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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2022年5月4日、ノートさんラストラン@紀伊半島の2日目。この日のネタで記事にしているのは、時系列で向山の吊り橋訪問記佐田の吊り橋訪問記(※)

今回記事にするのも同じく吊り橋訪問記、しかも向山の吊り橋の直前のこと。この日はほんと「吊り橋の日」だったので。

 

(※)これ「S田の吊り橋」というタイトルで公開していたが、別に伏字にする必要もないかな~と思えてきたので、はっきり地名を出すことにした。

 

 

 

 

まずはこれ。

この日の他の物件と同じく、ここも航空写真で見つけていたもの。これに行きたい、渡りたい。

 

 

 

 

 

ただこの吊り橋(も)、国道からは全然見えない。現場到着後、改めてスマホで航空写真を拡大してチェックし、

この辺からでしょ~と。現在地は…冒頭の航空写真でお察しを。

 

 

 

 

 

ここからは、

段々畑の間の、私有地感漂う細道を往く。

 

 

 

 

 

気が引けるが、立入禁止的な表示は一切なかった。

方向的には着実に橋の方向に向かってるので、信じて進んだ。

 

 

 

 

 

上の写真らへんで振り返った景。

時間はまだ早朝6時前、集落はまだまどろんでいるよう。

 

方向は橋に向かっているが、日置川本流はけっこう下。橋に取り付くにはどこかで下りに転じるはずだ。

 

 

 

 

 

道はだんだんと心細くなりながらも、

続いていく…。

 

 

 

 

 

続いていく…。

 

 

 

 

 

続いて…

いなーい。

 

ずっと橋の方向へ、左へ左へと巻いてきた細道は、突然に激藪とネットで遮られて終了。マジか。

 

 

 

 

 

再度スマホで位置を確認すると、垂直位置ではほぼ橋の至近にいた。つまりは…

ここを降りていくってことで。

 

右上方面からやってきた。今から左奥へ進んでいく。

 

 

 

 

 

崖に近い急斜面だったんだが、

伝わらんな~。

 

 

 

 

 

しばらく降りたところで、

おおっ!!なんか見えたぞ~!あれは間違いないんじゃ!?

 

 

 

 

 

位置を調整して、ズーム。どれどれ…

キターーー!!

 

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

先月やるのを忘れてたこのシリーズ(笑)、

 

 

今宵は一発ネタ。

なんでこの名前にしたの?

 

 

「カラオケとろっこ」。

 

 

いやマジで、なんでこの名前にしたのよう~。

 

 

 

 

ロケ地は伏せるけどトロッコ好きの皆様、いかがでしょうか(笑)。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

旧隧道前から現道に戻ってきた。

ちなみにこの道路は、大分県道52号別府庄内線。

 

 

 

 

 

そしてトンネルのお名前は、

畑田トンネル。2005年10月とある。

 

探索当日は、当然ながら先ほどのは「旧・畑田隧道」だと思っていたのだが、後日の調べで複数の先人が「猪野隧道」とされているので、記事タイトルはそれに倣った。

 

延長193m、また束の間の涼しさを感じてありがたかったが、なぜか風の抜け具合が先ほどの猪野隧道ほどではなく、あそこまでの極楽感はなかったと記憶している。隧道径の問題なんだろうか?

 

 

 

 

 

で、こちらは抜けてちょっと進んだところからの振り返り。

この写真だけ見れば、絶対右に進みたくなるが、

 

 

 

 

 

実際は、

この地味~な直角分岐。これまた旧道オーラがない。

 

 

 

 

 

まともな道に見えたが、

すぐにアヤシイ雰囲気に。

 

 

 

 

 

事前の地図読みでも印象的だった、

この直角ターンで山へと向けば…

 

 

 

 

 

おおお、雰囲気あるねぇ!

ここでもう肉眼では見えていた。

 

 

 

 

 

これが猪野隧道、別府側(北側)坑口。

こちらも庄内側(南側)と同じく簡易封鎖、そしてポータルがなくて扁額・銘板の類がないのも同様。

 

またも涼みながら、いろいろ撮りまくったのだが、前回と似たような写真ばかりなのでほぼ全カット(笑)。

 

 

 

 

 

一点、向こうにはなかったものが気になったのは、これ。

これは…大型車の荷室がガリっといった?

