自由な市場では賃金は下がり続けない (4): 公共投資を続けると文明が後退する | 古典的自由主義者のささやき

古典的自由主義者のささやき

経済の問題は、一見複雑で難しそうに見えますが、このブログでは、経済学の予備知識を用いずに、日常の身の回りの体験から出発して経済のからくりを理解することを目指します。

本シリーズのこれまでのコラムで、人間が常に自分を豊かにしようと努める動物であること、そしてその人間同士が合意の上で労働と労働の成果を取引する自由が保障されていれば社会の生産性は長い目で見れば上昇してゆくこと、さらに、社会の生産性が上がれば賃金も上がるということを説明しました。つまり、人間の性質が変わらない限り、取引の自由があれば賃金が下がり続けるということはないのです。

景気が後退して失業者が増えると、政府は支出を増やして景気を好転させようとします。ところが実際には、政府の支出を増やせば増やすほど生産性の上昇は妨げられ、挙句の果てには生産性の低下を招きます。今回は、なぜ政府支出が増えると生産性の低下を招くことになるのかを説明します。


政府が行う投資活動のことを「公共投資」と呼びます。一般的には、政府がダムや橋や港湾の建設など建設事業に金を出すことを公共投資と呼びますが、石油に代わる代替エネルギー源の技術開発と実用化に政府が金を出したり、経営難に陥った企業を倒産から救うために政府が金をつぎ込むのも政府が行う投資という意味では公共投資です。

公共投資のための金を政府が獲得する方法は三通りあります。まず税として人々から金を巻き上げるという方法があります。第二に、政府が国の借金証書である国債を人々に売って金を得る方法があります。人々に貯金が無ければ国債は絶対に売れません。つまり、国債を売ることによって政府は人々の貯金を集めていることになります。最後に、政府が中央銀行に札を増刷させて、その増刷分を獲得するという方法があります。中央銀行が自らが増刷した紙幣を用いて政府が発行する国債を買い取るという込み入った方法は、結局のところ中央銀行が増刷した紙幣を政府が受け取るので最後の方法と同じです。

これら三つのやり方を用いることで、交換は当事者の合意のもとに行われるという原則を政府は破っています。まず、税額は政府によって一方的に決められ、徴税は強制的に行われます。納税を拒否し続けると、最終的には刑務所に入れられて身体の自由を物理的に束縛されます。

政府は国債を買うように人々を強制していないと主張する人がいるかもしれません。確かに、国債を買う人は政府が国債の元金や利子を払ってくれることをあてにして自由な意思によって購入しています。しかし、その元金や利子は政府が国民から強制的に徴収している税から支払われています。つまり、国債によって金を集めるという制度そのものが交換の自由を奪うことによって成り立っているということです。

国債は民間企業の借金より利率が低いことが多いのですが、それは金を貸した相手の倒産によって貸した金が返って来なくなるリスクを避けようとする人々が、多少利率が低くても、倒産の危険の少ない政府に金を貸したがるからです。そして、民間企業に較べて政府に倒産の危険性が少ないのは、民間企業と異なり、政府には警察力をもって人々から税を徴収する力が与えられているからです。

政府が水増し紙幣を支払いに使い続けることが出来るのは、究極的には、社会の構成員は中央銀行が発行する貨幣を取引の代金として受け取ることを拒否することが法律で禁止されているからです。これは、取引は当事者の合意によるという取引の自由の制限です。


政府が、自らが使う金を当事者の合意に基づくことなく徴収出来るということ、さらに強制的に集められたこの金の使い道が、政治家や役人という、この金の持ち主でない人たちによって決められるという二点が、公共投資が社会の生産性向上に役立たないどころか、逆に生産性の低下をもたらし得る根本的な原因です。以下に理由を説明します。


人々に自分の労働と労働の成果を売る自由が保障されていれば、誰も自分を豊かにしない物やサービスを購入しません。購入することで豊かになると世界で誰一人として思わない商品やサービスは、取引の自由のある社会では当然ながら売れません。そういう社会では、売れない商品やサービスの生産を続ける企業は倒産の憂き目に遭って淘汰されます。その結果、人々を豊かにする商品やサービスだけが生産を続けられ、さらに人々の工夫と努力によってこれらの商品やサービスの価格が下がるので、人々はさらに豊かになります。つまり、社会の生産性が向上するのです。


ところが、政府の元に強制的に集められた多額の資金の使い道を決めるのは、政治家や役人です。政治家や役人は、自分の労働や労働の成果の交換によってこれらの金を得たわけではありません。我々の多くが居住する民主主義国家では、政治家や役人にはこの金を私物化することは許されていませんが、政府に集まった金の使い道を決める権限は与えられています。

