2020年6月29日、出張で福岡入りした後、仕事までちょっと時間があったので、ホテル近くをぶらついた際に見つけた橋をご紹介。
スマホで地図を見ていて、聖福寺という大きなお寺に石橋がありそうだったので、お参りしてみた。
入っていくと…
あ、あれか。なかなか立派な石橋だ。
橋の方へ曲がろうとして、
ふと…おや?
ねこ2匹。
ひんやりした石段で涼んでる~。可愛い~。
で~、
橋の方に向き直り。
改めて正対。場所はこちら。
右の親柱?に「通津」と。後日先人の記事など調べてみるに、これが橋名らしい。
で、左の親柱の「高砂」。
側面には「大正七年」の文字も見える。
これも後日調べてみたところ、「明治26年(1893)3月に博多の有力者が発起人となり設立された組織」である「博多高砂連」のことらしく(ウェブ「田舎暮らしdeほっ!」様より抜粋。ありがとうございます!)、「連」の一文字が埋まって「高砂連」のようである。
博多高砂連が大正七年に寄進した石橋、ってことなんだろうか。あるいは石橋はもっと古く、寄進したのは高欄部分なのかも。
ちなみにこの博多高砂連は、現在も存続している団体だそう。
立派な太鼓橋だが、
人が渡りやすいように石段が追加されている実用性がいいね~。案外珍しいような…って、あらら?
おおお、
こんなタイトな陰にもねこおるやーん。可愛いって~。
橋上からの景。
ここの放生池はひょうたん型をしているので、瓢池とも呼ばれているとか。
反対側。
ねこにしか目が行かない(笑)。
渡って正対。
あ、こっちは「連」まで見えてますな。
サイドぎみアングル。
最後、逆サイからも。
うーん、
最後までねこに引っ張られてしまった。なんとも可愛い。…わたくし特段ねこ好きでもないんだけどなあ(笑)。
さて、明日21日から、今度はこの福岡に出張に行ってきますよ。この記事の年以来だから、3年ぶりか。体調が戻りきったわけではないんだけれども、今回は24日戻りと短いので、まあ大丈夫でしょうと。
2023年3月3日に敢行した「三鷹見たか?」。「33」だけに「三(3)鷹見(3)たか?」…
この日訪ねた唯一の物件をご紹介する。
JR中央線三鷹駅から、南側線路沿いを西へ。
「電車庫通り」の名の示すように、三鷹電車区が広がっている…って、現在は三鷹車両センターっていうようですな。
そんな「電車庫通り」を進むことしばし…。
目的のブツが見えてきた。
はい、これ。
この古めかしい跨線橋が目的のブツ。現在地はこちら。
上の写真右端に見切れたあたりに立っているのがこの看板なのだが、
だいぶ見にくくなっちゃっている。
これは「太宰が生きたまち 三鷹」というテーマの元、太宰治ゆかりの場所に立てられた看板で、ここは「陸橋(跨線橋)」として、
「中央線の上にかかる陸橋に友人を案内することもありました。この陸橋は、一九二九(昭和四)年に竣工した当時の姿を今も留めています。」
という解説文が書かれている。
この階段を下りる人物の写真も載せられているが、
これが太宰の姿なのかどうかは不明…たぶんそうなんだろうけど。
そして、階段側面には、気になる掲示が。
こちらは各自お読みいただきたいが、大事なのは最後、「なお、今後、老朽化などにより通行できなくなる場合があります。ご理解とご協力をお願いします。」の部分だ。
つまり、いつ通行止め→解体撤去となってもおかしくないという、
予断を許さない状況ということで、
これはぜひともこの機会に見て、
渡っておきたかった。
つうわけで、
いつもにも増して、執拗な感じでお送りしております(笑)。
ではさっそく、
お邪魔していきましょ~。
古びたコンクリートの階段、
まさかオリジナルのままではないだろうけど、いい風合いだ。
なんかいいね~、
この階段上の出会い部分。
サイドアングルで撮れる場所が案外ないんだが、
古レール製のプラットトラス!
