それはいったい誰のために
こんばそわーぬ遊木です。
また逃げの姿勢に入ってブログを書き出したよ…とか思ってるそこのあなた!
正解です。
ホント行き詰るとすぐブログに逃げるんだから…。
たまには潔く砕け散りなさいよね!
すみません、眠いのと深夜テンションなのとずっと欲しかったルーブル全集(超特大サイズ)が手に入ったからテンション高いんです。いえ、変なんです。…頭がじゃないですよ。
本当は背景作画の参考にいろんな漫画あさってて、久しぶりに峰倉先生の作品読んだら「やっぱ好きだなぁ」と思ったので、峰倉狂としてはここでいっちょ彼女の作品の魅力について語ろうとブログに現れたのですが。
いやぁ、実際のところ語り出したら止まらないわけですが。
やっぱり一番は圧倒的な「カッコよさ」ですかね。
絵柄だけじゃなく、セリフだとか、物語構成だとか、世界観だとか、もちろんキャラクターだとか。
人によっては「実際はこんなセリフ言わないから」とかツッコミが来そうですが、もうそんなツッコミ関係ないと思わせるぐらいの「カッコつけすぎ」感がたまりません。だってあそこまでカッコつけられたら、もう「カッコいい」としか言えないもの。
そしてやっぱりセリフのうまさですよね。もちろんフレーズ自体が印象に残るものも多いけれど、すごいなぁと思うのは、普通に使えばなんてことないセリフを「ここで使うのか!」というシーンに入れてくる、あのセンス。本当に尊敬します。
例えば、最遊記外伝の悟空が哪吒に、
「哪吒―――俺の名前さ、悟空ってんだ ヨロシクな」
と言うセリフ…
あのシーンでなぜこのセリフを…!
って思うぐらい、場違いなんですが、それでも読んでるともうその場面にはその言葉しか合わないんじゃないかと思うぐらい、しっくりくるんですよ。コマ割りも演出力が高いので、それと相まってひとつひとつのシーンがクライマックスみたいな濃い印象を残す…人によっては胸焼けがするのかもしれませんが、私にとってはそのコテコテ感がたまりません。
彼女の作品はどれも「人間のきれいさ、強さ」よりも、より暗部の「醜さ、もろさ、心の弱さ」をアピールする作風が多いです。少年漫画のように、努力と勇気と友情の世界ではなく、死ぬことのあっけなさ、頑なまでの自尊心、友情や愛情では語れない名もない繋がり…どれも簡単には描ききれない題材を、彼女の独特の切り口で読者に伝達する。漫画を描いたことがある人は少なからずわかると思いますが、伝えたいテーマを、一番伝わりやすい形で読者伝える方法っていうのは本当に見つけるのが難しいんです。っていうか見つけられることが奇跡なんだよ多分。
峰倉先生はこの点がすごい優れていると思います。
あとはやっぱり、キャラクターの絶対に折れない自我の強さが、初めて読んだときにすごく威力がありました。画集のBackgammonを持っている方は印象に残っているんじゃないかと思いますが、彼女のキャラクターはいろいろなタイプがいても、結局は「いつか死ぬ日の僕のために」というコンセプトのもとに生まれているのだと思います。隣人を愛しましょう、誰かのために頑張りましょうということが尊ばれる一般的な感覚を、真っ向から否定するような生き様が、どんな慈善行為よりも潔く感じます。
いろいろ語ったわけですが私が何より峰倉先生を尊敬するのは、漫画家生命に関わりそうな大きな病気を患っているのに(詳細は公式サイトなどをどうぞ)それでも描くことを諦めない、投げ出さない、その「生み出すことへの姿勢」です。彼女と比べると、なんて自分は恵まれていて、贅沢なんだろうと感じます。先生のような折れない心が欲しい。
超個人的な意見を長々と語ったわけですが、まぁ好き嫌いは人それぞれとして、自分は生涯峰倉先生の作品を愛し続けるでしょう。早く最遊記とWAの続きが見たいです。
そんなわけでややすっきりした。
まぁダイブ割愛したがね!
またうっぷんがたまったら語ろう←
aki
また逃げの姿勢に入ってブログを書き出したよ…とか思ってるそこのあなた!
正解です。
ホント行き詰るとすぐブログに逃げるんだから…。
たまには潔く砕け散りなさいよね!
すみません、眠いのと深夜テンションなのとずっと欲しかったルーブル全集(超特大サイズ)が手に入ったからテンション高いんです。いえ、変なんです。…頭がじゃないですよ。
本当は背景作画の参考にいろんな漫画あさってて、久しぶりに峰倉先生の作品読んだら「やっぱ好きだなぁ」と思ったので、峰倉狂としてはここでいっちょ彼女の作品の魅力について語ろうとブログに現れたのですが。
いやぁ、実際のところ語り出したら止まらないわけですが。
やっぱり一番は圧倒的な「カッコよさ」ですかね。
絵柄だけじゃなく、セリフだとか、物語構成だとか、世界観だとか、もちろんキャラクターだとか。
人によっては「実際はこんなセリフ言わないから」とかツッコミが来そうですが、もうそんなツッコミ関係ないと思わせるぐらいの「カッコつけすぎ」感がたまりません。だってあそこまでカッコつけられたら、もう「カッコいい」としか言えないもの。
そしてやっぱりセリフのうまさですよね。もちろんフレーズ自体が印象に残るものも多いけれど、すごいなぁと思うのは、普通に使えばなんてことないセリフを「ここで使うのか!」というシーンに入れてくる、あのセンス。本当に尊敬します。
例えば、最遊記外伝の悟空が哪吒に、
「哪吒―――俺の名前さ、悟空ってんだ ヨロシクな」
と言うセリフ…
あのシーンでなぜこのセリフを…!
って思うぐらい、場違いなんですが、それでも読んでるともうその場面にはその言葉しか合わないんじゃないかと思うぐらい、しっくりくるんですよ。コマ割りも演出力が高いので、それと相まってひとつひとつのシーンがクライマックスみたいな濃い印象を残す…人によっては胸焼けがするのかもしれませんが、私にとってはそのコテコテ感がたまりません。
