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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【重大追記あり】

 

2023年4月19日に敢行した、羽村~青梅・地味~ズツアー。先日記事にした青11号橋はその後謎の大フィーバー、めっちゃ多くのアクセスがあったんだが、その理由は謎なまま。こういうのが気になってしようがない~。

 

 

まあそれはさておき、本日のネタは同じ日に偶然見つけたものなんだが、まあ…文字にするのはこのご時世、アウトなようなんで、写真に語っていただこうと。

 

 

 

 

 

 

 

これ、すでに廃業されてる雰囲気だったのでこうして記事にしてるのだが、営業中やったらどうしよう(笑)。けど仮に営業中だったとしたら、この名前には指導が入ったりすんのかなあ。

 

 

【重大追記】

今さら気づいたのだがこのお店、グーグルマップで見たところ、ちゃんと営業されているらしい。これは大変失礼。ならばいっそ、こうしてリンクを貼っとこう。カラオケ好きな方はぜひどうぞ。

 

 

これが民家なら記事を消すところだが、お店なんで…。

 

 

 

余談だが、その昔、京都府福知山市の国道9号沿いにも同名のお店があったなあ…と思ってストビューで思い当たるあたりを見てみたが、もうなくなっていた。全国的には同名店舗、いくつか見つかりそうな気がするな。

 

ちなみに名称こそないが、以前こんなのを記事にしてたり。

 

 

 

 

 

 

ロケ地:東京都羽村市某所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【2】より続く…とはいえ完全に別件、かつめっちゃコンパクトに終わるが。

 

 

 

「琵琶湖の水が止められる場所」三か所のうち残る二か所は…見当ついてた方もおられようが、琵琶湖の水を京都へと運ぶ「琵琶湖疎水」である。

 

 

まずはこちら、

1890(明治23)年完成の、第一疎水取水口。場所はこちら

 

往時の面影はないけれど左端が取水路で、正面のフェイク煉瓦三連アーチと建屋は、琵琶湖疎水第一揚水機場である。

 

 

 

 

 

そしてこっちが、

1912(明治45)年完成の第二疎水、その取水口。場所はこちら

 

いずれも、導水路や隧道の点検などで、定期的に通水を止めて…つまり「琵琶湖の水を止めて」いる。

 

 

 

 

 

これは蹴上の大神宮橋(場所こちら)で見た、

通水の止まった第一疎水の姿。つまりこれ、「琵琶湖の水止められた」現場写真ともいえる(笑)。

 

余談ながらこの写真の撮影位置、左京区と山科区と東山区の「三区境」になる。

 

 

 

 

改めて言おう。

実は琵琶湖の水は「チョイチョイ止められてる」のだ。

 

 

 

 

ビシッと言いきって、以上!

 

 

 

 

【1】より続く。

 

 

 

では、ちょっと旧洗堰に接近してみよう。

とは言っても、この時は時間の都合であちら左岸側遺構には行けず。

 

旧洗堰の左岸側遺構は、現在「水のめぐみ アクア琵琶」という施設敷地内にあり、接近はできるが立入はできない。つうわけで、このまま右岸側遺構へ接近する。

 

 

 

 

 

遺構手前の護岸からして、

すでに煉瓦積み。二枚上の写真を見る限りは左岸側も同様か。

 

 

 

 

 

そして~。

きました!

 

たった一門分のみながらも、その仕様がよくわかる。見にくいが、角材を落とし込んでいたのであろうスリットも見えるし。

堰上は現洗堰と同じく、渡れるようになっていたのだろうか、古い橋のような見た目になっている。

 

 

 

 

 

「南郷洗堰(旧瀬田川洗堰)のあらまし」という解説看板。

これはまあなんとか、各自でお読みいただいて(笑)。

 

 

 

 

 

その中にある、「在りし日の洗堰」写真。

すご。やっぱ壮観だったんですなあ。ちなみに石碑は「皇后陛下行幸記念碑」で、洗堰とは無関係。

 

 

 

 

 

「在りし日」とよく似たアングルで一枚。

近場すぎて訪ねたことないが、対岸(左岸側)遺構もそのうち見に遺構…もとい、行こう。

 

 

 

 

 

現在はこのように、

旧洗堰上に立ち入ることはできない。まあ当然ですな。

 

 

 

 

 

 

ここから振り返る、

現洗堰の勇姿…って、ド逆光ですやん。ギャフン!

 

 

以上、「琵琶湖の水を止められる(止めてきた)」新旧の瀬田川洗堰をご紹介いたしました。

 

 

 

 

 

 

もののついでに、残り二ヶ所についても【3】で。

 

 

 

 

 

今ならまだ間に合うネタをやっておこう…滋賀ケンミンとして。

 

 

 

大ヒット上映中の「例の映画」により改めてスポットライトが当たっている(?)滋賀県民のキラーフレーズ「琵琶湖の水止めたろか」

淀川水系の源であり、京阪神1,100万人の水がめとなっている琵琶湖を抱える滋賀県民が、主に京都大阪府民によるディスりに対して抜き放つ伝家の宝刀…とされてるけど、実は久しく聞いたことない(笑)。けど間違いなくかつて自らの耳で聞いたことある、都市伝説ではなくホントの話だ。

 

 

そんな前フリから、

まずはこれ。

 

 

 

 

 

ここはなぁに?って、

こういうところだ。

 

国土交通省 琵琶湖河川事務所。「琵琶湖の水を止める」を実行に移せる公的機関だ。敵に回したらおしまいでっせ(違

 