 

いや、角を擦りそうなところだけじゃなくほぼ天井部全面に痕があるから、そうじゃないか。地層のラインの脆いところから風化して行ってる、その痕跡とかか?

 

なんでしょうね?

 

 

 

 

 

あとこちら側の照明には、

アミアミの保護カバーが付いてるな。間違い探しか(笑)。

 

 

 

 

 

いや、なかなか。

ステキな隧道でありました。

 

 

 

 

 

最後に一点。

こちら側の旧道は、こういう感じになっている。これまた現道のおかげで雰囲気なくなってるけど。

 

 

 

この後、次なるターゲットに向けて進軍したが、これがまたしんどかった。まあそれはまたいつかの記事にて。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

2023年7月30日、大分出張中の休みに敢行した「駅から探索」でのナンバーワン物件を、二回に分けてご紹介。折から体調が悪かったのが回復して探索に踏み切ったものの、結果的にこの探索のせいでまた悪化したっけ。

 

 

 

大分から久大本線で30分少々の天神山駅で下車、橋を一つ訪ねたあと、次なるターゲットが今回ご紹介する隧道だった。

 

ダイジェストでも書いたが、この日は曇り予報だったはずなのに、フタを開ければカンカン照り。直射日光にヤラれながら見えてきたのが、

まだきれいな近代トンネル。その手前の旧道に分け入る。現在地はこちら

 

旧道っぽく見えないほどにオーラがない。現道ができたときに擦り付けのために削られたものと思われる急坂とコンクリ擁壁のせいだ。

 

 

 

 

 

その急坂をすぎれば、

「安心してください、旧道ですよ!」感。

 

 

 

 

 

ほどなくして、

あー、あった~。

 

 

 

 

 

カンカン照りが作り出す濃い影の中にわだかまる、

雰囲気ある旧隧道。いいね。「全面通行止」の立て看板と共に簡易封鎖されている。

 

いいねといいながら、実は現場では「やっと日差しをかわせる~」という安堵感が大きく、喜び勇んで隧道前へ…接近しながらもすぐにそれを肉眼で捉えた。

 

 

 

 

 

うおおお、

なんぞこれ!?

 

 

 

 

 

坑口手前の岩盤がくり抜かれ、

その中に石碑が収められている。その足元にはお地蔵様も。これは隧道記念碑か?

 

隧道記念碑自体は珍しいものではないが、概して隧道から数十m程度離れたところに建立されていることが多い。こんな坑口脇に、しかも岩盤をくり抜いて設置されているなんて、わたくしの経験値ではたぶん初めて?

 

 

 

 

 

残念ながら、写真は鮮明ではない。

現場では最上段の「隧道発起人」が読み取れたので、隧道記念碑ではなく発起人の顕彰碑なのかと理解した。左側の「昭和十一年三月」が竣功のタイミングか?

 

 

 

 

 

記事を書くにあたり、最下部の碑文を拡大してよくよく見てみた結果、おおむね内容が判明した。まずは拡大写真。

わかりやすい位置で改行して書き下すとこのような内容である。

 

本道路ハ匡救(きょうきゅう)事業第二期線ニシテ

切取工事ノ豫(予)定急●ナル爲(為)

甲斐金吾氏ハ多額ノ私財ヲ提供シテ隧道ニ●●シ

昭和十年三月着工十一年三月竣工セリ

(ここ)ニ刻シテ後世ニ傳(伝)

 

なるほどなるほど。前半はいまいち背景がわからないが、ニュアンスはわかる。これにより、非常に達筆で判読しがたかったメインの碑文が判明した。ほぼ間違いなく「甲斐金吾之碑」だろう。右側に書かれている文は「工費内金●●●●●提供」と読めることから、具体的に甲斐金吾という人物が投じた私財の金額が刻まれているものと思われる。

「匡救(≒救済)事業」とあるのが気になる。時期的に昭和恐慌への対策事業だろうか。

 

 