彼女の作品はどれも「人間のきれいさ、強さ」よりも、より暗部の「醜さ、もろさ、心の弱さ」をアピールする作風が多いです。少年漫画のように、努力と勇気と友情の世界ではなく、死ぬことのあっけなさ、頑なまでの自尊心、友情や愛情では語れない名もない繋がり…どれも簡単には描ききれない題材を、彼女の独特の切り口で読者に伝達する。漫画を描いたことがある人は少なからずわかると思いますが、伝えたいテーマを、一番伝わりやすい形で読者伝える方法っていうのは本当に見つけるのが難しいんです。っていうか見つけられることが奇跡なんだよ多分。
峰倉先生はこの点がすごい優れていると思います。
あとはやっぱり、キャラクターの絶対に折れない自我の強さが、初めて読んだときにすごく威力がありました。画集のBackgammonを持っている方は印象に残っているんじゃないかと思いますが、彼女のキャラクターはいろいろなタイプがいても、結局は「いつか死ぬ日の僕のために」というコンセプトのもとに生まれているのだと思います。隣人を愛しましょう、誰かのために頑張りましょうということが尊ばれる一般的な感覚を、真っ向から否定するような生き様が、どんな慈善行為よりも潔く感じます。
いろいろ語ったわけですが私が何より峰倉先生を尊敬するのは、漫画家生命に関わりそうな大きな病気を患っているのに(詳細は公式サイトなどをどうぞ)それでも描くことを諦めない、投げ出さない、その「生み出すことへの姿勢」です。彼女と比べると、なんて自分は恵まれていて、贅沢なんだろうと感じます。先生のような折れない心が欲しい。
超個人的な意見を長々と語ったわけですが、まぁ好き嫌いは人それぞれとして、自分は生涯峰倉先生の作品を愛し続けるでしょう。早く最遊記とWAの続きが見たいです。
そんなわけでややすっきりした。
まぁダイブ割愛したがね!
またうっぷんがたまったら語ろう←
aki
メディア芸術祭に行って思ったことなど
創作サークル「Random Walk」の須々木です。
遊木も書いていましたが、僕も先日行った文化庁メディア芸術祭について素人ながら所感を書いておこうかと思います。
内容的に重複しているところとかあるかもしれませんが。。
さて、文化庁メディア芸術祭とは何か?
「文化庁メディア芸術祭」は、メディア芸術の創造とその発展を図ることを目的として、平成9年度(1997)から始まりました。
現在ではアート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門で世界中から作品を募り、優れた作品に文化庁メディア芸術祭賞を顕彰するとともに、これらを広く紹介するために受賞作品展を毎年2月に国立新美術館で開催しています。
(公式サイトより)
というわけで、いわゆる「現代アート」と「サブカルチャー(本来の意味ではなく、俗に言う“おたく文化”に近い意味合いで)」の中間、もしくはその両方を取り込んだ(と個人的には解釈している)カテゴリーの芸術祭です。
応募資格なども特にないようで、プロ、アマ、国籍も何も問わない本当にボーダレスな印象を受けるイベントで、それゆえに、妙な偏りがなく、「これが“現代”なんだな」と肌で感じることができる不思議さが満ちています。
ただ、この“ボーダレス”という現代のキーワードは、「審査」「選考」という過程とミスマッチに感じる部分もあります。
審査、選考するためには、何らかの基準を設けて区切ることが必要になりますが、これだけ広く広く手を広げている芸術祭で、「いったいどう選んでいるのだろう?」というのはかなり気になっていました。
行った人はわかると思いますが、素人から見ると、“なんでもあり”な印象を受けてしまうので、それらをひとつの芸術祭で並べるとき、どういう思考が働いているのか興味があります。
それで、審査委員講評を読んでいて、個人的にすごくわかりやすかったものを引用しておきます。
将来、ここに登場した作品群を見るだけでその時代の文化及び歴史的展開が読み取れるアーカイブとして信頼される芸術祭になればよいと願っています。
その年の流行ではなく、何がどう未来へと繋がっていったのかを記録していく。
例えば震災が起きたことによって、今年の表現は未来の歴史家が必ず調べるものになるでしょう。
震災は文化にどう影響を与え、また文化はそれにどう応えたのか、これは現在を生きる私たちにも関心のある事柄です。
メディアアートはメディアである以上、その表現には、それを観る人とその反応が必ず含まれます。
その意味でメディアアートは歴史の成立そのものを示す力がある。
「自立したアート」としてのメディアアートはあり得ない。
これが「ジャンルの越境」を意味するのだとすれば、ようやくメディアアートの状況は整ったともいえるのではないでしょうか。
(岡﨑乾二郎氏の講評。公式サイトより)
メディア芸術祭は、優れたメディアアート作品を広く伝えると同時に、メディア芸術祭そのものが、一種のメディアとして、後世に“今”を伝えるタイムカプセルの役割を果たす。
メディアと名がつくからには、それは何かと何かをつなぐということが大事になってくる。
人と人をつないだり、異なる時代をつないだり、異なる文化をつないだり。
だから、例えば、何も知らずにいきなり行くと「なんだこれ?」という作品もあったりします。
でも、そもそもメディアアートは、単体として意味をなすものではないから、当たり前なのかもしれません。
それは、長編漫画の途中のセリフだけ読んで「なんだこれ?」と似たような感じで、全体の文脈を踏まえれば「名言」として人の心を揺さぶるものであっても、一部を切り抜いたら大した印象を受けないのと同じ感じです。
だから、この芸術祭も、時代という文脈にてらして初めて意味をなすんだな、ということがすごく直感的に伝わってきました。
そして、そういうものに気軽に触れられるというのは、なかなか幸運な環境だな、と思います。
あと、見ていて「あ、こういうのやってみたいな」という感覚がふつふつと沸いてくるのが少し快感だったりもします。
本当に自由な作品が多く、それでいて“現代”という文脈を無視せず、“伝える”という立場を無視していないので、発想のヒントがいっぱい転がっていたりします。