広い車両センターを渡るだけに、
長~い!全長は93mとのことだ。
人がいないタイミングで撮ってるが、
それなりに人通りはある。また休日ともなれば、車両センターを見に来る親子連れなんかがたくさんいるのだそうな。
その、三鷹車両センター。
これは西側(武蔵境方)。
ところで、
これなんだろう?
これは照明かな?
これは車両センターの
東側(三鷹方)。
中央やや北寄りに、
ゴツイ鉄骨で組まれた、ちょっと不思議な区間が。これどういう状態なんだろう?後ほどサイドアングルでご覧いただく。
こういうとこも
古レール。
渡りきって…
振り返り。
93mは伊達じゃないね。
こちら、
東側(三鷹方)。
そしてこちら、
西側(武蔵境方)。
こちらに降りまして…
サイドアングル…けど入りきらない~。
で、これが先ほどの、大きな鉄骨のワンスパン。
ここはなんだろう。オリジナルの仕様ではなさそうだが、後年の橋脚補強ということなんだろうか。
こういうとこも、全部古レール。
いいね~。
実はこの跨線橋、解体撤去されることはすでに決定している。
序盤に紹介した看板に書かれていたように、この跨線橋の三鷹方に地下道ができていることで、JR東日本としてはすでに中央線の南北を結ぶ通路としてのその役目を終えているという認識ではあったものの、太宰がらみの歴史的背景なども含め、保存を願う声も根強く、三鷹市とJRの間で折衝が続いていた。
そんな中、JR側は解体撤去の方針を明確にした上で、三鷹市への無償譲渡の提案。つまり、これを三鷹市が拒否すれば、解体撤去が決定するということだ。
しかし三鷹市としても、耐震基準も満たしていない年代物の跨線橋の補修、維持管理のランニングコストを考えれば、安易に受け入れるわけにいかないことは当然で。
結果、三鷹市は譲渡を拒否し、JRの解体撤去方針受け入れを返答し、跨線橋の運命は決まった。
これが確か2021年の話(当時のネットニュースで読んだ記憶あり)なので、解体を待ったまま2年ほどが経過している状態。中央線の、しかも車両センターを跨ぐ長大跨線橋の撤去ともなれば一大作業になるだろうから、タイミングを計っているのかな。予算計上の都合もあるだろうし。
このJRによる注意看板は、
いつでも作業にかかれるための「最後通牒」なんだろうな…。
最後に、戻りに撮った動画を。
実は訪問時点で撤去が確定していることはわかっていたので、記録に残すつもりで撮った。最後のほう、人が映りこみすぎてわちゃわちゃしてるけど(笑)。
以上。
残暑お見舞いに夏の一曲!ってことでね。
一昨年の夏に記事にしたコチラ、真心ブラザーズの”サマーヌード”。もし聴いたことない方は、ぜひお試しを。マジでいい曲なので。ちなみにMVには、メジャーデビュー前のPUFFYも全面的に登場しておりますよ~。
サマーヌード、わたくしにとって大切な、夏のド定番なんだが、今回もう一曲ご紹介するのは…まあ知らない人はほぼいないであろう名曲!
プリプリの”世界でいちばん熱い夏”。いやこれはもう鉄板でしょう~。めっちゃだっさいMVだけれど、まあ時代ということで(笑)。
これたしかプリプリけっこう初期のシングルだったと思うんだけども、恐ろしく良くできた曲っすなあ…と調べてみたら、1987年、奥居(現・岸谷)香の作品だったのでさらに驚き。当初、アイドルバンド的な出自だったと思うんだけど、これだけのクオリティの作品を自作できる才能があれば、そりゃあ遅かれ早かれ売れるわと。「いちばん熱い」と言いながら、個人的には夏の早朝の爽やかさを感じるかな。
しばらくこの曲聴いてなかったわ、という方、改めてどうぞ。大学●回生のあの夏が蘇る…。
あ、そいえば、大学●回生って言い方って、関西だけらしいですな?普通は大学●年生、なんだとか?ついこないだ知った。
今日は、京都のお盆の最終日。ギリで、今日やらなあかんネタを思い出した。危なかった~。Kさんに教えていただいて知ったネタだったなあ~。
2020年8月14日、盆休みの一日、早起きして奥様と二人で京都の大谷祖廟へのお墓参りがてら、その物件を訪ねた。かなり異色な物件かと。
その物件は、
この道の先にあるはず。
あー、
あれか!
