イデオロギーとは「社会のあり方について人々が持っている考えや信念」を広く指す言葉です。人間は、社会にあり方についての何らかの考えや信念に基づいて、現状を肯定したり、あるいは現状を不満として、特定の理想を目指す行動に出るので、どのようなイデオロギーが社会で広く受け入れられるかが、社会が変化する方向に大きな影響を与えます。従って、社会の変化の方向に関心を持つ多くの人が、イデオロギーとその変化にも関心を払ってきました。
歴史的にイデオロギーに対する関心は、特定のイデオロギーがどのように人々の行動の枠組みを定めて、それが結果としてどのような社会を生み出してきたかという、イデオロギーの影響に対して主に向けられてきました。ところが、イデオロギーというものがどのように変化するか、つまり、ある特定の考えや信念が他の考えや信念を抑えて、どのようなからくりで社会に広まって優勢な地位を獲得するのかという、社会におけるイデオロギーの変化そのものの機構にはあまり関心が払われてきませんでした。この理由は恐らく、イデオロギーという捉えどころのない対象が変化してゆく過程を客観的に記述することが難しいからでしょう。今回と次回と二回に分けて、イデオロギーがどのようにして社会の中で変化するかという疑問に取り組みます。
物事が変化してゆく「進化」の過程の説明に成功した例として、チャールズ・ダーウィンの「自然淘汰による生物の進化理論」が真っ先に挙げられます。これから説明するように、イデオロギーの変化にもダーウィンの自然淘汰の考えを応用することが出来るのです。
ダーウィンは1859年に発表した「種の起源」で、序文の中の段落の一つを使って、自分が提唱する進化理論を要約しています(1)。ダーウィンの理論はまず下記の三つの前提から始まります。
1.生物は個体個体に違い(変異)がある。
2.個体個体の変異には遺伝するものがある。
3.個体個体は生存競争に従事し、生存に適した変異を持つものがより多く生き残って子孫を残す。
そして、これらの三つの前提が正しいことを認めるならば、長い時間が経つうちに、生物はより生存に適したかたちに進化してゆくという結論が必然的に導かれる、ということをダーウィンは言ったのです。これがダーウィンによる自然淘汰による進化理論です。ダーウィンは「種の起源」の本文を使って、生物界から数多くの例を挙げて、上記の三つの前提が正しいことを証明しています。
ダーウィンの進化理論の対象を生物界に限る必要はありません。リチャード・ドーキンスは1976年に出版した「利己的な遺伝子」の中で、生物界の遺伝子に相当する「文化伝達の単位」、あるいは「模倣の単位」としてミーム (meme) を提唱しました(2)。文化伝達の単位も、上記の三つの前提を満たすので、ダーウィンの理論に従って進化するはずだというのがドーキンスの指摘です。
以下に提唱する「イデオロギー変化の進化理論」は、ドーキンスのミームの考えをイデオロギーに応用したものです。イデオロギーがダーウィンの理論に従って進化するならば、イデオロギーの進化の研究に新たな地平が開けます。なぜなら、イデオロギーの研究に、今まで生物学者が生物界の進化を研究してきた手法を応用することが可能になるからです。
イデオロギーとは社会のあり方についての考えや信念であると上で紹介しました。しかし、以下で説明するように、その生成と進化をみると、イデオロギーは単に考えや信念だけでなく、人々の行動様式や社会の中の制度や様々な組織をも包括する複合体です。ここで言う行動様式とは、社会のあり方についての考えを広める活動全般や団体を作って政治運動に参加することなどを指します。また、社会の制度や組織は、法律や裁判所、政府機関、政党、市民団体、教育機関、出版社、さらにはイーメールやソーシャル・ネットワークも含めます。
考えや信念、行動様式、社会の制度や組織は、変異、遺伝、生存競争という進化の三つの前提を満たします。まず、世の中に存在する社会のあり方についての考えや信念は多様です。また、人々は自分たちが理想とする社会の実現のために様々な行動をとります。暴力を肯定する人もいれば暴力を否定する人もいます。また、社会の中に存在する制度や組織にも色々あります。つまり、考えや信念、行動様式、そして制度や組織には「変異」があるのです。
また、考えや信念、行動様式、社会の制度や組織は、学習され模倣されて人から人に広まり受け継がれてゆきます。人間は他の人が言っていることを聞き、他の人が書いたものを読み、他の人の行動を見て学習します。様々な教育機関は伝達された内容を人々が正確に学習、つまり「複製」、出来るように設立された組織です。政治活動に携わる人たちや自分たちの考えを広めようとしている人たちは、成功している団体の資金集めの方法や啓蒙活動、組織、政治家に取り入る方法などを積極的に取り入れようとしています。つまり、考えや信念、行動様式、制度や組織は複製され「遺伝」するのです。
さらに、人間は様々な考えや信念や行動様式に出会うと、取捨選択を行って、特定の考えや信念や行動様式だけを学習し保持します。社会の中の制度や組織にも流行り廃りがあります。ある制度や組織が栄える反面、他の制度や組織が衰退し消滅します。人間は常に、様々な考えや信念、行動様式、制度や組織を模倣しているのですが、この複製はそれら全てに平等に起るのではなく、その中の特定のものが他よりも多く複製されます。考えや信念、行動様式、制度や組織そのもの自体は意思を持ちませんが、それらの間には、人間による複製をめぐる「生存競争」が存在します。
要するに、進化理論の三つの前提である変異、遺伝、生存競争を持つという特性が当てはまる限り、考えや信念、行動様式、制度や組織は社会の中で常に、ダーウィンが提唱した自然淘汰による進化を続けているはずです。
