のまわりには無数のマッチの燃えかすが落ちていた…
こんな所でたった一人ぼっちで…
だけど、少女の顔は満ち足りて安らかな笑みを讃えていた…

…と、こんな内容だったと思うけど、昔の童話って可哀相なの多すぎるよね…
この童話を思い出すだけで悲しくなってくる。
「よっしゃ!おっちゃんがそのマッチ全部買うたろ!」って、売値の何倍ものをお金をくれる正義の味方的おっちゃんはおらんのか~!!
「お城ちゃん、寒いでしょ?お家に入りなさい」と招きいれてもてなしてくれるおばちゃんはおらんのか?!
どこの話か知らないけど、あまりに非人情じゃないか~!!ばか~!!
…と思うよね…
童話や昔話のストーリーを変えるのは本当は反対なんだけど、あまりに可哀相なのは変えてほしい。
ハッピーエンドにしていってほしい!

何歳からがお年寄り?!


今日は「老人の日」
2002(平成14)年1月1日改正の「老人福祉法」によって制定。

2003(平成15)年から「祝日法」の改正によって「敬老の日」が9月第3月曜日となるのに伴い、従前の敬老の日を記念日として残す為に制定された。

国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意慾を促す日。


「としよりの日」
1963(昭和38)年までの名称。

「としより」という名称はひどいということで、「老人の日」に改められた。


人生僅か50年と言われた時代もあったが、最近はお年寄りの寿命もかなり長くなってきた。

今月末までに100歳以上になるお年寄りは全国で2万5606人で、昨年と比べると2568人増。

35年連続で過去最高を更新しているらしい。

このうちの約85%を女性が占め、100歳以上の女性が2万人を突破したことになる。

老人福祉法が制定されて集計が始まった昭和63年にはたったの153人で、1万人に達するまで35年かかったのだが、1万人から2万人に増えるのはたった5年のハイペースだったらしい。

長寿日本一は、福岡県赤池町の皆川ヨ子(よね)さんで1893(明治26)年1月4日生まれの112歳。

男性は、鹿児島市の徳田二次郎さんで110歳。

長生きの御老人は必ず「長生きの秘訣は何ですか?」といった質問をされる。

そしてたいていの人が答えるのが「くよくよしないこと」と答える。

常々、思っているのだけど、人間にとって一番良くないのは過大なストレスではないかと思う。

何に対しても過剰な期待をすることなく、時には諦めることも必要で、「どうでも良いですよ…」というスタンスで生きていくのが一番良いのかもしれない。

どんなに栄養価の整った食事を採って、規則正しい生活をしていようともストレスが多いとやっぱり長生きは出来ないんじゃないかなぁ…

そして、年をとっても好奇心を忘れず、ちょっとした趣味を持って1日1日を過ごしていけたら良いかもしれない。

細木数子さんの説によると、人間は本来120年は生きられるように出来ているのだそうだ。

で、細木さん自身、120歳まで生きる!とおっしゃっている。

本当にそれだけの寿命があり、それが死ぬ寸前まで身体も頭もしっかりしてるとしたら人間には相当なことが出来る。

たとえば、80歳からなにか習い事を始めたとしても、死ぬ頃にはもうプロ並みになれるということだ。

本人のやる気次第では、いろんな教養や技術が身につけられる。

現在の日本人の平均寿命は女性が85.59歳、男性が78.64歳で、女性は世界一、男性も2位という結果が出ている。

2050年には平均寿命が90歳を超えるという説まである。

でも、120年と比べたらまだまだ短い。

細木さんもあと60年弱ある。

私は多分死んでると思うから、細木さんが120歳まで生きてても確認できないのが残念だなぁ…(^^;


ちなみに今日は他に

「「シルバーシート記念日」
1973(昭和48)年、東京・中央線の電車に初めて老人・身体障害者の優先席「シルバーシート」が設置された。

1997年に、「優先席」に改称された。


「ひじきの日」
日本ひじき協会が制定。

「敬老の日」に因み、昔からひじきを食べると長生きをすると言われていることから。


っていう記念日もあった。

ひじきって全然食べてないから、やっぱり私は長生きは無理そうだ…