乱歩酔歩--Random Walk official blog-- -217ページ目

作業の友 ~ vocaloid music play list vol.02

須々木です。

いつの間にか10月が・・・
作業だ・・・作業を・・・もっと速く・・・

というわけで、シリーズ(?)第2弾です。
vol.01に引き続き、作業BGM(ボカロ)を適当にチョイス。
今回も20曲をピックアップしています。
選曲基準はフィーリング。。


※上から、タイトル、ボカロ(楽曲製作者)、投稿日、須々木による適当なコメント。斜体は歌詞引用とか。



21. 独りんぼエンヴィー
初音ミク(電ポルP) 2012/11/29

最初から最後までいい。癖になるリズム、歌声、歌詞。
寂しげで投げやりで楽しそうで泣き出しそうな。


22. ECHO
GUMI(Crusher-P) 2014/10/08

これがGUMI Englishか・・・
海外在住ボカロPの作品がもっとあがってくると、面白い反応が起こるのではないかと思わせる一曲。


23. 学級戦争
GUMI(コン) 2014/05/12

 ここは弾丸飛び交う中学校
 いつだって交戦状態
 必死に被弾しないように縮こまってる
 僕らはとぼけた表情で言葉のミサイル投げつけた
 それがどれほどの威力かも知らずに


とりあえず、処女作とは思えないレベル。


24. Q
鏡音リン(椎名もた) 2013/01/23

サビへの持って行き方がめっちゃいい。
声質もすごくあっている。


25. ニナ
初音ミク(ピノキオP) 2013/11/25

音楽的にも動画的にも面白いが、やっぱりなんと言っても歌詞。

 明日は天気予報通り晴れりゃ良いのにな
 真理も神秘もギャグに近ければ嬉しいな
 変な神様のほっぺた つねってみたり
 邪悪な心も肥やしになったらいいのにな



26. アンチグラビティーズ
GUMI(ささくれP) 2014/07/29

しっかりと漏らさず歌詞を噛みしめて欲しい曲。
本当にすごい。うわーーという感じ。


27. BALLOON
初音ミク(てぃあら) 2013/03/12

非常に美しくてオシャレな曲。
良い。


28. ぶれないアイで
初音ミク(Mitchie M) 2014/08/29

ロート製薬の目薬「デジアイ」プロモーション楽曲のフルバージョン。
問答無用のクオリティー。
曲調はどこか懐かしさを感じる。


29. タイヨウの子
IA(takamatt) 2014/09/01

季節感を完全に無視してチョイス。
なかなか味のある曲。
全部ほっぽり出してハワイに行きたい!
静止画だと思って油断していると切り替わります。


30. Creator's Real
初音ミク(たかぴぃ) 2013/01/31

普通にカッコいい・・・だがしかし・・・
『気分転換に猫動画で癒されよう・・・』ってくつろいでないでとっととやりなさい!


31. 東京リアルワールド
IA(out of survice) 2013/04/24

歌詞はさっぱりわからんが、要約すれば、ハラペコッタ!
妙な中毒性がある。


32. 言葉欠乏
GUMI(Maki) 2013/04/05

サビの力強さ。
耳に残る。


33. シニタイちゃん
IA(すいっち) 2014/05/26

名“病み”曲。
ただの病みではない何か。


34. いかないで
歌愛ユキ(想太) 2013/10/09

好みの問題だと思いますが、この雰囲気は個人的に好きなやつ。


35. LUVORATORRRRRY!
GUMI・鏡音リン(ギガP) 2014/02/22

半ば強制的にテンションを上げることのできる曲。
実にノリノリである。


36. Lv99
初音ミク(れるりり) 2014/03/21

なぜか全然聞き飽きない。
王道のようで王道におさまらないような。
そして、タイトルのつけ方がものすごくうまいと思いました。


37. 敗北の少年
GUMI(kemu) 2013/05/06

説明いらずのカッコ良さ。
この勢いはいい。
音量大で。


38. クラウドライダー
IA(田中隼人) 2013/02/07

この圧倒的疾走感。
間違いなく名曲。
ヤバい。


39. 音偽バナシ
初音ミク(DECO*27) 2013/11/30

泣ける曲。
余計な歌詞はいらないのだと。


40. タイムマシン
初音ミク(1640mP(164×40㍍P)) 2010/09/13

良い。
非常に良い。





※vol.03 (41~60) はこちら!






