2018年10月26日、悲報転じて北陸遠征・初日。この日のネタで記事にしているのは橋立隧道(仮)、旧・風浪川橋、朝日小川ダム付近の建屋つきシェッド、日没間近の平三郎茶屋冬期歩廊、愛本橋近くの謎タワー。
今宵から3回の予定で記事にするのは、新潟県から富山県に入って最初に訪ねた物件。つうか、訪ねてみれば、あらら?という展開…から~の、意外なもの発見まで。
まずはこの写真から。
県別マップルに描かれた隧道表記を目指してやってきたのだが、
何だか様子が…って、
おおおおいぃ!(エガちゃんふう)
場所はコチラ。
右カーブの先、隧道坑口があるべき場所は打ちっぱなしのグリーンとなっているが、どう見ても状況的に隧道坑口が埋められた跡っぽい。なんならあれ、ポータル上部がのぞいてないか?右手には、なんか標識が付いていたと思しき白い支柱がポツンと残っていて侘しい。
最初に書いたように、県別マップルでは、ほら!このように。
フツ~に現役扱いですやん!
しかるに現地の様子だと、廃されたのは到底ここ数年のことじゃない感じですぞ。時々あるよな~このパターン。
ちなみに、坑口(跡地)手前左へ登る道は、
古い地図で確認したところ、いわゆる隧道の旧道ってわけではないようだ。しかしながら、このようないわくありげな石がいくつか転がされていた。
当然ながら、
ぜひ坑口跡地をつぶさに観察したいと思ったのだが、残念ながらそこはネットの中。
だが、ネットの外からでも見ればわかる。間違いない。
ここには確実に隧道が埋められている。やはり擁壁とポータル上部がのぞいているようだ。
これ以上こちらではできることはない。そしてわたくし、思い出していた。ここは確か…師匠のサイトで見たところじゃないか?であれば…。
とりあえず現トンネルを抜けて、反対側へ向かおう。
その現トンネル。
これだって、まっさら感はとっくに失われている。数十年は経ってそうだが?
改めて、お名前は
笹川トンネル。つうことはおそらく、埋められてたあの隧道は笹川隧道ってお名前だろう。
銘板を確認すれば、
1986年と昭和末期の生まれ。その錆び具合なりの年を重ねていた。
いったいいつまで現役扱いするつもりなんだ、県別マップルよ。
ちなみに地理院地図ではさすがに修正されている。勝手に現トンネルを「新」呼ばわりしているのはいただけないが(笑)。
さて、現トンネルを抜けて車を停めた。
見にくいが、橋の向こうに現トンネル東側ポータル。一応あれも撮影しに行く。
さて、旧隧道は見当たらないが…師匠のサイトで見たあの物件だとすれば、アレがあるはずなんだな、確か。
つうわけで、橋の上からちらっと…
あった。間違いない。
ならば、旧隧道の位置はおのずと…わかりますな?
その前に、ルーティーンどおりに
現トンネルを押さえておく。
穴から見る、穴。
言うてる場合か(笑)。
あれは北陸自動車道。今回の記事とは関係がない。
さあ、彼岸の世界に参りましょうか。
【2】に続く。