穴と橋とあれやらこれやら -54ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

皆さまももうこの話題はうんざりでしょうが、実はわたくしもうんざりなのです(笑)。さりとていったん書き始めた以上、一応治るまでは途中経過を書いておかないと、ってことでね。

 

 

9月3日に再手術~入院、5日に退院し、翌6日に術後の検査を受け、順調との診断が出た。13日が次回の検査で、それまでもうしばらく「がんばって」、と。はい、今ココ。

 

術後の検査で順調、までは前回もそうだったので、ここからが「がんばって」の正念場ってことになる。

 

 

ご存じの方もおられるかもしれないが、網膜剥離の術後というのは、夜昼問わずとにかくひたすら「うつむき姿勢を続ける」ことが肝要で、起きている間は常にがっくりとうつむき、夜はもちろんうつ伏せ寝。目以外は元気なだけに、これがなかなか苦行でしてね。特に普段仰向けで寝ていたわたくしにはまあこれがしんどい。

 

前回は「順調」といわれた後に調子に乗ってけっこうこの「うつむきキープ」をサボりがちになってしまった自覚があったがゆえに、再発した時に己の甘さ加減に情けなくなった。今度は同じ轍は踏むまいと、あと一週間、ストイックな苦行を続ける。あと、三種類の目薬も。その結果どうなるか、もうやりきるしかない。

 

 

まあ、やりすぎなければスマホとか見ててもいいので、これはせめてもの救いだったかな。スマホでいろいろ見ることはうつむき姿勢と親和性が高く(笑)、ゲームとか動画とかで気を紛らわせることができるし。

 

ちなみに今この記事はPCで打っているが、これもローテーブルと高い椅子の組み合わせで、完全うつむきで作業できるようにしてたりする。この姿勢、めっちゃしんどいしタイプしにくいんだけども。

 

こんなんだから、休みだけどもちょくちょく仕事もしてたりする。やりたくないんだけどね全然。やむを得ず。

 

 

 

まあこんな現状なんで、首の後ろから肩にかけてバキバキでございます。

 

 

記事タイトルは、そしてこの写真も「目」以外には意味ございません…が、このジャケットを見て「!!」って反応してくれる方がいたらうれしい(笑)。

 

 

 

こんばんは、網膜剝離絶賛治療中のクイックでございます。本日退院してまいりました~。

 

この状況で書ける記事はないかいな…と病院のベッドでひらめいたのが、「目」…すなわちeyeが曲名に入った「eye縛り」。安直だがこれを。

 

思いついたものを順不同で、かつ極力過去に採り上げたことあるアーティストを外して。あくまで「極力」ね。

 

 

SURVIVOR "Eye of the Tiger"

言わずと知れたアレ。

 

 

JUDAS PRIEST "The Hellion/Electric Eye"

これは必ず”The Hellion"とセットにしなアカンので悪しからず。

 

 

ASIA "Eye To Eye"

このサビめっちゃ好き。ホントに好き。ところでド忘れしちゃったんだが、ジョン・ウェットン、ジェフ・ダウンズ、カール・パーマーときて残るおひとり誰だっけか~?調べたら負けな気がして調べてない(笑)。

 

 

DARYL HALL & JOHN OATES "Private Eyes"

このMVよく覚えてるわ~。まさにエイティーズ。

 

 

KIX "Don't Close Your Eyes"

彼らとくればアッパーなナンバーだが、こういうメロウな楽曲もいいね~。

 

 

DIO "Evil Eyes"

ロニーよ安らかに。イーヴォーー!!

 

 

FATES WARNING "Eye To Eye"

ジャケもよければ曲もいい。これ名盤よね~「Parallels」。

 

 

FORBIDDEN "Through Eyes of Glass"

わたくしの知る全スラッシュアルバムの中で三本の指に入る大好きな曲。非の打ちどころなし。

 

 

RAINBOW "Eyes of the World"

これ、隠れた名曲じゃないすか?隠れてないか。ドン・エイリーのキーボードソロ、コンパクトながらも秀逸。

 

 

BOYS TOWN GANG "Can't Take My Eyes Off You"

ご同輩の皆様もちろんご存じのアレ。涙ちょちょ切れる。このビデオは初めてみたけど、男性二人のダンス、じわじわくるわ~。これ見たさにリピートしてしまった。

 

 

 

網膜剝離記念のやっつけ記事、いかがでしたでしょうか。今に見ておれ、今度こそ完治させてやるぜ!

