2011年12月14日、初めての掛川探索。この日のネタで記事にしているのは、竜脇川橋梁、百合切隧道、牛渕隧道、大城隧道、檜坂隧道、岩谷隧道。今宵ご紹介するのは、時系列では大城隧道と檜坂隧道の間に訪ねた物件…というか道。
本来なら「道路トンネル/隧道」テーマでやるような内容だが、ここ最近道ネタをやってなかったので…。
まずはこれ。
静岡県道249号掛川大東大須賀線、同じ掛川市内ではあるが字名が入山瀬から岩井寺に変わるあたりに、この立派な碑が建っている。
台座には「風吹隧道を讃える」、そして碑文のタイトルは
「風吹トンネルの由来」。
内容は各自お読みいただきたいが、かつてここに掘られた隧道群のことと、それを実現した青野卯吉翁への感謝が綴られている。そしてその役目を終えた隧道群が、旧道に遺されている…というのは地図を見れば一目瞭然。
それにしても、ここにも隧道物語がひとつ。こういう逸話は各地で目にするが、そのたびに隧道一本の重みが現代とは比較にならないことを痛感する。
つうわけで、
その旧道入口。場所はこちら。
車止めポールなど立てられて、
四輪はシャットアウトされていた。
ここを進んでいくと、すぐに…
お出まし~。
明治35年開通というこの隧道だが、
昭和6年、32年と二度の改修を経て、このような無難なお姿に。
扁額には、
「第二風吹隧道」と。
昭和三十二年二月竣功とあるから、やはりその時の改修によるお姿だということになるが、ここで疑問が。記念碑には「大小三つの隧道」と書かれていたはずだが…「第一」でも「第三」でもなく、「第二」?
まあいい。行けばわかるだろう。
ここで、来た方向を振り返り。
雰囲気は実にいい。
そのまま、
洞内へ。
そして、向き直り。
ああ…いいですな~。
思いのほかしっかりした照明が残っていたが、
もちろん点灯してはいなかった。
抜けて、振り返り。
ぐぐっと廃感増量。
オリジナルの姿(高さ二メートル、幅二メートルで人が車を引いてやっと通れる程度の素掘り”)を想像すると、キューンとなるね(笑)。
扁額は…同じかなあ。
なんか、間違い探しレベルでちょっと違う気も…(笑)。
さてさて、この先明るくなってるけど。
どんなんかな~?
【後篇】に続く。