生物界では遺伝子は単独で存在するのではなく他の遺伝子と組み合わさって複合体を形成しています。人間を含めて全ての生物個体は遺伝子の複合体です。遺伝子が複合体を形成するのは、それぞれの遺伝子が単独でいるよりも複合体を構成したほうがお互いの生存率を高めることが出来るからです。
生物界と同様に、考えや信念、行動様式、制度や組織が自然淘汰によって進化を続ける過程では、特定の考えや信念、行動様式、制度や組織が融合して複合体を形成します。元々は互いに独立していた考えや信念が、たまたま人間の脳の中で出会い、ばらばらでいるよりも結合した方が互いの生存能力を高める結果を生む場合には、生き残りのチャンスをより増やすのに有利な結合体が生成するのです。
例えば、税による富の再分配という政策は、この考えに接した人々が既に「社会の構成員は平等であるべき」という信念を持っている場合には、そうでない場合よりも容易に受け入れられます。そして、これらの人々の脳内では、この政策の考えと元々持っている信念が融合し複合体を形成します。この後は、これらの考えや信念は別個のものではなく「平等な社会が理想であり、この理想の達成のためには富の再分配という手段が存在する」という複合体として広められます。考えや信念が独立して存在している状態よりも複合体を形成している方がより多くの脳に複製され広められるならば、複合体は人々の間で複製伝達される過程で、その生き残りを助けるような他の考えや信念をさらに吸収し続けて成長を続けます。逆に、結合により生存能力を高められなかった複合体は、競争に敗れ消滅します。多くの人々の取捨選択を潜り抜ける過程を通して、より洗練された生存能力の高いイデオロギー複合体が形成され、多数の人間の脳で構成される社会の中で広まってゆくのです。
人間の脳には相反する考えや信仰を同時に保持することを避ける傾向があるので、あるイデオロギー複合体の中に相反する考えや信念が共存するとその複合体が人間の脳に受け入れられて複製される頻度を減らします。従って、人間の脳による淘汰を経て生まれてくるイデオロギー複合体は、あからさまな形で相互に矛盾する考えや信念を含まないことが多いのです。一旦あるイデオロギー複合体を受け入れるに至った人が、この複合体と相反する考えに接した時にそれを拒絶する傾向があるのはこのためです。ただし、脳による複製と拡散を妨げない程度で、つまり人間の心理に不快な不協和音を生まない限りにおいては、相矛盾する考えや信念が複合体の中に共存することは可能です。どんなに精緻に組まれているイデオロギーも詳しく内容を吟味するとなんらかの矛盾が認められるのはこのためです。
イデオロギー複合体を形成する「要素」は考えや信念にとどまりません。考えや信念が特定の行動様式や制度や組織と遭遇した時も、融合によって複合体の生存能力が高められる場合には、複合体と行動様式や制度や組織との結合が続きます。団結して行動することや考えを広く普及させる活動と、さらに団結と啓蒙活動を美徳として奨励する考えとが結びついた時にイデオロギー複合体の複製と伝播が促進されます。また、特定のイデオロギー複合体は、お互いの生存能力を高める場合には、政党、市民団体、シンクタンク、企業、教育機関、また政府機関と結びいて、さらに肥大した複合体として成長します。
イデオロギーは単に考えや信念によって構成されているのではなく人々を特定の行動に駆り立てる要素があること、また、社会のあり方についての考えや信念、すなわちイデオロギーは社会に存在する制度や組織の影響を強く受けて形成されていることが、今まで多くの人に指摘されてきました。イデオロギーには考えや信念を超える側面が事実として存在するために、どの側面を強調するかによってイデオロギーには様々な定義が存在します。
上で説明したように、イデオロギーが単に考えや信念から成っているのではなく、人々の行動様式や社会の制度や組織をも包括しながら相互に生存能力を高めあう共生体として自然淘汰を経ながら進化しているということに気が付けば、今まで多くの人を悩ませてきたイデオロギーのこの側面がすっきりと理解できます。一見掴みどころがないように見えるのですが、その生成と進化を踏まえると、イデオロギーは「社会のあり方についての考えや信念、行動様式、社会の制度や組織の共進化の結果の複合体」であると定義することが出来ます。
ただ、簡潔な再定義が出来たからといって、イデオロギーの進化を客観的に追うことが容易になる訳ではありません。馬が現存する形態になるまで進化してきた過程は、時代が新しくなるにつれて馬の先祖の化石の指の数が徐々に減少することで分かりやすく表現されていますが、イデオロギーの進化は馬の指の数のように簡単に数値化出来ません。しかし、進化生物学が、どのような淘汰が周囲からかかっている環境でどのような生物進化が起こるのか理解しようとするように、イデオロギーがどのような淘汰のもとにあるかというイデオロギーの進化を取り巻く環境に注目することで、現在起っているイデオロギー進化の理解を深めることことは可能でしょう。
次回は、イデオロギーの進化がその中で起っている「淘汰環境」を吟味します。
(1) Darwin, Charles. 1859. On the Origin of Species by Means of Natural Selection or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life. London: John Murray. pp. 4-5.
(2) Dawkins, Richard. [1979] 1989. The Selfish Gene. 2nd Ed. New York: Oxford University Press. pp. 192-93.
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