Q05 quest -6ページ目

煙草と唾液の混ざった匂い。

ずっと嫌いだった煙草の匂い。



自分では吸わない。

「体力が落ちる。」と、

まわり中の友達が吸い始めた時も自制した。

「煙草は嫌い。」と、

付き合う男の人にも容赦なく言っていた。




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たぶん、はじめは「きゃね」、かな。

学生の頃、代官山のモンスーンカフェで出会った。

背が低くて、とてもお洒落な同い年の男の子。

付き合う気はなくて、だけどすごく惹かれた。

きゃねも、私に抱いていたのは恋心ではなく、

「仲間意識」みたいな親近感だったと思う。




何度か一緒に寝た。

時々キスもした。




きゃねは、いつも煙草の匂いがした。

彼の銘柄は覚えていないけれど、

「煙草は絶対にやめらんねえよ。」と笑っていた。

灰を落とすとき、煙草をくるくると回して、

先を鉛筆みたいに尖らせる癖があった。

私はそれが気に入っていた。




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憧れていたのかもしれない。




都心で生まれ育って、

有名なカフェで働いて、

お洒落な服を着て、

野心も夢もあって、

一本筋の通った男の子。




「煙草はやめない」と、

笑いながら言うきゃねがひどく好もしく思えたし、

それを否定するのは、

彼自身を否定することのようにも思えた。






それから、

煙草の後のキスが、好きだった。




煙草と唾液の混ざった匂い。

体のずっと奥のほうを、

かすかに刺激される、甘い匂い。





今は、「煙草を吸わない男の人とは付き合えない。」

なんて、言ってみたりする。

自分では吸わない。

健全な体を保つことは、

愛する人と、その人の子供を守るための、努め。

だから、煙草のけむりは今でも嫌い。








煙草の、匂いは好き。

煙草と唾液の混ざった匂い。





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恋人の煙草を取り上げ、煙を吐かせて。

それからキスをしたくなる。

マルボロメンソールの甘い味。

影響されやすい、私。

不本意ながら2日もかけて、

スラムダンクを久しぶりに通し読みした。


相変わらず、笑いあり、涙ありの、歴史に残る名作。




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「お前は、加藤先生のもとに戻って、指導者をするべきだ。」