できれば、そのうち、そういう感覚を与える側の人間にもなってみたいと思ったりもしますが、まずは軸を持ちつつも型にはまらずに、いろいろ吸収し、吐き出し、壊し、構築していきたいです。
そして、Random Walkはその可能性を十分に持っている…はずだと思っています。
ざっくりと「サブカルチャー」と呼ばれる分野ももちろんやりたいですし、同時により「アート」な方向もやってみたい。
ひとつのサイコロがあって、見る方向によってその数字がかわるように、いろんな側面を持ったサークルにしていきたいです。
そんなわけで、まずは、「Random Walk」という作品の制作を進めていくこととしましょう。
sho
遊木も書いていましたが、僕も先日行った文化庁メディア芸術祭について素人ながら所感を書いておこうかと思います。
内容的に重複しているところとかあるかもしれませんが。。
さて、文化庁メディア芸術祭とは何か?
「文化庁メディア芸術祭」は、メディア芸術の創造とその発展を図ることを目的として、平成9年度(1997)から始まりました。
現在ではアート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門で世界中から作品を募り、優れた作品に文化庁メディア芸術祭賞を顕彰するとともに、これらを広く紹介するために受賞作品展を毎年2月に国立新美術館で開催しています。
(公式サイトより)
というわけで、いわゆる「現代アート」と「サブカルチャー(本来の意味ではなく、俗に言う“おたく文化”に近い意味合いで)」の中間、もしくはその両方を取り込んだ(と個人的には解釈している)カテゴリーの芸術祭です。
応募資格なども特にないようで、プロ、アマ、国籍も何も問わない本当にボーダレスな印象を受けるイベントで、それゆえに、妙な偏りがなく、「これが“現代”なんだな」と肌で感じることができる不思議さが満ちています。
ただ、この“ボーダレス”という現代のキーワードは、「審査」「選考」という過程とミスマッチに感じる部分もあります。
審査、選考するためには、何らかの基準を設けて区切ることが必要になりますが、これだけ広く広く手を広げている芸術祭で、「いったいどう選んでいるのだろう?」というのはかなり気になっていました。
行った人はわかると思いますが、素人から見ると、“なんでもあり”な印象を受けてしまうので、それらをひとつの芸術祭で並べるとき、どういう思考が働いているのか興味があります。
それで、審査委員講評を読んでいて、個人的にすごくわかりやすかったものを引用しておきます。
将来、ここに登場した作品群を見るだけでその時代の文化及び歴史的展開が読み取れるアーカイブとして信頼される芸術祭になればよいと願っています。
その年の流行ではなく、何がどう未来へと繋がっていったのかを記録していく。
例えば震災が起きたことによって、今年の表現は未来の歴史家が必ず調べるものになるでしょう。
震災は文化にどう影響を与え、また文化はそれにどう応えたのか、これは現在を生きる私たちにも関心のある事柄です。
メディアアートはメディアである以上、その表現には、それを観る人とその反応が必ず含まれます。
その意味でメディアアートは歴史の成立そのものを示す力がある。
「自立したアート」としてのメディアアートはあり得ない。
これが「ジャンルの越境」を意味するのだとすれば、ようやくメディアアートの状況は整ったともいえるのではないでしょうか。
(岡﨑乾二郎氏の講評。公式サイトより)
メディア芸術祭は、優れたメディアアート作品を広く伝えると同時に、メディア芸術祭そのものが、一種のメディアとして、後世に“今”を伝えるタイムカプセルの役割を果たす。
メディアと名がつくからには、それは何かと何かをつなぐということが大事になってくる。
人と人をつないだり、異なる時代をつないだり、異なる文化をつないだり。
だから、例えば、何も知らずにいきなり行くと「なんだこれ?」という作品もあったりします。
でも、そもそもメディアアートは、単体として意味をなすものではないから、当たり前なのかもしれません。
それは、長編漫画の途中のセリフだけ読んで「なんだこれ?」と似たような感じで、全体の文脈を踏まえれば「名言」として人の心を揺さぶるものであっても、一部を切り抜いたら大した印象を受けないのと同じ感じです。
だから、この芸術祭も、時代という文脈にてらして初めて意味をなすんだな、ということがすごく直感的に伝わってきました。
そして、そういうものに気軽に触れられるというのは、なかなか幸運な環境だな、と思います。
あと、見ていて「あ、こういうのやってみたいな」という感覚がふつふつと沸いてくるのが少し快感だったりもします。
本当に自由な作品が多く、それでいて“現代”という文脈を無視せず、“伝える”という立場を無視していないので、発想のヒントがいっぱい転がっていたりします。
できれば、そのうち、そういう感覚を与える側の人間にもなってみたいと思ったりもしますが、まずは軸を持ちつつも型にはまらずに、いろいろ吸収し、吐き出し、壊し、構築していきたいです。
そして、Random Walkはその可能性を十分に持っている…はずだと思っています。
ざっくりと「サブカルチャー」と呼ばれる分野ももちろんやりたいですし、同時により「アート」な方向もやってみたい。
ひとつのサイコロがあって、見る方向によってその数字がかわるように、いろんな側面を持ったサークルにしていきたいです。
そんなわけで、まずは、「Random Walk」という作品の制作を進めていくこととしましょう。
sho
文化庁メディア芸術祭
ごきげんよう遊木です。
昨日は昨年に引き続き須々木氏、凛ちゃん、桜田、やすじーと文化庁メディア芸術祭に行って参りました。
説明するの面倒なんで←何ぞや、という人は公式サイトの方をどうぞ。
とりあえず「幅広い創作」というコンセプトを掲げているわがサークルとしては是非とも行きたい、いや、いかねばならぬ祭典です。
とりあえずばばっと写真をば。
撮影禁止が結構あったのでたいしたものでもないですが。