つうわけでこれが、
今宵のお題。かなり意外な物件ではございませんか?場所はこちら。北側より。
ご覧のように、
道路に架かる架道橋。
見上げてもわかると思うが、
人道サイズである。
南側はもう、
ワッサ~!と。
これがどうした?っていうお声もあろうかと思うが、これを見ていただきたい。
この橋を所有する大漸寺さんが掲示されている、必読の説明書き。ちょい長いが書き下してみる。
この橋は「宝輪橋」(旧極楽橋・霊山橋)と言い、およそ九十五年前の大正十一(1922)年八月にできた橋である。
霊山浄土へ五歩で渡れる。どちらから渡っても彼岸(この世においても心に迷いのない世界)に渡れるという。
渡る前「南無」と唱えて霊山へ
「妙法蓮華」と五歩目の「経」たり
歩幅の狭い方は、七歩・十歩でお渡り下さい。
この橋は、下(宝林小路)を人や車が通る道に架かる鉄筋コンクリートの歩道橋としてはかなり古い。
京都山科の疎水(川)に架かる橋は、明治三十六(1903)年七月で国内最古。鉄道を渡る陸橋としては、明治三十一(1898)年の静岡の清見寺跨線橋が最古(補強修復されているためか日本最古とはなっていない)。故に、人や車が通る道(二項道路)に架かる鉄筋コンクリート橋としては日本最古の橋かも?
もし、ここより古い橋がありましたらご一報ください。
大漸寺
いや~大漸寺さん、
マニアックでありますね(笑)!ご住職、こういうの(土木系ネタ)がお好きなんだろうか。
以前に松室大橋の記事で書いたのだが、橋梁における「日本最古」ってどんだけでも細分化が可能で、大漸寺さんの主張通り「鉄筋コンクリートの架道人道橋」という非常にニッチな部門であれば、マジでここが日本最古である可能性はじゅうぶんあると思う。
この橋は明確な完成年がお寺の記録として残ってるのだと思うが、一般的にはなかなか人道サイズの架道橋でそうした記録がしっかり残ってるものって少ないのかも?
にしても、「もし、ここより古い橋がありましたらご一報ください」ってのがイイっすな。家電量販店とかスーパーのチラシみたいで(笑)。
さっそくお寺にお邪魔して、
渡ってみる。
これかあ~。
確かに五歩で渡れそうだ。
とはいえいつもの悪い癖で、さっきの案内掲示を見た際に歩数のことは全然目に入っていなかった。
なので、自分が何歩で渡ったのかは不明っていう…(笑)。霊山浄土には行けなかったのだろう。
親柱には何か刻まれているように見えたが、
全く判読不能。
完成から、訪問時で98年、本記事公開時では101年。
そこまで古い橋には見えないが…鉄柵が追加されてるので雰囲気がいまいちなせいかも?
橋上から見下ろす道路。
案内板によると宝林小路というらしいこの道路、
この先に石段があり、
車の通り抜けは不可能である。
訪問日は8月14日、そして本記事公開は8月16日。この時期、橋をお精霊(しょらい)さんたちが行き来しているのだろうか。
どうも、お邪魔致しました。
お寺を辞したのと同時に、
檀家に向かわれるのか、若いご住職が出て行かれた。
せっかくにこやかにご挨拶くださったので、急いでらっしゃる様子でなければ、橋の話を聞きたかったところだけれど、まあお忙しいわな、お盆なんだから。ちなみにこの時、8時1分~。
つうわけで、お盆終わりに相応しいネタ、よくぞ思い出したなわたくし。自分をほめてあげたい(笑)。

































