あちこちの隧道(たまに橋でも)でこうした「地元の篤志家」への感謝を刻んだ碑文を見てきたが、ここの隧道もまたそうした中のひとつだったわけだ。

 

 

 

 

 

それぞれの

「物語」があったんだろうなあ…。

 

 

 

 

 

さて、隧道内部。

昭和11年という完成年にもかかわらず、ガチ素掘り。普通車同士ならなんとか離合できるだけの幅員が確保された、立派な隧道だ。そしてけっこう長い。

 


 

 

 

坑口入ってすぐのところに朽ち果てた照明。

二枚上の写真でもわかるとおり、現在も洞内側壁には電線が這わされている。

 

 

 

 


簡易な封鎖だったので、乗り越えることは可能だった(立入禁止とも書かれてなかった)けど、仕事用スラックスとシャツだったので、それはやめた。

 

とにかくこの場所、隧道を吹き抜ける風が気持ち良すぎて、

こういう局面では初めての自撮り~。しばしクールダウンした。

今思えば、暑さ対策的にも歩いて抜けても良かったな…。

 

 

 

 

 

ここにデッキチェアでもあれば、

爆睡できた自信ある(笑)。

 

 

 

 

 

まあそんなんあるわけもなく、

再始動。反対側に回りますか~。

 

 

 

 

 

最後に一枚。

この画角に萌えたのよね~。

 

 

 

 

 

戻り際、

先ほどは気づかなかったもの発見。

 

 

 

 

 

小屋の脇の看板がそれなんだが。

「ライトの消し忘れに注意」。これも旧隧道の忘れ形見と言える。

 

 

 

さて、反対側はどんなんかな~?

 

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

 

 

昨日8月30日、仕事が午後からだったので一念発起、めっちゃ早起きして竹田市へ穴巡りに行ってきた。記事タイトルの「レンコン町」とは、竹田市はそれだけ隧道だらけの街として(業界では)有名であり、そのごくごく一部を味わってきたわけである。

 

 

以下は備忘なので興味ない方はしばしスルーでOK。

 

大分から豊肥本線で豊後竹田までもちろん列車で。本数が少ないので、目指す列車に乗らないとスケジュールは壊滅…であるにもかかわらず、出発前にウダウダしてる間に、気づけば発車時刻8分前!駅から徒歩6分のホテルの部屋でまだ支度中なのに、である(笑)。結果、まさに絵に描いたような滑り込みセーフで間に合ったのだが、早朝から猛ダッシュはあかんって。トシいくつやと思ってんのよ。しばらくは仮死状態だった(笑)。

 

で、本当は豊後竹田駅で得意のレンタサイクルを借りるつもりだった。しかしこの日の天気予報は悪く、雨雲レーダーを見てもチャリだとかなり難儀しそうな予感…つうわけで、残念ではあるが規模縮小、駅から徒歩での散策に切り替えた。結果から言えば、激しく雨が降ったのはせいぜい15分程度、あとはチャリでもなんとかなりそうな程度ではあったが、まあ仕方なし。

 

 

 

ハイ、そんなこんなで歩行時間は3時間半、歩数にしておよそ20,000歩。雨交じりの曇りということで、その分日差しはほぼなかったので、その点では助かった。

 

 

では以下、ダイジェスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん。徒歩探索なので行ける物件も限られて消化不良ではあったけど、それでも行かなかったら後で悔やむことになると思ったので、敢行してよかったなと。ごらんの通り、穴巡りと言いつつ橋もいくつか混じってたりするのは、まあそうなるよねと。

 

ひとつ残念だったのは、片道1km近くあるちょっと離れた物件へ到着したら、恐ろしく平凡な現代トンネルだったことで、思わず「しょーーーもなっ!!!」と大声出してしまった(マジ)。いかにも素敵隧道がありげな立地だったし、あえてストビューで確認しなかったのが思いっきり裏目に出た。これに使った時間と体力があれば、別の魅惑物件を断念しなくて済んだのに…。

 

 

 

まあいまいち伝わらないダイジェストだとは思うが、近いうちにどれかやるつもりである。

 

 

 

 

 

今夜で出張は終了。明日朝イチで会社に戻りお仕事~。結局出張中の記事、コレだけになっちゃった。