「SPACE BALLOON PROJECT」

「SPACE BALLOON PROJECT」

「べろべろ」

「Soak」

「particles」
去年と比べて感じた違いは、より「参加型」の作品が増えたというところでしょうか。
とりあえず今のところ、「見せる」ことの楽しさのみで、他のジャンルのものがアニメや漫画を抜かすのはまだ無理なように感じました。単純に「見せる」ことのみでは、やはり漫画やアニメは他のジャンルよりかなりリードしていると思います。これらを抜かすにはかなり画期的なアイデアが必要でしょう。
そのかわり、本来は見る側の人間が作品完成に関わる、作品に「参加する」という形態がより多くなったと感じました。要因の一つとしてUSTREAMやTwitterの普及の影響も大きいでしょう。もちろん「参加型」の作品は去年にもありましたが、今年の方が全体的に完成度が上がったのではないかと思います。
これらの傾向を見るとやはり「発信」だけの創作は、もはや袋小路なのだと感じました。
行き止まりなら今度は上を目指せ~という感じですが、それにはきっとかなりのエネルギーが必要ですね。今の時代、何かを「発信」するときは必ず「受信」のことも考えなければいけない。むしろ「受信」があって初めて作品として形をなすのかもしれない、ということでしょうか。
でも、ぶっちゃけ「発信元」はひとつでも「受信先」は数多にあるわけですから、より作品に対する解釈は多様化してくるでしょう。現代アートがこの風潮を多くはらんでいますが、この流れは確実に他ジャンルにも広がると私は思います。
しかしおもしろいもので、解釈の多様化により深みと幅を広げた「現代アート」は、どこまでいっても「本当の意味での完成」はないのではないかと感じる一方、何故か「漫画」はあれが一つの完成形に思えます。いろんなジャンルの作品はあれど、どれも共通して「漫画」であることに変わりはない。やはり考えれば考えるほど「漫画」は平面作品のジャンルとしては完成度がトップだと思いました。
自分は卒業制作で「漫画」を「現代アート」的解釈で攻める、てきなものを制作したのですが、これがびっくりするぐらい上手く絡み合わなくて苦労しました。ホント水と油って感じで。
でも確かに、それぞれの価値が「完成形であること」と「不完全であること」ならば混ざり合わないのも道理な気がします。
漫画は完成されているからこそ、おもしろい。
現代アートは不完全であるからこそ、おもしろい。
矛盾しつつも、これが「創作」の上での真理なのではないかと。
完全と不完全の両方とも、お互いにはないおもしろさがある。
いろいろ考察してみたわけですが、とにもかくにも、やっぱり「創作」することはおもしろい。
これが一番の真実ですね。
aki
昨日は昨年に引き続き須々木氏、凛ちゃん、桜田、やすじーと文化庁メディア芸術祭に行って参りました。
説明するの面倒なんで←何ぞや、という人は公式サイトの方をどうぞ。
とりあえず「幅広い創作」というコンセプトを掲げているわがサークルとしては是非とも行きたい、いや、いかねばならぬ祭典です。
とりあえずばばっと写真をば。
撮影禁止が結構あったのでたいしたものでもないですが。

「SPACE BALLOON PROJECT」

「SPACE BALLOON PROJECT」

「べろべろ」

「Soak」

「particles」
去年と比べて感じた違いは、より「参加型」の作品が増えたというところでしょうか。
とりあえず今のところ、「見せる」ことの楽しさのみで、他のジャンルのものがアニメや漫画を抜かすのはまだ無理なように感じました。単純に「見せる」ことのみでは、やはり漫画やアニメは他のジャンルよりかなりリードしていると思います。これらを抜かすにはかなり画期的なアイデアが必要でしょう。
そのかわり、本来は見る側の人間が作品完成に関わる、作品に「参加する」という形態がより多くなったと感じました。要因の一つとしてUSTREAMやTwitterの普及の影響も大きいでしょう。もちろん「参加型」の作品は去年にもありましたが、今年の方が全体的に完成度が上がったのではないかと思います。
これらの傾向を見るとやはり「発信」だけの創作は、もはや袋小路なのだと感じました。
行き止まりなら今度は上を目指せ~という感じですが、それにはきっとかなりのエネルギーが必要ですね。今の時代、何かを「発信」するときは必ず「受信」のことも考えなければいけない。むしろ「受信」があって初めて作品として形をなすのかもしれない、ということでしょうか。
でも、ぶっちゃけ「発信元」はひとつでも「受信先」は数多にあるわけですから、より作品に対する解釈は多様化してくるでしょう。現代アートがこの風潮を多くはらんでいますが、この流れは確実に他ジャンルにも広がると私は思います。
しかしおもしろいもので、解釈の多様化により深みと幅を広げた「現代アート」は、どこまでいっても「本当の意味での完成」はないのではないかと感じる一方、何故か「漫画」はあれが一つの完成形に思えます。いろんなジャンルの作品はあれど、どれも共通して「漫画」であることに変わりはない。やはり考えれば考えるほど「漫画」は平面作品のジャンルとしては完成度がトップだと思いました。
自分は卒業制作で「漫画」を「現代アート」的解釈で攻める、てきなものを制作したのですが、これがびっくりするぐらい上手く絡み合わなくて苦労しました。ホント水と油って感じで。
でも確かに、それぞれの価値が「完成形であること」と「不完全であること」ならば混ざり合わないのも道理な気がします。
漫画は完成されているからこそ、おもしろい。
現代アートは不完全であるからこそ、おもしろい。
矛盾しつつも、これが「創作」の上での真理なのではないかと。
完全と不完全の両方とも、お互いにはないおもしろさがある。
いろいろ考察してみたわけですが、とにもかくにも、やっぱり「創作」することはおもしろい。
これが一番の真実ですね。
aki
はっこn(ry
はろん(*´∇`)ノ こんばんは霧島です。
やー一個前のブログにもありましたが、赤城 紅くん加入おめでとうございます!
いよいよもってRandom Walkも賑やかになって参りましたねー!
ではでは私は私の仕事を。(←?)
箱根レポの続きに行きたいと思います。前回、前々回、一回目(←)
さてさて。箱根湯本駅に無事戻った凜&魁。
本日向かうは箱根町は仙石原の、星の王子さまミュージアムでございます。当初はここを軽く見学するだけのつもりだったのですが、チケット売り場のおねーさんに「あわせてお得なこちらもいかがですか?^^」的なアレで、箱根ガラスの森の入館料と合わせて600円ほど割引になるチケットを勧められました。せっかくだし行ってみっかーとこちらを購入。
確か大学時代こちらには行ったことがあるような…ないような…←
と、まあそんなことはひとまず置いて。

こちらは、「星の王子さま」をテーマにした世界で唯一のミュージアムです。作者であるサン=テグジュペリが幼いころ過ごしたプロヴァンスの街並みと、季節の花々が咲き誇る(今回は一面雪景色でしたが)ヨーロピアンガーデン。彼の生涯を辿りながら、「星の王子さま」誕生の秘話も知ることができます。


