【前篇】より続く。
「第二隧道」を抜けてしばし、明るい場所へ出た。
取り残された「幅員狭小」標識があった。
左上の柵は、県道現道路肩のもの。ここからしばらくは、現道最接近パートとなるが、このように高低差が。谷筋を隧道でクリアした旧道に対し、現道は山を切り開いて高度を上げていく、そんな構図。
少し進んで右カーブしたところでは、
現道擁壁が迫って切り通しのようになっているところがあった。
結論から言えば、どうやらここに隧道があったようだ。三本のうちの真ん中、すなわち本来の「第二隧道」の位置がこのあたりだったらしく、前回冒頭の碑文(「風吹トンネルの由来」)には書かれていなかったが、昭和の二度の改修のいずれかで開削されたものと思われる。
先ほど抜けてきた「後の」第二隧道(本来は第三隧道だったということになる)の扁額には昭和三十二年とあったので、この改修時に撤去されたのではないだろうか。知らんけど。
「エア第二隧道」を抜けたと思われる(もちろん当日現場ではそんなん知る由もなかったが)あたりで、
あー見えた。
なぜかこっちはしっかり封鎖されてしまっている、
「第一」隧道。
傍らには、掛川市のカントリーサインが。
現在でこそこの旧道全て掛川市内だが、2005年3月までは小笠郡大東町だった、その名残か。
ここもまた、面白みのないビジュアルに改修されており、扁額には
「風吹隧道」と。
真ん中が開削されて二本になった段階で、もう一方を「第二」と名付ければ、こちらは「風吹隧道」ってネーミングで事足りるわな、それは。
こちらも年代など刻まれてるのかもしれないが、金属フェンスが邪魔で見えない。
金属フェンスといえば、
他の方のレポだと、こっちのフェンスが空いていて入れた、みたいなものが散見されたが、もしかしてカギ開いてたんだろうか?試してみることさえしなかったと思うが。
なのでこれはもちろん、フェンス越しの一枚。
入れないならば、反対側に回ってみよう…
本来そうなるところだが、実は…もう行ってきた後なんだわ、実は(笑)。
およそ18分で、また戻ってきた。
そう、風吹隧道の反対側、実は一番最初に見に行ったのだが、あっちの旧道はまるで採石場への専用道路みたいな感じで、非常に入りづらかった。実際ダンプも行き来してたし。
しかも砕石場のところで旧道は封鎖され、進入不可。誰も付近にいなければお邪魔するところだったが、ここはとてもじゃないがレンタカーを停めて入って行ける雰囲気じゃなかった。
なんとかお姿だけでも見えないかと、あれこれ撮った中で一番マシだったのが、これ。
わかりにくいだろうが、なんとかスパンドレルまでは見えた…ようだ。これが限界だった。
つうわけで、結局わたくしは風吹隧道には入れなかったのだが、入れないもんだと思ってたので、当日はそこまで残念じゃなかった。後日他の人が入ってるのを見て、ええ~…となっただけで(笑)。
いや~しかし、もう12年も前の話なのねこれ…。
以上。