sho


感想ではないよ

どうも遊木です。

本日はBankARTと黄金町のアートエリアに行ってきました。結構ガッツリ見ました…。
トリエンナーレの感想と含めてその辺にも触れてブログに書こうと思いますが、ちょっと明日も出かけるので今日は報告だけ…月末ぐらいにまとめて感想記事書きます。

まぁざっくりした感想を言うと、「横浜は不思議なエリアだな」って感じですかね!←




そういえば最近、ようやっとソードアート・オンラインのアニメを見ました。
噂には聞いていましたが…キリトの、フラグを好き勝手に立てまくる癖にいっさい本命からぶれないっぷりはすごいですね。まさかアスナとあんな序盤で結ばれると思ってませんでした…もう他のヒロイン入る余地ないやん…。
ただ個人的には、恋愛中心の物語ではないので、さっさとヒロインとくっついていた方が他の要素に時間を使えて、作品的には逆に良いのかなぁと感じました。

徐々に見ていないアニメを消化していかねば…。
ところでアニメと言えば、アルテミスの声だけは許せないんですけどみなさんはどうなんですかね?(セーラー戦士の話)



話は変わって、先日ようやく現在制作中の動画の最後に使うスチルの雰囲気が決まりました。
前から順に作業を進めていたのですが、同じような作業が続いて若干飽きていたので、別に順番なんていっか~と最後の絵を考え出したのですが、これまた簡単に決まらず…。
悩んだ結果、結局こんな感じに↓↓



予定では現在進めているプロジェクトの1作目の最後に使用して、2作目の冒頭にも使う予定です。時系列の演出として。
まぁ2作目は動画じゃないですが。


浮気しすぎて作業の進みが遅いですか、今自分が抱えている作業を全部遂げたら、それなりに達成感がある気がします。うおおおおおおおぉぉぉおおおおおお!!!!お、おれはやるからなぁあああ…!!




最後にこの間ツイートした神獣と鬼様をどうぞ。
ちなみに鬼灯様の行動は私の願望。



しっぽ…!しっぽ…!!



aki

“忘却”の先に ~横浜トリエンナーレ2014雑感~

どうも須々木です。

先日、横浜トリエンナーレのメイン2会場を見てきたので、その雑感でも。
例によって、まとまりに欠ける文章ですがご容赦を。。



横浜トリエンナーレ01




◆概要

「横浜トリエンナーレ」とは、横浜市(基本的には、横浜港に面したエリア)で3年おきに開催される現代アートの国際展覧会です。

第1回が2001年で、今回のが5回目です。

今回のメイン会場は、横浜美術館と新港ピアです。

11月3日が最終日(残り一週間!)。



◆展覧会タイトルについて

中身に触れる前に、展覧会タイトルをマジマジ眺めてみようと思います。

『華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある』

ちょっと長くてわかりにくいのですが、これがタイトルです。
正直、最初に見たときは「めっちゃ厨二だな!」と思いました。
なお、ちょっと控えめな感じで英語タイトルも併記されていて、

“ART Fahrenheit 451: Sailing into the sea of oblivion”

となっています。


1953年にレイ・ブラッドベリが書いたSF小説「華氏451度」(原題:Fahrenheit 451)からの引用であることは、展覧会でも触れられていますが、この温度は「紙が発火する温度」です。

ネタ元の小説は、本の所持や読書が禁じられた架空の社会を舞台にした作品。
つまり、「華氏451度」は「焚書」と言い換えられるわけです。

※マイケル・ムーアが2004年に発表したドキュメンタリー映画「華氏911」(原題:Fahrenheit 9/11)のタイトルネタ元でもあります。ちなみに、日本版では「それは自由が燃える温度」というキャッチフレーズがつけられていたそうです。