残念ながらほとんどの建物の中に入ることができないのですが、それでも眺めているだけで可愛くて楽しい建物たち。1900年代初頭の街並みを楽しんだ後は、映像ホールと展示ホールのある建物へと進みます。
一番に目に飛び込んできたのはこちら。

「星の王子さま」の作者、サン=テグジュペリが飛行士としても活躍していたというのは有名なお話です。
「大切なものは目に見えない」
映像ホールで15分程度の映像を鑑賞し、最後の方は若干泣きながら(…)お次は展示ホールに向かいます。こちらは撮影禁止でしたので写真はなしですが、幼少時代を過ごした作者の部屋(すごく可愛かった)が再現されていたり、青年時代の写真や手紙、愛用品などが並んでいました。ところどころに物語の一部や裏側がちりばめられていて、とても興味深かったです。出口間際には世界中で翻訳されている「星の王子さま」が壁一面にずらり。愛され続ける不朽の名作。私ももう一度読み返したくなりました。ちなみに私は日本語版を、魁は何故かフランス語版をもっています(多分ヤツは読んでない)。
そうこうしてる間に時刻は正午。
「さて!ごはんにしよう!」
と意気込んだものの正直朝食がゆっくり且つ大量だったためあまりお腹がすいていません。しかしここのレストラン「ル・プチ・プランス」目当てで来たようなものだったので行かぬ手はありません。入店。
魁はパスタ、私はこちら。
「苺たっぷり桜の香りのクレームダンジュ」
左側が桜の香りのフロマージュブランに、苺のジュレ、タルト・オ・フロマージ。三段の層になっていて味や食感も異なります。右側は苺のメレンゲとクッキーをアイスに乗せたものでした。見た目も可愛く食べてもおいしい。一日限定20食。只今箱根はスイーツコレクションなるもの開催中で、これがそのためのスイーツだそうです。行ったのが平日だったので余裕でした。^^
さて、腹ごしらえも済んだので次に向かいます。朝は快晴だったのに、本当に山の天気は変わりやすいもので外は結構な吹雪です。傘をさしてバス停を探します。しばらく歩いてまたしても逆方向に歩いているらしいことを悟りそそくさと引き返します。←
乗車。少し行くとガラスの森の看板が見えた(気がした)ので急いでバスを降りました。ちょっと降りるのが早かったみたいで若干歩きましたがまあなんとか到着。

受付のおねーさんに先ほどのチケットを見せると、有難いことにカイロ付きのパンフレットを下さいました。すげえ配慮だ!と魁とカイロをシャカシャカしながら進みます。受付をすませると美術館までは外を少し歩くのですが、行く先々に用意されたビニール傘。すげえ配(ry

ここを通って美術館へ。
ヴェネチアン・グラス美術館には、15世紀から18世紀にかけてヨーロッパ貴族を熱狂させたというヴェネチアン・グラスが、ひとつひとつケースの中で時を止めたまま輝いていました。グラスだけでなく人形も数多く、その細工の細かさに圧倒されます。あと驚いたのが、あのヴェネチア独特のマスクにマントという出で立ちの人々と異様にすれ違うことである。それというのも館内にて衣装貸しだしをしているのです。正直怖かった。←
さて、次の館に向かう途中の渡り廊下に、不思議なスペースを発見した霧島。
なんだかあまり目にしない植物が入れ物から飛び出したかたちで台の上に置いてあります。その横に縁結びの文字があるのを私は見逃さなかったのだ…(必死すぎる)
なんでもその植物は大王松(だいおうしょう)という松の葉で、普通松の葉は二本に別れているのですが、この大王松は三本に葉が別れているのです。松の葉を身につけていると幸福になれると言われているのだとか。そこでこのスペースです。長くて長さがそろっている松の葉でわっかをつくり、それを紙の入れ物にいれてお守りにせよと。早速チャレンジ。松の葉を折らぬよう慎重に。案外簡単にお守りができました。
お守りをしっかりお財布に収め、現代ガラス美術館、ミュージアムショップを巡りました。
現代ガラス美術館は、ヴェネチアンとは打って変わって至極シンプルな雰囲気です。あんなに鮮やかだった色彩から、一気に透明の世界へ。こちらはあっさりと見て回りました。こうして吹雪く庭園をぐるりと一周して、ガラスの森は終わりです。
途中からカイロの存在をすっかり忘れていた私たち。身体の芯まで冷えていました。
バスに乗る前のトイレタイム。←
一度外に出て、標識に誘われるまま地下のトイレへ向かいます。個室のドアには一つずつ花の名前が付いていました。「なんか旅館みたい…」
個室に入って壁を見ると、何やらつらつらと文字が書いてあります。それは先ほどの大王松の説明のようで。最後の文字に目を見張ったのは私だけではなかった。
「「…ここパワースポットだったの!??」」
同じ台詞が、同じタイミングで一つ飛んだ隣の個室からも聞こえてきました。どうやら魁も読んでいたらしい。
ちなみに洗面所の蛇口の前に手をかざすと、出てきたのは水ではなくお湯でした。洗面台の下をのぞくとなにやら四角い機械がくっついている。恐らく温水器か何かなのでしょう。すげえh(ry
こうして奇しくも二か所目のパワースポットに遭遇し、ちゃっかりお守りもゲットして私たちの縁結びツアーは終了しました。
終了し…しゅうりょ…(記憶を辿っている)………
まだだった!
多分次で終わらせます。
rin
やー一個前のブログにもありましたが、赤城 紅くん加入おめでとうございます!
いよいよもってRandom Walkも賑やかになって参りましたねー!
ではでは私は私の仕事を。(←?)
箱根レポの続きに行きたいと思います。前回、前々回、一回目(←)
さてさて。箱根湯本駅に無事戻った凜&魁。
本日向かうは箱根町は仙石原の、星の王子さまミュージアムでございます。当初はここを軽く見学するだけのつもりだったのですが、チケット売り場のおねーさんに「あわせてお得なこちらもいかがですか?^^」的なアレで、箱根ガラスの森の入館料と合わせて600円ほど割引になるチケットを勧められました。せっかくだし行ってみっかーとこちらを購入。
確か大学時代こちらには行ったことがあるような…ないような…←
と、まあそんなことはひとまず置いて。