 

 

 

 

マジな話、実際に「琵琶湖の水を止められる」場所は三か所ある。そのいずれもが滋賀県の管理ではないので、実際のところ滋賀県に琵琶湖の水を止めることはできないというのが、いかにも滋賀県らしい悲しい現実なんだが、

 

一般的に(何がやねん)「琵琶湖の水止めたろか」といえば、まずここ。河川事務所のすぐ横にある、この「瀬田川洗堰(せたがわあらいぜき)」。

つうか、河川事務所が洗堰のたもとにある、って方が正しいな。現在地こちら

 

そしてもちろん、この瀬田川洗堰を管理しているのが、琵琶湖河川事務所なんである(多くの担当事業のひとつにすぎないけど)

 

 

琵琶湖には多くの河川が(事務所HPによれば117本の一級河川が)流れ込んでいるが、出ていく天然河川はこの瀬田川一本のみ。利水/治水上、いかにここでのコントロールが重要であるか、素人にも想像できる。

 

 

 

 

 

洗堰は10門の上下二段式ゲートで構成されており、

この日は両端のゲートから越流していた。

 

 

 

 

 

堰上には滋賀県道108号南郷桐生草津線が通っており、

歩道から間近に施設を観察することができる。

 

 

 

 

 

まあ素人なので、

 

どこをどう撮ったら正解なのか、

 

よくわからないんだけれども。

 

 

 

 

 

以前この記事で少し書いたが、

琵琶湖と瀬田川の境界を示す河川境界標識はJR東海道本線瀬田川橋梁の150mほど北側にあり、洗堰からだとおよそ6.5kmほど上流に位置する。なので洗堰は位置的にも地形的にも完全に瀬田川上ではあるが、実情としては「ここまでが琵琶湖の水」ってイメージかな。

 

で、近年だと2013年9月に、実際にゲート全閉…つまり「琵琶湖の水が止められた」ことがあった。改めて調べてみたら台風18号による記録的大雨で、下流にあたる宇治川の氾濫を防ぐためだったようだが。そうなのよ、実は琵琶湖の水は、「たまに止められてる」のだった。

 

 

 

 

 

で、上の写真で、瀬田川両岸に何か見つけた方、鋭い。

こちら左岸。

 

 

 

 

 

そして、こちら右岸。

あれらこそは、1904(明治37)年完成の初代洗堰の遺構である。


見てわかるように、煉瓦と切石で構成された水門。あれが実に32連!並んでいたそう。水門にゴツイ角材を落とし込んでその高さで流量調節を行い、全閉にまる二日、全開にまる一日を要するという、多大な労力が求められるものであったとか。それでもその治水効果は目覚ましく、現洗堰の完成する1961(昭和36)年まで50年以上、役割を果たし続けた。

 

立地的(治水的)に一部が残されているだけでもありがたいが、あれがもしオリジナルの姿で現存していたら…国宝指定もまんざらじゃないほどの土木的価値があったのじゃないかと思う。…知らんけど。

 

 

 

 

 

東側へ渡りきってのゲート側全景。

こちら側が「琵琶湖の水」だ。

 

 

 

 

 

ゲートのすぐそばには、

このようなレールが敷設されていた。メンテ時や作業時、何かを転がして運搬するんだろうか。

 

 

 

 

 

県道橋としての親柱、

「瀬田川あらいぜき」。

 

わたくしの感覚では、これをこの名で呼ぶ人はあまりいなくて、地元民は「南郷洗堰」と呼んでると思う。実際、この県道起点である国道422号との交差点名称も「南郷洗堰」だったりするし。

 

 

 

 

 

はい、こちらは

「瀬田川の水」として流れていくわけだ。まあ当然同じ水なんだけど。

 

 

 

 

【2】では、ちょっと旧洗堰に接近してみよう。

 

 

2023年11月25日、中国地方TSHO周遊の三日目・最終日。その昼下がりに訪ねた橋をご紹介。

 

 

いきなり、ドン。

かなり斜めってるこの橋、最終日メインターゲットのひとつだった。

 

Q地図によると、お名前は寺迫橋。残念ながらお誕生日は不明。場所はこちら

 

 

 

 

 

なにしろ…

この個性的な高欄!

 

およそそう簡単には思いつかなそうな、中央が高く尖った造形が素敵すぎる~。

 

 

 

 

 

残念ながら、アスファルト舗装によって埋まりがちで、

この北側(上流側)は親柱半分近く埋没してしまっていた。

 

 

 

 

 

その上流側からのサイドアングル。

アスファルトの干渉を受けない外側からだと、高欄の全貌がよくわかる。まるで、二種類の高欄がひとつに溶け合ったかのような印象。

 

 

 

 

 

そして下流側からも。

中央が尖った上部が目立つけど、よく見ると下部の高欄、ゆる~くラウンドしてアーチ形状になっている。芸が細かい!

 

 

 

 

 

いや~、

ええわ~。

 

 

 

 

 

東側より正対。

車の停めやすい立地もありがたし(笑)。

 

 

 

 

 

先述のとおり、

お誕生日は不明なんだが、

 

 

 

 

 

おそらくは

昭和初期の戦前橋ではないかと思う。

 

 

 

 

 

最後に、とんがり強調。

いや~、デザインした人キレてるな~。めっちゃカッコいい。

 

 

 

 

過去見た高欄の中でもかなり奇抜な部類に入る寺迫橋。近所にもこういう橋が欲しい…(笑)。

 

 

 



以上。