2023年3月3日に敢行した「三鷹見たか?」。「33」だけに「三(3)鷹見(3)たか?」…
この日訪ねた唯一の物件をご紹介する。
JR中央線三鷹駅から、南側線路沿いを西へ。
「電車庫通り」の名の示すように、三鷹電車区が広がっている…って、現在は三鷹車両センターっていうようですな。
そんな「電車庫通り」を進むことしばし…。
目的のブツが見えてきた。
はい、これ。
この古めかしい跨線橋が目的のブツ。現在地はこちら。
上の写真右端に見切れたあたりに立っているのがこの看板なのだが、
だいぶ見にくくなっちゃっている。
これは「太宰が生きたまち 三鷹」というテーマの元、太宰治ゆかりの場所に立てられた看板で、ここは「陸橋(跨線橋)」として、
「中央線の上にかかる陸橋に友人を案内することもありました。この陸橋は、一九二九(昭和四)年に竣工した当時の姿を今も留めています。」
という解説文が書かれている。
この階段を下りる人物の写真も載せられているが、
これが太宰の姿なのかどうかは不明…たぶんそうなんだろうけど。
そして、階段側面には、気になる掲示が。
こちらは各自お読みいただきたいが、大事なのは最後、「なお、今後、老朽化などにより通行できなくなる場合があります。ご理解とご協力をお願いします。」の部分だ。
つまり、いつ通行止め→解体撤去となってもおかしくないという、
予断を許さない状況ということで、
これはぜひともこの機会に見て、
渡っておきたかった。
つうわけで、
いつもにも増して、執拗な感じでお送りしております(笑)。
ではさっそく、
お邪魔していきましょ~。
古びたコンクリートの階段、
まさかオリジナルのままではないだろうけど、いい風合いだ。
なんかいいね~、
この階段上の出会い部分。
サイドアングルで撮れる場所が案外ないんだが、
古レール製のプラットトラス!
広い車両センターを渡るだけに、
長~い!全長は93mとのことだ。
人がいないタイミングで撮ってるが、
それなりに人通りはある。また休日ともなれば、車両センターを見に来る親子連れなんかがたくさんいるのだそうな。
その、三鷹車両センター。
これは西側(武蔵境方)。
ところで、
これなんだろう?
これは照明かな?
これは車両センターの
東側(三鷹方)。
中央やや北寄りに、
ゴツイ鉄骨で組まれた、ちょっと不思議な区間が。これどういう状態なんだろう?後ほどサイドアングルでご覧いただく。
こういうとこも
古レール。
渡りきって…
振り返り。
93mは伊達じゃないね。
こちら、
東側(三鷹方)。
そしてこちら、
西側(武蔵境方)。
こちらに降りまして…
サイドアングル…けど入りきらない~。
で、これが先ほどの、大きな鉄骨のワンスパン。
ここはなんだろう。オリジナルの仕様ではなさそうだが、後年の橋脚補強ということなんだろうか。
こういうとこも、全部古レール。
いいね~。
実はこの跨線橋、解体撤去されることはすでに決定している。
序盤に紹介した看板に書かれていたように、この跨線橋の三鷹方に地下道ができていることで、JR東日本としてはすでに中央線の南北を結ぶ通路としてのその役目を終えているという認識ではあったものの、太宰がらみの歴史的背景なども含め、保存を願う声も根強く、三鷹市とJRの間で折衝が続いていた。
そんな中、JR側は解体撤去の方針を明確にした上で、三鷹市への無償譲渡の提案。つまり、これを三鷹市が拒否すれば、解体撤去が決定するということだ。
しかし三鷹市としても、耐震基準も満たしていない年代物の跨線橋の補修、維持管理のランニングコストを考えれば、安易に受け入れるわけにいかないことは当然で。
結果、三鷹市は譲渡を拒否し、JRの解体撤去方針受け入れを返答し、跨線橋の運命は決まった。
これが確か2021年の話(当時のネットニュースで読んだ記憶あり)なので、解体を待ったまま2年ほどが経過している状態。中央線の、しかも車両センターを跨ぐ長大跨線橋の撤去ともなれば一大作業になるだろうから、タイミングを計っているのかな。予算計上の都合もあるだろうし。
このJRによる注意看板は、
いつでも作業にかかれるための「最後通牒」なんだろうな…。
最後に、戻りに撮った動画を。
実は訪問時点で撤去が確定していることはわかっていたので、記録に残すつもりで撮った。最後のほう、人が映りこみすぎてわちゃわちゃしてるけど(笑)。
以上。