2014年5月4日に敢行した、ソロ煉瓦祭り・地獄篇。いきなりコレでスタートしたわけだが、その後もいくつか物件をめぐり、7時間半後(笑)、ここへやってきた。
場所はコチラ。
この光景が一体なんだっつうの?って感じだけども。
画像中央ちょい左に、コンクリの集水枡が見えますか?アソコにね…
実は【予告篇】にかすがさんからいただいたコメント、「この道路は昔、線路でした・・・ぐらいしか思い浮かびませんでした。」、コレ大正解で。さすが!
地図でご覧いただくとわかるように、この県道を手前方向にたどると、東海道本線・近江長岡駅になめらかに行き当たる。これがまるまる、かつての東海道本線の路盤跡を転用したものなんである。
開業当初の東海道本線は、長浜~大津を琵琶湖を使って水運で結ぶルートで、関ヶ原から長浜までは概ね現在の国道365号が踏襲しているルートだった(コレを参照)。
今いるこの場所は、1889年に開業したルート、すなわち現在の国道365号線・大野木交差点付近で分岐して長岡(現・近江長岡)、米原、そして草津・大津へと至るルートの上にあたるわけである。この大野木の分岐点には、1891年に深谷駅という貨物駅が設置された。
その後柏原駅経由の現在のルート開業に伴い、深谷~長岡間が廃止されるのは1899年。よってここに列車が往来していたのはわずか10年間ということになるわけだけど、探せば今でもその痕跡はあるのであーる。
やっと前説終わったーー!!さくっとやろうとしたのに、意外にめんどくさかったな…(爆)
以上を踏まえてご覧ください。
さて、さっきのヒント、集水枡までやってきた。
県道の下に何やら…ある。マジか…。
おおお、煉瓦アーーーチ!!
いや、コレはわからんぞ絶対。師匠方の成果を見た上で、あるとわかって来たにも関わらず驚いたくらいのもんで(笑)。サイズは、2枚上の写真での見え方で推して知るべし。
アーチは三層巻でしっかりしていそうやけど、
胸壁の石積みにほころびがあるなあ…。大丈夫?
覗き込んでみれば、
イイね~!
よくよく見ると…
突き当たりが見える…が、明かりは見えない。
行ってみなわからんな…。当然、イキマスよ(笑)。
う~低いな(汗)。ごそ、ごそ、ごそ、ごそ…。
突き当たりへとうちゃーく。
あー、埋められてるパターンっすか…。変な感じで土管が接がれているが、それも今は貫通してないっぽい。明かりが一切見えないから。
なんか、雑な感じで埋められてるなあ。そしてなんだこのダブルドカーンは(笑)。
この先は、川につながってたはず。橋梁っていうか、樋管みたいなもんだったのかも。
最奥部から振り返り。
実に125年も前(!)の建設ながら、やっぱりアーチそのものは未だ健全な状態に思える。いつものことやけど、往時の鉄道マンの仕事に、改めて敬意を覚えずにいられない瞬間。
ここはごく短期間で鉄道としての役目を終えた区間なので、かかる負荷もごく軽くて済んでいる特殊ケースだが、現在線の下にある無数の煉瓦架道橋、橋梁、暗渠たちも、多少の補修を受けつつもバリバリの現役を張っているわけで、いかにしっかりと作られたか、そしてアーチという形状の誇る強度ってものは凄いなと。
最後に1枚。
明治の穴から見上げる、新幹線のぞみ。
これもまた一興なり。
以上、完結。