この「焚書」というのは、当然今回の展覧会において重要なキーワードです。
まあ、これはある意味で分かりやすいので、少しおいておきましょう。


ブログを書くためにタイトルを確認しながら、ちょっと興味深いと思ったのは、むしろコロンの後ろの部分です。
コロンの前は、日本語タイトルと英語タイトルが過不足なく対応していますが、後ろの部分は、結構ニュアンスが違うような気がします。

“sail”は「船の帆」で、この場合は動詞だから「船で進む/船旅をする」とかいう感じ。

「忘却の海に(船で)進み入る」みたいな感じが妥当でしょうか。
もしくは、“sail”が、船で海上を進むイメージから転じて、「すべるように進む」を意味することを考慮して少し意訳すれば、「“忘却の海”に少しずつ滑らかに足を踏み入れる」みたいにも読めるかもしれません。


“the sea of oblivion”もわりと興味深いところです。
単純に「忘却の海」を英訳しただけかもしれませんが、もしかすると“the river of oblivion”にかけてるのかもしれません。
これは、日本語で言えば素直に「忘却の川」ですが、「レーテー」と呼ばれるものを意味します。
wikipediaによると、「レーテー」は古代ギリシャ語では、「忘却」「隠匿」を意味するそうですが、ギリシャ神話において、黄泉の国にいくつかある川の一つで、この川の水を飲んだ者は、完璧な忘却を体験するそうです。

港湾都市、横浜だから、“river”より“sea”の方がしっくりくるわけですが、よりワールドワイドで、スケール感もアップしています。


さて、改めて、日本語タイトルと英語タイトルを見比べると、英語の方には「世界の中心」というニュアンスはまったくありません。
あわせて素直に読めば、“the sea of oblivion”(忘却の海)は、世界の中心に存在しているというイメージなんでしょう。

世界の果てとかじゃなくて、世界の中心に「忘却の海」があるというニュアンスは、ちょっと興味深いと思いました。

なんだか、世界のど真ん中で口を開いたブラックホールに何もかも飲み込まれて消滅していくみたいですね。
それが“現代”なんだと。



◆まとまりのない感想を

「忘却めぐりの旅物語」。
展覧会の紹介チラシには、こういう書き方をされています。

会場には、かなり明確な順序がついていて、横浜美術館の入口前の「序章」から、新港ピアの「第11話」まで設定されています。

小説「華氏451度」のイメージをリスペクトして、こういう書物的な構成にしたのでしょうか。
全体で一つの「旅物語」だと。



というわけで、まずはざっくりとした感想ですが・・・


とりあえず、ボリューミーでした。

前回のトリエンナーレとの比較の問題ですが、量的な充実感はなかなかのものでした。

おなか一杯。
おかげでメイン2会場に2日使ってしまいました。
こういうとき、会場ごとに分かれているチケットはありがたいですね。。


しっかり順番に、序章→第1話→・・・→第11話と見て行きましたが、それぞれかなり毛色の違う作品を集めていました。

素人目に見て、「もはやこれはこじつけでは?」と思えるくらい、各セクションでギャップがありました。
質的にも色的にも温度的にも全然異なるものが、進むたびにどんどん現れてきます。

たぶん、支離滅裂と言っても言い過ぎではないと思うレベルです。

一方で、ポジティブにとらえるなら、非常に多角的で、偏りなく、それでいてテーマは様々に拡張されながらも、明確に貫かれている。

特に、「忘却」というキーワードの解釈拡張は顕著でした。

「沈黙ゆえに記録されないもの」「残るもの(≒作品)に対して廃棄されるもの」「現実に起こった忘却の歴史、悲劇の歴史を辿るもの」「大人になるために捨て去られるもの」「社会から忘れられた存在、人々」などなど。

※実際はもっと難解で重厚なものがたくさんあります。ここでは比較的わかりやすいものを列挙しました。。

こうやって書くと、案外わかりやすいような気がしますが、現場で個々の作品に向き合うと、わりとカオスです。
相当意識して脳内を整理しない限り、すぐに迷子になります。


しかし、想像するに、これらは「敢えて」やったことなんだろうと思います(展覧会でも「漂流」という言葉が多用されているし)。
企画者サイドのバイアスを可能な限り排除する試みの結果なんだろうと。