さらに、政治家はいつも次の選挙を念頭に、政府に「委託」された金の使い道を決めています。それに選挙は建前上、政治家に預けた金が自分たちの利益のために使われたかどうかを国民が裁定を下す機会です。つまり、ある政治家が再選されたとすれば、表向きは国民がその政治家が決めた金の使い道を追認したということです。

不景気の最中で街が失業者で溢れている時には、失業者に職を与えることで政治家は再選を目指します。したがって、政治家は政府に集まった金を「仕事」を増やす事業に投資します。政治家にとって、この「公共投資」の究極の目的はただ仕事を増して選挙に勝つことであって、集まった資金を社会の生産性を上げるのに見込みのある事業に投資することではありません。例えば、公共投資事業として水力発電のための巨大ダムを建設した後で、この発電所からの電気の需要が皆無であったと判明しても、政治家にとっては、ダム建設が仕事を増やし職を得た失業者の票によって再選が叶えば、ダム建設の「投資事業」は「成功」なのです。

さらに、社会の生産性を上げるという意味での投資としては失敗であることがすでに判明している事業に対しても、その事業が依然仕事を作り続けそれが自身の再選に役立つならば、政治家は資金の投入を続けます。政治家が強制的に集められた政府の資金を使えるかぎり、これは自然なことです。

政治家の監督の下で公共投資の細目を決める役人も政治家と同様に、納税者から徴収した「他人(ひと)の金」の使い道を決めています。投資事業を事前に細かく検討して社会の生産性の向上に成功しても、役人の給料は成功の金銭的見返りを受けて上がるわけではありません。逆に、自分が実施にかかわった事業が生産性向上に失敗したとしても、首になるわけでもないし退職金が減るわけでもありません。むしろ、社会の生産性を向上する事業を選りすぐって行うより、生産性向上には役に立たずとも、とにかくより多くの事業を実施すれば、より多くの役所や役人が必要となるので、そうした方が役人にとっては出世の機会が増えます。政府事業を推進することで再選されている政治家にとっては、これら政府事業の増大で膨れ上がった官僚機構が、政府予算の獲得争いの強力な援軍になってくれます。

昔、失業者が多い時に、自分が許可した高速道路網建設の国家事業に、土木機械の使用を抑えて人力を出来るだけ多く使わせることで、多数の失業者を雇って彼らの支持を得ることに成功し、後に独裁者になった政治家がいたそうです。極端な話、ただ「仕事」を増やすのが目的ならば、わざわざ政府事業を実施しなくとも、土木機械だけでなく農業機械や自動車の使用を禁止すればよいのです。しかし、農業機械や自動車を禁止すると、同じだけの食糧の生産や輸送に必要な人の数は増えるかわりに、生産・輸送される食糧が大幅に減少します。農業機械や自動車が発明された後、人口が増加しているのには理由があります。農業機械や自動車が禁止されると、現在の人口を支えるだけの食糧の生産と輸送は出来なくなるでしょう。人間は仕事のために仕事をするのではありません。個々の人間は、自分が豊かになれるように何かの目的をもって仕事をするのです。

単に仕事を増やすために実施される国家事業は社会の生産性を向上させることからはおよそ程遠いので、社会が同じだけの有用な物やサービスを生産するために必要な労働力を増大させるだけです。このような国家事業が大規模に長く続けば、実際に生産される有用な物やサービスの量が減少し続けるでしょう。これは人類の文明の後退です。政治家が仕事を作ることだけを目的として導入した国家事業が数多く続けられると、社会の生産性の後退が続き、単位労働時間当たりに得られる物とサービスの量、つまり賃金が低下し続けます。

人類の文明をも後退させうる政府事業は、強制的に集められた資金の使い道を政治家と役人が決めるという制度があって初めて可能です。人力を節約出来る土木機械が存在するのにそれを使用しないならば、道路建設の費用が嵩みます。あくまで当事者の合意に基づいて労働と労働の成果を交換する自由が保障されている社会では、人々は交換に要する自分の労働の成果を無駄にしてまで、技術の恩恵を拒否して同じものに余分な費用は払いません。観光地で馬車に乗って楽しむことはあっても、日常の生活においては人々は自動車や電車や飛行機を利用しています。交換の自由がある社会では、費用や時間が節約できる新しい移動手段が登場すると人々はそれに乗り換えます。自由な市場において人々が費用や時間を節約できる新しい技術を捨てて人力に戻るということは、大きな戦争や天災で生産設備の大量破壊や科学技術を保有する多くの人材の喪失が起こらない限りあり得ません。