こちらは、「星の王子さま」をテーマにした世界で唯一のミュージアムです。作者であるサン=テグジュペリが幼いころ過ごしたプロヴァンスの街並みと、季節の花々が咲き誇る(今回は一面雪景色でしたが)ヨーロピアンガーデン。彼の生涯を辿りながら、「星の王子さま」誕生の秘話も知ることができます。


残念ながらほとんどの建物の中に入ることができないのですが、それでも眺めているだけで可愛くて楽しい建物たち。1900年代初頭の街並みを楽しんだ後は、映像ホールと展示ホールのある建物へと進みます。
一番に目に飛び込んできたのはこちら。

「星の王子さま」の作者、サン=テグジュペリが飛行士としても活躍していたというのは有名なお話です。
「大切なものは目に見えない」
映像ホールで15分程度の映像を鑑賞し、最後の方は若干泣きながら(…)お次は展示ホールに向かいます。こちらは撮影禁止でしたので写真はなしですが、幼少時代を過ごした作者の部屋(すごく可愛かった)が再現されていたり、青年時代の写真や手紙、愛用品などが並んでいました。ところどころに物語の一部や裏側がちりばめられていて、とても興味深かったです。出口間際には世界中で翻訳されている「星の王子さま」が壁一面にずらり。愛され続ける不朽の名作。私ももう一度読み返したくなりました。ちなみに私は日本語版を、魁は何故かフランス語版をもっています(多分ヤツは読んでない)。
そうこうしてる間に時刻は正午。
「さて!ごはんにしよう!」
と意気込んだものの正直朝食がゆっくり且つ大量だったためあまりお腹がすいていません。しかしここのレストラン「ル・プチ・プランス」目当てで来たようなものだったので行かぬ手はありません。入店。
魁はパスタ、私はこちら。
「苺たっぷり桜の香りのクレームダンジュ」左側が桜の香りのフロマージュブランに、苺のジュレ、タルト・オ・フロマージ。三段の層になっていて味や食感も異なります。右側は苺のメレンゲとクッキーをアイスに乗せたものでした。見た目も可愛く食べてもおいしい。一日限定20食。只今箱根はスイーツコレクションなるもの開催中で、これがそのためのスイーツだそうです。行ったのが平日だったので余裕でした。^^
さて、腹ごしらえも済んだので次に向かいます。朝は快晴だったのに、本当に山の天気は変わりやすいもので外は結構な吹雪です。傘をさしてバス停を探します。しばらく歩いてまたしても逆方向に歩いているらしいことを悟りそそくさと引き返します。←
乗車。少し行くとガラスの森の看板が見えた(気がした)ので急いでバスを降りました。ちょっと降りるのが早かったみたいで若干歩きましたがまあなんとか到着。

受付のおねーさんに先ほどのチケットを見せると、有難いことにカイロ付きのパンフレットを下さいました。すげえ配慮だ!と魁とカイロをシャカシャカしながら進みます。受付をすませると美術館までは外を少し歩くのですが、行く先々に用意されたビニール傘。すげえ配(ry

