夏時間の導入でエネルギーを節約できるか | 古典的自由主義者のささやき

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経済の問題は、一見複雑で難しそうに見えますが、このブログでは、経済学の予備知識を用いずに、日常の身の回りの体験から出発して経済のからくりを理解することを目指します。

夏時間というのは、一年の内で日照時間の長い春から秋の間、時間を少し早くするという制度です。夏時間を導入すると、例えば、春から秋の間は導入前の朝の5時が導入後の6時になり、導入前の夕方の5時が導入後の6時になるというふうに時間が早くなるのです。

人間の日常の生活を区切る時間が一年のある時に突然早くなったり、また逆に遅くなったりする夏時間は、一年に二回時計を調節し直すということに慣れていない人々にとっては奇妙な習慣ですが、世界的にみると夏と冬の日照時間に差がある中高緯度の国々の間で広く採用されています。夏時間採用の理由として、夏時間で社会が使用するエネルギーの総量が減る、すなわち夏時間はエネルギーの節約につながるということが挙げられています。この主張は世界中で聞かれるのですが、果たして本当でしょうか。今回は夏時間制度の導入で本当にエネルギーが節約出来るかどうか考えてみます。

夏時間の採用でエネルギーが節約出来るという主張は、簡単にまとめると、夏時間の間人々はまだ明るいうちに仕事を終えて帰宅する、そして、人々は夏時間を採用していない時に較べて一時間早く照明を消して床に就く、従って、一時間の照明に使われるエネルギーが節約されるという理屈に基づいています。

しかし、この理屈には幾つかの問題があります。まず、夏時間によって、たとえ夜のエネルギー消費が抑えられたとしても、早朝のエネルギー消費がその分増える可能性があります。夏時間採用以前から夜明け時、あるいは夜明け前から一日の活動を始めていた人たちが存在します。この人たちは夏時間が採用されると今まで灯火を要しなかった早朝の一時間電気を使って明りをともす必要があります。だから夏時間はエネルギー消費を夜から朝に移動させるだけで節約にはなりません。この場合には、夏時間は社会全体のエネルギーの節約にならないだけでなく、夕方一時間早く仕事を切り上げる人たちの電気代を下げて、その費用を夜明けと共に仕事を始めていた人に負担させるという結果を生みます。

もっとも、夜明け前から一日の活動を始める人口の割合が少ない社会では、夜の節約分が朝の増加分を上回かもしれません。また、日照時間の長い夏の間は夜明けも早くなるので一時間時間が早くなっても早朝の照明に必要なエネルギーは増加しないかもしれません。しかし、たとえ夜明け前に一時間早く活動する人が夕方早めに帰宅する人よりも少なかったとしても、また、早朝の照明に要するエネルギーの消費が増えないとしても、夏時間の採用でエネルギーは節約出来ないと予想出来ます。なぜなら、夕方一時間早く仕事を切り上げて帰宅した人が外がまだ明るいからといって薄暗い家の中で照明を使わないとは考えられないからです。一時間早く仕事を終える人たちが大挙して野外での活動に従事しない限り、照明のためのエネルギーの節約は出来ません。まだ明るいうちに仕事を終えても人々が自宅やレストランなどの屋内で時間を過ごす限り照明は使用されます。

それに、人々が電気などのエネルギーを使うのは照明のためだけではありません。夏に暑くなる地域では仕事を終えた人は自宅や自宅以外の建物の中で冷房を使用します。照明と冷房の他にも人々はコンピューターやオーディオ機器や洗濯機などを使います。電灯は消しても冷房の効いた部屋で大画面で映画を楽しむ人もいるでしょう。春と秋に高緯度地域では早朝冷え込むことがあります。夏時間のお陰で朝一時間活動が早くなると早朝に暖房を炊く必要も出てくるでしょう。人々がエネルギーを使うのが照明だけでない以上、夏明るい内に帰宅した人は照明を使う時間を減らすのでエネルギーが節約できるという理屈は通りません。

さらに、夏時間を採用しても人々が明るいうちに仕事を切り上げるとは限りません。もちろん、春から秋にかけて人々が一時間余分に働いて生産した物やサービスに買い手が付くならば、経済は成長し人々は豊かになります。この結果自体は歓迎すべきことです。しかし、一時間伸びた生産活動のためにエネルギー消費は増大します。夏時間採用の利点として挙げられているエネルギーの節約は達成できません。

以上、夏時間を採用してもエネルギーの節約にはならないと予想できる根拠を述べました。ただ、東西に広がる領土をもつ国の場合、東端と西端の地域が、国の標準時とは異なる時間を採用することでエネルギーが節約できる可能性はあります。なぜなら、国の中央の人たちの活動時間にぴったりと合わせると、東端の地域では夕方暗くなった後も活動を続けなければならず、また西端の地域ではまだ早朝暗いうちから活動を始めなければならないからです。また、地方によって気候も異なるし、産業構成の違いから人々の活動の時間帯も異なるかもしれません。

従って、住民の望みに応じて、各々の地方政府が独自の時間を採用したり、時間を変更するところまでいかなくとも、役所や公立の学校などの就業時間を早くしたり遅くしたりすることは許されるべきでしょう。特に、境界が海によって決まっている地方は、境界を越えて他地域に毎日通勤する人が少ないので、独自の制度を試みることが比較的容易なはずです。

しかし、国全体で夏時間の制度を採用すると、本来の目的であるエネルギーの節約には何ら効果がないことが判明した後も、また、国民の間に広く反対の声が上がっても、制度を元に戻すのが困難になる恐れがあります。それは、夏時間が社会の一部の人たちに得をさせて、その得をする人たちが利権団体となって夏時間を維持存続させる政治勢力になる可能性があるからです。例えば、もしも夏時間の採用後、仕事を終えた人々がレジャー活動に従事するようになった場合には、レジャー産業界は政治家に献金をしてでも夏時間の存続を計ろうとするでしょう。

その点、各地方政府の独自の実験は、国民全体に影響を与えることがないし、また、実験がうまくゆかなかった場合には、地方の住民の意向だけで実験を中止することが出来ます。また、地方政府の管轄する地域や人口が小さければ、誰が利権を得ているかは見えやすいし、利権を得ている人たちに対抗する人数を集めるのも比較的容易です。


エネルギーの節約になると宣伝されている夏時間の制度ですが、以上検討した通り、エネルギー節約の理屈は説得力に欠けます。ただ、地方によっては時間を標準時からずらしたり、独自の勤務時間を設定することでエネルギーの節約が見込める可能性はあります。住民の意向に基づいて地方政府が独自の制度を導入するのは許されるべきです。各地方の試行錯誤から他の地方が多くを学ぶことが出来ます。他地域の経験を取り入れながら自分たちの状況に合わせて各地方が夏時間や独自の勤務時間制を導入したり廃止したりする自由は許されるべきです。



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