全体としてゆるやかな枠組みは設けつつも、明確な重心をおかない感じにしているような気がします。
コンパスを隠した状態での航海を求められているようです。



横浜みなとみらいのど真ん中にありながら、やたら防御力が高そうで閉鎖的な横浜美術館と、みなとみらい新港地区のはずれで海に突き出した立地の新港ピアのコントラストも、全部見てみるとちょうど良い気がします。

しかし、横浜美術館には、個人的にかなりの隔絶感を感じるのですが、なんなんでしょうね。。
大きな窓とかがなくて、完全に内部と外部が隔てられているせいでしょうか。

ただ、トリエンナーレは、面的な広がりを持っているので、結局なんやかんやでバランスは取れているような気がします。


完全に個人的な趣味の問題かもしれませんが、個々の作品について言えば、印象的なものは、新港ピアに多かったような気がします。
特に、映像作品については、なかなか見応えがあり、得るものは多かった気がします。
もちろん、展覧会の性質上、エンターテインメント性は皆無ですが、非常に刺激的でした。

これだけで長々と書けそうですが、ここでは割愛。



◆改めて全体を眺めると

順番に見て行ったわけですが、正直、最初のあたりは「今回はかなりお高く止まったものが多いのかな?」という感じで、見る人を選ぶ印象でした。

ただ、先に進むと特にそういうわけでもなく、本当に様々な切り口で、たぶんこれなら誰が見てもどれかしら響くものがあるだろうという感じです。
良い意味で、八方美人というか。

連続的にとらえるのなら、敢えていったん高いところまで連れていき、「いったいどこに来てしまったんだろう?」と少しばかり途方に暮れさせて、そこから徐々に(一定のペースではなく、波打つように、揺らぎながら)下りてくる。
かなり激しく不規則に揺さぶりながら。

いずれも「忘却」(≒焚書)がキーワード(扇の要、接着剤)だと感じましたが、よくよく思い返すと、むしろ感覚的には「海」の方がキーワードであるようにも思えてきました。
恵みをもたらすことも、命を簡単に奪う厳しさも持つ多面的な「海」のイメージは、今回の展覧会とマッチする(当然、横浜という土地柄ともマッチする)。



展覧会に、無機的機械的に順序がつけられることは、特別なことではない。
しかし、今回のこのフレームは、単に無機的なだけではない意味を持つことに成功していたように思います。

最初は単純に、「華氏451度」や「焚書」を受けた「書物」を端的に表現しているに過ぎないと思っていましたが、最終的にはそれにとどまらない感覚を得られました。


いつの間にか漂流してしまったことに気付いた船乗りが、大海に翻弄されながらも、風を感じ、星を読みながら現在地を知り、やがて帰って来る。

そんな体験を密度濃く味わうような。

もしくは、序章と11の挿話で構成される“そういう”本の世界に誘われ(「はてしない物語」のように)、やがて帰ってくるような体験。


展覧会の個々の作品は、各ページに散りばめられた文字のようなもので、個々に解釈するだけでは不十分。

結局は、連続性があって全体を通してようやく「本」は、「忘却の海」を描く漂流記としての完成形に至る。

横浜トリエンナーレは、一つの作品の体をなす。


そして、皮肉にも(もしくは、狙い通りに)、この「本」は決して本棚に収まることなく、ゆるやかに「忘却の海」に飲まれていく。


※札幌国際芸術展、福岡アジア美術トリエンナーレのセクションを設けていたのは、持ってきた個々の作品が持つ意味以上に、そもそも「展覧会」というものが、“そういう”宿命を背負って存在しているということを示したかったのではないかという気がします。すなわち、個々の作品ではなく、「展覧会」を「展覧会」に並べたかったのではないでしょうか。そして、論理的帰結として、「横浜トリエンナーレ」も同じ道を辿ることを示しているような気がします。




sho


芸術の秋

どうも、ややお久しぶりです。遊木です。
先週は凜ちゃんと魁ちゃんとイベント参加してきましたが、個人的にイベントスペースのジャンル配分を見て、最近の流行りや傾向の流れについて考えたりするのが好きです。