ここを通って美術館へ。
ヴェネチアン・グラス美術館には、15世紀から18世紀にかけてヨーロッパ貴族を熱狂させたというヴェネチアン・グラスが、ひとつひとつケースの中で時を止めたまま輝いていました。グラスだけでなく人形も数多く、その細工の細かさに圧倒されます。あと驚いたのが、あのヴェネチア独特のマスクにマントという出で立ちの人々と異様にすれ違うことである。それというのも館内にて衣装貸しだしをしているのです。正直怖かった。←
さて、次の館に向かう途中の渡り廊下に、不思議なスペースを発見した霧島。
なんだかあまり目にしない植物が入れ物から飛び出したかたちで台の上に置いてあります。その横に縁結びの文字があるのを私は見逃さなかったのだ…(必死すぎる)
なんでもその植物は大王松(だいおうしょう)という松の葉で、普通松の葉は二本に別れているのですが、この大王松は三本に葉が別れているのです。松の葉を身につけていると幸福になれると言われているのだとか。そこでこのスペースです。長くて長さがそろっている松の葉でわっかをつくり、それを紙の入れ物にいれてお守りにせよと。早速チャレンジ。松の葉を折らぬよう慎重に。案外簡単にお守りができました。
お守りをしっかりお財布に収め、現代ガラス美術館、ミュージアムショップを巡りました。
現代ガラス美術館は、ヴェネチアンとは打って変わって至極シンプルな雰囲気です。あんなに鮮やかだった色彩から、一気に透明の世界へ。こちらはあっさりと見て回りました。こうして吹雪く庭園をぐるりと一周して、ガラスの森は終わりです。
途中からカイロの存在をすっかり忘れていた私たち。身体の芯まで冷えていました。
バスに乗る前のトイレタイム。←
一度外に出て、標識に誘われるまま地下のトイレへ向かいます。個室のドアには一つずつ花の名前が付いていました。「なんか旅館みたい…」
個室に入って壁を見ると、何やらつらつらと文字が書いてあります。それは先ほどの大王松の説明のようで。最後の文字に目を見張ったのは私だけではなかった。
「「…ここパワースポットだったの!??」」
同じ台詞が、同じタイミングで一つ飛んだ隣の個室からも聞こえてきました。どうやら魁も読んでいたらしい。
ちなみに洗面所の蛇口の前に手をかざすと、出てきたのは水ではなくお湯でした。洗面台の下をのぞくとなにやら四角い機械がくっついている。恐らく温水器か何かなのでしょう。すげえh(ry
こうして奇しくも二か所目のパワースポットに遭遇し、ちゃっかりお守りもゲットして私たちの縁結びツアーは終了しました。
終了し…しゅうりょ…(記憶を辿っている)………
まだだった!
多分次で終わらせます。
rin
はっこねっの(ry
どうもこんにちは霧島です。秋勇氏が風邪引かぬうちに続きを書かねばと参上仕りました。出勤前の箱根タイム!
さて今回も前回、前々回の続きでございます。
さてさて、チェックインの時間は5時。降りるバス停は塔ノ沢。
箱根神社に向かう行きのバスで魁は言いました。
「あ!ホテル見えた!!」
どうやらバス停から見える距離にあるらしい。かく言う私は見逃しましたがまあ魁が見たと言うならあるのだろう。
ホテルに向かうバスの中。頼りの魁まさかの車酔いダウン。
二人掛けの席、リュックを背負ったままぐったりしてる魁。眠たいのかバスがカーブを曲がる度にぐらんぐらん身体を揺らします。余計酔うんじゃないか…見かねた霧島魁の腕をホールド。しかしバスえらい揺れる。
バス車内と車外の温度差のせいか窓ガラスは総曇りで外はよく見えません。アンド魁にも気を取られる。
「次は塔ノ沢~塔ノ沢です」
アナウンスを頼りに下車したのですが、近くにそれらしきホテル(魁曰く黄色?)は見えません。仕方ないので湯本駅に向かってしばらく歩いてみることに。
見つからない。
方向が逆なのか?と今度は斜面を登る方向に進みます。と、私たちが泊まるホテルの本館となる一の湯を発見。
『本館についてしまった…』
あたりはだんだんうす暗くなってきました。しかし目指すホテルが見つからない。焦る私たち。
結論:取り合えず下ろう
正直よくわかりません。よくわかりませんが箱根湯本に一度戻ることに決めました。うすうす感じてはいたけど本館みつけたんだからそこで道聞けばよかった…
まあそんななんやかんやがあり、結局もう一度ホテルに電話すると、湯本駅からホテルまでの専用バスが出ており、100円で乗れるとのこと。助かった!
「あ!一の湯」
バスから煌々と光る一の湯の看板を見つけました。ここは私たちが先ほど歩いていた場所。バスはまだ斜面を登ります。と、すぐ駐車場のようなところがあり停車。
「お疲れ様でした~」
暗 闇 に 放 り 出 さ れ た 。
だがしかしホテルは近いはず!下れば一の湯しかないから今度は登ろう!少し歩くと
「キャトルセゾン →」
の看板を発見。
「「あったあぁぁあああ!!」」
結局当初の予定より二時間遅れ(…)。一の湯から2~3分登ったとこに目的地があったというつらい現実を受け入れながら、私たちは恐る恐るホテルのドアを開けたのでした。
そうして受付をすませ、食事は7時からとのこと。部屋のカギを受け取りエレベーターで部屋へ。
もう外は真っ暗なので景色はわかりませんが、取り合えず部屋を探索。
バストイレ付のツインベッドのお部屋です。既に暖房がついていたので暖かい部屋。お茶を入れて一服。階段のような状態ですこしずつ開けられた箪笥の中に、浴衣やら羽織やらタオルやらが用意されていました。
宿泊客は、一の湯グループの温泉に無料で入ることができます。もちろんさっきの本館もオッケー。夕飯後に行こうぜーといいながら、浴衣を着たり脱いだりお饅頭を食べたりしているとそろそろ夕食の時間です。食堂は先ほど受付を済ませた二階。
「夕飯なんだろうねー」
「和膳らしいよ」
食堂に着くと、既に何組かの宿泊客が席についていました。私たちも席へと案内され、待っていたのはこちら。

これは一番始めの状態ですが、コースらしく料理はどんどん増えます。左奥の少し見切れちゃったのがメインのみそ仕立ての鍋。コンロの火がつかないというハプニングもありつつ、豚肉を投入し火が通るまでは他の料理をいただきます。手前の黒い物体が入っている料理は、スッポンのスープに黒米、豆腐、クコの実、松の実が入ったもの。まさかの初スッポンスープでしたが、クセもなく、とろりとしていて美味でした。左手前の角皿の料理は、鴨肉、たこわさ、西京焼き、付け合わせのサラダです。
このあとにもアスパラや麩豆腐の揚げものを胡麻味噌でいただき、デザートに林檎のシャーベットと黒豆茶をいただきました。なんか全体的にすげー身体に良さそうだった。女将さんも「今日は寒いからね~」「たくさん食べてね~」と色々お世話してくださり、楽しく食事できました。やっぱりうまいものはいいね!!
「ごちそうさまでしたー」と食堂を後にし、向かうは温泉です。本館まで歩いて2,3分。オレンジのタオルを目安にしているらしく、カウンターにいた従業員さんに挨拶をしてそのまま温泉へ。内風呂は広く、中に入ると温泉の湯気でうっすらとしか見えません。丁度他にお客さんもいないようだったので、髪と身体を洗ってゆっくりお湯につかりました。広い湯船はいいなーと、今日の疲れを癒しつつ。
私より少し早くお湯に浸かっていた魁がそろそろ湯あたりを起こしそうな雰囲気だったので出ました。←
宿泊先から雪道を少し歩くので湯ざめを懸念してたのですが、全く問題ありませんでした。部屋に着くまでほかほか。温泉ってすごい!
夕飯でお酒は飲まなかったのでそこから酒盛り…という程は飲みませんでしたが、ひとしきりわいわいしたあと二時…三時?頃就寝。(既に曖昧な記憶)
翌朝八時から九時の間に朝食と言われていたのですが、私が飛び起きたのは八時半でした。
「魁!朝ごはん!」(何故か必死)
朝食はこちら。