つまり、自分が働いた成果を人と交換することで、生活に必要なものや自由時間を得ている人々は、自分を豊かにしないものを自発的に購入することはないということが、社会の生産性が低下することを防いでいるのです。人を雇って穴を掘らせ、さらに人を雇ってその穴を埋めさせるような無意味かつ無駄な仕事に賃金を払えるのは、人から巻き上げた金をばら撒く権限がある政府だけです。生産性の低下と文明の後退をもたらす公共投資は、人々から交換の自由を奪ったときに初めて可能になるのです。


不景気の最中には、多くの企業の倒産によって多くの工場や工作機械が売りに出され、失業者が増えています。これらの資本が再び人々を豊かにする生産活動に雇用されて社会が不景気から脱却するためには、新しく企業が興って、それらが工場や工作機械の購入し失業者を雇い始めなければなりません。

社会がどんな物やサービスの生産で豊かになるかは、社会を構成する個々の人々が、自分たちの自腹を切って何を選んで購入したかという結果によって初めて明らかになります。不景気の最中であっても、人間は生きるために物とサービスは購入しています。これらの物やサービスを安く提供できれば人々はより多くの物やサービスを購入します。また、不景気の最中でも、生活を便利にし時間を節約できる新しい物やサービスを人々の手が届く範囲で提供すれば、人々はそれらを購入します。

もちろん、人々が求めるものを見つけ出しそれを安く提供することは容易ではありません。投資を集めて起業に成功しても、期待したほど消費者の購買が得られず倒産を余儀なくされる企業もあるでしょう。進取の気性に富む多くの人がアイデアを投資家に売り込んで起業するのですが、その新興企業の一部だけが顧客を引き付けることに成功して成長してゆきます。この市場淘汰の過程があってこそ、人々が望んでいるものを手に届く価格で生産出来る、すなわち人々を豊かに出来る投資事業だけが選りすぐられるのです。この市場淘汰の過程が絶え間なく繰り返されることで、社会の生産性が向上し続けます。

社会が生産性を上げ続けるために不可欠な市場の淘汰機能を、人から巻き上げた金をただばら撒くことが出来る政治家と役人が肩代わりすることは不可能です。工場や工作機械や失業者をとにかく金を払って雇い上げて、何でも良いからやらせておくという失業対策としての公共投資の問題は、政府が使う金を無駄にしているだけではありません。失業対策の公共投資は、同時に、利用目的を失った資本を政府の金で雇い続けることにより、資本を無駄な目的に縛り付けて生産性を高める生産活動に移行することを妨げているのです。公共投資は不景気を助長します。従って、社会を不景気から出来るだけ早く脱却させるためには、公共投資のために政府が人々から金を巻き上げるのを止めさせる必要があります。


不景気の最中に失業することは苦しいことです。失業者が沢山いるので、限られた数の職を得ようと多くの失業者が争い賃金が低下します。そういう中で、仕事を「創出」してくれる政治家を支持する人が増えるのは自然な成り行きです。しかし、仕事を作ってくれる政府は、実は救世主でもなんでもなく、かえって景気の回復を妨げ賃金の低下を長引かせているのです。

社会を不景気から救うのは進取の精神に富み、倒産を恐れずに起業する人たちです。不景気の最中に財布の紐のかたくなった消費者を満足させる商品を、消費者が望む価格で市場に出すのは容易ではありません。しかし、不景気だからこそ、生産設備や労働力などの価格が下がっていることが彼らの起業の助けになります。新しく企業を起こそうとしている人が、価格の下がった生産設備を買い上げたり、賃金の下がった失業者を雇い入れたときに、「不当な価格で安く買い叩いている」と非難するのは間違っています。失敗を恐れずに新しく企業を起こす人がいて初めて、倒産によって投げ出された生産設備や失業者が再び人々の生活を豊かにすることに貢献出来るようになるとともに、景気の回復も可能になるのです。



以前のコラムも合わせてご覧下さい:
「自由な市場では賃金は下がり続けない (1): 労働を売る自由」
「自由な市場では賃金は下がり続けない (2): 労働組合・解雇規制・最低賃金法の害」
「自由な市場では賃金は下がり続けない (3): 賃金を下げ続ける低金利政策」
「貯蓄・銀行・中央銀行(4) - 貨幣水増しの中期症状」(後半で、公共投資事業が社会の生産性向上に結びつくことが少ない理由を本コラムとは別の視点から説明しています)
「大きな政府は経済成長を妨げる」(後半の段落の一つで、政府が行う生産活動が民間に較べて割高で、且つ質が劣る理由を説明しています)



たくさんの方に読んでいただきたいのでブログランキングに参加しています。
クリックしてランキングに投票して下さると励みになります。


にほんブログ村 経済ブログへ    人気ブログランキングへ



お知らせ: 
「小さな政府」を語ろう という共同ブログにも参加しています。
今のところ私は当ブログの転載記事のみですが、
政府は小さい方が良いと考えている他の方々の記事を読むことが出来ます。