今ならまだ間に合うネタをやっておこう…滋賀ケンミンとして。
大ヒット上映中の「例の映画」により改めてスポットライトが当たっている(?)滋賀県民のキラーフレーズ「琵琶湖の水止めたろか」。
淀川水系の源であり、京阪神1,100万人の水がめとなっている琵琶湖を抱える滋賀県民が、主に京都大阪府民によるディスりに対して抜き放つ伝家の宝刀…とされてるけど、実は久しく聞いたことない(笑)。けど間違いなくかつて自らの耳で聞いたことある、都市伝説ではなくホントの話だ。
そんな前フリから、
まずはこれ。
ここはなぁに?って、
こういうところだ。
国土交通省 琵琶湖河川事務所。「琵琶湖の水を止める」を実行に移せる公的機関だ。敵に回したらおしまいでっせ(違
マジな話、実際に「琵琶湖の水を止められる」場所は三か所ある。そのいずれもが滋賀県の管理ではないので、実際のところ滋賀県に琵琶湖の水を止めることはできないというのが、いかにも滋賀県らしい悲しい現実なんだが、
一般的に(何がやねん)「琵琶湖の水止めたろか」といえば、まずここ。河川事務所のすぐ横にある、この「瀬田川洗堰(せたがわあらいぜき)」。
つうか、河川事務所が洗堰のたもとにある、って方が正しいな。現在地こちら。
そしてもちろん、この瀬田川洗堰を管理しているのが、琵琶湖河川事務所なんである(多くの担当事業のひとつにすぎないけど)。
琵琶湖には多くの河川が(事務所HPによれば117本の一級河川が)流れ込んでいるが、出ていく天然河川はこの瀬田川一本のみ。利水/治水上、いかにここでのコントロールが重要であるか、素人にも想像できる。
洗堰は10門の上下二段式ゲートで構成されており、
この日は両端のゲートから越流していた。
堰上には滋賀県道108号南郷桐生草津線が通っており、
歩道から間近に施設を観察することができる。
まあ素人なので、
どこをどう撮ったら正解なのか、
よくわからないんだけれども。
以前この記事で少し書いたが、
琵琶湖と瀬田川の境界を示す河川境界標識はJR東海道本線瀬田川橋梁の150mほど北側にあり、洗堰からだとおよそ6.5kmほど上流に位置する。なので洗堰は位置的にも地形的にも完全に瀬田川上ではあるが、実情としては「ここまでが琵琶湖の水」ってイメージかな。
で、近年だと2013年9月に、実際にゲート全閉…つまり「琵琶湖の水が止められた」ことがあった。改めて調べてみたら台風18号による記録的大雨で、下流にあたる宇治川の氾濫を防ぐためだったようだが。そうなのよ、実は琵琶湖の水は、「たまに止められてる」のだった。
で、上の写真で、瀬田川両岸に何か見つけた方、鋭い。
こちら左岸。
そして、こちら右岸。
あれらこそは、1904(明治37)年完成の初代洗堰の遺構である。
見てわかるように、煉瓦と切石で構成された水門。あれが実に32連!並んでいたそう。水門にゴツイ角材を落とし込んでその高さで流量調節を行い、全閉にまる二日、全開にまる一日を要するという、多大な労力が求められるものであったとか。それでもその治水効果は目覚ましく、現洗堰の完成する1961(昭和36)年まで50年以上、役割を果たし続けた。
立地的(治水的)に一部が残されているだけでもありがたいが、あれがもしオリジナルの姿で現存していたら…国宝指定もまんざらじゃないほどの土木的価値があったのじゃないかと思う。…知らんけど。
東側へ渡りきってのゲート側全景。
こちら側が「琵琶湖の水」だ。
ゲートのすぐそばには、
このようなレールが敷設されていた。メンテ時や作業時、何かを転がして運搬するんだろうか。
県道橋としての親柱、
「瀬田川あらいぜき」。
わたくしの感覚では、これをこの名で呼ぶ人はあまりいなくて、地元民は「南郷洗堰」と呼んでると思う。実際、この県道起点である国道422号との交差点名称も「南郷洗堰」だったりするし。
はい、こちらは
「瀬田川の水」として流れていくわけだ。まあ当然同じ水なんだけど。
【2】では、ちょっと旧洗堰に接近してみよう。