昨日の夕飯からかなりの量食べてますが、朝食も見事に平らげました。美味しいものっていいな…
食べ物ばかりなのもなんなので。


前日は暗くて撮れませんでしたが、部屋からみた景色です。目の前は川でした。橋は朝から雪かきしてた。
チェックアウトは十時です。ナチュラルに食堂に部屋のカギを忘れたりしながらも、無事支度を済ませて他のお客さんと一緒にホテルを出ました。近くのバス停でバス待ち。一度箱根湯本駅に戻ります。さて、パワースポット巡り2日目スタートです。
この記事を書き始めた当初より、パワースポット巡りを豪語しているが、正直二つ目のパワースポットとか予定外以外の何物でもなかったとここに明記しておこう。(衝撃の事実)
そろそろ読むの飽きてきただろうなぁ…何を隠そう私もだ!!
rin
さて今回も前回、前々回の続きでございます。
さてさて、チェックインの時間は5時。降りるバス停は塔ノ沢。
箱根神社に向かう行きのバスで魁は言いました。
「あ!ホテル見えた!!」
どうやらバス停から見える距離にあるらしい。かく言う私は見逃しましたがまあ魁が見たと言うならあるのだろう。
ホテルに向かうバスの中。頼りの魁まさかの車酔いダウン。
二人掛けの席、リュックを背負ったままぐったりしてる魁。眠たいのかバスがカーブを曲がる度にぐらんぐらん身体を揺らします。余計酔うんじゃないか…見かねた霧島魁の腕をホールド。しかしバスえらい揺れる。
バス車内と車外の温度差のせいか窓ガラスは総曇りで外はよく見えません。アンド魁にも気を取られる。
「次は塔ノ沢~塔ノ沢です」
アナウンスを頼りに下車したのですが、近くにそれらしきホテル(魁曰く黄色?)は見えません。仕方ないので湯本駅に向かってしばらく歩いてみることに。
見つからない。
方向が逆なのか?と今度は斜面を登る方向に進みます。と、私たちが泊まるホテルの本館となる一の湯を発見。
『本館についてしまった…』
あたりはだんだんうす暗くなってきました。しかし目指すホテルが見つからない。焦る私たち。
結論:取り合えず下ろう
正直よくわかりません。よくわかりませんが箱根湯本に一度戻ることに決めました。うすうす感じてはいたけど本館みつけたんだからそこで道聞けばよかった…
まあそんななんやかんやがあり、結局もう一度ホテルに電話すると、湯本駅からホテルまでの専用バスが出ており、100円で乗れるとのこと。助かった!
「あ!一の湯」
バスから煌々と光る一の湯の看板を見つけました。ここは私たちが先ほど歩いていた場所。バスはまだ斜面を登ります。と、すぐ駐車場のようなところがあり停車。
「お疲れ様でした~」
暗 闇 に 放 り 出 さ れ た 。
だがしかしホテルは近いはず!下れば一の湯しかないから今度は登ろう!少し歩くと
「キャトルセゾン →」
の看板を発見。
「「あったあぁぁあああ!!」」
結局当初の予定より二時間遅れ(…)。一の湯から2~3分登ったとこに目的地があったというつらい現実を受け入れながら、私たちは恐る恐るホテルのドアを開けたのでした。
そうして受付をすませ、食事は7時からとのこと。部屋のカギを受け取りエレベーターで部屋へ。
もう外は真っ暗なので景色はわかりませんが、取り合えず部屋を探索。
バストイレ付のツインベッドのお部屋です。既に暖房がついていたので暖かい部屋。お茶を入れて一服。階段のような状態ですこしずつ開けられた箪笥の中に、浴衣やら羽織やらタオルやらが用意されていました。
宿泊客は、一の湯グループの温泉に無料で入ることができます。もちろんさっきの本館もオッケー。夕飯後に行こうぜーといいながら、浴衣を着たり脱いだりお饅頭を食べたりしているとそろそろ夕食の時間です。食堂は先ほど受付を済ませた二階。
「夕飯なんだろうねー」
「和膳らしいよ」
食堂に着くと、既に何組かの宿泊客が席についていました。私たちも席へと案内され、待っていたのはこちら。

これは一番始めの状態ですが、コースらしく料理はどんどん増えます。左奥の少し見切れちゃったのがメインのみそ仕立ての鍋。コンロの火がつかないというハプニングもありつつ、豚肉を投入し火が通るまでは他の料理をいただきます。手前の黒い物体が入っている料理は、スッポンのスープに黒米、豆腐、クコの実、松の実が入ったもの。まさかの初スッポンスープでしたが、クセもなく、とろりとしていて美味でした。左手前の角皿の料理は、鴨肉、たこわさ、西京焼き、付け合わせのサラダです。
このあとにもアスパラや麩豆腐の揚げものを胡麻味噌でいただき、デザートに林檎のシャーベットと黒豆茶をいただきました。なんか全体的にすげー身体に良さそうだった。女将さんも「今日は寒いからね~」「たくさん食べてね~」と色々お世話してくださり、楽しく食事できました。やっぱりうまいものはいいね!!
「ごちそうさまでしたー」と食堂を後にし、向かうは温泉です。本館まで歩いて2,3分。オレンジのタオルを目安にしているらしく、カウンターにいた従業員さんに挨拶をしてそのまま温泉へ。内風呂は広く、中に入ると温泉の湯気でうっすらとしか見えません。丁度他にお客さんもいないようだったので、髪と身体を洗ってゆっくりお湯につかりました。広い湯船はいいなーと、今日の疲れを癒しつつ。
私より少し早くお湯に浸かっていた魁がそろそろ湯あたりを起こしそうな雰囲気だったので出ました。←
宿泊先から雪道を少し歩くので湯ざめを懸念してたのですが、全く問題ありませんでした。部屋に着くまでほかほか。温泉ってすごい!
夕飯でお酒は飲まなかったのでそこから酒盛り…という程は飲みませんでしたが、ひとしきりわいわいしたあと二時…三時?頃就寝。(既に曖昧な記憶)
翌朝八時から九時の間に朝食と言われていたのですが、私が飛び起きたのは八時半でした。
「魁!朝ごはん!」(何故か必死)
朝食はこちら。

昨日の夕飯からかなりの量食べてますが、朝食も見事に平らげました。美味しいものっていいな…
食べ物ばかりなのもなんなので。


前日は暗くて撮れませんでしたが、部屋からみた景色です。目の前は川でした。橋は朝から雪かきしてた。
チェックアウトは十時です。ナチュラルに食堂に部屋のカギを忘れたりしながらも、無事支度を済ませて他のお客さんと一緒にホテルを出ました。近くのバス停でバス待ち。一度箱根湯本駅に戻ります。さて、パワースポット巡り2日目スタートです。
この記事を書き始めた当初より、パワースポット巡りを豪語しているが、正直二つ目のパワースポットとか予定外以外の何物でもなかったとここに明記しておこう。(衝撃の事実)
そろそろ読むの飽きてきただろうなぁ…何を隠そう私もだ!!
rin