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創作における「リアリティ」

須々木です。



時代や世代が異なれば同じ言葉でも意味が変わってくることは珍しくありません。

「完全に意味が違うわけではないけれどニュアンスは違う」という程度であれば、もっとよくあることでしょう。

世代だけでなく、地域や使用コミュニケーションツールや趣味嗜好などによって細分化された様々な規模の集団ごとにニュアンスはより細分化されてきます。

よって、定義の曖昧な言葉を使って議論していると、実はあとから互いにイメージしているものが違うと判明するなんてこともあり得ます。

特に創作に関する意見を交わすときに使われる言葉は、たいてい定義が曖昧なので、この厄介な食い違いは注意すべきことの一つです。

Random Walkでは年中そういう意見交換をしているので、頻出単語について「RW的にはこういうニュアンスを指すものとする」というタイプのものがいくつかあります。


「リアリティ」という単語もその一つ。


RWで世の創作物やメンバーによる創作物に対し意見を交わすとき、「リアリティ」という単語は頻出です。

RWにおいて「リアリティ」という単語は、「制作者が定めた作品の演出意図」という前提の上にあるものと認識されます。

例えば、演出意図が「我々が生きるリアルな日常に紛れ込む違和感を描き出す」みたいなものだったら、リアリティは「現実の現在にできるだけ近いもの」となります。

一方、演出意図が「ノリとツッコミを重視したドタバタギャグ」であれば、そういった作品世界における整合性を重視した「リアリティ」となります。

この場合、現実における物理法則の優先度は相対的に下がります。


つまり、RW的な「リアリティ」とは「現実におけるリアルにどれだけ適合しているか」という話ではありません。

あくまで「作品世界におけるリアルにどれだけ適合しているか」という話。




先日、とある宇宙関係のエンジニアがとあるアニメの宇宙の描写にケチをつけるツイートをして見事に炎上していたようですが、これも「リアリティ」という単語の解釈違いを感じる事例です。

件のエンジニアも作品制作者も、「作品にリアリティが求められる」という点で見解は一致しているんでしょうが、その「リアリティ」が意味するところはまったく異なるものなのでしょう。

これがハイファンタジーなら流石に「区別」できるんでしょうが、SFだと混同してしまう人が多くなってしまう気がします。



例えば、スター・ウォーズだと宇宙空間で爆発音とかが響き渡る描写がたくさんあります。

しかし、リアルな物理法則を踏襲するなら、空気のない宇宙空間は無音のはずです。

このことに対しジョージ・ルーカスが「俺の宇宙では出るんだよ」などと反論した話が知られていますが、まさにコレですよね。

※なお、この発言そのものは本当にルーカスが発言したのか不明。ただし、同様の趣旨の発言は1999年のインタビューでしている。

スター・ウォーズの各種考証は本当に見事だと思いますが、それは「音の響き渡る宇宙」を内包した「リアリティ」の上に成り立っています。



重要なのは、その作品世界における「リアリティ」。

ハイファンタジーは当然ですが、SF的な作品であってもこれは同様だと思います。

そして、創作物に触れ合う機会の多い人はこの感覚を何となく共有している気がします。



ただ一方で、特に理系分野の研究界隈ではこの感覚を受け入れられない人がわりといるのも経験的に知っています。

「科学的=正義」みたいな前提があって、しかもそれがあらゆる局面に適用できると考えている人が普通にいたりします。

「聖書的=正義」と基本的には同じレベルの話として。

そういう人たちにとって、特にSF的な描写における「科学的な矛盾」は凄く気になるんでしょう。

同系統の炎上を、ネットではなくリアルで目撃したことがありますが、自分の信仰を傷つけられたかのようなエキサイトで、興味深く静かに観察してしまいました。

件のツイートの真意は知りませんが、炎上したエンジニアは本当に純粋に自然に正しいことと思ってツイートしたんだろうと感じます。



スター・ウォーズの話を出したので、その繋がりでもう一つ。

ルーカスの手を離れたEP7~9の配役は時代の流れでポリコレを強く感じさせるものですが、これについては「リアリティ」の観点からも腑に落ちないものがあります。

スター・ウォーズの世界観では、地球人っぽい見た目の人間に限らない様々な種族がいるわけなので、ポリコレ的な意味で「多様性」を追求したいなら、女性や黒人やアジア系の起用を重視するのではなく、メインパーティーが地球人っぽいやつに偏っているところを是正すべきだったのではないかと。