と、大学の追いコンの席で、ひとりのOBさんに言われた。

真剣にやれば、3年で日本一のチームをつくれるはずだと。




就職先も決まり、名古屋への引越しを目前にしていた私は、

あまりに真剣な顔で投げられた進言に、

困ったような笑顔を返した。

だけど嬉しかった。

素直に、心から、嬉しかった。



大学時代は、自分が強くなることよりも、

チームを強くすることに一生懸命だったから。



どんな練習がいいか。

どんなペアがいいか。

どんな言葉が適切か。

いつも、そんなことばかり考えていた。




だから、認めてもらった気がした。

「指導者になれ。」と、

その30歳も後半になろうかというOBさんの言葉は、

最高の誉め言葉だった。




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スラムダンクを読み終えて、本気で考えてみた。

本当に私に、日本一のチームが作れるだろうかと。




加藤先生は笑うだろう。

「もうお前は勝負師の顔じゃないな。」と笑った、あの日のように。


全国のライバルだった皆は言うだろう。

「大学で消えた選手のくせに。」




だけど、想像しだすと止まらなかった。

「お前のキャプテンシーは天性だ。」と加藤先生は言った。

「先輩は、今までのどの先生よりも、私を強くしてくれました。」と若菜は言った。





「資質がなくもない」

と、こころひそかに思っている私。





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浅はかにも、眠りにつく前にこんなことを思った。

単純で気まぐれな自分。





ああ、テニスがしたい。

もう汗のかきかたすら忘れてしまった。

隣を歩く人。

「今日、最後のアポイントがそっちの駅なんだけど、一緒に帰る?」

と、出社してすぐ、彼からメールが来た。

私は何だか少しはしゃいだ気分になった。



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仕事が終わってから、会社で少し待った。

それから電話が鳴ったので、ビルを降りた。

電話でお互いの場所を探りあいながら、大きな交差点まで出た。


「今、珈琲館の前まで来たよ。」と彼が言った。

私がいる場所のちょうど斜め向かいの角に、珈琲館はあった。

私は彼を見つけた。

「ここだよ。ここ。向かいっかわにいるよ。」と、携帯電話で言っても、

彼はてんで違う方を見ている。

…何だっけ、こういうの。何て言うんだっけ。

「トイメン!トイメンにいるよー。」と、

私はほとんど音だけで覚えた言葉を、使ってみた。

多分こういう位置取りのことだったはず…。

といめん、と、たどたどしく発音した私を、彼は笑っていた。


彼がこっちを向いたので、大きく手を振った。


彼が私を見つけたことを確認してから、横断歩道をひとつ渡った。

外で待ち合わせるなんて久しぶり。

私はやっぱり浮かれていて、顔が笑ってしまう。



携帯電話が鳴った。

彼からだった。



「おい、またトイメンにいるぞ。トイメンに。」



彼は笑っていた。

見ると、また、一番遠い角に彼が居た。

馬鹿みたいに、2人して同じ方向に横断歩道を渡ったらしく。

いっこうに距離は縮まっていない私たち。

「お前は動くな。」とぴしゃりと言われ、しゅんとする私。

でも本当は、コントみたいで面白くて、

彼を待ちながらひとりで笑っていた。




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串焼きとおでんを食べて、

少しお酒も飲んで、

それから2人で歩いて帰った。



地下鉄2駅ぶんのその道は、

広い歩道をただただ真っ直ぐに進むだけで家に着く。

他愛のないおしゃべりをしながら歩いた。

仕事帰りのスーツの彼と、

堂々と歩けることがすごく嬉しい。



仕事のテンションが抜け切らない、

少しぱりっとした彼は、大人びた笑い方をする。

ひどく賢そうな、落ち着いた笑い方。

それが私はすごく好きなのだけど、

ちょっと呆れてしまう。

いつもは、「男爵芋のうた」とか、歌ってるくせに。







あっという間に、家に着いた。

もっと歩いていても良さそうな夜だった。

私の隣を歩む人。

同じ場所を目指す人。










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家の前の角を曲がる時、金木犀の匂いがした。










大人買い。

「読まないと勿体無いよ。歴史に残る名作だよ?」

と、私が付き合い始めた当初からしつこく言っていたら、

彼が大人買いしてきた。


スラムダンク全巻。

しかも愛蔵版ではなく単行本で。




で、二人でソファに並んで読書。

もう寝なきゃ。寝なきゃ。

とか思いつつ。






不安と、焦燥と、安心と、上昇。

「プロが10だとすると、はじめはゼロやったけど、今は3くらいには来ましたね。」

と、言ったのは、「王子」と呼ばれる私の上司。

オーラが王子だから、王子。

肌と髪がきれいで、いつもいい匂いがする。

王子はよくお菓子をくれるから好き。


3、は言いすぎだと思う。

多分、実質は1にも満たない私のスキル。

それでも、嬉しかった。


本当は、自分でも、

確実に、着実に、色々覚えているという自覚はある。

だけどスタートラインが低すぎて、

お給料をもらいながら学ばせてもらっている身なので、

大きな声では言えない。



おそろしく長い時間を使って仕事をこなしている私。

本当なら3時くらいには終わるだろう仕事が、

定時の6時にも間に合わない。

一日に、だいたい3回くらい山場があって、

(山場と言うのは自分の中でのトラブルのこと。)

本当なら15分でできることに1時間以上かかったりする。

黙々と、時間を使う。



だけど、多分これでいいのだと思う。

仕事が進まなくても、覚えたことは沢山ある。

急がば回れ、ということで、

教わるとおりにただこなすよりも、

ソフトの能力をきちんと理解することのほうが、

きっとこの先大切なのだと思うし。



一生懸命やろう。

ともかく。

へんに力まずに、

求められた仕事をきちんとしよう。



頑張れば、出来る子なんだから、と。

自分に言い聞かせたりして。

本当は今日、少し泣きそうになったけど。