連載の途中ですが、しばし中断いたします。今週末に待望の遠征を控えてまして、そこで中断すると展開的により中途半端になるので…。申し訳ございません。来週に続きをやりますので、その間は別ネタでお楽しみくださいまし。
2014年5月4日に敢行した、ソロ煉瓦祭り・地獄篇。甲梅ノ木原橋梁&乙梅ノ木原橋梁、甲永長橋梁に続いて探索した物件をご紹介。
アプローチに失敗し、
車を停めたとこからプチ苦労してやっと到達。
え?見えない?肉眼ではここらでもう捉えられた。写真突き当りらへん。
接近して~、
いた~!はい、東海道本線下の煉瓦橋梁でございます。
場所コチラ。
さっそくに、ひらりと降りまして…
正対。
ここらの橋梁群はすべからくデコにお名前を掲げてるのがデフォルトで、
コチラのお方は、
不帰川橋梁。東京起点より420km304m04。いや~、センチ単位まで。
不帰川と書いて、「かえらずがわ」と読む。こんなにささやかな川だが、垂井町と関ヶ原町を分ける川である。つまりこの時、ジャスト町境にいたわけだ(笑)。
では、お邪魔しまーす。
切石の側壁に煉瓦アーチという定番の構成だが、真新しいコンクリ製の…なんだ?歩廊にしちゃ狭いし…が、付加されていた。
で、その足元は
このような段差が。
これはインバートの端部だ。ということは…?
段差の上からの振り返り。
やはり。インバート端部となる段差と同じ位置に、アーチの継ぎ目が見える。どうやら今見えている部分、段差よりも先は、後年に延伸(橋梁的には拡幅か)された部分であるようだ。
この区間が開業したのは1884(明治17)年で、おそらく本橋梁も開業時からのものだが、延伸(拡幅)部分については、1902(明治35)年の複線化に伴ってのものだと思われる。
なので、先に進んで見る下り線側の部分が
オリジナル、ということでよろしいかと。130年モノかあ~(嬉
抜けて、振り返り。
いや~好きやなあ、ささやかな煉瓦橋梁。
結局、このコンクリ製の後付け部分が謎やったな~。
なんだったんだろうか?わかる方、教えてくださいまし。
この日のこの後のネタで記事にしているのは、関ヶ原町藤下の未成道(現在は供用済み)、大須谷橋梁、宮田橋梁、新観音坂トンネル。
以上、完結。