すなわち、「遠い昔、遥か彼方の銀河系」の種族構成と種族特性に基づくポリコレを。

「遠い昔、遥か彼方の銀河系」になぜ地球的ポリコレ(というか欧米的ポリコレ)が突然適用されるのか。

これが数十年前だったら撮影上の制約でやむを得ないとなりますが、EP7~9の制作時点ではすでに余裕でできたでしょうに。

なかなか残念な点の一つです。




結局、作品世界における“神”のご乱心は「リアリティ」を損ね、作品の質を劣化させていくように思います。

基本的に設定考証は必要なものだと思いますが、より限定して科学考証ということになると、どこまで必要なのかは“神”の思し召し次第でしょう。

宇宙を扱うSF作品が最高レベルの科学考証を絶対的に求めるわけではなく。


あんまり野暮なツッコミをする人が増えすぎて、「この作品はフィクションです」に「現実の物理法則には必ずしも従っておりません」まで加わったら流石に萎えてきます。

同様に「都合の良い美少女が次々に登場しますが、現実社会では極めてまれな現象であり、混同されることのないようご注意ください」とか書かれたら、もはや一周回ってシュールなギャグです。



とは言うものの、創作物における「リアリティ」は分かりやすく定義できるものでもないので、扱いは非常に難しくRWでもいろいろ悩ましい感じになるわけですが。

特に「わかりやすさ」と二律背反になることも多いのがますます厄介です。

キャラが一人のときの台詞(独り言やモノローグ)や必殺技を繰り出すときの説明口調など、「リアリティ」をとるか「わかりやすさ」をとるか際どいところです。

ただ、そういうパラメータをどうするかは制作者がしっかり確定させればそれで良し。

ぶれずに貫くというのが大事で、だからこそ「俺の宇宙では出るんだよ」が軽くバズるんでしょう。


「リアリティ」は「リアル」に非ず。




sho
 

 

1月の活動報告

遊木です。生きてます。

 

月の活動報告をしようと思ったのですが、いやー特別あげられることがないですね。

コロナもあるし、自身の制作もあるし、1月も例によってあっという間でした。

 

 

□漫画制作

新しい作品に取り掛かっています。

なので今月は、それのプロット考えたり、情報まとめたり、キャラデザしたり、取材に行ったりで、結構活発に動いたと思います。

現在はネーム中ですね。

私は映像が先に思い浮かぶタイプなので、コマに入れる絵はあまり悩まないです。カメラを置く位置には悩まない、みたいな。一方、台詞の多いシーンはとにかく進みません。あと「掴み切れていないキャラの言動が定まらない現象」が、ネーム作業序盤によくあります。

今回は珍しく主人公(男)はさくさくイメージが固まって、ヒロインがなかなか掴めませんでした。(いつもは逆)

「何か違うということはわかるが、具体的にどう違うのかがわからない……」という状態に何度も陥り、昨日ぐらいになってようやくキャラが掴めてきました。遅いわ。

おかげで彼女が出演しているシーン、めっちゃ描きなおしだぁああ……!!

今月中に第一稿あげるとかほざいていたんですけどね。取り合えず残り数時間を血涙流しながら頑張ります。

 

 

□運動

前回のブログでも書きましたが、今年はRWメンバー全員「1日平均5km歩く」という縛りを設けて活動しています。

個人的にこの縛りはめちゃめちゃ助かってます。

私の性格上、何事も誰かと一緒の方が真面目に取り組むので、ずっと目標にしつつも出来ていなかった「創作と運動の両立」が、今年は達成出来るかもしれません。

横浜は人が多い印象ですが、みなとみらいは道が広いため人との距離は十分に取れるし、夜はイルミネーションが綺麗です。ウォーキングコースにちょうど良い!

運動関連で、一番意識変化を感じるのは制作の合間の休憩時間ですね。

今までも定期的にストレッチはしていましたが、休憩時間は家事をする以外、大体ぼーっとアニメ見たり、YouTubeを見たりしていました。

それが今年に入ってからは、休憩時間にアニメや動画は見つつも、その間足踏みをし続けるようになったんですよ。

たかが足踏み、されど足踏み。

しかもこれなら時間にも天気にも左右されない!昼夜逆転しても関係ないところがポイントですね!何で今までしなかった?