さて、気が付いたら10月ももう後半に入るわけですが、夏から引きずっている作業がなかなか進まなくて苦心しています。先日はとうとう夢にまで出てきました…(白目)

そんな感じで煮詰まっている日々を送っていますが、煮詰まったまま作業を続けても非効率的なので、気候も丁度良いということで最近はちょくちょく出かけたりしています。

いくつかご紹介をば。


まずは、横浜トリエンナーレ。



まだ横浜美術館エリアしか見ていないので、詳しい感想は全区域を見てから書こうと思います。

私は、美術館や博物館や展覧会に行く醍醐味は、もちろんそこに展示されている物も重要ですが、個人的には、そういう空間特有の非日常の空気に触れることだと思っています。
見知らぬ土地へ旅行に行ったときと似た感覚ですね。自分の日常とは切り離された空間に身を置くことで、フィクションで言うところの所謂「冒険気分」を味わうと言いますか…。現実は漫画やアニメのように、都合よく運命の出会いや事件には遭遇しないので、展覧会や博物館と言う非日常の空間に行くことで、そういう「冒険気分」を疑似体験している感じです。多分、小さい子が「〇〇ごっこ」するのと同じ感覚なのでしょう。


お次は、16日に浜離宮朝日ホールで行われた羽毛田さんのコンサート。



母に連れられて夕方から東銀座にどんぶらこと向かったわけですが、初めて歌舞伎座を生で見ました。ビルに囲まれた中に一つだけ和テイストの建物が合って、なんだか不思議な感じでしたね。
あと何と言っても築地が目の前なので、寿司屋の多いこと多いこと…。一回で良いのでここで好きなだけ寿司を食べたいです…ぅおおお!

さてコンサートの方ですが、小規模ホールながら音質はとても良かったです。
このホールはどうも、音が良いのでそこそこ有名な場所らしいのですが、羽毛田さんも冒頭でそのことを言っていました。話によると、聞く側だけでなく演奏する方にも良い場所のようです。
楽器はピアノ、チェロ、コントラバス、ギターだけだったので、イマージュのような電子音や照明、映像の演出はなく、シックな大人な雰囲気で、これはこれで良いなーと感じました。
私は以前から、楽器はバイオリンよりチェロの方が好みだったので、ピアノの音にチェロが重なる瞬間とかが本当に良かったです。
後半の頭にお馴染みの「地球に乾杯」が演奏されたのですが、いろいろな曲の中でもやっぱりこれは印象深いですよね。私個人でも、学生時代にダンス部がこの曲を使って披露した舞台がとても好きだったので、当時の舞台の情景と音楽が重なってすごく感慨深くなりました。


最後が、行こう行こうと思って行けていなかった、みなとみらいの「MARK IS」内にある「Orbi」。



ここは自然体験型のミュージアムなのですが、なかなか興味深かったです。
そういえば、現在ミュージアム内にあるシアターで上映されている映像のナレーションが梶さんでした…。エレンが…エレンが…ナレーションしとる(ザワッ
ちなみにサイトにある予告編でもちょっとだけ梶さんのナレーションが聞けます。

ここは娯楽施設と言うよりは、少しマニアックと言いますか、このジャンルのものが好きな人向けの施設だと思います。
動物の生態や大自然の映像、それらを今風の体験型、体感型にアレンジして展示している感じです。所謂博物館系が好きな人には良い施設かと。個人的にはベースキャンプかアースクルージングのエリアでぼーっとしていたい…。平日に行くと適度な人口密度で快適です。
というか、「MARK IS」の中自体に至る所に椅子や机があるので、読書や物書きにはもってこいの場所です。あと4階にあった東京ガスのショールームはなかなかおもしろかったです。



そんな感じで、天高く馬肥ゆる秋を過ごしております。
台風の影響でサークルのミーティングがつぶされてから、またいつ台風が来ないかとドキドキしておりますが、気候に負けず作業を進めていきたいです。

誰かシナリオと動画制作のセンスくれないかな。


aki

変わらないもの

どうも遊木です。

実は今月でRW創設4周年を迎えました。
まぁ最初の半年はメンバーの半分が大学4年で卒業制作に追われ、しかも途中で震災があったのでなかなか調子よく活動できませんでしたが、4年間を通して様々な人と出会い、別れ、いろんなことを経験させて貰ったなぁと思っております。