 

 

 

えー、タイトルどおりなんですが…

 

本日9月2日朝、網膜剥離術後の検査に行ってきた。ほんとは30日だったんだが、例のダラダラくそったれ台風の影響を考えて後ろにスライドさせたのだったが意味ナシ…どころか、結果的にこれが仇になったのか?今となってはもうわからんけど。

 

結論から言うと、また剥離してしまったため再手術・再入院。もうええて~。

 

 

明日3日午後手術でそのまま入院、5日退院見込み。そっからまた経過を見て…でイチからやりなおし。いったん組んでた仕事復帰の予定もすべておじゃんで組み直し。ハアァ~。

 

 

 

まあそんなわけなので、仕込みはじめてた記事もあるんですがいったん引っ込め、ブログ更新も状況を見てって感じになります。うつぶせならスマホ見たり読書してもいいっていうことだったんで、経過報告程度なら。まあやる気になるかどうかは微妙やけど…。

 

 

早くこんなパッチリおめめになりたいわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年5月4日、ノートさんラストラン@紀伊半島の2日目。自分で「吊り橋の日」って命名しているこの日、その数25本(笑)。ここまで吊り橋三昧になったのは、後にも先にもこの日だけやな~。

 

よって、この日のネタで記事にしているのも川根橋訪問記向山の吊り橋訪問記佐田の吊り橋訪問記中村橋とすべて吊り橋。もちろん今回も…。

 

 

つうわけで今宵ご紹介するのはそれらより後、夕方に訪ねたやつ。

 

 

 

まずはこれ。

ここは林道安川線。林道安川大塔川線からの分岐に車を置いて、歩いてるとこ。…とか言ったって通じる人はほぼいないと思うのだが。

 

 

 

 

 

歩くこと数分で、こんな場所に出た。

手前から歩いてきて、林道は左へカーブしていくのだが、右への分岐があった。ここを目指して、わざわざこのド山奥までやってきた(目的地はここだけじゃなかったが)

 

 

 

 

 

そちらには、

「法師山登山口」の掲示。地理院地図で、現在地こちら

 

ここはまさに地理院地図で見て、ここの橋はたぶん吊り橋じゃないか?と思ったところ。

 

 

 

 

 

航空写真モードでも確認できなかったので、こうして見に来たのだったが…

どうやらビンゴだったようだ。やったー!

 

 

 

 

 

ホクホクで正対。

低い主塔。この日もよく見たタイプで、そういう意味ではビジュアルに驚きはなかった。

 

 

 

 

 

長さは…30mほどかな?

が、高さは…なかなか。伝わりにくいだろうが。板切れ二枚分だけの床版がいかにも心細い…。

 

 

 

 

 

しかしながら実際は、パッと見て写真を撮って、ほとんど躊躇することなく渡り始めた。

なにしろここは、この日の吊り橋25本中の24本目。いわば、もう慣れてしまってましてね。

 

 

 

 

 

いやもちろん、安全に渡れる橋なのかという目視チェックはちゃんとした。

でもこのようにしっかりとメンテされてる状態だったので、安心して渡り始めたわけだ。

 

 

 

 

 

橋上から…って、

どっちがどっちかわからんぞ。たぶんこれが上流側かな。

 

 

 

 

 

そして、

これが下流側か。なんか高そう~っていうのは、伝わるだろうか。

 

 

 

 

 

こんなとこで万一のことがあれば、即死しなくても誰にも見つけてもらえない、ガチな山奥中の山奥。

即死した方がマシだったとか絶対イヤだ。慎重かつ大胆に渡った。

 

渡った先を左へと進むのが、法師山への登山ルート。記事を書くにあたり調べてみたら、ヤマレコとかにはけっこう山行記録も多く、それなりにポピュラーな山のようだ。じゃあ即死しなかったら助かる可能性もわずかながらあるか(笑)。

 

 

 

 

 

渡りきって正対。

向こうと同じく、残念ながら橋名やお誕生日などの情報は一切なかった。よって記事タイトルはこんな感じに。

 

 

 

 

 

ちょっと視座を上げてもう一枚。

小粒ながらもピリリと辛い、そんなテイスト。いいね。

 

 

 

 

 

あーしかし…

こういうガチな吊り橋、久しく渡ってないなあ。あの感触が恋しい。

 

 

 

 

 

いや~堪能した。

来て良かった。

 

 

 

 

 

渡り返してから、せめてものサイドアングル的ポジションで。

これが精一杯。この橋のサイドアングル撮影にはドローンしかない。

 

 

 

 

 

安川林道に戻っての振り返り。

もうどこに橋があるのか全然わからない。この「ひみつの橋」っぽさがまたいいんだな~ここは。

 

 

このあと林道安川大塔川線に戻り、ほど近い最終目的地へと向かった。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

2016年5月2日、石川県シバキまわしツアー2日目。この日のネタで記事にしているのはアリスの橋宮島隧道大岩橋梁地代隧道。今宵ご紹介するのはアリスの橋の45分ほど前に訪ねたトンネル。

 

 

まずはこれ。

目指すトンネルの手前、道端にこんなのを見つけて停車。これは、いわゆるひとつの…アレでは?場所はこちら

 

 

 

 

 

やっぱそうだな。

見るからに右下のは扁額。そう、訪ねたトンネルの名前は「真仏道(しんぶつどう)トンネル」といういわくありげなものなのだった。

 

左下のはなんだろう、よくわからなかったが、いずれにせよ旧隧道のものか?