ただ、リフレッシュという面ではちゃんと外に行った方が良いと思うし、日にあたることも大切なので、特に問題がないなら普通にウォーキングします。

 

インスタに写真更新してます。

 

□今年ぬるっとやりたいこと

活動報告じゃないですが、今年はいろんな挑戦をしたいと思っているので、ちょっと考えてみました。

漫画制作やサークル活動のような、黙っていても取り組む大きいものではなく、もっと小規模な挑戦についてです。

まず一つ目が、らくがきをもっと描こう、というもの。とにかくもって手を動かす癖をつけたい。

二つ目が、インスタの更新を継続すること。これは運動不足解消と繋がってますね。インスタに更新する写真を撮るために外に行け、という感じ。出不精はあらゆる手を使わないと引き籠りを解消できないのだ。

三つ目が、陳情令の最終話までの感想をあげること。去年にしようと思ってお蔵入りしていた企画(?)です。これは半分趣味、半分は創作のためですね。単純に作品分析は勉強になるんですよ。特に文字に起こすと解像度が上がるのでお勧めです。

あと、自分の萌えを把握するためですね。以前もどこかに書いた気がしますが、実は自分の萌えポイントをいまいちわかっていない人間なので、数少ないド嵌りした作品は貴重なサンプルです。

現状でも3/10ぐらいは書き溜めているので、そのうち更新し出すと思います。

最後が、出来る限り遊ぶこと。美味しものを食べたり、綺麗なものを観たり、どきどきわくわくしたり、とにかくそういう経験を積みたい。

そんなもの挑戦とは言わないんじゃ、と思うかもしれませんが、私はこういうことを目標に掲げないと本当にご隠居になってしまうんですよ。これはコロナ禍関係ありませんからね。もう未成年のときからです。

もちろんコロナが落ち着かない間は行動制限がありますが、その中での正しい遊び方はあるはずで、そういうものにもっと目を向けていきたいです。

やっぱりいろいろな経験をしないと、いつも同じ作風になっちゃうんですよね、私の場合。

 

 

 

まだ1月と捉えるか、もう1/12年が過ぎたと捉えるか……いや、断然後者なのですが。

やっぱり時間泥棒っていると思いません?

いつかモモが時間を取り戻してくれないかな……。

 

というわけで、ネームの作業に戻ります~。

 

aki

アニメ『ASTRO BOY 鉄腕アトム』(2003年版)全50話を見ました。

 長い間、浦沢直樹の『PLUTO』を読みたいなぁ~と思いつつも、でも『鉄腕アトム』もそこまで詳しくないんだよなぁ~と思っていたのですが、アマプラで2003年版アニメが全話見られることに気付き、「『鉄腕アトム』と『PLUTO』を履修するのは今か?!」と、ここ数日間アトム漬けな日々を送っておりました。米原です。

 

鉄腕アトム初心者によるクソ雑相関図

 

 アニメ『ASTRO BOY 鉄腕アトム』は原作にあるアトムの誕生年、誕生月に放送開始するというかなりの大型企画作品。何気に子どもの頃は毎朝苦手な早起きをしてリアタイしていました。しかし、ちょうど『PLUTO』の原作部分である「地上最強のロボット」の回を学校行事で見られなかったことで早起きする心を折られてしまって以降視聴を諦めた幼い日の思い出。

 そんなこともあり『PLUTO』に手を出すのが現在になったという経緯があったり。この度約20年ぶりの視聴となります。

 

 アニメの殆どがアニメオリジナルストーリーで構成されてるという情報だけは掴んでいたので、正直あまり期待していませんでした。しかし、1話完結の話が多い中、20分程の尺で収められたテーマ・内容・クオリティーから見てスタッフにも手塚治虫ファンがいるんだろうなというのがヒシヒシと伝わってくるというか、ある意味で本来の鉄腕アトムにもなかった「手塚治虫作品っぽさ」が詰め込まれていたように思います。スタッフの「俺が考えた最強のアトム同人誌はコレだ!」みたいな熱量があったような気がします。

 アニオリの話やアレンジはどれもすごく好きな作風が多かったのですが、教訓やヒューマンドラマの側面が強く、冷静になると「鉄腕アトムでココまでする必要ははたしてあったのか?」と思わなくはないのですが、シナリオの勉強している身としてはとても勉強になりました。熱量がある同人誌を見るのは楽しいですし。

 

 原作とは違う点がすごく多かったという点ではアレですが、作品や企画全体の完成度はかなり高かったのではと思います。そういう意味でも後に読み始めた『PLUTO』も浦和直樹のアレンジが多かったものの、作品としての完成度がすごく高くてさすがの手腕だな…と唸りました。楽しい視聴&読書体験でした。

 

 『ASTRO BOY 鉄腕アトム』 『PLUTO』と見て思ったのは、自分は本当にロボット系(あと動物系)に弱いなぁと思いました。「この純粋な存在を前に人間って奴は…1度滅びた方がいい…」となってしまってダメだ。『PLUTO』は毎巻泣かされたもの。

 