そういえば先日は、台風直撃間近に母校の文化祭に行ってきました。
今までは隔年で行っていた文化祭も、今年から毎年やるようになったそうで。やっぱり入学する生徒が少ないからですかね?
実は卒業後も2回文化祭にはお邪魔しているのですが、その2回ともOG会が主催する出店の手伝いをしていたので、のんびりまったり見学したのは今回が初めてでした。
(在学中はどこかを見学する余裕とかなかったですし…)
校舎を見て回ったり、お世話になった先生方を探したり、歩き回りながらノスタルジーを満喫しました。
講堂での舞台発表は、演劇部、クラシックギター部、バトン部、ダンス部を見ましたが、ちょうど演劇部がやった内容が、一緒に来ていた子(元演劇部)の初舞台の演目と同じだったので、すごい喜んでいましたね。最後のダンス部も、見終わった後来ていた面子全員で「なんかコレ見ると安心するわ」と口を揃えるぐらい、相変わらずの雰囲気でした。
いや、何なんですかね…在学生を見ると、端々に自分たちがいた頃との違いを見つけてちょっとセンチになるのですが、その中で変わらないものもあるんだと感じると、これまたセンチメンタルになります。

変わらないと言えば中3の時の担任が、顔も体系も変わってなくて恐れ戦きました。
担任だった頃は、彼女今の自分たちより若かったのに…こりゃ海外から日本人若いって言われますわ…。

そして自分が所属していた部活には、まぁ当然もはや知っている後輩はいないので、らくがきコーナーに「平成〇年度部長参上」とだけ残してきました。


あと、元クラスメイトの現状を何人か教えて貰ったのですが…なんつーか、うちのクラスの夢実現率の高さよ…。
いや、もうこれ自慢なんですけど(ぇ)、かつて声優になりたいと言っていた子は声優になり、歌手になりたいと言っていた子はこの間メジャーデビューし、ダンスを頑張っていた子は大会で入賞して振付師になり、学校の先生になりたいと言った子は元気に教師をやり、保母さんになりたいと言った子もしっかりと続けている…。
その他にも、かつてなりたいと言っていた職業そのものに就けていなくても、その途中段階にいたり、少し系統は変わっても近いことをしていたり…なんていうか、みんなすげぇな!30人もいないクラスで、しかも別に特別な科(芸能科とか特進科とか)でもない普通クラスだったのに…。
まぁでもぶっちゃけますと、ウチのクラスは頭が良いわけでも運動が特別強いわけでもなかったのですが、校内の合唱コンクールや文化祭的な行事ではものすごい威力を発揮するクラスでした。あと、高3のときは部活の部長副部長率が異様に高かったですね…。

私はすごくクラスに愛着があったし、とても恵まれたクラスだと当時から思っていましたが、正直言うとそれはあくまでも「学生の域」の話だと思っていました。でも、こうして5年10年(はまだ経ってないけど)過ぎた今になってかつての仲間の話を聞くと、当時、馬鹿正直に目の前のことに取り組み、精一杯のエネルギーでぶつかっていたことは何一つ無駄ではなかったんだと証明されたようで、なんだか込み上げるものがあります。

いや、自分の元クラスメイトを自慢できるというのは幸せなことですね。


歳を負うごとに背負わなくてはいけないものが増え、諦観した考え方や現実的な視野を身に着けていくと、妙に引き際とか諦め時という言葉が脳裏を過り易くなります。でも、そんな中でふとした拍子に学生時代のことを思い出すと、まだ自分は頑張れる、粘れる、という気持ちになります。人間のいざというときの根性は、人生の中で一回でも本気で物事にぶつかったことがあるのかで大きく左右されるのかもしれません。
この感覚は死ぬまで忘れないようにしたいなぁと思いました。


サークルでもうまく進まないとき、うまくかみ合わないこと、今後もいろいろ出てくるでしょう。そういうときも、学生時代に身に着けたものを大切に、創作活動をしていきたいです。

aki