 

 

 

 

 

一番デカい石碑、現地では例によってよく読まなかった。

そのことで時々後悔したりもするんだが、さて、この石碑には何と刻まれていたか。ちょっと長いが、目のリハビリを兼ねて書き出してみよう。

 

真仏道ニ思ウ

 

 往時 小野ヨリ西明寺ニ至ル道ハ、尾根ヲ越エ谷ヲ渡ル細キ道ナリ。大正期ニ入リ林産物ノ需要増大シ、搬出路改良ノ必要ニ迫ラレ、幅員二・七米ノ林道開設ニ着手ス。尾根越エノ難所ハ延長百米ノトンネル掘削ヲ試ミルモ、人力ニノミ頼ル難工事ニテ、苦節九年ヲ要シ昭和三年十月漸クニシテ開通ス。

 コノ道路開削ノ爲、村人ノ説得、県ヘノ度重ナル請願等ニ渾身ノ情熱ヲ傾ケタル人有リ。小野ノ西照寺二十七世住職小野世雄師ナリ。

師ハ篤ク仏法ニ帰依スル身トシテ、仏ノ加護ヲ謝シ「真仏道」ノ名ト「爲衆開法蔵・広施功徳宝」ノ経文ヲトンネルニ掲ケラル。当時県下有数ノトンネルノ完成ニ近郷在住ノ人々驚嘆シソノ偉業ノ経緯ヲ今ニ語リ伝ウ。

 幾星霜ヲ経タル今日、国・県ノ尽力ニヨリ幅員八米ノ大改良成ル。喜ビ真ニ深甚ニシテ懐旧ノ念ニタエズ、茲ニ由来ノ大要ヲ記ス。

平成三年七月

福岡町

小野自治会

 

 

 

 

 

なるほど。通常なら小野や西明寺といった地名が当てられそうなところ、

この一風変わった名称は、林道/隧道開削に尽力した小野住職による命名だったいうことか~。で、平成初期に大改修を受けたが、オリジナルは延長100m、幅員2.7m(これは林道の幅員だが)だったと。

 

 

 

 

 

で、上のは扁額だったはずだが、もう一つのこれ。

小野住職が隧道に寄せた、「爲衆開法蔵 広施功徳寶」が刻まれた銘板。

 

お経的に読むと「いーしゅうかいほうぞう こうせーくーどくほう 」となるようで、調べてみたら「仏は人々のために教えの蔵を開き、功徳の宝を広く施す」という意味だそう。

 

これはどういう位置に掲げられてたんだろうか。改修前の姿が見てみたくてネット上を探してみたのだが、今のところ収穫ナシ。

 

ひとつ気になるのが、この銘板にガッツリと「昭和二年十月竣工」と刻まれているのに対し、石碑では「昭和三年十月」と一年の誤差がある。おそらく石碑の間違いだと思われるが…。

 

 

 

 

 

さて、そんな改修後の真佛道トンネル。

かつては「隧道」というワードの方が似合う素敵なビジュアルだったのだろうな~。

 

 

 

 

 

北陸でよく見る、一文字ずつのパネル扁額。

なんかメタリックでカッコいい。

 

 

 

 

 

銘板があったが、

もちろん改修時のものだ。こちらは「仏」だが正式名称は「佛」?

 

延長は125mとある。石碑によればオリジナルは100mだったそうだから、けっこうガッツリ掘り下げられたのだろうか。

 

 

 

 


てか、さっきの写真の土被りの薄さを鑑みるに、

もしかして一旦開削されて今の姿に仕上げられた、実質的なスノーシェッドみたいなもんなのかもしれない。

 

 

 

 

 

抜けて、東側(西明寺側)坑口。

やっぱりそんな気がする。実質スノーシェッド。これ、地形も相当変わってしまってるかも?

 

 

 

 

 

最後に、名付け親たる小野住職がおられた西照寺。トンネル北側の小野集落の県道に面して、もちろん今もある。

立派なお寺だ。

 

お寺のそばに石碑があり、よく見てみると「日本の福祉の父 小野太三郎翁生誕の地」とある。恥ずかしながら知らなかったのだが、1840(天保11)年生誕・1912(明治45)年没、社会福祉事業を個人としてわが国で最初に行ったのがこの人なのだという。ウィキ先生などでは金沢生まれとなっているが、まあそこは掘り返さない。

 

同じ小野姓、小野世雄住職の直接のご先祖なのかどうかはわからないが、こうした偉大な係累の人物に影響されて、地域のために尽力する人柄の土台が出来上がったのかもしれない…なんて思った。勝手な感想だけど。

 

 

 

以上。