文化庁メディア芸術祭
ごきげんよう遊木です。
昨日は昨年に引き続き須々木氏、凛ちゃん、桜田、やすじーと文化庁メディア芸術祭に行って参りました。
説明するの面倒なんで←何ぞや、という人は公式サイトの方をどうぞ。
とりあえず「幅広い創作」というコンセプトを掲げているわがサークルとしては是非とも行きたい、いや、いかねばならぬ祭典です。
とりあえずばばっと写真をば。
撮影禁止が結構あったのでたいしたものでもないですが。

「SPACE BALLOON PROJECT」

「SPACE BALLOON PROJECT」

「べろべろ」

「Soak」

「particles」
去年と比べて感じた違いは、より「参加型」の作品が増えたというところでしょうか。
とりあえず今のところ、「見せる」ことの楽しさのみで、他のジャンルのものがアニメや漫画を抜かすのはまだ無理なように感じました。単純に「見せる」ことのみでは、やはり漫画やアニメは他のジャンルよりかなりリードしていると思います。これらを抜かすにはかなり画期的なアイデアが必要でしょう。
そのかわり、本来は見る側の人間が作品完成に関わる、作品に「参加する」という形態がより多くなったと感じました。要因の一つとしてUSTREAMやTwitterの普及の影響も大きいでしょう。もちろん「参加型」の作品は去年にもありましたが、今年の方が全体的に完成度が上がったのではないかと思います。
これらの傾向を見るとやはり「発信」だけの創作は、もはや袋小路なのだと感じました。
行き止まりなら今度は上を目指せ~という感じですが、それにはきっとかなりのエネルギーが必要ですね。今の時代、何かを「発信」するときは必ず「受信」のことも考えなければいけない。むしろ「受信」があって初めて作品として形をなすのかもしれない、ということでしょうか。
でも、ぶっちゃけ「発信元」はひとつでも「受信先」は数多にあるわけですから、より作品に対する解釈は多様化してくるでしょう。現代アートがこの風潮を多くはらんでいますが、この流れは確実に他ジャンルにも広がると私は思います。
しかしおもしろいもので、解釈の多様化により深みと幅を広げた「現代アート」は、どこまでいっても「本当の意味での完成」はないのではないかと感じる一方、何故か「漫画」はあれが一つの完成形に思えます。いろんなジャンルの作品はあれど、どれも共通して「漫画」であることに変わりはない。やはり考えれば考えるほど「漫画」は平面作品のジャンルとしては完成度がトップだと思いました。
自分は卒業制作で「漫画」を「現代アート」的解釈で攻める、てきなものを制作したのですが、これがびっくりするぐらい上手く絡み合わなくて苦労しました。ホント水と油って感じで。
でも確かに、それぞれの価値が「完成形であること」と「不完全であること」ならば混ざり合わないのも道理な気がします。
漫画は完成されているからこそ、おもしろい。
現代アートは不完全であるからこそ、おもしろい。
矛盾しつつも、これが「創作」の上での真理なのではないかと。
完全と不完全の両方とも、お互いにはないおもしろさがある。
いろいろ考察してみたわけですが、とにもかくにも、やっぱり「創作」することはおもしろい。
これが一番の真実ですね。
aki
昨日は昨年に引き続き須々木氏、凛ちゃん、桜田、やすじーと文化庁メディア芸術祭に行って参りました。
説明するの面倒なんで←何ぞや、という人は公式サイトの方をどうぞ。
とりあえず「幅広い創作」というコンセプトを掲げているわがサークルとしては是非とも行きたい、いや、いかねばならぬ祭典です。
とりあえずばばっと写真をば。
撮影禁止が結構あったのでたいしたものでもないですが。

「SPACE BALLOON PROJECT」

「SPACE BALLOON PROJECT」

「べろべろ」

「Soak」

「particles」
去年と比べて感じた違いは、より「参加型」の作品が増えたというところでしょうか。
とりあえず今のところ、「見せる」ことの楽しさのみで、他のジャンルのものがアニメや漫画を抜かすのはまだ無理なように感じました。単純に「見せる」ことのみでは、やはり漫画やアニメは他のジャンルよりかなりリードしていると思います。これらを抜かすにはかなり画期的なアイデアが必要でしょう。
そのかわり、本来は見る側の人間が作品完成に関わる、作品に「参加する」という形態がより多くなったと感じました。要因の一つとしてUSTREAMやTwitterの普及の影響も大きいでしょう。もちろん「参加型」の作品は去年にもありましたが、今年の方が全体的に完成度が上がったのではないかと思います。
これらの傾向を見るとやはり「発信」だけの創作は、もはや袋小路なのだと感じました。
行き止まりなら今度は上を目指せ~という感じですが、それにはきっとかなりのエネルギーが必要ですね。今の時代、何かを「発信」するときは必ず「受信」のことも考えなければいけない。むしろ「受信」があって初めて作品として形をなすのかもしれない、ということでしょうか。
でも、ぶっちゃけ「発信元」はひとつでも「受信先」は数多にあるわけですから、より作品に対する解釈は多様化してくるでしょう。現代アートがこの風潮を多くはらんでいますが、この流れは確実に他ジャンルにも広がると私は思います。
しかしおもしろいもので、解釈の多様化により深みと幅を広げた「現代アート」は、どこまでいっても「本当の意味での完成」はないのではないかと感じる一方、何故か「漫画」はあれが一つの完成形に思えます。いろんなジャンルの作品はあれど、どれも共通して「漫画」であることに変わりはない。やはり考えれば考えるほど「漫画」は平面作品のジャンルとしては完成度がトップだと思いました。
自分は卒業制作で「漫画」を「現代アート」的解釈で攻める、てきなものを制作したのですが、これがびっくりするぐらい上手く絡み合わなくて苦労しました。ホント水と油って感じで。
でも確かに、それぞれの価値が「完成形であること」と「不完全であること」ならば混ざり合わないのも道理な気がします。
漫画は完成されているからこそ、おもしろい。
現代アートは不完全であるからこそ、おもしろい。
矛盾しつつも、これが「創作」の上での真理なのではないかと。
完全と不完全の両方とも、お互いにはないおもしろさがある。
いろいろ考察してみたわけですが、とにもかくにも、やっぱり「創作」することはおもしろい。
これが一番の真実ですね。
aki