沢山刺激されたので、自分の創作も引き続き頑張って行きたいと思います。それではまた来月!もう2月とか早いよ~。

 

noz

ライチ☆光クラブコラボレーション展行ってきました。

どうもこんばんは霧島です。


お正月あけてずいぶん経ちますが、せっかくなのであげておきます。今年は寅年ですね!
勇猛果敢に色々なことにチャレンジしていける年になればいいなと思います。


さて、話は変わりますが先日、ヴァニラ画廊で行われている「ライチ☆光クラブ コラボレーション展」に行ってきました。

ライチ☆光クラブとは古屋兎丸先生が高校生の時に観た舞台から受けた衝撃をもとに描かれたマンガ作品です。私もかつて読んでその世界観に震えました。

そして数年前、まだデビュー前の和山やま先生のpixivを拝見してライチ☆光クラブの二次創作をされてることに興奮していたのですがその2人のコラボ展…!!!?しかもヴァニラ画廊…!?となって行ってまいりました。

ちなみに和山先生はデビュー前にこの作品に触れ、ご自身の絵柄の方向性を見出したそうです。


ヴァニラ画廊、大学の時にお世話になった教授からその名を聞いていつか行きたい行きたいと思いつつなんだか恐ろしくてなかなか行けなかったんですが(なんで?)ついに念願叶いました。

展覧会の内容としては、オリジナル原稿や今までに描かれたライチ関連の古屋兎丸先生の作品、またデビュー前に和山やま先生が描かれたイラストやマンガの展示、その他にも映画で使用された小道具や設定などの展示がメインでした。

オリジナル原稿…最近はなかなか紙の原稿を目にする機会がないのですが(自分がフルデジタルなので)あの紙いっぱいに描かれた細かな描線を見るとドキドキしますね。

和山先生のイラストもどこもかしこも色気がすごくて大変でした。
現在とはタッチの違う作品もあったりして興味深かったです。

ヴァニラ画廊は地下にあるギャラリーなんですが、こう階段を下っていく過程も含めてなんだかその世界観に浸るような趣きがあってにやにやしてしまいました。
しかも私が行った時恐らくコスプレしてる方がいらしたんだよな…最初普通にスタッフさんかと思ってしまったけどお客さんだった…


そして恐らく普通に本屋さんで入手できると思うのですが、御二方のコラボレーションブックも最高でした…古屋先生のイラストの下書きと完成が載っているのに加えて
和山先生の二次創作(イラストだけでなくマンガも結構な分量ある)も拝めるという…
値段確認して思わず「お安いな!?」と思ってしまう贅沢なボリュームでした…イラストやマンガにお2人のコメントが載ってるのも贅沢すぎない?とても最高でした…(2回目)


和山先生の作品を読んでいると「キャラクターの生きてる感」をものすごく感じるのですが、その理由を垣間見た気がします。
「ライチ☆光クラブ」本編では描かれなかった物語に関係ない彼らの生活が描かれてるんですよね…
そういう人の、人生の積み重ねみたいなものを描けるか否かというのは、人を描く上でめちゃくちゃ重要なことなんだなと改めて感じました。

もうまじでめちゃくちゃ良かったので都度読み返したいです。(語彙力の消失)


さて、素晴らしい展覧会で英気を養ったので自分の方の創作も進められるといいな!(願望)


したらば!


rin

2021→2022

須々木です。


あっという間に2022年ですね。

もう1月の半分以上過ぎていますが。。


Random Walkでは近年、年度末で区切る流れなのでサークル的には半端な時期ですが、年の最初のブログなので、軽くそんな話題に触れようと思います。



2021年も2020年に引き続きコロナの影響をガッツリ受けざるを得ない感じでしたが、2020年の前半に漂っていた社会不安に近い雰囲気はかなり薄れてきたように思います。

店頭からマスクが消えトイレットペーパーが消えたあの頃が懐かし・・・くもない。

良くも悪くも「慣れ」を感じる一年でした。

急性症状が慢性症状に移行したようなもんですかね。



Random Walkの活動でも、いろいろ考えるときの前提に「コロナ禍」という話が入り込むので当然影響は大きいのですが、だからと言って何か停滞感が漂うわけではありません。

目標に向けて選べる選択肢やステップの順序が多少変わったくらいで、結局いろいろ楽しく事は進んでいきます。

今やれることをやるという根本は変わらないし、その「今やれること」はまったく尽きる気配がありません。

もっとスピード感を出したいなとは皆そろって常々思っていますが、一方でじわじわ着実に進んでいる手応えもあります。



コロナについては、活動への直接的な影響のほか「コロナ禍が明けるまでにこういう状態にしておきたい」というような流れで触れることも多いです。

モチベーション的な意味での有効活用ですね。

実際、いろいろ見越した具体的な話し合いやイメージ共有の機会も多くあったような気がします。

あとは、描いたイメージをいつリアルにできるのかというところ。



というわけで、2022年もぶれずに楽しくやっていきたいですね!




sho